【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「芸者」とは「芸をもって人をもてなす人」のこと

2009-12-31 00:40:44 | 歴史
田中優子『芸者と遊び-日本的サロン文化の盛衰-(新書)』学習研究社、2007年
                
                        


 「芸者」とは「芸をもって人をもてなす人」(p.194)とのこと。

 「芸者」の全盛期は、江戸では1750年代から約40年間に盛隆をみ、明治に入って華やかな展開があったそうですが、大正の初期には滅んでしまいました。

 「芸者」の来歴を辿れば、女歌舞伎に始まり、芸も売り、色も売っていた遊女のなかの高級遊女(太夫)のうち歌舞音曲の芸のみを売るにいたったのが「芸者」で、やはり女歌舞伎の系譜からでた踊子の発展形態が「芸者」です。

 「芸」を売ることを専らとする吉原芸者がこの伝統を引継ぎましたが、「町芸者」は裏芸として色も売ったそうです(p.181)。

 吉原の芸者は「客とは寝ない」のが原則で、このため明治の「芸者」の全盛期には吉原が衰退し、そこから吉原芸者が柳橋、新橋、赤坂に流出しました(p.173)。

 著者は、「日本文化を通低する基奏低音といったものは、芸と色ではないか」「であるならば、芸と色との二本立てで生きてきた芸者が、日本文化を象徴しても何もおかしくはない」という仮説を出しています(p.206)。

 そこにあったのは伝統芸能の伝承だけではなく、「人間関係の洗練」にかかわる一連の文化で、「のんびり」とか「いき」といった美意識であったそうです(p.209)。

 本書は第一部が「江戸の芸者とその歴史」、第二部が「明治の芸者 その栄華と終焉」となっていて、前者は文献考証的で叙述が硬いですが、後者は谷崎潤一郎、吉井勇、永井荷風などの具体的記述にたよって書かれていて生気があります。

 芸者文化、花柳界での「社交」のあり方とその文化的な意味を明らかにした本書の功績は大きいのではないでしょうか。

白秋記念館の思い出

2009-12-30 00:17:28 | 旅行/温泉

白秋記念館  神奈川県三浦市三崎町城ケ島374-1 tel 046-881-6414
           
 今年、出かけた散歩で忘れていたものがありました。三浦半島の城ケ島です。ここに行くには、品川か横浜で京急線に乗車し、三崎口でおり、バスに乗り換え、揺られること30分ほど、城ケ島でおりることになります。

  バス停のあたりは、食堂が多く、マグロをはじめとした新鮮な海産物の定食が楽しめます。そこを過ぎて海岸にでると、太平洋を一望できる高台にでます。その海の綺麗なこと、広いこと。

 山のほうに入る散歩道があり、背丈の高い灌木のなかを進むと、見晴らしのよい公園にでます。

 城ケ島は、北原白秋の歌で有名です。白秋は10か月ほどここに住んでいたことがあり、その縁もあって白秋記念館があります。展示物の整理はあまりよいとは言えませんが、年表で白秋の位置を確認するとか、白秋の生きていた当時の文学世界のことが、丹念に見ると、わかります。

 また、自筆のノート、木下杢太郎宛の手紙のコピーなども展示されています。
 
 画像がその記念館です。歌人の黛まどかさんの色紙が入口付近の机の上にありました。 
        

 下記はここ城ケ島のではなく、九州は柳川にある北原白秋記念館の公式サイトです。参考までに・・・。
       http://www.hakushu.or.jp


買参権で鮮魚を用意する池袋のお店

2009-12-29 00:51:37 | 居酒屋&BAR/お酒
天地旬鮮 「八吉」池袋西口店  西池袋1-10-1 ISOビル5階
                                                                 tel  03-5960-2388
                

 勉強会の忘年会がありました。一次会は、この前、本ブログで紹介した萬屋松風で(12月12日付)、二次会がここ「八吉」です。池袋駅から3分のほどよい穴場です。

  お店に入ると、すぐ目の前に砕いた氷の上にの綺麗な魚が並んでいます。ひとめで、このお店が目指しているものがわかります。

 ここのお店のコンセプトは、鮮魚を買参権で準備できるというものです。買参権というのは、漁港でのセリに参加し水揚げされたばかりの鮮魚を漁港から直接買い付ける権利で、いわゆる築地などの市場を通さないやりかたです。こうした方法で、三陸、北陸、山陰の鮮魚がお店に並ぶというわけです。

 二次会だったので食べ物は少なめに注文し、もっぱら日本酒に終始しました。本当は、アンコウ鍋とか、のど黒とかいい魚があるのですが・・・。

 この日は2件をまわって、神亀、獺祭、一の蔵、田酒、手取川、出羽桜・・・・。わたしは最後にウイスキーを飲んで、ハネにしました。一年の飲み納めです。

  気心のしれた仲間同士で、とりとめがないようでいながら、楽しい、次につながる話でにぎわいました。

江戸時代の階級社会の実態

2009-12-28 10:34:47 | 歴史

斎藤洋一+大石慎三郎『身分差別社会の真実』講談社新書、1995年
             
 江戸時代の身分制度が士農工商+被差別階級(「」「」)
からなっていたという通説が誤解を与えるものであり、不適切な表現という指摘から、本書は始まります。

 あえていえば武士階級と平民(農民、町民と商人)と、そして被差別階級とがあり、それぞれの内部での上下関係は厳しく固定であったと言います。そして江戸時代には、その時代の身分制度の表現として「士農工商」のような用語はなかったらしく、この用語が妙な市民権を得るのは明治に入ってからのようです。

 以上のことが確認され、本書はその後、畿内を中心に全国に広まった中世、近世以降の被差別階級の生活の実態にメスを入れていきます。

 彼らは斃牛馬の処分にあたり、皮革業、雪駄の生産と販売、砥石の販売に従事していました。特別年貢納令の枠がはめられたこともあり、婚姻は著しく制限され、下級警察的役務、番牢人の役割もになったそうです。

 ケガレた存在として忌み嫌われ、社会的地位は貶められました。しかし、一面で彼らの生活は必ずしも悲惨なばかりでなく、それなりの豊かさを確保したものもいたとのこtこ。

 また、被差別階級の地位の改善のために闘った事例の紹介もあります。著者はこれらの被差別階級がどうして存在するようになったのかについて、それがときの権力によって意図的に作られたものとする見解を排し、「みんな」すなわち「社会」によって生み出されたものとする見地に立っています(p.75)。

 従来の多くの研究成果をふまえ、実例をあげ、問題に切り込んでいく姿勢は評価できます。


ドストエフスキー文学の背景

2009-12-25 00:20:49 | 文学
江川卓『ドストエフスキー』岩波新書、1984年
          
 『罪と罰』『カラマーゾフの兄弟』でおなじみのドストエフスキー評伝です。この本を読めばドストエフスキーのことが少しでもわかるかと思い読み始めましたが、作品をかなり読んでいる人でなければわかりくいところがあり、指南書としては適当でないかも知れません。

 話がディテールに深く関わっていて、それはそれとして面白いのですが、何しろ原作をほとんど読んでいないので想像力が喚起されないのが悔しいところ。

 ドストエフスキーの作品に影響を与えたゴーゴリ、プーシキンの作品、あるいはその頃のロシア文学界の状況をよく知らないと、著者が力説している意味が実感としてわからないのです。この点も残念でしたが、わたしはロシア文学の専門家ではないのでいたしかたないです。

 全体は著者の卓越したロシア語読解力によって、初期の作品『哀れな人びと』や『悪霊』などが「謎とき」の手法で解剖されています。とくに著者は、ドストエフスキーの時代に普及していなかったロシア語聖書を、文豪が入手した契機を重視しています。また、文豪が多大な関心を示したロシア正教の異端信仰、分離派と去勢派による社会的現象や事件が『罪と罰』などの主要作品とその登場人物の造形に大きな意味をもったことを詳らかにしています。

  ドストエフスキーが何に関心をもっていたのか、こだわっていたのか、革命前夜の社会状況をどのように認識していたのか、著者の推理が楽しいです。
          
             
           

個室空間でゆっくり話のできる「千の庭」(立川店)

2009-12-24 00:18:39 | 居酒屋&BAR/お酒
「千の庭」立川店  立川市柴崎町3-6 AreAreA1 7F tel.042-548-1277

           

  先日、父の偲ぶ会があり、久しぶりに兄弟がそろいましたので、このお店を使いました。立川駅のモノレール駅の近くのビルの7階です。このあたりに土地勘はなく、お店もここしか知りませんが、なかなか、雰囲気のあるところです。

 『千の庭』は、株式会社オーイズミフーズが展開している居酒屋チェーンです。「季節の酒菜と地酒 焼酎」をコンセプトとし、「和」を感じさせる個室空間となっていて、自分達だけの時間を過ごすことができます。完全個室がウリです。

 また、『千の庭』の店舗全体は、水を用いずに山水の景色を表現する枯山水をテーマとしています。

 いつものような言い方になりますが、日本酒が豊富です。埼玉県の神亀もあります。東京広しといえども、どこにでもあるお酒ではありません。もちろん注文しました。

 食のメニューも豊富です。夕食もかねていたので、お造り、サラダ、鮭のカマ、などひととおり注文しました。「アンコウ鍋」がメニューにあったので注文しようとしたところ、限定品で売り切れでした。


高橋克彦『緋い記憶』文芸春秋社、1991年

2009-12-23 00:02:41 | 小説
高橋克彦『緋い記憶』文藝春秋社、1991年
           

 著者は「あとがき」で「記憶というものの不思議さに関心を抱いて」いる、書いています。最初に書いた記憶小説は『悪魔のトリル』とのこと。

 『悪魔のトリル』執筆の契機は、『秘密の花園』という少女小説だったのだそうですが、筋はあまり覚えていないと書いています。また、あらためて読むつもりもないようです。

 記憶に残っていることと、再読の印象がズレると、記憶のなかの宝物が失われてしまいそうで怖いのだそうです。

 記憶にこだわり続け、1年に1・2本、このことをテーマにした小説を書いているとありました。

 著者は本書で1992年第106回直木賞を受賞しています。

 「緋い記憶」「ねじれた記憶」「言えない記憶」「遠い記憶」「膚の記憶」「霧の記憶」「冥い記憶」の7編がおさめられています。

 生まれ故郷の古い住宅地図にはあの少女の家だけが、なぜか記されていない。あの家が怖くて、ずっと帰らなかったのに。久しぶりに故郷を訪ねた主人公の隠された過去、そして彼の瞼の「緋色のイメージ」とは?これが「緋い記憶」の話。

  「言えない記憶」は、「言えない」ことだらけ。最後に一気に不気味感が高まっています。何か不可思議な世界がそこにあり、推理小説のような香りがあり、ホラーの要素があり、独特の世界が展開されているので、心して味わうべしと思いました。

 「ねじれた記憶」は、直木賞選考委員会で激賞されたとのこと。

平田オリザさんによる演劇入門

2009-12-21 22:50:22 | 演劇/バレエ/ミュージカル
平田オリザ『演劇入門』講談社新書、1998年
       
         

 戯曲を書くと言う視点から演劇をとらえた入門書です。著者は本書が「戯曲を書くこと、演劇を創っていくことのためのハウ・ツー本」であるとも言っています(p.4)。

 それでは実際にはどう書かれているのでしょうか?

 まずリアルな演劇とはどういうものかが示されています。そのために問いが掲げられ、(1)現実世界の「リアル」と、演劇世界の「リアル」との相違、(2)演劇のリアルがいかに獲得されるかという問題、(3)そしてリアルな演劇が書けないのはなぜかが問われています。

 このような問いを発しながら、あるいは演劇におけるリアルということを念頭におきながら、著者は科白は状況に遠いものから書かれるべきであるとか、テーマを先に考えてはならず内的世界観の表現を第一に考えるべき(テーマは精神のなかにいくつも存在しているはず)と説いています。

 次いで戯曲創作のプロセスに入って場所、背景、問題を設定することの重要性を確認しています。演劇が他の芸術、例えば小説などと異なるのは、ストリーを連鎖で綴るのではなく、演劇では問題提起とそれをめぐる人の配置(右往左往する人々)が核となるというのです。

 そしてプロットとエピソード。最後にコンテクスト(一人ひとりの言語の内容、一人ひとりが使う言語の範囲)ということが語られています。役柄同志の、演出家と俳優との、表現する側と鑑賞する側とのコンテクストのすり合わせが、演劇を演劇たらしめる条件あると書いています。

 著者は、結論のように、そこから生まれてくる感覚がリアルということ、演劇とはリアルに向かっての無限の反復なのだと言います(p.203)。

 わたしの演劇を鑑賞する眼がまた少し変わりそうです。

民衆とともに生きた「法然と親鸞」 東京・青山劇場

2009-12-21 00:20:33 | 演劇/バレエ/ミュージカル
「法然と親鸞」(田島栄 作、橋本英治演出) 東京・青山劇場   

       法然と親鸞タイトル

  法然(長承2年[1133]-建暦元年[1207])は浄土宗の開祖、親鸞(承安3年[1173]-弘長2年[1262]はその弟子で浄土真宗の創始者です。今年はその法然上人800回忌、親鸞聖人750回忌。それを記念しての公演です。

 法然(中村梅之助)と親鸞(嵐圭史)は平安時代から鎌倉時代の初めにかけて、戦乱と飢餓のなかで苦しむ民衆を救うことに生涯をかけた僧です。

 悩みのなかで出会ったふたりが到達した境地である「弥陀の本願」。弟子であった親鸞とその妻の恵信尼の絆。

 三幕構成で約3時間の公演です。前半では戦乱の世に生まれ、母と別れて仏門に入り修業した法然が、阿弥陀の仏の心を民衆のあいだに説いてまわる姿が中心です。

 後半は恵信尼(今村文美)を妻帯して宗教活動する親鸞がメインです。修験道の聖地といわれる常陸の板敷山での播磨房弁円(津田恵一)との法輪問答は圧巻です。

 民衆とともにいき、彼らの悩みを受け止め、生き方を説く姿は、現代の世相に対する強烈なアンチテーゼになっています。

ロシア語同時通訳の権威による「通訳論」

2009-12-20 00:24:33 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
米原万里『不実な美女か貞淑な醜女か』新潮社、1998年
       
         



 ロシア語同時通訳で有名だった著者,米原万里さんの同時通訳論です。

 本書を通読すると同時通訳という仕事がいかに難しく、苛酷であるかがよくわかります。

 難しいというのは技術的な話がまずあります。それを著者は翻訳と対比して考察しています(pp.62-63に図解がある)。通訳者は原発言を聴取・理解・判断し、記憶やメモにも頼りながら、記憶を再生し通訳し、聞き手に伝えます。同時通訳はそれを原発言者に遅れること数秒で行うのです。

 翻訳は原文があり、読み取り、理解・判断し、翻訳者は翻訳作業を行い、読み手に伝えます。翻訳には時間的余裕があります。通訳、翻訳の直接的プロセスはいわばブラック・ボックスとのこと。

 技術的な困難にくわえ、それ以上に難しいのは2つの言語の文化的背景とのことです。それらを具体的に、好例、自身の経験あるいは公表されている失敗談の引用をふんだんに取り入れて説明しています。

 意外とやっかいなのは挨拶の通訳、また固有名詞の通訳は難儀とのこと。小咄、駄洒落、方言をどう訳すかということまで微に入り細に入り展開しています。

 機転のきかせかた、ピンチの切り抜け方なども論じながら、言語そのものの本質(たとえば優れた通訳者は母語[日本人の場合は日本語]が正確で、しっかりしていなければならないとのこと)までの展望があります。

 通訳には2とおりの型があり、原発言を逐一訳していくやりかたと、原発言のいわんとしていることを大掴みし、意訳するやりかたがあるのだそうですが、著者は後者ができる大家でした。

 奇妙な題名は「貞淑」というのが原発言に忠実な訳、「美女」とは訳文として整っているかということ、「不実」「醜女」はそれぞれ反対の意味の譬えです。


神楽坂の割烹 越野

2009-12-19 00:22:58 | グルメ

割烹 越野 新宿区神楽坂3-1 tel 03-3235-5600

  神楽坂の奥深く、石畳の路地裏にこの御店はあります。旬の素材を大事にしつつ、盛りつけはシンプルです。どの料理も新鮮で、味がしっかりしています。

  お酒は久保田など多数ですが、八海山泉ビールというのがあり、これはいままで見たことも、飲んだこともなかったのですが、店長のお勧めでした。喉こしのいい、飲みやすいビールです。

  やや割高なので、そうそう簡単にはいけません。しかし、この日は思い切って入りました。23席ほど、個室もあるようです。

   このお店の紹介には綺麗なHPがありますので、それをご覧ください。
    http://kappokoshino.jp/index.htm

 ヤンキースの松井選手もきたことがあるということで、55の背番号のユニホームがかかっていました。若い女の子が、それを着て写真を撮っていました。もちろんダブダブです。

      


和風小料理の名店「きく家」

2009-12-18 00:02:10 | 居酒屋&BAR/お酒

志賀キエ・信二『人形町酒亭きく家繁盛記』草思社、2001年
       

 人形町にある料亭の女将さんが語る「きく家」の過去と現在です。「語る」と書いたのは、実際に女将さんが話した内容をテープ起こししたからです。

 女将さんの話がメインで、ところどころごに主人である「親方」の話が挿入されています。ほとんどお酒が飲めなかった女将さんは最初は小さなお弁当も扱う小料理屋から出発し、何人かの板前さんの協力をえて店を少しづつ拡張していきました。そして現在の親方(6歳年下)と結婚し(再婚)。

 他方でお酒の勉強を積み重ね(埼玉県の神亀酒造との出会いが大きかったようである)、東京でも有名な一流のお店に成長させました。

 「きく家」の献立が一部紹介されています(pp.52-53)が、まさしく純日本的で美味しそうであす。

 先付、前菜、汁、小付、造り、椀、焼き魚、鮨、酢物、炊き合わせ、香の物、食事、果物、甘味と並びます。肝心なのは、その間、種々の日本酒が、惣菜にあわせて出されることです。出羽桜、北鹿、鷹勇、一の渡、ひこ孫、といったようにです。

 お店の内部、コース料理の写真が巻頭にあり、これも素晴らしいですね。接客態度などとにかくお客さんを大切にしていることが、よくわかります。

 主な内容は以下のとおり。
・「江戸の粋筋の町・人形町」
・「初めて知った男性客のやさしさ」
・「5年で念願の一軒家に」
・「日本酒は新酒がおいしいか」
・「ワインと闘える日本酒を」
・「お客様に育てられた親方の腕」
・「つねに向上心あふれる料理を」
・「料理と相性のいいお酒とは」
・「きく家の味に合う人、合わぬ人」
・「商談のまとまる店といわれて」
・「お客様の心地よさを第一に」
・「マニキュア、茶髪は厳禁」
・「失敗は早め早めに対処する」
・「未収の最高額は5万円」

         


藤沢周平の実像を子が語る

2009-12-16 12:54:22 | 評論/評伝/自伝

遠藤展子『藤沢周平 父の周辺』文芸春秋社、2006年      

          


 著者は,藤沢周平のひとり娘です。

 現在、「藤沢周平記念館」の準備などをしています。その彼女が父(本名:小菅留治)の日常を、普段着の言葉で語っているのがこの本です。

 周平は生前、 肺を病み、手術しました。そのときの輸血のさい菌が入り、慢性の肝炎に、お酒も止めて漢方でだましだまし生活、執筆していました。

 最初の妻を癌でなくし、その後、再婚。著者は最初の妻の子です。

 周平が再婚した相手は、よく尽くし、肝っ玉も大きく、気のつく女性だったとのことです。周平の作家生活を前面的に支えました。

 周平は作家生活を除けば、ごく普通のお父さんでした。趣味は映画、音楽鑑賞、散歩、コーヒー、囲碁。高校野球観戦、相撲観戦をたのしみ、適度に怒りっぽく、そして寡黙。生活は規則的だったとのことです。

 著者が幼少の頃は、童話を読んでくれたり、動物園に連れて行ってくれたり・・・。あまり父親の書いた小説は読まなかったようですが、最近は読むようになったとありました。


プーチン政権の背景を暴く怪書

2009-12-15 12:41:47 | ノンフィクション/ルポルタージュ

エレーヌ・ブラン/森山隆訳『KGB帝国の闇‐ロシア・プーチン政権の闇』創元社、2006年
             KGB帝国

 1982年から2004年までのロシアの出来事(ペレストロイカ、ソヴィエト共産政権の崩壊、エリツィンによる市場経済への移行、プーチン大統領就任、FSB(元KGB)の権力掌握)の背景を正しく位置づけることを目的に、政治学と犯罪学との併せ技でロシアの権力構造を分析した怪著です。

 歴史学者、政治学者、経済学者が次々と登場し、正しい情報と嘘の情報を解読していくあたりはすごいの一言。 一連の事件は、全てKGBがマフィアと結託して仕組んだものとか。

 KGB組織網、諜報機関の人脈、マフィア、新興財閥など暗躍する闇組織に焦点をあてながら、声高に叫ばれている「ロシアでの法治国家、民主主義、基本的人権などの回復という宣伝」がまやかしであることを暴露しています。

 プーチンはKGB出身で、民主主義者とはかけ離れた民族主義者、チェチェン問題を最大限に利用する権力志向の権化と評価されています。そして現在のロシア経済を特徴付ける用語として、「スターリン式資本主義」「警察監視の資本主義」「全体主義的資本主義」など怪しげな造語が飛び交っています。

 構成は以下のとおり。

 ・第1章 ソヴィエト連邦の終焉とその真実
 ・第2章 新興財閥(オリガルヒ)のロシア
 ・第3章 チェチェン・シンドローム
 ・第4章  エリツィン劇からプーチン劇へ
 ・第5章 プーチン化されたロシア
 ・第6章 KGB-レーニンからプーチンへ
 ・第7章 ロシアとロシアに仕える人々


司馬史観を斬る!

2009-12-14 00:12:14 | 文学
中村政則『「坂の上の雲」と司馬史観』岩波書店、2009年
        
 司馬史観とは何でしょうか? 著者によればこの言葉を最初に使ったのは1972年の尾崎秀樹の論文「司馬史観の秘密」『波動』であるらしいです(p.2)。そして司馬のエピゴーネン藤岡信勝が、司馬史観の特徴を①健康なナショナリズム、②リアリズム、③イデオロギーからの自由、④官僚主義への批判、の4点にまとめているということのようです(p.153)。

 この司馬史観を批判的に考察したのが本書です。

 まず史実に対する姿勢で、旅順港閉塞作戦における広瀬武夫の描き方、旅順虐殺事件についての平板な認識など、杜撰なところが多々あること、「明るい明治、暗い昭和」という底の浅い歴史認識とその延長にある大正時代の粗末な扱い方、総じて資料の誤読、あるいは過剰表現などの作為が目につくことを厳しく指摘しています。

 次いで、著者は司馬が生前に知ることなくその後の歴史研究で進展で明らかになったことを盛り込んで、歴史学の到達点を示しています。

 司馬を称賛し、弁護する論調に、司馬が書いたものは小説であって、歴史ではない、史実と異なることがあってもそこは大目にみるべき、という見解があります。この見解に対し、著者は例えば司馬が「坂の上の雲」のなかで「この作品は、小説であるかどうか、じつに疑わしい。ひとつは事実に拘束されることが百パーセントにちかい・・・」と書いていることに着目し、「歴史と文学」について関説しています。

 要するにこの類の司馬擁護の見解は、うそでも何でも面白ければいいという一種の贔屓の引き倒しで、司馬をむしろ貶めるものであると言うのです。

 「司馬を論じることは、日本文化を論じることなのである」(p.101)と書く著者は、本書で司馬批判だけでなく、明治維新の評価、日清戦争と日露戦争、ふたつの戦争をとりまく国際環境、大正デモクラシーの意義、太平洋戦争の評価、天皇制の問題、などについて、最新の研究成果を踏まえて多面的に論じています。

 この結果、本書の読後感はすがすがしいものです。

 著者の司馬との対話はまだまだ続くらしいです。著者は司馬遼太郎が本書を読んだらこういうだろうということを最後に掲げています、「まだまだ、わかっていないですね。誤解もあるし、過大評価も感じられる。でも、そういう私の読み方があることを初めて知りました」と、例の丁重な口調で返礼してくれるような気がする、と。この部分には司馬に対する著者の真の意味での信頼が感じられました(p.222)。