【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

FREDERIC CHOPIN・24PRELUDES OP.28 by MARTHA ARGERICH

2011-09-30 00:32:07 | 音楽/CDの紹介

          
 かなりむかしに買ったアルゲリッチの名盤です。24の前奏曲は(ショパンは、バッハの「平均律クラビア曲集」に示唆されてこれらの曲を作ったとのことです)、以下の構成になっています。それぞれが独立していて、たとえば15曲目の「雨だれ」は単独で演奏されます。24曲のなかで一番長いのが、この「雨だれ」で4分51秒です(曲の長さは小節の数で示すのが適当かもしれません。演奏時間は人によって異なるので)。

 24曲は通してもひとつながりになっていて、多彩です。緩急があり、気分転換があり、全体が精神の活動のようです。多様性のなかの統一、弁証法的ですね。

 アルゲリッチはこれらを時価薬籠中のものとし、集中し、気分を入れ込んで弾いています。躍動感があったかと思えば、沈静があり、ひとすじ縄ではいきません。わたしは7曲、8曲、17曲、19曲などを好んでいます。

 ディスクケースに入っていた解説書から引用します。「予想にたがわず、この曲集をひく他のどのピアニストのレコーディングにっましてそれはスリリングな情熱と奔放な幻想をはっきりと打ち出すとともに、こまやかな思いやりのデリカシーをみせ、その反面、感傷への溺れを抑制するつよい自律性にも欠くるとことろのない、いわば、ショパンのこの傑作の、ダイナミックなきらめきとはてしないポエジーのただようロマンに満ちた演奏だ」。それはマジカルな演奏。
 

1. 第1曲 ハ長調  Adagio
2. 第2曲 イ短調   Lento
3. 第3曲 ト長調   Vivace
4. 第4曲 ホ短調  Largo
5. 第5曲 ニ長調  Molto allgro
6. 第6曲 ロ短調  Lennto assai
7.  第7曲 イ長調 Andantino
8. 第8曲 嬰へ短調 Molto agitato
9. 第9曲 ホ長調    Largo
10. 第10曲 嬰ハ短調  Molto allegro
11. 第11曲 ロ長調  Vivace   
12. 第12曲 嬰ト短調  Presto
13. 第13曲 嬰へ長調 Lento
14. 第14曲 変ホ短調 Allegro
15. 第15曲 変ニ長調<雨だれ> Sostenuto 
16. 第16曲 変ロ短調  Presto con fuoco
17. 第17曲 変イ長調  Allegretto
18. 第18曲 ヘ短調  Molto Allegro
19. 第19曲 変ホ長調  Vivace
20. 第20曲 ハ短調  Largo
21. 第21曲 変ロ長調  Cantabille
22. 第22曲 ト短調   Molto agitato
23. 第23曲 ヘ長調  Moderato
24. 第24曲 ニ短調  Allegro appassionato
25. 前奏曲 嬰ハ短調作品45 Prelude in C sharp minor, Op.45
26. 前奏曲 変イ長調(遺作) Presto con leggierezza


ローデンバック『死都ブリュージュ』岩波文庫、1988年

2011-09-29 00:09:12 | 小説

         
  ヨーロッパ旅行中、ブルージュでのガイドの女性に紹介された本です。既に絶版で、薄い本ですが、Amazonで1500円しました。

 知的で多少なりとも財産のある男が他愛もない女性に恋心をもち、あげくのはては彼女に振り回され、破滅の階段を下りていくという、時々あるパターンの小説です。

 ベルギーの詩人ローデンバック(1855-98)による1892年の作品。

 美しい妻に先立たれた主人公ユーグ・ヴィアーヌはその悲しみに耐えかね、5年を経て、ブリュージュに住まいをもとめました。ユーグがブリュージュをもとめたのは、その街が亡き妻の想い出そのものが死の都ブリュージュだったからです。

 彼女の髪がの毛は広い客間にあるピアノの上のクリスタルガラスの器のなかに置かれ、彼女の遺影としてのさまざまな年齢の肖像画が飾られ、ユーグは毎日、それらを拝みむのでした。

 ユーグは夕方の散歩を日課にしていましたが、あるとき偶然に妻とそっくりの容姿の若い女性、ジャーヌ・スコットを見かけたのです。これが運のつき。

 後を追い求め、追跡すると、彼女は劇場に入っていきます。何と彼女は踊り子だったのでしだ。実際の彼女は、放縦な性格の女性だったのですが、ユーグは「類似」の悪魔に弄ばれ、彼女のいいなりになっていきます。

 しかし、次第に妻との相違にも気付くようになりますが、時既におそく、亡き妻の髪の毛で戯れるジャーヌに怒り心頭に達したユーグは彼女を絞め殺す悲劇を演じてしまいます。

 「死の都」ブルージュがこの悲劇を演出したのでした。

 ブルージュはもともと(15世紀初め)毛織物売買の中心地として栄え、ハンザ同盟の中心でした。経済の繁栄は文化的環境を用意し、多くの芸術家がここの居をかまえて活動していました。

 しかし、その後、この街は歴史の荒波、政争に巻き込まれ凋落し、不安と騒乱の街と化していきます。この凋落の危機を蘇生させたのは、19世紀後半になってブリュージュが新しい運河建設、外港の筑港が奏功して賑やかな商業都市の兆しをみせはじめたことを背景に、ローデンバックの手になる本書によってこの街の魅力が内外に知られるようになったからでした。

 物語の内容は決して明るくなく、そもそも表題からして「死都ブルージュ」といった陰気な予感をもたせるものですが、人にははかりかねる想像力によって喚起された世界がそこにあったということのようです。

 


BRAHMUS 2 VIOLINSONATEN (Nr.1 G-dur op.78, Nr.3 d-moll op.108) by GIDON KREMER & VALERY AFANASSIEV

2011-09-28 00:07:48 | 音楽/CDの紹介

           

 音楽CDの紹介はいつもある種のもどかしさを感じます。まず、わたし自身がピアノを弾けたりするわけではないので、音楽テクニックに精通していないし、音楽用語、曲の構造にも全く明るくないので、それらに関したことを文章にできません。文章のなかに、音楽用語を上手に盛り込んで表現できないので、いきおい説明文は陳腐なものになってしまいます。

 また、たとえそうした知識が多少あったとしても、音楽のよさの伝達は、文章では難しい気がします。本はもともと活字で構成されているので、その内容の紹介を文字で伝達するのは容易です。しかし、音楽は文字で成り立っていないので、音楽から受け取った印象の文字化には困難がともないます。

 以上のことを重々承知のうえで、無謀ですがまた1枚CDを紹介します。

 ギドン・クレメールとアファナシエフのこのブラームスは、秀逸です。
 甘やかなところ、さびしげなところ、妖しいところ、激しいところ、つややかなところ、要するに多彩で、陰影があり、ヴァイオリンとピアノがときに互いに慰撫しあい、対立、反目しあい、そして和解しという具合で、古い言葉を使うと弁証法的です。

 ブラームスのヴァイオリンソナタは、本ブログでも、「アンネ=ゾフィー・ムター(ヴァイオリン)&アレクシス・ワイセンベルク(ピアノ)」を紹介したことがあります。どちらがいいという優劣はつけられませんが、「クレメール&アファナシエフ版」はヴァイオリンとピアノのかけひきの具合、男女の愛の深まりを予感せるような音とリズムの濃淡、緩急が強いように思いました。

 クレメールとアファナシエフは二人とも1947年(クレーメルは2月7日、アファナシエフは9月8日)、旧ソ連生まれで、モスクワ音楽院で学んでいます。
 クレーメルは両親とも交響楽団のヴァイオリン奏者(祖父も)。エリザベート・コンクール(1967年)、パガニーニ・コンクール(1969年)、チャイコフスキー・コンクール(1970年)でそれぞれ優勝しました。華々しい業績です。アファナシエフは、ライプツィッヒ・バッハ・コンクール(1968年)、エリザベート・コンクール(1968年)で優勝しています。


Bach:The Goldberg Variations by Glenn Gould (Sony SICC 1018)

2011-09-27 00:01:24 | 音楽/CDの紹介

          
  グレン・グールドが演奏する「ゴールドベルク変奏曲」は、2種類あります。今回紹介するのは、そのうちの後期、それも死の直前、遺作となった1981年のデジタル版です。もうひとつ、1955年に録音された演奏があります。グールドの名前が世界的に知られるようになったのは、この1955年版の「ゴールドベルク変奏曲」が公にされてからです。

 グレン・グールドが1981年に再度、録音に挑戦したのは理由あってのことです。デビュー盤は彼にとって曲の一貫性、統一性の表現に納得のいかない部分があったから、と言われています。わたしはこのデビュー盤を聴いたことがないので、何とも言えませんが、関連本を読むとそのように書いてありました。

 この1981年版はゆったりとして雰囲気で弾き始められます。30の変奏があって、最初の旋律に回帰します。「穏やかに弾かれるその旋律は、あまりに美しく、また深さを感じさせる。余韻の長さは比類がない。あたかもこの世への別れのようだ」と許光俊さんは書いています(『世界最高のピアニスト』光文社新書、2011年、178ページ)。

 そのグレン・グールドは1932年9月にカナダのトロントで生まれました。10歳からトロント音楽院でオルガン、ピアノ、理論を学び、14歳でピアノ部門の終了認定を最優等で取得する天才肌でした。そして、1955年に、上記のように「ゴールドベルク変奏曲」で、革新的な演奏を行い、世界をあっと言わせました。
 陶酔しきったベートーヴェンのピアノソナタの演奏、ワグナーの作品のピアノ用への編曲など、グールドは遺憾なくその才能を発揮しました。
 身体が弱かったこと、常識外れのふるまい、奇癖が多かったことなど、噂はたえません。
 さらに、もう一度世界をあっと言わせたのは、1964年4月のリサイタルを最後に、演奏会活動を一切やめてしまったことです。その後は、録音と放送番組の仕事、執筆活動に専念しました。
 1982年10月4日、脳卒中で急逝。50歳でした。



 「ゴールドベルク変奏曲」はバッハが彼の後援者カイザーリング伯爵に仕えていたクラーヴィア奏者ヨハン・ゴールドベルクが不眠症に悩んでいるといことを知り、これを慰撫するために作曲したということで、この名称がついています。その効果があったのかどうかは、知りません。この後日談を知っている方はいますか。

  


CHOPIN POLONAISES by E.LEONSKAJA (WPCS-21079)

2011-09-26 00:09:11 | 音楽/CDの紹介

           
 エリザベート・レオンスカヤのショパン、ポロネーズです。収められている曲は、下記のとおりです。ショパンは生涯に全部で18曲のポロネーズを作曲しました。そのうちの1曲はピアノとオーケストラのためのもので、もう1曲はチェロとピアノのためのものです。
 残りの16曲がピアノ独奏用です。生前に出版された作品が7曲、死後作品71として出版されたものが3曲あり、これら10曲が広く親しまれているポロネーズとか。
 あとの6曲は作品番号がなく、「遺作」で、少年時代の習作的な作品です。

・ポロネーズ第1番 嬰ハ短調 作品26-1 (8:33)
・ポロネーズ第2番 変ホ短調 作品26-2 (8:56)
・ポロネーズ第3番 イ長調 作品40-1 ≪軍隊≫ (5:58)
・ポロネーズ第4番 ハ短調 作品40-2  (8:31)
・ポロネーズ第5番 嬰ヘ短調 作品44  (11:43)
・ポロネーズ第6番 変イ長調 作品53  ≪英雄≫(7:25)
・ポロネーズ第7番 変イ長調 作品61  ≪幻想≫(14:04)
 
 レオンスカヤは、これらのポロネーズを全体に明るく、健康的に弾いています。彼女のピアニズムの特徴は、天性の明るい輝きにありにます。

 そのレオンスカヤはグルジアのトビリシ生まれ。11歳の時に既にオーケストラと共演、13歳の時にはソロリサイタルを行うなど、幼いころから才能を発揮しました。1964年から1971年までモスクワ音楽院でヤコブ・ミルシテインに師事しました。

 1964年、ジョルジュ・エネスコ国際コンクールで優勝、その翌年にはロン=ティボー国際コンクール3位、そして1968年のエリザベート王妃国際コンクールで入賞をはたしています。
 1978年にはウィーンに移住、活動拠点を定めました。翌年のザルツブルク音楽祭にデビューし、成功を収め、国際的名声を高めました。

  また、これ以前からスビャトスラフ・リヒテルの二重奏パートナーをつとめ、数多くのリサイタルを経験しています。

  このCDを入手したのは、Amazonのレビューで、「ゆうたまさん」(千葉県)が、「レオンスカヤのポロネーズ集は、他のピアニストの録音との比較の中でトップクラスの部類に入ると思う。猛々しさはないものの、音色の美しさは素晴らしい。お勧めします!値段も安いし言うことなし!」と評価していたからです。
 


「「ベネルクス3国+1」かけ巡り」⑨-ブリュッセル[グランプラス界隈:世界遺産]-

2011-09-25 00:09:00 | 旅行/温泉

 本稿でベネルクス3国の旅行備忘録は終了します。前回の備忘録公開から日にちがたってしまったのは、ブリュッセルで撮った風景写真が1枚もないことがわかり、落胆したからです。いろいろ捜してみましたが、ありませんでした。撮った記憶はあるのですが・・・(誤操作で消えてしまったのでしょうか)。しかたがないので、ネットからベルギー観光局の写真(グラン・パレス)を借りてきます。

         

 風景写真はありませんが、妙なものが2枚ありました。1枚は夕食をとったレストランで暖をとるために薪が燃えていて、面白かったのでその写真。
             
 もう1枚はブリュッセルの市庁舎付近の壁に埋め込まれるようにあったエヴラード・セルクラースという名前の男性の金細工です。この人は15世紀に貴族と闘い命を落とした同業組合側の人物。
 通行人、旅行者がかわるがわる撫でていました。ご利益があると信じられているのでしょう。
         

 というわけで、ブリュッセルと一目でわかる写真がなく、がっかり。よほど疲れていたのでしょう。

 ブリュッセルには大きな広場(グラン・パレス)があります。世界遺産に指定されています。縦110メートル、横68メートルの長方形の広場で、四方は歴史的建造物に取り囲まれていて、綺麗な広場です。
 ここを中心に放射状に細い道がつながっていて、そのうちのひとつを数分歩くと、有名な小便小僧があります。これは確認してきました。「ナーンダ」という感じの変哲のないもの。

 実はかなり以前にこの広場には来たことがあり、記憶がよみがえりました。角にゴディバのチョコレート屋さんがあり、現在も健在でした。お菓子屋さん、チョコレート屋さんはたくさんありました。

 夕食はこの広場近くのレストランでとりました。お客でにぎわっている店です。ムール貝を注文すると、小さいバケツのような容器に一杯。美味です。セット物でこのムール貝がメインで、サラダ、ポテトの揚げものがついていました。夕食をもう一軒ハシゴし、今度はソーセージを注文。出てきたものは予想していたものとは異なり、味も日本人には(というかわたしには)あわず、残して帰ってきました。ベルギービールのみ堪能しました。

 


渡辺洋『底鳴る潮-青木繁の生涯-』筑摩書房、1988年

2011-09-24 00:03:06 | 美術(絵画)/写真

   青木繁絶筆「朝日」

 過日、青木繁展を鑑賞にいったことはブログ(9月2日付)にも書きました。

 本書が家にあったので、読みました(今まで未読)。展覧会に行く前に本書を読んでいたら、よかったと思います。絵画や書簡の背景の理解が深まったと思うのです。

 繁が生まれ育った家族の環境、東京に出てからの極度に貧しい生活、交友関係、愛人だった福田たねとの出会い、確執、布良で「海の幸」の構想を得た経緯、「いろこの宮」の評判、絶筆となった「朝日」について、詳細に書かれています。

 白馬賞を受賞し、当時蒲原有明が激賞し、今では重要文化財になっている「海の幸」は、それが裸体がであったため、審査会場(上野公園五号館)の奥の暗い特別室に陳列されたとのことです(p.97)。

 書簡の紹介があるが、カネを借りたいとか、いろいろな繰り言が多いです。展示会場に書簡はありましたが、むかしの人の字で内容をしっかり読めませんでした。そういうことだったのか、という思いが残ります。

 全体が34節に分れ、各節の頭に繁の短歌が掲げられています(表題は「真日(まひ)まてり磯の岩床焼け赫けて 底なる潮呻吟に似たり」から[p.85])。

 節に小見出しが付いていたら読みやすかったのですがが、それが無いのが残念です。

 この本は「青木繁の生涯」と副題にあるが、いわゆる伝記でなないようです。小説のようでもあります。というのは、繁にせよ、その周囲の人の思いまでが克明に書かれ、推測で書いているのであろうが、しかし実際にそうだったような書きぶりで、綴られています。

 帯には次のように紹介されていました、「日本近代美術史上の光芒一閃たる画家青木繁。その幼少期から28歳で夭折するまでを、従来あまり触れられなかった母の里とのかかわりに光を当て丹念な筆致で再現する。天才と呼ばれ、狂気と称され、無頼と見える生きざまのうちに希望と絶望の間を往還する人間青木繁を探る労作」。


Martha Argerich TCHAIKOVSKY/PIANO CONCERTO NO.1/THE NUTCRKCER SUITE

2011-09-23 00:03:50 | 音楽/CDの紹介

                
 わたしの持っているCDのなかでは、大切に思っている盤です。

 まず、このアルゲリッチの「ピアノ曲っていいですよ」と言っているような、満面の笑顔が素敵です。珍しく笑っていて、素顔はこのような人柄のようでもあり、ホッとします。

 なかに入っているのは、チャイコフスキーの「ピアノ協奏曲1番」と「くるみ割人形」(「小序曲」「個性的な踊り」[「行進曲」「こんぺい糖の踊り」「ロシアの踊り」「アラビアの踊り」「中国の踊り」「あし笛の踊り」]「花のワルツ」)です。

 その「ピアノ協奏曲1番」ですが、凄いの一言。

 第一楽章、オーケストラはクラウディオ・アバドが指揮するベルリンフィルですが、オーケストラの大音響の音の洪水のなか、アルゲリッチがたくましく、切れのいい音で背後の音の流れにのっています。ピアノの音は躍動的です。
 
わたしは「ピアノ協奏曲1番」は他にもルビンシュテインのをもっていますが、彼のピアノのオーソドックさと比較とすると、アルゲリッチの音の輝きには目をみはります。

 そして第三楽章は圧巻。速いこと、速いこと。一気呵成に駆け抜けていきます。これもルビンシュテインのそれと比べると彼の第三楽章が6分48秒なのに対し、アルゲリッチは6分19秒で30秒ほど短いのです。(第一楽章はほとんど同じ長さで、アルゲリッチ19分12秒、ルビンシュテイン19分18秒)
 ただ速いというのではなく、エクスタシー度がすごく、怖いくらいです。感性の勢いが怒涛のように最後まで続きます。初めてこの盤を聴いたときは、寝転んでましたが、第三楽章の圧倒的ピアニズムに思わず、おきあがって聴きました。


 「くるみ割り人形」も同じように個性的、情熱的なアルゲリッチ流です。ショパンを弾いているときより、ずっと楽しそうに感じるのは私だけでしょうか。「中国の踊り」は鍵盤を羽根ではいているように軽やか。1分に満たない演奏時間が惜しいほど。



アガサ・クリスティ/中村妙子『春にして君を離れ』早川文庫、2004年

2011-09-22 00:09:16 | 小説

             春にして君を離れ

 アガサ・クリスティは著名な作家ですが、彼女がどのよう本を書いたのかはあまり知りません。過日、「そして誰もいなくなった」を初めて読んだのですが、2冊目として何がよいかわからないのでネットで調べ、比較的評価が高い小説を探した結果がこの本です。

 ウーン、全くユニーク。

 面白いとか、よかった、という次元で話をする小説ではないようです。

 内容は主人公のジョーン・スカダモアという中年にさしかかった女性がバグダットの娘の病気見舞いを名分に寄り、そこからロンドンに帰る途中テル・アル・ハミドの鉄道宿泊所で長期の足止めをくらい、そこでいままでの一見順風満帆できた人生、とくに家族との関わりを振り返り、次第にそこに実はいくつかの亀裂があったこと、独りよがりの自分があったことに気づき、絶望的な孤独感、精神的飢餓感に堕ち込んでいく、その帰結として自宅に戻ったら夫のロドニーにこれまでの気がつかないで過ごしてきた契機を謝ろうと決意する、しかし実際に帰宅するとその言葉は出ず、また再び元の次元におさまってしまう、というものです。

 大筋はこういうことですが、話はもっと入り組んでいます。途中で出会った聖アン女学院時代の友人ブランチ・ハガードのどちらかというと幸せでない人生とジョーンの人生との対比があり、夫が農業経営をしたがっていたのをやめさせて弁護士として生きていくことにさせたこと、そのロドニーがジョーンの友人だったレスリー・シャートンやテニス仲間のマーナ・ランドルフに惹かれていたことへの疑問、トニー、エイブラル、バーバラとそれぞれに個性的な子どもたちとの確執(子どもたちは父ロドニーのほうを信頼していた)、聖アン女学院を模範学生として卒業しようとしていたジョーンにギルビー校長から忠言を受けたこと、そして鉄道が動き始めて乗り合わせた客室でであったホーエンバッハ・サルムという公爵夫人との対話で自分がいたく小さく狭量な人間であることを自覚させられたこと、といったエピソードが織り込まれています。

 表向きはすばらしい家庭婦人として家族の諸事を切り盛りし、はたから見て幸せそうな女性が、特別の閉塞的な空間のなかで広場恐怖症にとらわれながら陥り、追いつめられた精神状況がリアルに語られています。

 しかし、著者はこのテーマを何が切っ掛けで書こうと思い立ったのでしょうか、そして結局何を言いたかったのでしょうか。

 わたしにとって、アガサ・クリスティはまだまだ謎の人です。


許光俊『世界最高のピアニスト』光文社新書、2011年

2011-09-21 00:59:31 | 音楽/CDの紹介

               世界最高のピアニスト

 著者の「独断」(偏見とは言わない)による世界の一流のピアニストの奏法の紹介です。

 ピアノほど演奏者の個性が出る楽器はないようです。

 登場する演奏家をまず確認します。
・ ヴァレリー・アファナシエフ
・ イーヴォ・ポゴレリチ
・ ヴィルヘルム・ケンプ
・ ヴラディミール・ホロヴィッツ
・ フリードリヒ・グルダ
・ マウリツィオ・ポリーニ
・ マルタ・アルゲリッチ
・ マリア・ジョアン・ピリス
・ クリスチャン・ツィメルマン
・ マレイ・ペライア
・ グレン・グールド
・ ファジル・サイ
・ ラン・ラン
・ フー・ツォン

 解説を読むと、演奏家の奏でる音楽は、そこまで違うのかと驚かされます。アファナシエフのシューベルトは孤独の極致、モーツァルトはどす黒いので「子どもに聞かせたくない」と言いきっています。

 メリハリの強い演奏をするポゴレリチは、不気味な存在。ケンプは下手とと言われ続けられましたが、「心」で弾くタイプとのこと。
 ホロヴィッツはド迫力と、繊細さを兼ね合わせた最高のピアニスト。わたしは2枚ほどCDをもっていますが、「トルコ行進曲」は全く個性的でした。

 拍手厳禁のグルダは奇行で有名、ジャズ的要素を取り入れたして挑発します。精巧で緻密なポリーニ、ヒステリーと紙一重のアルゲリッチ、年齢を重ねるとともに味をだしてきたピリス(ヤマハのピアノを愛用)、理想追求型、ゴージャスで模範的なツィメルマン、強烈な意志の人ペライア、ステージを捨てたピアニストといわれたグエン・グールド、国境と時代を超えるサイ、等々。

 この本にでてきて、わたしがこれまで親しみ、実際に演奏会に赴いたピアニストは、ブーニン、ダン・タイ・ソン、アリシア・デ・ラローチャ、フジコ・ヘミング。日本にほとんどいないのでまだ生で聴いたことのない内田光子にも注目しています。本書の終章でこれらの演奏家も著者の辛口批評の対象になっていました(他にアシュケナージ、エッシェンバッハ、キーシン、ギレリス、バックハウス、ミケランジェリ、ユンディ・リー、ワイセンベルクなど)。

 一刀両断でわかりやすい批評ですが、参考程度にとどめたいです。

 著者は推奨のCDを紹介しています。これは嬉しい指南です。


「ベネルクス3国+1」かけ巡り⑧-アウグストゥスブルク城[世界遺産]-

2011-09-20 00:25:28 | 旅行/温泉

 ブリュールにあるアウグストゥスブルク城と別邸ファルケンルストは、世界遺産のひとつです。1984年に登録されました(どうして世界遺産になったのかは、まだしっかり理解していません)。ここを訪れました。壁がイエローで見事です。

        

        

                   
 この
城は、18世紀初頭に選帝侯を兼ねていたケルン大司教のヴィッテルスバッハ家のクレメンス・アウグスト・フォン・バイエルンによって建造されたものです。なかには入ることができませんでした。

 またこの城はバロック様式の
庭園をもっています。綺麗な大きな庭園です。しばらく、ここで散策しました。ただ、一部が工事中で景観を損ねていました。

 庭園を手がけたのはドミニク・ジラールです。後に
1800年代になってペーター・ヨセフ・レンネが手を入れ、風景式に庭園に意匠を変えました。

 ファルケンルストは鷹狩り用の宮殿として1729年から1740年に建造されたものです。この別邸はケルン大司教の東洋趣味を反映しています。

 


「ベネルクス3国+1」かけ巡り⑦-ブリュージュ[世界遺産]-

2011-09-19 00:08:50 | 旅行/温泉

 ブリュージュ(「橋」という意味)の街の真ん中には大きな石畳の広場があります(アスファルトでないのが日本と異なりいいですね)。イタリアの多くの古くからある街にも同じように広場があります。

 ブルージュがそうだったかは忘れてしまいましたが、市庁舎が広場のまわりに建ち、広場をまたいでその対極に教会があり、という構図が一般的です。広場は人が集まるところです。

 市庁舎にはバルコニーがついているところがあり(バルコニーがなくとも広場に集まった人々に呼びかけができる構造になっていたり)、たとえば市長はここに立って市民に呼ぶかけを行ったり、規則を伝達したりしたのでしょう。

 現代のように、新聞も、ましてやテレビもネットもない時代には、とにかく市民に広場に集まってもらわないと大事なことが浸透しなかったのです。

 この街は、広場のある旧市街が世界遺産です。雨がしとしと降っていましたが、ここの広場の一角にたって、古い時代の市民生活に想いを馳せました。
                
 ブルージュは、旧市街と並んで、ベギン会修道院が世界遺産に登録されています。ベネディクト派の修道女たちが生活している場所です。オードリー・ヘップバーン主演の映画「尼僧物語」は、ここでロケが行われたそうです(そういえばオドリーはベルギー生まれでした。)。
  ベギン会修道院は、1245年にフランドル伯爵夫人のマルガレーテの意志のもと設立されたもの。1928年まで連綿と伝統を紡いできました。現在もその生活様式は、敷地内にある博物館「ベギン会修道院の家」でつぶさに観察できます。食堂、台所、寝室などがあり、主に17世紀の家具調度類が残されます。

  敷地内には、ベギン会の守護聖女エリザベスに捧げられた教会があります。バロック様式の美しい祭壇を前に、修道女たちはミサと祈りで、毎日神との静かな対話を続けています。

 ベギン会修道院は、1245年、フランドル伯爵夫人のマルガレーテの意志のもと設立されました。そこでの修道女の自律的な生活様式は、1928年まで連綿と続けられました。その生活様式は現在も、敷地内の博物館「ベギン会修道院の家」で観ることができます。その頃の食堂、台所、寝室などとともに、17世紀の家具調度類が残されています。

 敷地内には、ベギン会の守護聖女エリザベスに捧げられた教会があります。バロック様式の美しい祭壇を前に、修道女たちはミサと祈りで、日々、神との静かな対話を続けています。

          


「ベネルクス3国+1」かけ巡り⑥-キンデルダイクの風車群[世界遺産]-

2011-09-17 00:06:56 | 旅行/温泉

         

                   

 オランダは海抜ゼロメートルの干拓地。この国はオランダ人が自分たちでつくった土地という自負があります。何も手を打たなければ、海水に浸食されるかもしれません。そこで、考えられたの風車でした。

 大量の風車は水はけに貢献しました。オランダにはものすごい数の風車があったようですが、いまはもっと機械化された方法で排水が行われています。当然、風車は廃棄物になり、数がどんどん減りいまは1000基ほどです。

 現在、風車まとまって残っているのは、キンデルダイク(ロッテルダムの南東紬15km程の川沿い)が最大です。そして、このキンデルダイクでも19基ほどある風車のうち、実際に動いているのは1基のみとのことでした。主として、観光目的に使われています。あるいは、そのなかにレストランを組み込み、営業しているところもあるようです。

 キンデルダイク一帯の風車保存地区が、ユネスコの世界遺産に登録されたのは1997年12月です。正式名称は「キンデルダイクとエルスハウトの風車ネットワーク(The Mill Network at Kinderdijk-Elshout)」です。中世(1740年頃)に建造されたものです。風車を使った灌漑設備に関する全ての技術(堤防、貯水池、水を汲み上げる機械、管理用の建物、完全な状態で保存された風車群など)が残されています。


「ベネルクス3国+1」かけ巡り⑤-デュルヴイ、ルクセンブルク-

2011-09-16 00:05:00 | 旅行/温泉

 ヨーロッパは国境の通過が楽です。かつてはパスポートチェックがあったり、これでかなり待たされたりといこともありましたが、いまは日本の県境と変わらず、バスでオランダからベルギーに入るにも、ベルギーからルクセンブルクに入るにも、注意していないと、いつ国境を通過したのかわかりません。小さな標識があるだけです(ルクセンブルクの国境には旗がたっていました)。

 それゆえ、車での移動が便利です。高速道路も無料です。わたしは今回の旅行ではついぞハイウェイの料金所に出会いませんでした。

 観光バスを利用すると、なかなか個人でいけないところに行くことができます。デュルブイもそのひとつです。ベルギーのアルデンヌ地方にあります。ギネスブックでは、世界一小さい街として登録されているようです(基準は不明)。人口は現在400人ほど。
            
 デュルブイは小さな綺麗な街です。天気がよく、ヨーロッパの片田舎の雰囲気が歴々然としていました。ジャム製品が有名で、タンポポのそれもあるとか。しかし、そろそろ秋口ということもあり、名の知れたお店は閉まっていました。

 ここにはピアリー公園というのがあり、剪定植物がたくさん並んでいました。人の形をしたもの、動物さまざまな植物の造形があります。アルベールという人が生涯をかけて作った庭園です。



 ここはまた美食の町として知られてます。お昼は生ハムと川魚を使った料理。ボリュームがあり、これだけおいしい生ハムをメロンとともに食したのは久しぶりです。

 観光バスはデュルブイから、次のルクセンブルクに向かいました。ルクセンブルクでは、大公宮殿、ボックの砲台、アドルフ橋などを観光しました。

 上記に、ユーロではパスポートチェックがないと書きましたが、それゆえにパスポートに入国の印をおしてもらうこともなく、旅行者にとっては味気ないですが、市庁舎(?)のようなところで入国の印を無料で押してもらえることを知ったので、記念にもらってきました。
        ←宮殿

       ←アドレフ橋


 
 
 


内田康夫『熊野古道殺人事件』角川書店、2000年

2011-09-15 00:08:33 | 小説

            熊野古道殺人事件
 著者の内田康夫さんがこの小説には、最後まで出てきます。浅見光彦と行動をともにしていますが、小説の末尾で内田さんが浅見の愛車ソアラの運転操作を誤って大破させてしまいます。内田はそれを弁償するのですが。

 それはともあれ、小説の内容は、T大学の松岡教授についている助手の岳野が宗教史研究会の学生とともに、熊野年代記にかつて記録されていた補陀落渡海(ふだらくとかい)を再現して実行しようと計画しているのですが、それは自殺行為なので計画を中止するように軽井沢に住む内田さんに依頼があり、浅見がその止め役にさそわれて、和歌山県に向けてソアラで出発、その後に起こった殺人事件とその顛末です。

 補陀落渡海とは、補陀落渡海を欣求する僧侶とそれに随行する供の者が二艘のの船に曳航された小舟(棺)に乗りこみ綱切り島というところまでいき、そこで曳航船が曳き綱を切り、僧侶の一行が補陀落山へ向かうというものです。紀伊熊野那智山が起点です。

 9世紀半ばから18世紀ころまで行われていた儀式ですが、ある種の自殺行為でもあるので江戸時代、1722年以降、ときの幕府によって禁止されたイベントです。

 助手の岳野が音頭をとってゼミの学生とともにこのイベントの再現を計画していたのですが、浅見と内田さんはまさにこの計画を止めるために旅だります。

 その道中、南紀山中にさしかかった場所で、二人は殺人事件に遭遇しました。何とそれは、補陀落渡海で小舟に僧侶に扮して乗り込む予定だった助手岳野の妻でした。そして決行された補陀落渡海で、助手の岳野も変死します。

 浅見は熊野古道の歴史をひもとき、そこにはまりつつ、名探偵ぶりを発揮して、事件の解決にあたります。

 この小説は著者が執筆した3編の小説「還らざる棺」「鯨の哭く海」「龍神の女」を合体させて書き直した作品とのことです。