【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

佐々木聡他『日本の企業家群像』丸善、2001年

2012-06-30 00:08:58 | 経済/経営

             
 
 わが国で企業者史(アントルプルヌーリアル・ヒストリー)の研究が学会の共有財産になってから40年しかたっていないという(p.251)[本書が出版されたのは2001年、それから10年たっているので、ここは50年と読むべきであろう]。

  本書はその成果のひとつ。
・1章・岩崎弥太郎・弥之助と渋沢栄一(会社企業の成立)
・2章・長瀬冨郎と鈴木三郎助(2代目)(国産新製品の創製とマーケティング)
・3章・鮎川義介と豊田喜一郎(新事業群の形成)
・4章・小林一三と堤康三郎(都市型第三次産業の開拓者)
・5章・小平浪平と松下幸之助(技術思考型事業展開と市場指向型成長)
・6章・井深大,盛田照夫と本田宗一郎,藤沢武夫(戦後型企業家と高度成長)
・7章・中内功と鈴木敏文(経営戦略と流通革新)。

  日本の産業界を牽引した錚々たる企業人が並ぶ。

  学研から『実録創業者列伝-熱き信念と決断の軌跡』(2004年)という本が出ている。これを横に置きながら読んだ。


浅田次郎『ま、いっか。』集英社、2009年

2012-06-29 00:49:34 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

            

  浅田次郎さんの本は読んだことがない。エッセイから入ることにした。エッセイをとおしてこの作家の人となりを、少しは理解できたように思う。


  東京出身。祖父母は江戸の武家の伝統をもち、その祖母からの影響を強くうけて育ったようだ。幼少の頃から歌舞伎に毎月、連れっていってくれた、とある。また、外出のときにはきちんと「よそゆき」に着物を着換えるよう躾けられた。現在でも、その習慣は身についているとのこと。

   父母はあるときから、突然いなくなり家庭崩壊。陸上自衛隊に入隊。その後、隊から足を洗い、アパレル関係の会社で仕事をするようになる。服装のことに詳しい。経験から、ネクタイの選び方、プレゼントの仕方、福袋の買い方のアドバイスをつづった文章がいくつかある。

  ヨーロッパはパリを起点に活躍、アメリカのラスベガスにはときおり「満を持して」ショッピングに出かけているようだ。

  当然だが、読書が好きで、これをとってしまったら生きる価値がないとまで言い切っている(毎日一冊、読破)。

  夜は10時頃には寝て、早起きが習慣化していること、早寝早起きは幼いころから祖母からそうさせられ、年がいってからも自衛隊でそのように過ごしたことでそうなったと打ち明けている。老化を防ぐにはこれが一番なようである。

  酒はやらない。若いころから花を愛でていたこと(失敗談も)、競馬に明るいこともチラリと垣間見える。仕事がら夏休みをとりにくい、名前が売れるにつれますます忙しくなっている、時間がたつのが早いなど、率直に本音を語っている。

  とにかく、浅田次郎さんのいろいろなことが、本人の文章からわかった。

  「MAQUIA]という雑誌に連載された「男の視線」というエッセイを中心に編集された本。標題の『ま、いっか。』は本書の最初のエッセイで、結婚相手には「絶対この人」ではなく、「ま、いっか。」という考え方もあり、という提言から。


「鮨かじわら」(文京区根津2-30-2;03-5685-0933)

2012-06-28 20:38:46 | グルメ

           

 根津の「鮨かじわら」に行く。根津駅から徒歩で10分程度、閑静なエリアにある。このお店は、席はカウンター席のみで、12席しかない。予約をしないとまず入れない。その予約も余裕をもってしないと、満席であることが多い。


 この日も満席で、6時20分ごろに入ると、すでに若いカップルが座っていた。しばらくして、会社の同僚のような3人。

 こぎれいなお店で気持ちがよい。鮨はネタが新鮮で、シャリがおいしい。わたしは以前から、鮨のネタが新鮮なのは必要条件、鮨がうまいかどうかはシャリできまると思っている。刺身を注文し、握りに進む。北海道からのネタが印象的で、刺身には珍しく北海シマエビが入っていた。握りは、イカ、コハダ、ホタテ、アカガイ、中トロ、ウニ(礼文島のもの)・・・。ネタは板の箱からおもむろに取り出される。握りは醤油をつけて食べない。みな、最初から味が付いている。これが鮨をひきたてている。

 お酒はビールと日本酒。ビールは最初はエビス、そして珍しく八海山ビールというのがおいてあるということなのでそれを注文する。日本酒は神亀があり、これも珍しかったその他の銘柄も珍しいものばかりだった。MEMOをとるのを忘れ、残念。

 さて杯が進んだところで、くだんの会社の同僚グループと会話。ブログに話の内容を書きこむのはエチケットとして、やめておくが、なかなか楽しかった。

           


 このお店はやや敷居が高い感じ。お値段もけっこうはる。


岩波文庫編集部編『読書のとびら』岩波書店、2011年

2012-06-27 00:14:16 | 読書/大学/教育

           

  32人が語る自らの読書論。ひとそれぞれで興味深いが、この本にはあと2つほど利点がある。


  ひとつは登場している書き手が岩波の書籍、文庫のことに言及しているので、わたしがあまり気づいていなかった岩波本の特徴がいくつかわかったこと(「読書のすすめ」という冊子に掲載)。もうひとつは、執筆者はそれなりに読書人なので、知らない、いい本の紹介があったこと、である。もっとも後者は余滴で、本題は、執筆者の読書経歴、読書に関する物言い、読書作法である。

  「読書のすすめ」というおお括りのテーマで書かれたので、自由な発想の横溢がある。「万葉集」「古今集」はじめシェークスピア、アリストテレス、エピクロス、ベルグソン、ケインズ、ゴーゴリ、チェーホフ、カフカ、夏目漱石、折口信夫、とにかくいろいろな名著、人が出てくるので、それだけでも愉しい。

  「読者は人生の予防注射になる」と考えてきた人、文章を書くことが苦手だという旺盛な執筆者、読むことの意義など考えず「とにかく読め」一点張りの人、読書環境が全くなかった芥川賞作家の言、読書、それも小説が好きで小さいころから読み続けている人、岩波文庫全巻読破をめざしている人、岩波文庫の経済学関係の本はマルクス関係ばかりで近代経済学のそれがほとんどないと書く経済学者、電車のなかでの20分間の読書がその後の人生に大きな影響を与えたと書く仏文学者、それぞれに面白い。

  「論語」の話がいくつか(かなり)出てくること、チエーホフ翻訳の難しさを説いた文章、江戸時代から日本にあった「努力」という考え方に目をむけた外国人の文章には啓発された。ヴィスコンティが作った映画「山猫」がわりと最近、岩波文庫に入ったという情報をえたこと、『読んでいない本について堂々と語る方法』という本がでているのを知ったことも収穫だった。


デイヴィット・フランケル監督「ブラダを着た悪魔」(アメリカ、2006年)

2012-06-26 00:09:05 | 映画

 ←アン・ハサウェイ

 敏腕編集長のもとで働くことになったアンディが、編集長の無理難題に最初はめげるが、ディレクターのひとことで立ち直り、周囲の友達、パートナーとの私的生活を犠牲にするほど、仕事が生きがいとなるものの、結末は意外な方向に・・・・。おしゃれな衣服、アイテムが次々にでてくるのでそれだけでも眼の保養になるが、わたしはそこには関心がないので、女性が働くことの意味を追いかけながら、この映画を観た。 
 
  舞台はニューヨーク。大学を卒業し、ジャーナリストを目指すアンディ(アン・ハサウェイ)。おしゃれに無関心なのにもかかわらず、彼女は全世界の女性が憧れる一流ファンション誌、「ランウェイ(RANWAY)」編集部への就職に挑戦する。


 彼女は面接で意外性を評価され、カリスマ編集長、ミランダ・プリーストリー(メリル・ストリープ)のもとでジュニア・アシスタントとして働くことになる。しかし、それは過酷な社会人生活の第一歩だった。シニア・アシスタントのエミリー(エミリー・ブラント)には仕事で早朝から叩き起こされ、ミランダからは即決不可能な無理難題な命令が矢継ぎ早に次々と下される。

 ミランダから部下として落第の言葉を浴びせかけられたアンディは、深く傷つき落ちこむ。ミランダの右腕として仕事をしているファッション・ディレクターのナイジェル(スタンリー・トゥッチ)は、彼女の企業人としての甘さを素直に指摘。彼女は彼の言葉で意識が変わる。

 気合いを入れた仕事ぶり、ファッショナブルな服装の着こなし、アンディは周囲が驚く大変身を遂げた。仕事を誠意をこめ、テキパキとこれをこなすなかでミランダの信頼を徐々に勝ち取っていくが、そんな時、偶然ミランダの自宅で彼女が夫と口論している姿を目撃する。怒ったミランダは、その罰として、まだ発売前の『ハリー・ポッター』シリーズを子どもたちのために入手しろとの絶対不可能で無茶苦茶な命令をするが、アンディはかつてパーティーで知り合った有名エッセイストのクリスチャン(サイモン・ベイカー)の助けを得て、この難題を解決する。

 アンディは、このことでミランダにますます気に入られる。だが仕事が充実する一方で、私的生活は破壊されていった。友人たちと距離ができ、同棲していた恋人ネイト(エイドリアン・グレニアー)とも破局を迎える。

 失望困惑の状態で、パリ・コレクションへの出張したアンディは、クリスチャンと一夜の関係を持つ。そこで知ったのはミランダのライバル、ジャクリーヌがランウェイの新編集長に就任するという水面下の陰謀であった。

 ミランダはそのことをすでに知っていて、自分の運命を毅然とした態度で受け入れた。アンディはランウェイへの忠誠もここまでと退社を決意、ネイトと再会して許しを乞う。

 新しい出版社の面接に行くと、アンディはあのミランダが編集長に彼女を推薦するファックスが届いていたのを知らされた。

          


井上ひさし作・栗山民也演出「薮原検校」(世田谷パブリックシアター)

2012-06-25 00:28:06 | 演劇/バレエ/ミュージカル

              


 世田谷パブリックシアターで井上ひさし作「薮原検校」が上演されている(6月12日ー7月1日)。上演に気がつくのが遅く、チケットをとろうとしたときには、発売日から日にちがだいぶたっていて、三階席がやっと取れた。天井桟敷のようだ。実際にその席につくと、舞台がはるかに下の方にみえ、手すりごしに見る一階の席からの距離も相当なもの。怖いくらいである。主演は、狂言のあの野村万歳さん。


 その薮原検校。いやはや凄い内容である。少しでもぶれると関係団体から糾弾されかねない内容。ぎりぎりのところで、かろうじて舞台として成立し、藝術になっている。

 宝暦10年(1760年)。松島に近い塩釜の貧村、魚の行商人の男の子が産まれたが、うまれながらの盲児であった。盲人が生きていくためには、盲人の組織に入るよりほかはない。父親は男の子が座頭様になれるよう塩釜の座頭の琴の市に預ける。

 「おれはもっともっとやりてえことがあるんだ。この世の中を登れるところまで登ってみてえのさ。…盲がどこまで勝ち進めるか、賭けてみるんだ。悪いがおめえが邪魔なんだよっ!」


 杉の市の名をもらった少年は、まっすぐにすくすくと成長しなかったどころか、悪行に事欠かなかった。それを証明するかのように、師の琴の市が演じる平家琵琶の後段で、源平合戦をもじった黒子餅、白子餅の両軍の合戦を講じ、師匠よりも多めのおひねりを受けてしまう。それはともかく、この講談(?)、ことばあそびのパロディは、井上ひさしのもっとも得意とするところ。

 おひねりは仙台の検校の御供の男(検校の秘書兼用心棒)によって強制没収される。杉の市は我慢できず相手のあいくちをうばって殺してしまう。こわくなって母のもとに帰るが、母はそこで男と取り込み中。杉の市は男と争うが、止めに入った母親を誤って刺してしまう。

 故郷にはいられない。杉の市が目指したのは江戸。そこで検校となって偉くなることを夢見た。路銀の調達をしようと、師の杉の市のところに転がり込むが、ここでもトラブルとなり師匠夫妻をあやめてしまう。ひとり殺せば、あとは野となれ山となれ、殺人が習性となっていく。江戸でも悪行のかぎりをつくし、杉の市は薮原検校にのしあがっていく。

 しかし、そうして得た検校の地位からの転落は一直線だった。その引導役として登場するのが当代随一の晴眼者と盲人の権力者、松平定信と塙保己一。さすがの大悪党も権力者の共同作戦には、なすすべがなかった。図られて、見せしめの「三段斬り」の極刑。保己一と定信との話し合いで、民心を引き締めるために、見せしめとして、盲人である薮原検校を選んで懲罰するといことが、生々しいまでに語られる。

 笑ってはいけないのだが、笑ってしまう。内容はブラック・ユーモアだ。

 


宮尾登美子『一弦の琴』講談社、1978年

2012-06-23 00:03:24 | 小説

             

  明治から大正、昭和、高知を舞台に一弦の琴(発祥地は須磨、京大阪で発展)に惹かれ、憑かれた女性2人の生涯をとおして、時代の空気、社会の在り様、女の想いを描いた大河小説。


  2人の女性の名は、苗と蘭子。蘭子にはモデルがいて、その人は人間国宝の秋沢久寿栄。彼女の師匠が苗である。

  小説の前半は苗の人生、これをうけつぐ形で蘭子の人生がある。澤村家の苗が祖母・袖の庇護のもと亀岡さんに琴の手習いを指南され、その後たのみこんで有伯翁に弟子入り、めきめきと腕をあげる。結婚、再婚。2番目の夫は音曲に理解があり、苗は後援を受けて琴の塾(市橋塾)を開き、弟子の数は増え続け、盛況を極める。

  この間、有泊と同居していた女性の不始末、妹(美代)の結婚と死、妹の夫だった人との再婚、琴製作の達人・佐竹紋次郎との出会いと別れ、そして再開。波乱万丈の人生、人間関係の確執、この作家の得意とするところだ。

  市橋塾で学び、なかでも頭角を現した蘭子は塾内部のいざこざで波紋同然となるが、結婚に恵まれ、琴の普及に開眼し、人間国宝として認められた。彼女にとっては苗を越えることが夢であり、究極の目標であったが、国宝として認められ、苗以上の長寿を全うし、夢を果たした。これも人生である。

  後半、祓代(はつよ)という蘭子の弟子が出てくるが、この人は、わたしは想像するに、著者の化身ではなかろうか。なんとなくそう読めた。

  実際、著者は「あとがき」で、昭和37年秋に高知の寺田寅彦邸で人間国宝秋沢久寿栄の一弦琴を聴き、以後、取り憑かれたことを書いている(祓代が著者自身とは書いていないが)。


小林純『研究室のたばこ-経済思想史の周辺で』唯学書房、2011年

2012-06-22 00:16:57 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

             

  大学で「社会思想史」の科目の担当教員である著者が、自身の研究生活のなかで、専門分野での直接の成果ではないが、その周辺で書き連ね、考えてきた断章。


  というわけで、先学、指導教授の研究業績や人柄について書いたもの、勤務先の大学で発行している小冊子に投稿したもの、書評、辞典の項目、日記風の読み物などが混然一体となって納められている。

  この中で、住谷一彦氏の研究業績をまとめた文章、同僚の高橋和男氏のそれをまとめたものが異彩をはなっている。よく書けていて、住谷氏、高橋氏の著作は読んだことがないが、何をどのように研究し、当該の研究分野で開拓者的な仕事をしたのかがわかる。

  ウェーバー、大塚久雄への関心の持続は、この分野での研究者であれば当然なのであろうが、関心の持ち方が具体的に書かれているので勉強になる。

  読み物としては「遊びとスポーツ」が面白かった。このようなことにも著者が関心をもち、書いていたとは知らなかった。スポーツ観戦は好きなようで、この文章以外にも、はしばしに、それがうかがえる。また読書家でもある。

 そして「たばこ好き」。それが本のタイトルになった。


森本卓郎「日本経済50の大疑問」講談社、2002年

2012-06-21 00:31:50 | 経済/経営

            

  不良債権を抱え,財政は大赤字,構造改革の論議はかまびすしく,一向に出口が見えない日本経済の現状と行方を50のQ&A方式で解き明かしていく。


  物価下落と需要の縮小というデフレ経済の是正が喫緊の課題であるというのが主張の根源にある。ともかく景気を立てなおさないことには,財政も改善されない。このままでは国債の暴落の危険性と金利上昇の懸念があると警告している。

  外資のハゲタカ・ファンドに日本経済が蹂躙されかねないという危機感の強い表明がある。日銀の無能ぶりをひはんしているのも特徴である。この10年来の超長期の不況の真犯人は日銀であるとはっきり述べている(p.141)。

 日銀が本気でデフレを止めるという判断をしなければいけないと著者は声高に叫んでいる。


ヴィオラとチェロのコンサート(ギャラリーいずみや;蓮田市)

2012-06-20 00:22:12 | 音楽/CDの紹介

              

 地元、蓮田市でクラシックの演奏会が開かれた(6月16日、13:30-15:00)。蓮田市在住のチェリスト加藤皓平さんが声をかけて東京在住の重松征爾さん(ヴィオラ)、横山桂さん(チェロ)が協力。チェロ2人、ヴィオラ1人の珍しい構成での演奏会が実現したということらしい。


 曲目は、以下のとおり。
・「乾杯の歌」(ヴェルディ)
・「大きな古時計」(H.C.ワーク)
・「水上の音楽主題による『アリオーソ』」(クンマー)
・2つのオブリガードめがねつき二重奏より第二楽章(ベートーヴェン)
・ブルターニュ地方の踊り(Echu eo ar mare)
・映画「おくりびと」から
 
  < 休   憩 >

・ヴィオラとコントラバスのためのデュエットより(K.ディッターズドルフ)
・3つのデュエットop.22-2(クンマー)
・トリオソナタe5 (テレマン)
・グリーンスリーヴス

 全体の進行と曲の説明は加藤さんがするのだが、なれないせいか、あまり手際よくない。しかし、かえってそれが手作りの演奏会のようで、演奏者と聴衆との距離が縮まった。解説のなかでは、「2つのオブリガードめがねつき二重奏より第二楽章」の楽譜にベートーヴェンとしては珍しく強弱記号の書き込みがないという逸話、またテレマンという作曲家がギネスブックに載るほど作品の数が多いことが紹介された。

 チェロとヴィオラの音色を近くで聴いたのは珍しいこと。とくに、ヴィオラの音色に惹かれた。意外と艶やかである。と思うと、くぐもった弦楽器独特の音色も信条にある。

 加藤さんは東京でも若手チェリストとして演奏家をひらき、嘱望されているようで、確かに演奏が始まるとその世界にスッとはいっていく。全体の進行のおりにみせる普段着の顔とは全然違う。演奏された曲は、必ずしも今回のような構成の楽器用に書かれたものではない。そのために、加藤さんが編曲をしたようだ。それも今回の演奏会の魅力的なところだった。

 アンコール曲は、エルガーの「愛の挨拶」。印象に残る演奏であった。今回のプログラムは普段あまり聴いたことがないものばかり。こういう親しみやすい曲を数曲入れてほしいものである。

  


中村登監督「古都」1980年

2012-06-19 01:09:44 | 映画

              

 川端康成の同名の小説の映画化。


 舞台は京都。京都のあちこちの風景が連続で出てくる。清水寺、北山杉が育っているあたり。また京都のいろいろなお祭りの様子も出てくる。さらに呉服問屋が重要な位置を占めるので、その関係で美しい和服、帯などをみることができる。それらだけでも観る価値のある映画である。

 ストーリーは京都の呉服問屋の娘・佐田千重子(岩下志麻)をめぐって、その妹・苗子(岩下志麻;二役)との関わり。
 二人は双子であったが、幼児の頃、別れ別れになり互いを知らなかった。千恵子は呉服問屋拾われた子。千恵子はそのことを中学生のとき知らされた。養しなってくれた母が話すには、千恵子は祇園の夜桜の下に寝かされていた赤ん坊で、あまりに可愛いかったので、悪いと知りながら盗んだと言う。
 千重子はそれを信じない。本当は家の前に置き去りにされた子だったのだ。父と母はそのことをひた隠しにしていた。千重子は千重子は幼馴染の真一にだけは自分の身の上を打ち明けていた。真一に好意を持っていたからだった。


 ある日、千重子は友だちの正子と、清滝川沿いの北山杉の村に行くと、そこで自分とそっくりな村の娘に出会い驚く。その後暫くして、祇園祭に賑わう宵山の晩「御旅所」にお詣りに行った千重子は、そこで再び瓜二つの女性と出会う。
 苗子と千重子は双児の姉妹だったのだ。二人の父は北山杉の職人だったが、生活苦で千重子を捨て、間もなく仕事中に杉から落ちて死に、母もつづいて病死した。孤児になった苗子は北山杉の持ち主の世話になり、今もそこで働いていたのだった。


 呉服問屋に帯を収める織屋の長男・秀雄は、千恵子に憧れていた。ある日、秀男は苗子にばったり出会う。彼女を姉の千重子とまちがえた秀男は、苗子に帯を織らせてほしいと頼む。妹は見知らぬ男性からの申し出に怪訝な顔。仕方なく承知する苗子。

 織機屋の長男は約束通り姉のところに帯を届けるが、人違いだったことを知る。千重子は秀男にも苗子のことを話し、妹のために帯を織ってほしいと依頼する。
 後日、秀男は千重子との約束の帯を苗子に届け、結婚を申し込んだ。秀男は千恵子に心惹かれていたが、父親に家の格が違うのだから彼女をあきらめるように諭されたのだった。苗子は秀男の申し出に、自分の中に千重子の面影を求めていることを読みとり悩む。

 苗子と北山で再会した千重子は、二人のことを父母に打ち明けた。父母は苗子を家に迎えて、一緒に暮らしてもいいと言う。
 そんななか、千重子は真一に兄の竜助を紹介され、関係が発展する。千重子に好意をもつ竜助は父に廃嫡を承知させ、彼女に求婚する。千恵子は彼の誠意に惹かれ、申し出を承知した。


 粉雪が舞う夜、苗子が千重子のもとに突然やってきた。並んで敷いた床の中で千重子は妹に言った。「苗さん、私は私。どっちの幻でもあらしません。好きな人がいやはったら結婚おしやす。私も結婚します」夜明けに帰る苗子を見送った千重子は「また、来とくれやすな」と声をかける。
 首を振る苗子。苗子は、結局二人は別々に生きていかざるをえない運命を知っていたのだった。


「ゲンジボタル観賞会」(於:慶福寺)

2012-06-18 00:00:53 | イベント(祭り・展示会・催事)

               

  ゲンジホタルを鑑賞する集いが、近くの慶福寺であった。数年前からここで開催されているようである。この慶福寺の掲示板にだいぶ前からこのイベントの内容を伝えるポスターが貼ってあったので、興味をもった。


 記憶は子どもの頃にさかのぼる。父親につれられ、札幌の円山公園で、ホタル狩りの催し物があって参加した記憶がある。そして、またわたしの子どもをつれて西岡にホタルを観にいったこともあった。ホタルは初夏の風物詩であり、その光とともに、何かしら神秘的な存在だ。

 しかし、環境の悪化とともにホタルの生息する場所は窮地に追いつめられているらしい。人間が意識的にホタルが棲める環境をつくってやらないと、ホタルをみることはできなくなってきている。

 慶福寺でが数年前から、ホタルに詳しい人に助けをかりて、境内の一角にホタルが棲める環境を作り始め、成功しているようだ。この日は、夕刻7時半からそのホタルの専門家Aさんを講師にホタル鑑賞の会がもたれ、30人ほどが集まった。

 最初にAさんのお話。ホタルは日本に30数種いるとか。そのなかでよく観られるのが、ゲンジホタル、ヘイケホタル、ヒメホタルなど。ゲンジホタルが一番大きく、海外でも「ゲンジホタル」といえば、専門家の間ではつうじるという。ちなみにホタルは英語では fire fly。

 ホタルの一生は一年。そのうち10ヶ月は水中で過ごす。カワニナなどを食べて大きくなる。幼虫は大きくなると土手にあがって小さな穴をほり蛹になる。この期間が1か月半ほど。そして成虫に。成虫になると、とくにものは食べない。露をすって生きる。天敵が多く、一匹のメスは1000個ほど卵を産むが、700個はサカナ、カエル、ザリガニなどに食べられてしまう。陸にあがっても、いろいろな天敵がいて、最終的に残るのは100匹ほど。

  7割がオスで、メスは3割。発光はオスが強い。求愛のサインである。ホタルは一夫一妻。オスとメスの結婚(交尾)は必ず一対一で、複数の相手との交尾はないという。メスは全体の3割しかいなにで、しがって、約4割のオスが結婚できないまま死んでいく。これがホタルの世界の自然の摂理とのことであった。


 実はこの日は朝から雨模様だった。こういう日はホタルを外で観るのはむずかしいという。葉の裏などに隠れ、あまり光らない。というわけで、Aさんは自分のところで育てているホタルを大きな容器に入れてもってきた。わたしたちは、それを観た。
 あわせて、ホタルブクロという植物の花のなかにホタルを入れて鑑賞するということをした。ふるく、日本人はそのようにしてホタルの光を愉しんだらしい。趣がある。いい趣味だ。


 Aさんはホタル研究をもう30年ほどしているということだった。そして、自分の手許で、卵をうませ、孵化させ、成虫にまで育てている。ホタル「博士」でホタルのことはなんでも知っている。

 夏の夜の、まことに優雅なひとときであった。
                     

        


小池真理子『恋』早川書房、1995年

2012-06-17 00:07:29 | 小説

               
 
 小池真理子さんによる、ミステリータッチの意欲作である。

 浅間山荘事件(1972年2月)に世間の耳目が注がれる中、軽井沢の別荘である事件が起きた。事件に関与したのは英文学専攻の大学教授である片瀬夫妻(信太郎と雛子)、そこで翻訳のアルバイトに雇われたM大学の学生、矢野布美子、そして地元の電気店の従業員、大久保勝也。事件の内容は布美子が勝也を銃殺、信太郎も撃たれ重傷。犯行現場には雛子もいた。

   布美子はこの事件で服役するが、45歳で癌で死亡。ノンフィクション作家、鳥飼がこの事件に関心をもち、布美子をつきとめ、彼女が亡くなる直前の病床で事件の顛末を聞き取りる。その話の一部始終がこの小説の核である。布美子は信太郎の翻訳の作業を手伝っているうちに恋愛感情が芽生える。片瀬夫妻、すなわち信太郎と雛子はお互いの浮気(異性関係)を認めあう異常な関係。そこに布美子が割り込み、彼女にとっては片瀬夫妻に精神的にも、セックスでものめり込んでいく。

   そこに大久保という25歳の男性が現れ、雛子は彼に惹かれ、夫、信太郎との離婚も考えるようになる。そんななか布美子は信太郎から意外な事実を知る。それは雛子と信太郎とは腹違いの兄弟だということであった。雛子は二階堂という元子爵の娘で、その子爵がお手伝いさんに産ませた子が信太郎であった。

   話はここから一気に軽井沢の別荘に。布美子が別荘に赴き、憑かれたようにかつて信太郎に手ほどきを受けた猟銃で勝也を射殺。次いで狙われた雛子をかばった信太郎に弾があたり重傷。現場は一転して凄惨な地獄となった。

   終章で鳥飼は翻訳の「ローズマリー」を出版したH出版の編集長に会い、片瀬夫妻との橋渡しを依頼するが、叶わない。しかし、編集長から手渡された片瀬夫妻の写真に写っていたマルメロの木に気がつき(それは布美子がかつて片瀬夫妻と別れる決意をしたときに植木屋でもらい、軽井沢の別荘に植えられていたものだった)、通行人をよそおって、片瀬夫妻宅を訪れる。

   淀みのない文章、そこに描かれたのは男女の倒錯した愛の世界、しかし当事者だけが知る真実の世界である(個人的には馴染めないが)。


読書マラソン、ついに1000番以内に・・・

2012-06-16 00:05:49 | 読書/大学/教育

  Amazon の読書マラソンでついに1000番以内に突入した。今朝993位となっていた。ようやく3ケタになった。

  100万人以上(推定)が走っているのだから、1000番以内というのはかなり凄い(と自負している)。4月初旬には10000位くらい、5月4日に1567位で、しばらくはトントン拍子に順位をあげたが、1000番直前で一進一退。5月中に1000番以内に入るという目標達成の志は、断念せざるをえなかった。

  以前にも書いたが、このマラソンは、個人的に毎日のようにレビューを投稿しても思うように順位があがらない。わたしが投稿したレビューを他人が評価してくれなければ、前に進まないのである。その他人は見知らぬ誰かであるから、これほど不確かなものはない。いいレビューを書かなければ他人が「いい」と言ってくれないのである。

  読書マラソンといっても、マンガでも、DVDでもいいし(Amazonで購入する商品なら何でもいい)、極端な話、あまり内容のない本でも売れ筋本のレビューを書き、ネット上で喝采をあびれば、順位はどんどんあがっていくという仕組みになっている。

  しかし、わたしが書くレビューは、(自分でそう書くのもおかしいが)真面目な(?)本が多すぎるのか、反応はいたって少なく、評価してくれる人は2-3日に一本ぐらいの割合でポツンポツンと出てくる程度。わたしの順位の前後の人とくらべると、格段に評価者数が少ない。ただ、反応してくれた人のなかで、わたしのレビューが「参考になった」と認めてくれた人の割合が90%を超えているので、かろうじて今の順位をたもてつことができているようである

 次の目標は500位。そしてこれをクリアすれば100位をめざそう。あと1年くらい、あるいはそれ以上かかるかも知れない。「継続は力」を信じて。

 


橘木俊詔『家計からみる日本経済』岩波新書、2004年

2012-06-14 20:56:51 | 経済/経営

                    

  「行き先を見失った日本経済」「家計からみた戦後の日本経済」「豊かさを実感しない家計の存在」「家計の経済危機」「社会保障制度改革と家計の対応策」。

  各章のタイトルは面白そうだが,内容にはそれほど目新しさを感じられない。従来,言われていたことが体系的に整理されているところが長所か?

  指摘されている、貧困家計の増加,失業者の増大,生活への不満,世代間の抗争,社会保障改革の不徹底(p.191)は,確かなことだ。

  著者による日本の所得格差拡大傾向の実証は「日本の経済格差」に,また税の投入による年金改革は「消費税15%による年金改革」に詳しく,その議論が再論されている。医療保険制度についても一本化が望ましいと述べられている。

  歯切れがよい文体に好感。