その筆頭が文節(「不自然でないように文を区切った単位」という曖昧な定義)であるそうです。文節では文の構造を説明できず、これとの関連で登場する自立語と付属語の分類もいいかげんなものであるとのこと。
このような調子で、連体形の説明は妥当なのか、未然形と言う名称は適切なのか、どうして自動詞と他動詞を区別するのか、動詞を否定する「ない」と形容詞を否定する「ない」は同じか、「推量」と「推定」の助動詞をどう区別するか、格助詞の「格」とはどういう意味なのか、「は」が副助詞なのなぜか、日本語の述語はどうして文末にくるのか、日本語にはなぜ関係代名詞がないのか、など普段あまり考えたことがない日本語の問題が解かれていきます。
各節の頭には国文法でよく出題される問題が掲げられ、それらの解答のポイントとされていることが納得のいかない問題点をもっていることが指摘され、それではそれらの問題点をどうしたら解決できるのか、というように叙述上の工夫があるので、理解しやすいです。
最後の「国文法はどうしてこんなに問題が多かったのか」が一番面白く読めました。日本語文法は、橋本文法、時枝文法とともにあることは、中学のときに習いましたが、橋本進吉(1882-1945)や時枝誠記(1900-1967)に影響を与えたのがスイスの言語学者ソシュール(1857-1923)です。
ソシュールは言語学の対象と目標を定めた学者で、橋本はそれを踏襲する形で、時枝は批判的にアプローチすることで日本語文法の体系をまとめたとのこと。著者は、両者の偉業を認めながら、しかし、橋本は文節と言うよくわからないものを前提にしたことが(ソシュール言語学を正確に理解していなかったことの結果)、また時枝はその「言語過程説」(この説では文の構造が説明できず、ソシュール批判としては不備)に問題があったことが難点として指摘されています。