【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

Cafe Restaurant Paomu  (軽井沢)

2010-12-31 00:42:37 | グルメ
                                    

 カフェレストランPaomu は、軽井沢銀座の入口、右手にあるお店です。住所、電話は下記のとおりです。

 長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢806 tel.0267-42-8061

 ここは上掲、画像にあるようにスイーツが有名です。ここでだけしか食べることのできない、スイーツ「軽井沢プリン」だそうですので、お試しください。
 「・・・だそうです」というのは、わたしは未経験だからです。噂のこのプリンは三層で、一層目はブリュレ風、二層目はとろとろプリン、三層目にカラメルが入っています。浅間高原牛乳、特選生クリーム、ヨード卵の卵黄を贅沢に使ったこだわりのプリンです(だそうです)。

 ちょうど、昼食時に入ったので、オムレツを注文しました。このオムレツも他にはないようなしっとり感がありました。オムレツはわたしが子どものころ、母がよく作ってくれたので、懐かしく、よく昼食にします。いままででは、池袋にある、「卯の字」のオムレツが最高と思っていましたが、ここのオムレツもそれに匹敵しました。

 この他にも洋食メニューは豊富です。どれもこれもおいしそうです。

 店の中は明るく、夏ならテラスで食事することもできるようです。若い人が多いです。みなさん、確かにスイーツを注文していました。

 ウエイトレスさんは愛想がよく、レジでは笑顔で世間話で話かけられびっくりでした。世間話といっても嫌味がまったくなく、人間的なコミュニケーションです。接客が上手との印象を受けました。

 帰り際に、台湾の観光客が10人以上入ってきて、中国語がとびかい雰囲気は一挙にかわりました。

サイプレス軽井沢(美庵~bien~)

2010-12-30 00:09:52 | グルメ
                              鉄板焼き

 今年は、軽井沢に数回でかけました。わたしが住んでいるところから、思いのほか近く、落ち着けるエリアだからです。ブログにも数回、軽井沢報告として掲載したのはご承知のとおりです。

 この軽井沢、食事のいいところが多いのも発見でした。そのなかから、いくつか。

 今日は、サイプレス軽井沢(長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東287-1;tel.0267-42-0011)というホテルのなかにある「美庵~bien~」という鉄板焼きの店を紹介します。

 席は8席しかありません。予約は必須です。

 限られた狭い空間ですが、ここでの鉄板焼ディナーは、その日に入った魚介と長野県認定のブランド牛“信州プレミアム牛のコースです。「信州あんしん農産物 生産認定農場」で育てられ、旨味成分オレイン酸が基準値以上含まれた高品質な信州黒毛和牛が使われているそうです。

 グラスシャンパンと共に信州プレミアム牛と新鮮な魚介を鉄板焼きにしてくれます。西洋わさび、日本のわさび、柚子胡椒、ブラックペッパー、岩塩、あとガーリックソースとポン酢でお好みの味で食します。
 
 もちろん、魚介だけではなく、豊富な野菜も一緒です。目の前で焼いてくれるのが醍醐味です。

 夕食のあとには広々とした大浴場で疲れをいやし、その後は毎夜開催されるロビーラウンジでのコンサートを聴くことができます。軽井沢の自然、落ち着いた広い客室も魅力です。

 サイトはこちらです⇒ http://www.cypresshotels.co.jp/karuizawa/

*なお、「サイプレス」とは、ヒノキ科の常緑高木イトスギの英名で、セイヨウヒノキを指します。



林健太郎『ワイマル共和国』中公新書、1963年

2010-12-29 00:11:23 | 歴史
                           ワイマル共和国 ヒトラーを出現させたもの
 第一次世界大戦も後半の1918年3月から7月にかけてドイツは起死回生をもくろんだ西部戦線の大攻勢が失敗、以後ドイツ軍は退却に退却を余儀なくされます。すでにそれ以前から国民生活は窮迫し、厭戦気分が強まり、ベルリンでは大規模なストライキが起こったり、開戦のおりに戦争を支持したドイツ社会民主党のなかに戦争継続に反対する一派が分離し独立社会民主党が結成されるような状況もでてきていました。

 ドイツ最初の政党内閣であるマックス内閣の成立、皇帝ウィルヘルムの退位問題があり、1917年11月のキール暴動を契機に労兵協議会が都市部を支配下におさめ、革命的情勢は一挙に進展します。社会民主党のシャイデマンの宣言によって共和国が成立、新共和国は1919年に史上初の民主的憲法というワイマル憲法を採択しました。

 しかし、ワイマル共和国は14年の生命しかなく、その胎内からヒトラーを党首とするナチスト党という妖怪が生まれることになります。なぜ、そのような事態になったのでしょうか。

 本書はワイマル共和国成立後の諸政党の確執と民意の動向を追跡し、そのプロセスを解明する意図のもとに書かれたものです。

 著者によればワイマル共和国の失敗の原因は、ヴェルサイユ条約の苛酷な条件と世界経済恐慌などの背景があったのですが、内部的にはハイパーインフレーションによる中間層の没落、国政上の欠陥、すなわち大統領内閣という構造があったこと(ヒトラーの首相就任も国民多数の意思表明の結果ではなく、大統領による任命であった)、国会が政府選出の機能を失っていたこと、共和国は政党政治を標榜していたが政党が民主主義を実現するまでに成熟していなかったこと、結果的に官僚と軍隊が共和国の最大の実力者となってしまったこと、ドイツ国民自体がビスマルク以来、官僚支配に馴らされ、自らが国家を形作るという見識と気概、慣行に欠けていたこと、ナチスの悪魔的体質を見誤っていたこと、などにあったと書いています。

 文中、実に多くの人物が登場します。エーベルト、グレーナー、ローザ・ルクセンブルク、リープクネヒト、カウツキー、ヒルファーディング、ノスケ、シュトレーゼマン、ゼークスト、シュライヒャー、ブリューニング、シャハト、パーペン、などなど。小説にしたてたら面白いはず、と著者は書いていmます。確かに。


  この本の出版は、相当古いです。わたしが学生の頃、もとめたものです。ワイマル共和国の研究がこの本が出版されたあとどうなっているのかは、門外漢なので不明ですが、いまだに版を重ねて出版されていることを鑑みると、内容的にそれほど陳腐化していないようです。
 また著者の林健太郎は、わたしが学生のころ、周囲ではあまり評判がよくなく、この本を読むときにも若干の躊躇があったのですが、実際に読んでみるとそれほど偏った見方をしているとも思われませんでした。もっともワイマル共和国そのものががかなり政治的な環境のなかで推移したのですから、中立的な執筆の仕方は無理と思いますが、いくつかの叙述の不公平さは認められたものの、冷静に客観的に史実をリアルに追って書かれていました。

黒田日出男『江戸図屏風の謎を解く』角川学芸出版、2010年

2010-12-28 00:02:51 | 歴史

                                    江戸図屏風の謎を解く
 江戸時代の絵画史料、「寛永江戸図」、国立民俗博物館所蔵の(以下「歴博本」と略)「江戸図屏風」、「江戸天下祭図屏風」(一時行方不明だったのが、1997年突如古美術市場に登場し話題になった)の謎を、論争的に解明した本です。

 まず寛永江戸図。この時期、江戸図は数々作られました。歴博本の「武州豊嶋郡江戸図」がそれらの原図です、版行は寛永九年以前、これがこの本の最初の結論です。この結論を導出するに際して、筆者はこの「寛永江戸図」を後世の編纂図とする加藤貴説を詳細な調査をもとに論駁しています。

 次に歴博本「江戸図屏風」について。この江戸図屏風の注文主は誰なのでしょうか、それは何のためにつくられ、使用されたのでしょうか。
 著者の結論では、この屏風は寛永11年から同12年6月2日までの間に、松平伊豆守信綱が絵師に製作させ、家光の御成始めを描いた屏風絵で、その家光の御成に際してその部屋を飾る屏風として使用されたとのことです。その後は、滅多に使用されない屏風絵として保存されました(そのため保存状態がきわめてよい)。先学の研究業績の批判的検討をもとに、屏風の部分と全体の徹底的な分析の結果生まれた結論とのことです。
 この屏風にゆいては、18世紀初めに回顧的に描かれたという説があるそうですが、著者はその説が成り立たないとを完膚なきまでに批判しています。

 最後にメインテーマの「江戸天下祭図屏風」(個人蔵)です。この屏風には明暦大火以前の江戸城内を進んでいく山王祭礼の行列とそれを眺めるいろいろな人々の姿が描かれています。注文主は紀伊徳川家の当主頼信で、妻の瑶林院のために作製し、瑶林院はこの屏風を晩年身近において使用しました。死後、京都の本圀寺に、彼女の指示で納められました。製作時期は明暦3年から万治2年までの間(1657-59)[紀伊徳川家が慶安事件(由比正雪の乱)の嫌疑を受けていた頃]と推定されています。
 「江戸天下祭図屏風」そのものの徹底的読解によって、この作品が生まれた歴史の現場を探り当て、この絵画に描かれた近世初期の都市江戸の姿の一部を浮かび上がらせ、関連する文献資料にあたって謎の究明にとりくんでいます。

 みられるとおり、本書は江戸時代に書かれた絵画を美術作品として鑑賞するのではなく、貴重な歴史資料として、誰が注文し、何のために何を絵師に描かせたのか、それは享受者がどのように使ったのかを、学界の研究の到達点を踏まえながら実証分析したもので、内容を一読すればきわめて論争的な成果物であることがわかります。

 学問の厳しさが伝わってきます。


森まゆみ『明るい原田病日記』亜紀書房、2010年

2010-12-27 00:08:00 | 医療/健康/料理/食文化

                                    

          
 『谷中スケッチブック』などの著作でその名を知っていた森まゆみさんが、2007年4月頃から「原田(氏)病」という奇病に罹っていたそうです。

 「原田病」というのは、1928年ごろに原田永之介医師がこの症状を特定したのでその名があり、1906年にフォークトが、1914年に小柳美三も確認しているので「フォークト=小柳=原田病」とも呼ばれるそうです。全身のメラノサイトを自分の免疫が攻撃するという病気で、その結果、ものが歪んで見えたり、光を極度にまぶしく感じる急性ぶどう膜炎となり、頭痛、耳鳴り、めまいなどの症状が全身にあらわれる病気らしいです。

 ステロイドの投与で軽快するとのことですが、角膜、皮膚、毛質などからの色素が失われ、緑内障、白内障の合併症が引き起こされることもあるそうです。しかし、「病像」がよくわからないので、不安なのだとか。

 発症率は100万人に5人ほどですから、この難病を診断された人は「どうしてわたしが」と思ってしまうのは無理もないところです。

 本書は、この難病にかかってしまった著者の闘病記で、2007年4月13日から2008年8月9日まで日記形式で綴られています。闘病そのものの苦しさ、医者の対応、周囲の、とりわけ家族の反応、生活上の困難、そして何よりも何をどのように感じたかがありのままに書かれています。この間、父を亡くし、知人、友人が他界したことも書かれています。

 ですが、本書の標題にもあるように全体が「明るい」のが救いです。結構、あちこちに講演やあつまりに出掛けているし、海外にも飛んでいます。東京と丸森で二地域居住しています。ネットワークが広いのが驚きです。前向きに生活しようとしています。この点が魅力です。

 巻末には、この病気に関しての医師との対談「ほんとうに聞きたかったこと」が組まれています(「自己免疫疾患とわたし-津田篤太郎医師に聞く」「見えるということ-若倉雅登医師に聞く」)。

 森さんはいい医師にめぐりあえたようです。だいぶよくなったようですが、一層の快方を願うばかりです。


蔵の助 (豊島区西池袋)

2010-12-25 00:17:12 | 居酒屋&BAR/お酒
                            蔵之助名物!お刺身桶盛り7から10種の素材の豪華盛り♪お得!
 職場の2つ目忘年会。15名ほどの参加でした。

 場所は池袋西口にある「蔵の助」です(豊島区西池袋1-17-6、03-3982-9781)。「南部地どりと江戸ちゃんこ」と銘打っています。

 メンバーの若手が捜してきました。下見をしたというだけあって、いごこちのいい空間でした。

 上の画像は店の自慢の刺身の盛り合わせですが、ここの売りはちゃんこ鍋のようです。店に入ると、相撲の番付があり、通された個室の壁には浮世絵風の力士が描かれ、確かにその雰囲気があります。

 この日は、もつ鍋で一年の疲れを癒しました。取り鉢には、ごまが入っていて、それを各自、ごますりします。ちゃんこはそういう風に食べるものがあります。

 野菜がたっぷりで、「もつ」も適度に味をひきたてています。最近は、ラー油をいろいろなものに入れて辛くすることが流行っているようで、このもつ鍋にも取り鉢のなかにたらしました。各段にうまみが増します。

 最後はなべの汁のなかにラーメン。隣のテーブルではうどん。これがすこぶる美味しく、身体全体がぽかぽかと暖かくなってきました。

 みなさんお酒が好きなようで、珍しく日本酒の一升瓶が出てきました。銘柄は八海山。

 このグループは一年間、よく働きました。あっと言う間の一年でした。飲み放題のなか、お互い、「お疲れさま」とねぎらいの気持ちをかわした2時間余でした。

                   池袋唯一ちゃんこ料理のお店です(

「週刊 20世紀シネマ館[1964年]⑫」講談社

2010-12-24 00:48:20 | 映画

この号で取り上げられている映画は、主に以下のとおりです。
・「マイ・フェア・レディ」(ジョージ・キューカー監督)
・「突然炎のごとく」(フランソワ・トリュフォー監督)
・「シェルブールの雨傘」(ジャック・ドュミ監督)
・「007/危機一発」(テレンス・ヤング監督)
・「山猫」(ルキノ・ヴィスコンティ監督)
  いまからみれば、とにかく凄い。俳優には、オドリー・ヘップバーン、ジャンヌ・モロー、カトリーヌ・ドヌーヴ、ショーン・コネリー、バート・ランカスター、アラン・ドロン、クラウディオ・カルディナーレ。稀代の俳優がズラリです。

  「マイ・フェア・レディ」はギリシャ神話を下地にした戯曲の映画化、現代のシンデレラを描いた名作、「突然炎のごとく」はジャンヌの魅力をあますところなく引き出したヌーベル・バーク映画の記念碑的作品、「シェルブールの雨傘」はフィルム・オペラと言う新ジャンルを築き、ドヌーヴの出世作となった恋愛映画、「007/危機一発」はスパイ映画の代表作、「山猫」は貴族の落日を格調高い映像で描いた名作です。

 「銀幕の主人公たち」ではカトリーヌ・ドヌーヴが紹介されています。この年の日本映画の代表作として安部公房原作の『砂の女』 が掲載されています。

 その他の読みのとしては・・・
・マイ・フェア・レディ[シネマ物語]セシル・ビートンが手がけた衣装は全1086種、費用50万ドル
・ 突然炎のごとく[監督物語]映画化権を奪われそうになったトリュフォー
・シェルブールの雨傘[シネマ物語]ヌーヴェル・ヴァーグの“色彩の魔術師”
・007/危機一発[シネマ物語]ビジネスマンに大流行したアタッシェケース
・ 山猫[俳優物語]ヴィスコンティが賞賛した名優ランカスター

 映画とは関係ありませんが、1964年という年は東京オリンピックがあった年、カッパエビセン、ワンカップ大関、クリネックスティッシュが新発売でした。


小早川涼『将軍の料理番-包丁人侍事件帖』学研M文庫、2009年

2010-12-23 00:14:46 | 歴史

           将軍の料理番―包丁人侍事件帖 (学研M文庫)
 主要な登場人物は、鮎川惣介、片桐隼人、桜井雪之丞。

 惣介は武士でありながら、江戸城の台所人で、天性の嗅覚の持主です。将軍、家斉に気に入られ、話相手をつとめます。

 隼人は惣介の幼馴染で、御広敷の添番です。

 雪之丞は京都からきた料理人。行動が怪しく、とりつくしまがありません。

 盗難、刃傷、奥女中の失踪、怪死、火事(火付け)、事件が次々に起こります。惣介は曲亭馬琴と連携し、難局の解決にあたりますがが、謎はなかなかほぐれません。

 惣介の包丁さばき、調理の過程、レシピなど、料理の話がたくさん出てきます。描写が細かいです。


 例えば・・・。「螺鈿細工が施された黒漆の膳が各自の前に三つ。/隣に座っている片桐隼人が、料理に目を落としたり、箸に手を触れようともしないので、鮎川惣介は取り上げた箸を膳に戻した。/一番右の膳には、塩鮎に大根を添えて塩味で煮たせんば煮と鰆の焼き物、それになめ茸と小蕪の味噌汁が並んでいる。/真ん中の膳には、青のりと山芋のすり下ろしをかけた旬の白魚、海鼠の生姜酢和え、飯と香の物。/左の膳には、鴨と巻き湯葉の吸い物に鯛、めばるの刺身、鮑の田楽。あとは口直しに、煮梅に砂糖をかけたものが添えてある。/大店の接待が無暗に贅沢なことは話に聞いていた。が、御膳所の青物御用達の他、大名家や名の通った料亭にも野菜を卸すようになって、近頃ぐんぐんとのしてきている青物屋≪八百甚≫のやることはさすがに違う」(pp.97-98) 。目の前に膳が見えるようです。

 固定ファンがたくさんいそうな作家の小説です。

 


永畑道子『夢のかけ橋-晶子と武郎有情』新評論、1988年

2010-12-22 00:21:27 | 文学
 有島武郎と与謝野晶子との間に恋愛感情があったことは、あまり知られていません。しかし、このテーマを著者の永畑道子さんが長く仮説としてあたためていたようで、彼女はこの仮説が真実であるという信念をまげず取材を続け、この作品で真相を詳らかにしました。

 武郎の多くの書簡で今ではかなり明らかになったことですが、武郎から晶子への書簡は与謝野家にはのこっておらず、仮説の実証には困難も多々あったと推測できます。武郎と晶子との関係は、武郎の小説に取り入れられ、日記に綴られ、晶子の短歌にも読みこまれていました。大正9,10年の頃です。

 晶子は武郎との恋の道を指して、「この道は海へ落ちる道」と歌いました。ふたりの恋はすれちがい、それは「夢のかけ橋」として歴史に残されました。

 直後、武郎は雑誌記者、波多野秋子と煉獄の恋におちいります。秋子には夫があり、武郎と秋子はその情事の現場を夫に踏み込まれたこともありました。当時は姦通罪がいきていたこともあり、抜き差しならない窮地に陥ったふたりは遂に死への道につくことになります。

 大正13年(1923年6月9日)、軽井沢。作家有島武郎と雑誌記者波多野秋子は新橋で逢い、そこから上野へ、そして6時間かけて深夜、雨で濡れそぼる軽井沢駅にふたりはおりたちました。

 武郎の別荘、浄月庵。午前2時ころにふたりは縊死しました(この浄月庵は現在、タリアセン、塩沢湖の近くに移築されている)。ふたりが発見されたのは死後約一カ月、7月7日でした。

 著者は本書で、有島武郎をめぐる大きな2つの愛を架橋し、文学史上のスキャンダルの真相を見事にあぶりだしています。

澤佳成『人間学・環境学からの解剖-人間はひとりで生きてゆけるのか-』梓出版社、2010年

2010-12-21 00:13:19 | 科学論/哲学/思想/宗教
  •                 人間学・環境学からの解剖
     未曾有の困難に直面し、混迷を深める現代社会、人間はこの現状のもとでどのように生きなければならないのか。この難しい哲学的な問題に正面から対峙し、問題の所在を解明(解剖)し、未来への展望を指示した本です。著者からの献本です。

     当然、取り扱われる問題は広範です。人間とはそもそも何なのか、生きることの意味、生きることと深く関わる自由、責任、義務とは何か。これらの問題を、抽象的にではなく具体的に論じていること、西洋の哲学者の書を読みこなして問題にアプローチしていることが本書の特徴です。

     例えば前者では水俣病とその裁判、ワーキングプア、格差と貧困、自殺、児童虐待、蔓延する自己責任論、世界的規模で進行する環境破壊などが取り上げられ、後者ではアリストテレス、へーゲル、ホッブス、ルソー、スミス、ロック、マルクス、エンゲル、ミルの自然観、人間観、社会観、哲学が検討されているといった具合です。

     問題を多面的に論じながら、生物学的なヒトが人間になるためには文化行為や人間相互のかかわり(社会性)が不可欠であること、ボランティア活動が社会性の回復に寄与する営為であること、自由の概念は時代の求めに応じて変遷があること、労働の意味を探求しながら疎外、所有、権利について考察していること、人間存在の生のありかたを破壊するものとして環境問題を根源的に解明していることがうかがえます。

     内外の新しい学説、考え方をとりいれていることにも配慮があり、小原秀雄氏の「自己家畜化」説(人間は文化や文明をつくり、そのシステムに身を投じることで自分たちの身をまもってきたが、現在はそのシステムに完全に依存する存在になってしまったという説)、平田清明の個体的所有論、瀧川裕英氏の責任概念(「負担責任」と「応答責任」)、フロムの「市場的構え」、アマルティア・センの「交換権原」の低下(「飢餓発生の主因」を突然起こる権利の剥奪状況とみる)、アイザイア・バーリンの「消極的自由」と「積極的自由」などの諸説が活用されています。

     若い人が人間は一人では生きていけないこと、人間らしい生き方と幸福な社会の在り方を根源的に考えるのには最適な図書といえます(大学の講義という教育実践を踏まえて書かれた本のようです)。

AUX BACCHANALES(オ-バカナル)紀尾井町店

2010-12-20 00:25:13 | グルメ

harajuku.jpg

AUX BACCHANALES(オ-バカナル)紀尾井町店:千代田区紀尾井町4-1 新紀尾井町ビル1F 03-5276-3422

 職場の忘年会がありました。場所はAUX BACCHANALESの紀尾井町店でした。フランス料理の店です。チームのリーダーがフランス通で、その方がリーダーシップをとった企画です。

 出席者は、少し遅れた方も含めて11人ほど。AUX BACCHANALES(オオバカナル)紀尾井町店は、有楽町線の麹町駅をおりて、徒歩7分ほど。近くにはホテル・ニューオータニ、上智大学があります。ちなみにAUX BACCHANALESというのは、「賑わいのなかで」といった意味合いでしょうか。

 この店は照明も雰囲気も明るく、垢ぬけしています。それに何となく賑やかです。ウェイターのなかにはフランス人もいました。身のこなしかたもきれがよくスピーディです。瞬間、フランスにあるレストランのように感じます。

 パンは3-4種。食べたいだけ食べることができます。注文は黒板にぎっしりチョークで書かれたメニューのなかから選びます。前菜、スープ、魚料理、肉料理・・・。お酒はスパークリングから入って、白ワイン、赤ワイン、これを葡萄の品種を吟味しながらの飲みです。

 店のHPによると、オーバカナルでは“カフェ”“ブラッスリー”“ブランジェリー”があるので、それぞぞれに愉しんでほしい、とあります。

そのBrasserieでは・・・

 ブラッスリーはフランス人が日常味わうトラディショナルなフランス料理定番メニューにであえます。旬の厳選食材をつかった、季節の料理が中心です。

                    オー・バカナル - 料理写真:タルタルステーキ


司馬遼太郎『「明治」という国家』日本放送協会、1989年

2010-12-18 01:37:08 | 歴史
                       
                

 明治を語りながら「時代」ではなく「国家」を論じているのがミソです。

 江戸270年の無形の精神遺産(薩長土肥)を抱えて,青写真なしに成立,廃藩置県という前人未到の大事業を乗り越え,立憲国家,国民国家として歩むに至った明治国家とその背後にある文明の構造,機能とをあますところなく解明しています。

 明治国家の手さぐりの近代化,その苦しみの姿を,二つの世界思潮-自由民権と立憲国家-のなかでとらえたと著者は結論づけています。

 小栗忠順,西郷隆盛,勝海舟,西園寺公望,東郷平八郎,津田出,新島襄,福沢諭吉らの人物と思想の記述が面白いです。思想家としての著者の面目躍如。

 しばしば論点から脱線しますが,これが司馬流の妙味です。

 NHKのトークドキュメント「太郎の国の物語」をもとに編集されたそうです。奥行きのある本なので,どこまで理解できたかどうか。

木村治美『静かに流れよテムズ川』文藝春秋社、1981年

2010-12-17 00:20:29 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
 タイトルは,16世紀のイギリスの詩人エドモンド・スペンサーによるふたりの貴婦人の結婚を祝う祝婚歌からの詩句からのものです。「黄昏のロンドンから」に続く著者のエッセイ集です。 「黄昏・・」のほうは未読です。

 ヴィクトリア朝のもの,「古いもの」を誇るイギリス人,これといった料理がないが紅茶とプディングにこだわる国民性,文学者・科学者には一流を輩出しているが画家,音楽家など芸術の分野で後塵を拝するこの国,職業が階級的に区分され,中産階級を代表する保守党と労働者を代表する労働党とで政策が根本的に異なるこの社会。

 著者は生活者の感覚でイギリスの風土と文化,イギリス人の気質を表現していきます。やわらかく,弾力的な文体に,著者の性格が滲み出ています。

 変らないイギリスに驚嘆しつつ,著者は1977年に再訪してその変り様に驚き,イギリスの底力を見る思いで,ロンドンの北西部ヘンドン地区の「ブレント・クロス・ショッピングセンター」,ロンドン北西約100マイルのところにある都市のコベントリー大寺院の脇にたつ超現代的な建物を紹介しています。

 わたしはロンドンには行ったことがありません。次の2012年五輪開催地はロンドンです。

近藤唯之『プロ野球監督列伝』新潮社、1984年

2010-12-16 10:47:56 | スポーツ/登山/将棋
 「プロ野球の監督に一番必要なのは、作戦用兵の頭脳なのか、それとも管理能力なのか、あるいは選手と一緒に酒を飲む、仲間意識なのか。こういうものを知りたくて、私は日本中を動き回った。プロ野球創設以来、半世紀を通じて、監督全員にインタビューしたのは私ひとりしかいない。これは私自身、胸の中でひそかに温めている誇りである」(p.4)とあるように、本書はプロ野球の監督経験者全員にインタヴューしたなかで、そのうちの30人を選んで本にしたものです。貴重な記録本です。

 わたしが監督としての雄姿を知っているのは、三原脩、鶴岡一人、水原茂、あたりから。川上哲治も、テレビですが見たことがあります。

 松木謙治郎、藤村登美男、杉下茂、別当薫、青田昇などは名前しか知りません。

 ファンだったのは、中西太、稲尾和久。

 監督としての采配が好みだったのは、広岡達郎。小西徳郎は監督というより、名解説者と記憶しています。

 野球は筋書きのないドラマです。著者はひとつひとつ瞬間の「運命的な」ものに強い関心を寄せて執筆しています。独特の「近藤節」があります。それがどのようなものかは、言葉では説明しにくいのが残念。

阿刀田高集『もだんミステリーワールド⑪』(中島河太郎監修)リブリオ出版、2001年

2010-12-15 00:18:01 | 小説
 大きな活字で詠みやすい本です。市の図書館にありました。

 「無邪気な女」「運のいい男」「干魚と漏電」「旅の終り」「花の器」の5編所収。

 「無邪気な女」は、結婚に遅れた35歳の篠田大介が知人の紹介で知った26歳の静子という女と結婚するのですが、夜の交渉の時に及ぶ寸前で彼女が異常な反応をするというのが話の芯です。精神科の医師の催眠療法による見立てで、彼女が過去に男に犯された時に咄嗟に近くにあった石で男を殴り殺してしまったことのトラウマが異常な反応の原因とわかります。
 医師が静子に「あなたの犯した殺人はとるにたりないものだ」とトラウマを癒すために試みた説得が災いとなって、大介と静子の「やり直しの初夜」に大変なことが起こります。

 「運のいい男」は、才能ある友人を自殺に追い込み、近年食味評論家として名の売れてきた桜沢雅雄が山陰の潮崎に足を伸ばし、ここでしか食べられない夏牡蠣にありつくのですが、運悪くこの牡蠣で中毒にかかり、地元の病院での注射一本であの世に送られる話です。
 雅雄は牡蠣の養殖が軌道に乗り始めたこの土地の人々の善意によるとも悪意によるともつかない罠に嵌ったのでした。

 「干魚と漏電」は、杉田夫人が移転した先の電気代が高額なため、調査を依頼したところ、原因が地下に埋まっていた冷蔵庫にいきあたり、その中に**が。冒頭の冷蔵庫のなかで腐っていた古いシシャモとオーバーラップする結末に震えます。

 「旅の終り」は、芭蕉の奥の細道の追体験を趣味としているサラリーマンの権藤栄作のところに取材にきた東都新聞の記者田村がインタビューのやりとりのなかで感じた不信が、直後の栄作の急逝の後にわかった異常な行為として発覚する話です。

 「花の器」は、マンションに独り住まいの田倉育子のところに岡山の備前焼の花瓶のお土産がとどきます。そこで育子はある演技で洋介を追い込んでいきます。それは姉を殺した犯人をつきとめるために育子が刑事と仕組んだ罠でした。育子と洋介とはふたりで犯人と目星がついていた男の吟味をするのだが、最後の育子のしくんだ演技で、一転して洋介が犯人としてあぶりだされてしまいます。手の込んだ作品です。

 阿刀田高のブラック・ユーモアは健在です。