【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

抜群の芸 桂枝雀

2007-11-29 12:29:21 | 古典芸能

上田文世『笑わせて笑わせて 桂枝雀』オービービー、2003年
         笑わせて笑わせて桂枝雀
 著者は朝日新聞の芸能記者です。枝雀の人生、芸風を伝える格好の本です。桂米朝門下。

 入門以前から、前田達(枝雀の本名)には芸の才能がありました。高校時代から兄弟(弟はマジカルたけし)で「素人落語ノド自慢」「素人演芸コンクール」に出演しています。大向こうを唸らせていました。

 「小米(こよね)」時代の抑えた演技から、枝雀襲名後のブレーク。芸風が様変わり。精力的な公演、新境地を開いた英語落語、天才肌でした。

 大阪サンケイホールでの「枝雀十八番」、東京歌舞伎座での公演、大喝采を浴びました(史上初のカーテンコール)。

 テレビ出演(「なにわの源蔵事件簿」「ふたりっこ」など)、映画出演(「ドグラ・マグラ」など)にもひっぱりだこでした。

 「笑いの元は緊張緩和」には「御意」です。「小米」時代に一度出た「鬱病」、回復したが再発しました。そして「自死」に至ったのです。享年59歳でした。

 弟子は、南光(べかこ)を含め8人です。

おしまい。


憲法「改正」論議の危うさ 現行憲法は国民の宝です

2007-11-28 00:45:35 | 政治/社会

伊藤真『憲法の力(新書)』集英社、2007年
      『憲法の力』

 著者は司法試験界のカリスマと言われる伊藤塾塾長です。

 著者は「護憲派」ではなく、「立憲派」(国家権力を法的に制限した憲法に基づいて政治を行うことを信条とする立場)であり(p.20)、「積極的非暴力主義」の立場にたつと宣言しています。

 「憲法は国家権力を拘束するものであって、国民に義務を貸すものではな」く(p.23)、同じ法律でも刑法や民法などの法律とは位置づけが異なり、同列に置いてはならないとあります。納得。

 法律は国民がそれを守る義務を負うが、憲法はそれを国家権力が守る義務を負う(99条)のです。法律は国民を拘束するが、憲法はその法律を作る人、国家権力を拘束します(以上p.66)。「憲法の根源的な意義・役割は『国家権力に歯止めをかけること』です」(p.18).

 憲法の改定は国民が行うものですから、有権者の過半数が改憲に賛成しなければ改憲はありえないはずです。しかし、先に国会を通過した「国民投票法」ではそれは保障されていません。これは、法の論理からすれば正しい法律ではありません。

 憲法は「主権在民」「基本的人権の尊重」「恒久平和主義」の3原則が重要といわれ、それはそのとおりですが、「個人の尊重」をうたい(p.72)、平和の問題を「人類基準」(p.93)にもとめている点で尊いのです。

 著者の論旨は明快です。9条を改定する必要は全くないと説いています。これとの関連で、軍隊を保持してもそれが守るのは抽象的な「国」であり、国民の生命や財産が守られることはない(pp.112-116)、中国・朝鮮が攻めてくる「蓋然性(確からしさ)」はありえない、[p.148](近代に入ってからこれらの国が日本を攻撃したことはなく、逆の侵略行為は多数[明治政府になってからの台湾出兵以来、日本は70年以上も間断なく領土拡張のためり隣国に軍事介入してきました(p.149)])、「集団自衛権」の論理は強国(アメリカ)の論理でつくられたもので危険(p.135)、重要なのは「集団安全保障」(pp.143-145)、強力な軍隊をもっても、絶対的自衛を保障できないのはアメリカでの9・11テロの例で証明済み(p.124)、真の安全保障と危機管理とは危機を避けること、攻撃されない信頼される国を作ること(p.169)、「押し付けられた憲法」というが、現行憲法は国会で審議、議決されたもの(p.161)、他国で改憲した国はあるが、憲法の基本原則を変えた国はない(p.164)、自民党の新憲法草案は一種の「政治クーデター」であり、憲法99条に明記されている「憲法尊重擁護義務違反」である(p.10)と。

 全体で3章構成になっていますが、各章の末尾に「『飲み屋で負けない』憲法論議」が付されています。これは重要です。

  著者は2006年5月18日に衆議院の日本国憲法に関する調査特別委員会に参考人として呼ばれ、憲法改正国民投票制の要否を問われたそうですが、この重要な審議をするはずの委員会では50名近くの委員の半数ほどが欠席、あとの半分は出たり入ったりで、まるで「学級崩壊」のようで唖然としたとのことです(p.24)。国民投票法案は、そんな状況のなかで国会を通過したのです。 

おしまい。おやすみなさい。


東北の人と文化を復権させ、再評価した盛岡在住の作家・高橋克彦氏

2007-11-27 01:36:27 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
高橋克彦『楽園にようこそ』NHK出版、2007年
         
 83年に『写楽殺人事件』で江戸川乱歩賞、92年に『緋い記憶』で直木賞をそれぞれ受賞し、NHK大河ドラマ「炎立つ」と「北条時宗」の原作者でもある著者のエッセイです。「私の原点」「歴史を紡ぐ」「私の好きなもの」「出会い」の4部からなります。

 この本からは、東北の歴史的位置づけ、偉大さとおおらかさを教えてもらいました。東北は「ごく近代まで敗者の暮らす土地」(p.59)でしたが、かつては(7世紀頃まで)日本は二分され、北東北一帯は「陸奥」と呼ばれ大和朝廷の力の及ばない地であり、この陸奥には都に負けない平泉の経済力と文化がありました(p.98)。より遡っては縄文文化の時代に人々は自由を満喫して暮らしていたようです(p.60)。

 著者は『火怨』でアテルイを主人公として描き、彼を復権させ、蝦夷を再評価する道をひらきました。『天を衝く』では九戸政実を描いて、彼を蝦夷の心を具現する人物として歴史の闇の中から表舞台に登場させました。

 「この本の底に流れているものは『炎立つ』で得た私の東北の隠された歴史への思いと蝦夷への愛である」(p.254)と著者は「あとがき」で解説しています。

  著者は若い頃に(高校時代)浮世絵に興味をもち、研究し(歌川国芳から出発)、その後、作家への道に進んだそうです。

 かなりの「凝り性」のようで、自分でも「私は異常にモノにこだわりを持っている人間らしい」(p.140)と書いています。その「固執癖」はものごとをトコトン調べることに繋がり(この他「個人全集」への偏向、合成樹脂で作られた料理見本の渇望など)、結果的に「通説の」義経伝説、北条時宗の性格、日蓮の評価に疑問をもち、異なる評価を打ち出して小説にしたてました。芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の通説の解釈にも異議を提出しています。類まれな才能です。

 『斑鳩宮始末記』(黒岩重吾)、『帝都物語』『レックス・ムンディ』(荒俣宏)、『深紅』(野沢尚)の紹介があり、どれもこれも凄い本のようです。食指が動きます。

 著者はミステリー、ホラー小説の達人であること、「本当にこの国はどうなってしまうのだろう」(p.228)と憂えている人であることも付け加えておきます。

 著者の郷土愛は不滅です、「私の作品に盛岡はなくてはならない場所だ。と言うより作品の多くは盛岡が書かせてくれたものなのかもしれない」(p.238)と書いています。

おしまい。おやすみなさい。

トルコ料理 DENIZ

2007-11-26 00:26:32 | グルメ

トルコ料理「デニズ(DENIZ)] 新宿区高田馬場3-4-19 03-5386-0330

       DENIZ

 DENIZはトルコ語で「海」の意味です。ここは、JR高田馬場駅から徒歩5分ぐらいです。いろいろなお店が立ち並ぶ、さかえ通りの一角に位置しています。駅から歩いていくと、左手にすぐに見えてきます。

 過日、ここに行きました。「メルハバ」がトルコ語で「こんにちは」です。

 入口から入ると、流石にエスニックな感じです。上の写真のような感じです。ケマル・アタチュルクの写真がちゃんと貼ってありました。この建国の指導者の写真が大きくはってあるのは、トルコ本国と同じです。

 まずは、トルコビール、エフェスで乾杯。次いで、メゼの盛り合わせ、サラダ、トルコパンなどを注文しました。トルコ料理は独特です。ねった感じのもの、串に刺した肉などを賞味できます。どこの国の料理とも異なるので、新鮮ですが、まだ慣れない部分もあります。
      DENIZ
 しかし、世界三大料理のひとつと言われるだけあって、おいしいです。9月にトルコを訪れたことを思い出しました。ビールの次は、わたしはトルコワインにしました。

 お店では2人のトルコ人が料理を作っていて、日本人の女性のウエイターがひとりです。彼女はトルコ語を喋れます。彼女に通訳を頼んで、東京にトルコ料理店がどれくらいあるのかを料理人に聞いてもらったところ、20軒ぐらいと答えてくれました。


天才的ピアニスト・安川加壽子の生涯

2007-11-25 01:19:41 | 音楽/CDの紹介

青柳いづみこ『翼のはえた指-評伝・安川加壽子』白水社、1999年
      翼のはえた指―評伝安川加寿子
 戦前、幼い時からフランスでピアノを学び、太平洋戦争直前に帰国、戦後のピアノの演奏活動で中心的役割を果たすとともに、芸大での教育でも偉大な存在であった安川加壽子の評伝です。

 その門下生であった著者は、加壽子の奏法が意外とアルゲリッチに近かったとして、こう書いています、「二人とも、一見鍵盤の上に無造作に手をのせているようにみえるのだが、その下から驚異的なスピードで音がつむぎだされていく。とくに手を交差させる部分では、左手に放物線を描くようにして、右手をのりこえ、魔法のようにしなやかに動きまわる。・・・どんな細かいパッセージも指だけで弾かれることはなく、必ず手首や腕が連動しているので、音にうるおいと輝きがある。前腕のすばやい交替で弾くトレモロ、ひじから勢いよくうちおろす切れのよいスタッカートも、加壽子のピアニズムがアルゲリッチと同じ伝統を受けついでいることを示している」と(p.265)。

 加壽子は、ショパン(1831年、パリ着)、ドビュッシー(1872年、パリ音楽院)、コルトー(1917年、パリ音楽院教授就任)、レビィ(1920年、パリ音楽院教授就任、加壽子の直接の師)の伝統を受けつぐフランス式の奏法を学び、それをたずさえ1939年に帰国。

 わが国では、19歳にして楽壇に鮮烈にデビューしました。戦中も演奏を続けますが、フランスから持ってきたグランドピアノを空襲で消失し、ピアニストを諦めかけましたが、戦後、見事に復活しました。

 ショパン、ドビュシー、ラベルの曲を天才肌の抜群のテクニックを基礎に、たおやかに優雅なピアニズムを信条としました。

 一時、批評家からかなり手厳しいバッシングに似た酷評を受けた時期がありましたが、めげることなくかなりの高齢まで現役の演奏家として活躍し、多くの後継者を育て、また内外のコンクールの審査員として重責を果たしました。

 晩年、リュウマチを発症してからは、痛々しいかぎりです。著者はその部分もきっちり書き込んでいます。

 著者は、最後に結論のように書いている、わが国の音楽界は多くのピアノの演奏家を輩出しているが、何かが足りない、それは「音色、とくに弱音の魅力。作品の歴史的・文化的背景の理解をふまえた端正な様式感、古きよき時代を髣髴とさせる馥郁たる香り、演奏の芸術性と運動の合理性。それらの絶妙なバランス。つまり加壽子にあって日本の若手にないもの。他のどの点をいかに完璧に満たしても、どうしても満たし切れなかったもの」(p.317)である、と。

 この結論部分は、ややテンションが高くなっていて、加壽子を真に理解しえなかった日本の音楽界に対する著者の苛立ち、無念さで文章のバランスが危うくなっているほどです。加壽子の音楽性への傾倒のゆえでしょうか。

おしまい。


岸朝子『だから人生って面白いー私の料理記者40年』大和書房

2007-11-24 01:21:55 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

岸朝子『だから人生って面白いー私の料理記者40年』大和書房、1996年
        
 フジテレビの「料理の鉄人」の審査員のひとりとして有名だった彼女は、料理記者の肩書きをもっています。この肩書きが好きなようです。

 本書はその彼女が自身を語ったエッセイ集です。大正12年生まれ、東京の新大久保で生まれですが、家族のルーツは沖縄です。

 女子栄養学園を卒業。21歳で見合い結婚。32歳のときに「主婦の友社」の社員募集に応募し、採用されます。ここから彼女の転機は始まりました。

 4人の子どもを育てながら料理記者として活躍。「主婦の友社」に13年つとめた後に、女子栄養大学出版部に移り、「栄養と料理」の編集長として10年。その後、(株)エディターズを立ち上げ、料理や栄養に関するプロジェクトに関わりながら、国税局の酒類審議委員などを歴任しました。

 「おいしく食べて健康に」をモットーに、その道を極めました。「主婦の友社」での連日の深夜までの残業の日々の様子、夫と子どもたちの支援、長男の死に接した時の挫折感、恩師・香川綾先生への想い、料理記者としの自覚と心得、「料理の鉄人」の舞台裏話、お酒での失敗談など、記者らしい「達意」の文章で読者の関心を飽きさせません。

 この本は、最大の理解者だった夫の死(平成7年12月8日)の直後に出版されました。

だから人生って面白い―私の料理記者四十年おしまい。おやすみなさい。


戦争を起こそうとしている人の常套手段

2007-11-23 01:23:57 | 政治/社会
アンヌ・モレリ著・永田千奈訳『戦争プロパガンダ10の法則』草思社、2002年
       戦争プロパガンダ 10の法則
 章の見出しがそのまま法則になっています。

 戦争をしかけたい人はまず「第1章:われわれは戦争をしたくない」と切り出します。
  そして「第2章:しかし敵側が一方的に戦争を望んだ」のだと宣伝します。

 戦争をしかけるには敵のイメージを膨らせることが必要ですから「第3章:敵の指導者は悪魔のような人間だ」とでっちあげます。そのうえで「第4章:われわれは領土や覇権のためだけではなく、偉大な使命のために戦う」のだと呼びかけます。正義の戦争?

 その次にくるのが「第5章:われわれも誤って犠牲を出すこことがある、だが敵はわざと残虐行為におよんでいる」と誇大宣伝します。

 「第6章:敵は卑劣な兵器や戦略を用いている」「第7章:われわれの受けた被害は小さく、敵に与えた被害は甚大」との宣伝も重要です。

 愛国心を駆り立てるために「第8章:芸術家や知識人も正義の戦いを支持している」「第9章:われわれの大義は神聖なものである」と訴えます。

 最後の常套手段が「第10章:この正義に疑問を投げかける者は裏切り者である」という落とし文句です。

 これらの法則は1928年にロンドンで出版されたポンソンビー卿の『戦時の嘘』に示されたものですが(この著作では第一次世界大戦のイギリスの様子が対象)、著者は第二次世界大戦、湾岸戦争、アフガン空爆などのあらゆる戦争にまでこれらの法則が貫かれていると言います。

 そのうえで、①今なお先人たちのようにわれわれも情報を鵜呑みにしてしまうのか、②こうした法則は意識的に実践されるのか、③真実は重要か、④なにもかも疑うのもまた危険ではないか、という予想される疑義に回答しています。

 ①については「留保つき(過去の騙された経験から厳しい批判的精神が生まれる可能性を願い、マスメディアの言論を解釈する力をつけるj必要性がある)でイエス」。
 ②については「イエス」
 ③については「真実がわかれば、認識が変わる」、④「超批判主義を通せば・・・良心を殺すことはない」と述べています。

おしまい。

薩摩の里(鹿児島料理)

2007-11-22 00:55:00 | イベント(祭り・展示会・催事)

郷土料理「薩摩の里」  東京都新宿区高田馬場4-18-10  03-3363-3285
     
 鹿児島料理といも焼酎を楽しむことが出来、落ち着いた雰囲気の店を見つけました。ビルの2Fにあります。入口をはいると、広い空間が迎えてくれます。壁には、料理のメニューがかかげてありますが、よくわからないものがたくさんです。

 焼酎、桜島を1本入れました。「きびなご」はわかりますが、「にがごい」「つけあげ」はわかりません。前者は「ゴーヤ」、後者は「さつまあげ」です。いくつか選んで、注文しました。「さつまあげ」はあつあつで大変、おいしかったです。
     
 壁にはまた、「知覧」のポスターが貼ってありました。「知覧」というと、戦争中、特攻隊の飛行機が飛び立った悲劇の地です。ただ、このポスターには、「九州の小京都」と書いてあり、観光のお勧めのようです。

 お客さんは結構入っています。中年の男性の10人くらいのグループ、若者3人のグループ(ひとり女性)、たったひとりで来ていて夕食をとっている男性がいました。おとなしめの男の子(年齢を聞いてみると22歳という)がウエイターで働いていました。彼は鹿児島人とのことでした。店のマスターも挨拶にきました。開店して11年目だそうです。

 ついつい焼酎の量が増え、気がついたら11時をまわっていましたので、あわてて引き揚げました。 

     


改憲は必要か?

2007-11-21 11:48:54 | 政治/社会

憲法再生フォーラム『改憲は必要か』岩波新書、2003年
        改憲は必要か (岩波新書)
 7人の論者が改憲問題をQ&A方式(「あとがき」にはQ&Qであると書かれている)で考察しています。

 「憲法9条の選択は非現実的」に対しては、樋口陽一氏が3つの「現実」(9条がなければつくりだせた現実、9条がなくともできた「現実」、現にかくある日本の「現実」)を考えることの重要性を指摘し、また「正しい戦争」「人権・人道のための武力行使」はありえないと主張しています。

 「国連が無力で、国連中心の平和主義がありえない」にたいしては、最上敏樹氏が国連型集団安全保障が不完全なこと、改善点が今後ありうることを認めつつ、武力行使禁止規範の国際的世論の高まりに確信をもって国際法の立憲化が重要であると問題を提起しています。

 「押し付け憲法から自分たちの憲法を選びなおすべき」という見解には、杉田敦氏がそういう側面があったことを否定できないが、現在の9条改憲論もアメリカの方針であると指摘しつつ、「改憲/護憲」「押し付け/自由意志」といった二元論を排し、憲法を暮らし方の総体として構成していく道を提唱しています。

 「改憲に慎重さは不要」という意見には、坂口正二郎氏が憲法は最高法規であるとこと、論議が必要なのは「人道的介入」の視点からみた9条の再検討(プライバシー権、環境権の追記は不要)のみと断言しながらも、この点にも慎重であるべきことが述べられています。

 「改憲によって自由・人権の状況を改善」にたいしては、阿部浩己氏が人権は
個別・具体的で社会的・歴史的なものであるが13条の「幸福追求権」でこれをカバーできるし、国際人権法の国内法秩序に導入することをうたった98条2項で主体別の人権保障に対応できると強調し、さらに数々の人権後進国日本の現状と問題点を抉りだしています。

 「しょせん世界はかわらない。9条も変えられてしまう」という懸念には、北沢洋子氏が世界の運動(NGOによる対人地雷禁止国際条約実現、債務帳消しを勝ちとったジュビリー・キャンペーン、世界社会フォーラムなど)を紹介し、反グローバリズムの戦いの意義、「平和的生存権」の潮流に対する確信を示しています。

 「憲法を現実にあわせるべき」という議論には、水島朝穂氏が国連の集団的安全保障体制、憲法の国際協調主義などのキーワードでそうした論議のまやかしをついています。

おしまい。


憲法9条を世界遺産に

2007-11-20 01:06:30 | 政治/社会
太田光、中沢新一『憲法9条を世界遺産に』集英社新書、2006年
       憲法九条を世界遺産に (集英社新書)
 日本人が直面している深刻な諸問題に真っ向からとりくみ、さながら起床ラッパを鳴らすかのような「爆笑問題」の太田光に中沢新一が援軍を決意し前線にかけつけた、とあります。

 しかし、そこは「ことばの戦場」でした。「ことばは世界を表現するためにあるのではなく、世界を変えるためにある」との認識から対談が成立しました(「対談をまえに」)。

 冒頭から緊張感がはしります、童話作家でありながら田中智学の思想に共鳴、石原莞爾を支持し、満州事変を肯定した宮沢賢治の思想が取り沙汰されています。賢治の平和の思想のなかにある矛盾の淵源は? 

 それはディスコミュニケーションを乗り越え、コミュニケーションの可能性への問いに他ならなかったようです。戦前の戦争思想と戦後の平和思想の架橋となる存在である賢治のなかにあった葛藤が問題としてとりあげられています。問題がそこからスタートするのです。

 現行憲法は当時の日本人の平和への「希求」とアメリカのいい意味での民主主義がエア・ポケットのようなところで偶然に結んだ突然変異的結晶という言葉があります。だから世界遺産、珍品なのだそうです。

 日本国憲法は環太平洋的平和思想です。「憲法九条を『世界遺産』のひとつとして考えてみるときにははっきり見えてくるこの国のユニークさ」が満載された問題提起の本でした。

おしまい。おやすみなさい。

いま、地方自治体の行政評価は?

2007-11-19 01:21:20 | 政治/社会

島田晴雄・三菱総合研究所政策研究部『行政評価-スマート・ローカル・ガバメント-』東洋経済新報社,1999年。
      行政評価―スマート・ローカル・ガバメント

 行政評価の定義は、本書によれば「行政機関が主体になって、ある統一された目的や視点のもとに行政活動を評価し、その成果を行政運営の改善につなげていく、さらに、それを制度化して、行政活動の中にシステムとして組み込んで実践すること」です[pp.1-2]

 本書はわが国の地方自治体で急速に展開されている行政評価システムの構築とその実践について、理念、実践、導入のノウハウを説明した解説書です。

 行政評価システムの導入を核とする行政改革は、三重県の事務事業評価制度がつとに有名です
(1996)。モデルケースは、この三重県の例のほかに 北海道の「時のアセスメント」(1997)と「政策アセスメント」(1999) 、静岡県の「業務棚卸」概念の採用(1995)があります。

 わが国での自治体行政への行政評価の導入に先立ち、諸外国では既に経験の蓄積があり、本書ではアメリカ(レーガン政権に始まりクリントン政権下の機構改革)、イギリス(サッチャー政権からメージャー政権下による中央政府の統一基準にもとづく競争原理を追求する先端的な行政評価の開発)ニュージーランドの例が紹介されています。

 行政評価は、無駄な事業の見直し、政策・施策・事業という縦軸と政策執行の時間プロセスという横軸の座標のなかで政策執行を位置づけて評価すべきこと、評価制度を総合計画の進行管理と予算編成事業とに統一的に適用すべきこと、行政サービスの提供者としての職員の意識の向上など,多くの意義があります
。しかし、他面で経営体としての効率重視を真似たことがもたらす弊害、住民主役がかけごえだけにとどまっていること、急速な改革によって引き起こされる職員の消耗感など、今後の検討課題は山積しています。

 この本からは、いろいろなことを教わりました。

  おしまい。おやすみなさい。


小石川後楽園で憩う

2007-11-18 00:35:13 | 旅行/温泉

 小石川後楽園に行ってきました。ここは江戸初期の寛永6年に水戸徳川家の祖である頼勝が中屋敷(のちに上屋敷)として造ったもの。2代藩主光圀の代に完成しました。
                小石川後楽園


  光圀は、造園にさいして明の遺臣朱舜水の意見を取り入れ、中国の風物を取り入れました。庭園の様式は、池を中心にした回遊式筑山泉水庭です。文化保護法によって特別史跡、特別名勝に指定されています。面積は、7万平方m以上もあるそうです。

 後楽園の名は、中国の「岳陽楼記」にある「天下の憂いに先立って憂い、天下の楽しみに遅れて楽しむ」に由来するそうです。

 今日は、時々、太陽の光が射したものの、薄曇りで、気温はやや低く、ひんやりしていました。紅葉は、まだまだ。それでも色づきは、始まっています。

 正門から入って、すぐのところに「冬桜」があり、小さく可憐な花をつけていました。四季おりおりで、庭園は違った表情をみせるのでしょう。10年ほど前にも来たことがありますが、あらためてこの庭園の大きさと美しさに感嘆しました。

 女性の大道芸人が、見世物をしていました。細い70-80cmくらいの棒の上に水の入ったコップをのせ、親指1本、また歯で支えてバランスをとります。一種の曲芸です。最後は、コップをお茶碗に変えて、それをくるくるまわすと水が噴水のようにとびちり、彼女はこの技で喝采を浴びました。

おしまい。おやすみなさい。

         


村井淳志『脚本家・橋本忍の世界』集英社、2005年

2007-11-16 01:38:09 | 映画
村井淳志『脚本家・橋本忍の世界』集英社、2005年
        脚本家・橋本忍の世界 (集英社新書)
 「戦後日本映画における巨人であり、もっとも偉大な映画人の一人」(p.21)である脚本家・橋本忍の実力を解剖しています。たずさわった脚本は、「七人の侍」「羅生門」「真昼の暗黒」「私は貝になりたい」「切腹」「白い巨塔」「日本のいちばん長い日」「八甲田山」「砂の器」などなど。

 最初の3章はよく書けています。「七人の侍」は黒澤の名とともにある映画ですが、3人の共同脚本でした。しかし、その実際の貢献は橋本7割、黒澤2割、小国1割だそうです(p.48)。

 橋本は武芸説話集、武士道関係の叢書、そして「武士道全書」(井上哲次郎監修)をよく読み込んでいたらしいです。

 「羅生門」は橋本が芥川の「藪の中」にヒントをえて書き上げたとか。ベネチアでグランプリを得ます。「真昼の暗黒」は八海事件裁判がまだ係争中に無罪という視点で製作されました。


 これらに対し、「白い巨塔」では橋本の仕事の評価がこの本ではほとんどなされてなく、モデルになった大阪大学医学部の教授との間の医学界の実情に関するインタビューの記録が大半をしめています。

 「日本のいちばん長い日」でも脚本に果たした橋本の貢献の評価はほとんど書かれていません。原作(半藤一利著)の意義に焦点があてられた記述になっています。

 要するに、本書で物足りないところは橋本忍とは余り関係ない話が多いことです。

 それでも橋本忍の脚本家としての偉大さは、十分に理解できました。

おしまい。

神聖ローマ帝国とは何か?

2007-11-15 01:15:24 | 歴史

ピーター・ウィルスン/山本文彦訳『神聖ローマ帝国ー1495-1806-』岩波書店、2005年         

   

 啓蒙書としてシリーズ本になっているのでしょうが、内容は結構、専門的です。くわえて、わたし自身が「神聖ローマ帝国」とは何かがよくわかっていないので難解でした。

 訳者も「神聖ローマ帝国とは、何ですか」と大学一年向けの講義の中で、毎年必ずきかれるが、これは簡単には答えにくい質問のようです(p.132)。

 「神聖ローマ帝国(Heilges roemisches Reich deutscher Nation)」が得体が知れないのは、ひとつにはこの帝国が「無国籍」ということがあるからのようです。おおざっぱに言うと962年から1806年までに存在した(本書は1495年からに限定)ドイツを中心する連邦国家(バイエルン、ザクセンなどの諸公国、フランデンブルク、オーストリアなどの辺境伯領、ボヘミア王国、イタリア王国などからなる)です。

 しかも、13世紀初頭に帝国皇帝がいない空白時代が発生し、選定侯と呼ばれる人々が皇帝を選ぶ慣例ができたそうです。1356年の金印勅書で7人(マインツ、ケルン、トリアの3宗教諸侯、ボヘミア王、ザクセン公、フランデンブルク辺境伯mプファルンツ伯の4世俗諸侯)の選挙で皇帝を選ぶことが制度化されました。選ばれた人物がローマ教皇にローマ皇帝として認めもらうことになったようです。

 本書はこの「神聖ローマ帝国とは何か」という問題に真正面から答えようとした意欲作(p.123)です。プロイセン中心主義的解釈を排し、帝国と領邦、そして教会との矛盾を孕んだ統一の論理を、「近年の研究の成果」を取り入れながら、詳らかにしています。

 帝国議会、帝国裁判所、帝国税、帝国防衛、帝国クライシス、帝国教会、帝国イタリア、領邦絶対主義を論じた第3章が興味深かったのですが、一度是非読んでみてください。

おしまい。


遠藤寛子『算法少女』ちくま書房学芸文庫、2006年

2007-11-14 01:02:07 | 詩/絵本/童話/児童文学

遠藤寛子『算法少女』ちくま書房学芸文庫、2006年
     算法少女 (ちくま学芸文庫)
 江戸時代、と言っても安永年間ごろに実在した算法(数学)にひときわ秀でた町娘の話です。

 この女性の名は「あき」。父・千葉桃三から算法を学び、上方の算法を継承していた父とともに難問を解くことに喜びを感じていた少女でした。

 話は「あき」が観音様に奉納された算額の誤りを指摘したことに始まります。その出来事を人づてに聞いた久留米藩主・有馬侯は、彼女を姫君の算法指南役につかせようとします、上方算法に敵愾心をもつ関流
[当時の江戸では関流の諸派(和算の関孝和の弟子たちが形成)が幅を利かせていた]
の藤田貞資は、同じ関流の武家の娘、中根宇多をこの役につけようと画策します。

 「あき」はこの指南役に抜擢の話に関心がなく、木賃宿に泊まっている子どもたちに算法を教えることに生きがいをみつけ、その塾は評判になっていました。

 和算の流派の派閥争い、円周率の解法の妙味、和算家大名有馬家の藩領内のトラブルなどを盛り込みながら、算法に没頭する「あき」、算法塾で子供たちを教える「あき」、「算法少女」という本を著した「あき」、ほとんどその素顔が分らない「あき」の人となりと算法に対する想いをいきいきと蘇らせた作品です。

 
1973
年に岩波書店から刊行され、長く絶版になっていたものを、再刊をもとめる多くの数学関係者などの力で実現した本とのことです。

おしまい。