【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「人生はガタゴト列車に乗って・・・」(シアター1010)

2013-03-31 22:23:58 | 演劇/バレエ/ミュージカル

               
            
 「人生は、ガタゴト列車に乗って・・・」(堀越真脚本、池田正之演出)が、北千住の therter1010 で公演中です。浜木綿子さんの芸能生活60周年記念です。その浜木綿子さんの他に、左とん平さん、大空真弓さん、紺野美沙子さん、風間トオルさん、遠藤久美子さんなどが出演しています。


 この演劇は、井上マスさんの同名の原作をもとにしたものです。井上マスさんは、作家井上ひさしさんの母親ですが、ひさしさん幼少の頃にすでに、夫(ひさしさんの父親)は胸の病でなくなり、その後、女でひとつで3人の男の子を育てました。仕事は転々と変わり、薬局、美容室、飯場、シナ蕎麦屋、屋台など、そして暮らす先々も山形県羽前小松、岩手県一関、釜石と変わりました。一時は子どもふたりを教会付属の孤児院に入れざるをえなかったり、並みたいていの生活ではなかったようです。そして時代も、戦前、戦中から戦後の、国全体が貧しく、荒んでいた頃のことです。

 舞台ではこのマスさんの人生をガタゴト列車にたとえて、展開されていきます。人生は特急列車で気持ちよく走るよりも、ひとつひとつの駅をじゅんぐりに、ガタゴト揺られながら進んでいく、それが本当の人生ではないか、問いかけているのです。しかし、列車運行中は、想像を絶する困難があったわけで、ある時点まできて、ふり返れば、人生のそういう価値に想いをよせることができたということなのでしょう。

 浜木綿子さんは演技に独特の型があり、また口調にも何ともいえない説得力があり、素敵です。また、いつもの名コンビである左とん平さんとの絶妙のやりとりには、観客も大笑い。ストーリーにはみんな涙腺がゆるんでいるのですが、ときどきあるユーモアはこの舞台の大きな特徴です。子役のふたりもかわいらしく演じられていました。

 実はこの舞台を、わたしは1995年に帝国劇場で観ました。浜木綿子さん、とん平さんの出演は同じですが、最近亡くなられた光本幸子さんも出ていました。当時は、井上ひさしさんの人生もあまりしらなかったので、記憶に残っている部分は少ないのですが、それから18年ほどたち、この間、ひさしさんの書いたものをたくさん読み、舞台も観、またひさしさんのことについて書かれたものにも接してきたので、今回の舞台を以前よりは深く理解できたました。

 井上マスさんの原作は図書館で見つけましたので、読んでみます。


谷村新司トーク&ライブ「ココロの学校~音で始まり 歌で始まる~」(サンシティ越谷市民ホール)

2013-03-30 23:13:44 | 音楽/CDの紹介

      

 谷村新司さんの「ココロの学校~音で始まり 歌で始まる~」が「サンシティ越谷市民ホール」でありました。この企画は歌手の谷村新司さんが地方の少年少女合唱団とのコラボレーションで音と歌でココロを豊かにするカルチャープログラムです。数年前から始めたとか。


 学校なので、まず始業のチャイムがなります。「規律、礼、着席」。それからプログラムに入っていきます。谷村新司さんが歌いながら観客のなかに入って握手、60人ほどの人と、あるいはそれ以上の人と握手。緊張感が溶けていきます。歌はもちろんですが、合間の話が自然体で上手です。観客と一体になっていきます。
 谷村新司さんの歌は、歌詞がはっきり発音され、詩の内容がよくわかります。詩のメッセージが伝わってきます。

 途中で谷村新司さんの娘さんが生徒として登場。軽いトーク。彼女は2009年から全国の障害福祉施設で慰問大部を展開しているとのこと。この日も、越谷のあたりの施設でミニライブをもったようです。2曲、歌ってくれました。

 そして、次に地元の越谷の少女合唱団の歌が入りました。小学生から中学生までの20人ほどの合唱団です。曲目は、「ふるさと」に越谷の風景、風物を歌いこんだ唄、それと「いい日旅立ち」でした。

 後半。谷村さんのおはこの歌を次々と歌ってくれました。しみじみと、聴きほれるてしまいます。「すばる」はやはりいい歌ですね。昭和の歌として永久に残るでしょう。声につやがあり、歌って本当にいいな、と思いました。 

 ピアノは東京芸大の学生さん、石坂慶彦さんで、達者な演奏で、今回の企画にぴったりです。トークの合間の間奏、そして「すばる」での迫力ある伴奏に感謝です。

 


八尋舜右『小説・立花宗茂』PHP研究所、1997年

2013-03-29 21:04:02 | 小説

            

  戦国時代を生きた立花宗茂の半生を描いた小説です。小説が始まる前のページに、大友氏、戸次氏、立花氏、吉弘氏、高橋氏の略系図が出ています。立花宗茂は、吉弘氏から高橋氏に入った鎮種が追放されて名跡を継いだ紹運の子(統虎)で、後年立花家の千代(ぎんちよ)
の婿となり、立花の家を継いだ人物です。
  千代の父、したがって宗茂の義父・道雪と紹運とは年齢には差があったが旧知の間柄で、ふたりとも、戦国時代の難しい世の中を、信義一筋を貫いて生きました。立花宗茂の人生は、ある意味で、この二人の父親の踏み跡を歩んだ形をとりました。そのようなこともあってでしょうか、この小説は、道雪と紹運の愚直な生き方(戦国時代にはひとつの価値として認められていた)、道雪と紹運と宗茂の間の父子象にもかなりの紙幅を割いています。

  読んであらためてわかったことだが、当時の九州では多くの武将が小競り合いをし、戦いの日々が続いていたようです。構図としてはキリシタン大名であった大友宗麟とその対抗勢力との葛藤であり、秀吉はこの勢力争いをうまく利用しながら、九州の平定、国割りに関心をよせていました。秀吉はすでにこの頃、数年後の唐入りを意図していたようです。
  立花宗茂は九州の勢力争いの末に柳河13万石の新領主となり、さらにその後、秀吉の朝鮮出兵でも武勲をあげました。結果、秀吉にたいそう好まれ、西国無双と評価されることになります。小説はその後、秀吉が亡くなり、関ヶ原の戦いとなります。宗茂は秀吉に義理があったことを盾に、西軍を支援しますが、豊臣勢力の衰退、没落を背景に、領地を召し上げられ牢人生活を余儀なくされるます。本書はその宗茂が棚倉一万石に封じられたところまで。

  本筋は以上のとおりであるが、当然、正妻だった千代との確執、葛藤もとりあげられています。なお宗茂はこの後、30年余りを生き、元和6年には旧領柳河城主に復活しています。先に読んだ葉室麟『無双の花』には、この部分までしっかり書かれていました。
  本小説の特徴は、当時の九州の勢力争いが詳しく書かれていること、宗茂と実父、義父との関わりが細かくとりあげられていること、朝鮮出兵とその戦闘の様子が細かいこと、宗茂と千代との不仲と離縁の原因がどこにあったのかが明らかにされていること(史実どおりなのかは不明)です。

 わたしが読んだのは標題のとおり、PHP研究所刊行の単行本ですが、上記画像は文庫版です。


「エル・グレコ展」(東京都美術館)

2013-03-28 22:40:58 | 美術(絵画)/写真

 


 「エル・グレコ展」が東京都美術館で開催されています。大阪からやってきました。4月6日までです。エル・グレコの作品を50点余、一同に会した状態で観ることができ、これは贅沢な企画です。世界のあちらこちらの美術館(プラド美術館はもとより、メトロ美術館など)の協力によるものです。印象派の作品のように19世紀の作品で、ルーブルや、オルセのように、まとまって所蔵されているものであれば、展覧会も比較的容易に開催できるでしょうが、17世紀にさかのぼって、それも教会にもとめられて個別に置かれている画家の作品となると、その展覧会の開催には格段の時間と労力を要すると推察できます。


  エル・グレコはベラスケス、ゴヤとともに並び称されるスペインの画家。しかし、生まれたのはクレタ島で、ギリシャ人。エル・グレコは、「ギリシャ人」という意味で、彼の通称です。

  目玉である「無原罪のお宿り」、これは縦長の3メートルほどある作品で、教会のなかに掲げられたもの、下から見上げることが想定されていたものです。わたしたちも、そこにひざまずいて見上げることができる設定になっています。他に、「修道士オルテンシオ・フェリス・パラビシオーノの肖像」(1611)、「聖衣剥奪」(1579)などを生で見ることができ、積年の夢を果たしました。

 エル・グレコの作品は、誰でも気がつくことですが、独特のブルーと薄いピンクが調和し、陰影もこの画家特有のものです。はっきりとした型をもっています。作品が系統的に並んでいると、画風がよくわかります。

・第1章の1 「肖像画家エル・グレコ」
・第1章の2 「肖像画としての聖人像、見えるものと見えないもの」
・第2章 「クレタからイタリアへ、そしてスペインへ」
・第3章 「トレドの宗教画:説話と祈り」
・第4章 「画家として建築家:近代的芸術家の祭壇画制作」
 
 昨日は雨だったので、それほど混んではいませんでした。春休みのせいか、若い学生、生徒風の子が目立ちました。最近は、美術館で、絵をみながら、ボードに模写できる道具があって、それをもっている子もいました。もちろん、描く道具は、ペンとかサインペンではなく、間違っても本物の画に汚れがとびちったりしないように工夫されているものです。 


春日太一『仲代達矢が語る日本映画黄金時代』PHP研究所、2013年

2013-03-27 22:12:24 | 映画

             

   仲代さんの人生は日本の映画の歴史そのものです。「人間の条件(全6部)」「用心棒」「椿三十郎」「天国と地獄」「炎上」「鍵」「股旅三人やくざ」「切腹」「大菩薩峠」「殺人狂時代」「激動の昭和史 沖縄決戦」「他人の顔」「華麗なる一族」「金環食」「不毛地帯」「御用金」「闇の狩人」「鬼龍院花子の生涯」「影武者」「乱」「上意討ち」「怪談」など、出演した映画は150本以上(巻末に作品一覧)。

   仲代さんは特定の映画会社に専属することがなく、いわば映画界ではフリーの存在。もって生まれた陰気なところ、モヤっとした性格。仲代さんは自身をそう語っていますが、ユニークは俳優だったようです。メインは俳優座の演劇人でした。映画に出ることと舞台との関わりをうまくコントロールしてくれたのは、佐藤正之というプロデューサーだったようである。。映画に出ることと舞台との関わりをうまくコントロールしてくれたのは、佐藤正之というプロデューサーだったようです。この人のおかげで、長い俳優人生を送れたと言っています。

   映画では監督との出会いが印象的。小林正樹、黒澤明、岡本喜八、五社英雄、成瀬巳喜男、市川昆、木下恵介の話が興味深いですが、なかでも小林正樹監督との関係は、「黒澤・三船」に匹敵するものでした。
   その小林監督と組んだ「人間の条件」での撮影秘話では、北海道での撮影の苛酷さ、こだわり(満洲の雲がでるまでロケを待つ)が伝わってきます。苦楽を共にした同僚(佐藤慶、田中邦衛、井川比呂志、原田芳男、山崎努)、共演した俳優の話もつきない。三船敏郎、市川雷蔵、中村錦之介、石原裕次郎、丹波哲郎、勝新太郎、原節子、月丘夢路、高峰秀子、新珠三千代、夏目雅子、岩下志麻、夏木マリ、など。
   黒澤監督「影武者」では、主役のはずだった勝新が監督と対立して降板、仲代さんは代役となったのですが、撮影ではシコリが残って苦労が多かったようす。
   どの作品が一番かと言う問いには「切腹」と答えている。カンヌ映画祭ではグランプリの自信があり、祝賀パーティも準備していたそうですが、ヴィスコンティの「山猫にさらわれれたとか。

   映画の時代を生き抜いてきた仲代さんは、いまの映画のつくりが、効率重視し、時間をかけることをせず、時代考証も怪しくなってきていることを心配しています。ポッと出の監督と台詞もしっかりできていない俳優とでは、いい映画ができるはずがないと言うのです。

  映画史・時代劇研究家の著者が、役者仲代達矢との10回、15時間ほどの対談をまとめたものです(2011年6月)。ほとんど仲代さんが語っている映画人生なので、仲代著であってもおかしくないのですが、事情があって、対談の聴き手(編集者?)が著者になっているそうです。


E.T.ベル/田中勇・銀林浩訳『数学をつくった人びとⅠ』早川書房、2003年

2013-03-23 00:09:58 | 自然科学/数学

          

   数学の歴史で大きな貢献を成した学者の何人かの名前は、知っています。教科書で習った人では、ピタゴラス、アルキメデス、ニュートン、パスカルぐらいは、誰でもしっています。彼らの業績もそれなりに言うことはできます。ピタゴラスであれば「直角三角形のピタゴラスの定理」、アルキメデスなら「アルキメデスの原理」、ニュートンは「万有引力の法則」、パスカルは確率論といったところでしょうか。


   ただ、彼らがどういう人だったのか、その業績がどういう過程で生まれたのか、などはほとんど知られていないし、多くの人は知ろうともしないです。

   本書は、数学の巨人たちのあまり知られていない伝記です。原書が出版されたのは1937年、相当古いです。原題は「ツェノンからポアンカレにいたる大数学者の生涯と業績」。1953年に、イギリスのペンギンブックスで2分冊本として出版され、その前半分だけが1943年に日本語訳で刊行されました。日本語全訳は、1962年に東京図書から出ました。

   数学が退屈なものではなく、「大なり小なり、精神の劇的なドラマだということを、本書ほど鮮やかに描き出したものは少ない」(p.12)と「訳者挨拶」に書かれています。早川書房の文庫版では3冊に分かれていて、その第1冊に登場する数学者は以下のとおりです。

   ツエノン、エウドクソス、アルキメデス、デカルト、フェルマ、パスカル、ニュートン、ライプニッツ、ベルヌーイ家の人々、オイラー、ラグランジュ、ラプラース、モンジュ、フーリエ。ツエノン、エウドクソス、アルキメデスは古代ギリシャの数学者です。それから、フランス人が多いのに気づきます。

   数学の概念と結び付けて紹介すると、アルキメデス、ニュートンは微積分学、フェルマは無限論、パスカルは確率論、デカルトは解析幾何学などです。数理物理学や天文学との関係で、近代数学が発展していくさまには、今回、認識をあらたにしました。

  数学者はそれぞれに個性的な生き方をしている。相互の論争があった。それぞれが生きた時代がまだ科学の光が弱い、宗教の権威としきたりが支配的な蒙昧の社会だったことも頭に入れておかなければなりません。当時の権力者との微妙な関係もありました。

  そのような時代に生きながら、有る人は才能を十分に開花させたが、有る人は才能をもてあまし、不本意な人生をおくったのです。数学の天才の誰もが変人、奇人だったわけではありません。ニュートンが行政官としても仕事をなしたとは驚きましたが、デカルトの最期などはさびしい限りでした。


葉室麟『無双の花』文藝春秋、2012年

2013-03-22 00:00:44 | 文学

             

   江戸時代、筑後柳川領主、立花宗茂の生涯。宗茂は豊後の守護大名大友宗麟の家臣で筑前宝満城を預かっていた高橋紹運の嫡子。筑前立花城の戸次(立花)道雪は宗茂を養嗣子とし、娘である千代(ぎんちよ)の婿としました。


   宗茂は島津の脅威をもちこたえ、武名を九州に轟かせます。秀吉の寵愛を受け、柳川13万2千石を拝領。独立した大名に取り立てられ、「西国無双」と評価されます。その後も、秀吉の「唐入り」で武勲をあげ、秀吉のおぼえめでたい存在となります。

   関ヶ原の戦いでは、秀吉に対する義を重んじ西軍に加担、戦後、改易の憂き目にあい、以後、少数の腹心とともに牢人の身に。

   妻の千代死後、家康に接近。徐々に信頼を得て、幕府の御書院大番頭(将軍の親衛隊長)として5000石を給され、さらに嫡男・徳川秀忠の御伽衆に列せられ、奥州の南郷に1万石を与えられて大名として復帰。その後、元和6年、幕府から旧領の筑後柳川10万9200石を与えられ、旧領に復帰を果たしました。

   不仲が伝えられた正室千代、側室八千子との心のふれあい、由布雪下、十時摂津、掘勘解由など家臣との信頼の絆、敵方ながら互いに認め合う真田信繁(幸村)との友情など、読んでいて印象に残ります。家臣の雪下が亡くなる時には、幼少の頃に厳しく鍛えられた思い出を語り掛けたり、19年ぶりに柳川の地に戻った際には、千代の幻との会話の場面を描くなど(無双の花は、千代のこと)、内面の表現がうまいです。
  黒田如水や徳川家康、伊達政宗などの武将とのやりとりからは、「義を通す」宗茂の胆力と清廉さが伝わってきます。


「山ざき」(荒川区東日暮里5丁目9-6;tel03-3801-1855)

2013-03-21 00:09:07 | グルメ

         

 鴬谷駅からほどと遠くない、「山ざき」に行きました。知人に教えてもらったところです。お寿司屋です。あたりは静かな住宅街という感じで、落ち着いた雰囲気です。「食べログ」には、「下町の穴場」「隠れたすてきな寿司屋さん」「銀座の味が下町価格で」「ずっとお付き合いしたい鮨屋」といったコメントが寄せられています。


 お店に入ると右手にカウンター、8席ほど。左手に座敷があり、ここにはすでにサラリーマン風のグループが談笑していました。カウンターにも先客が4人ほど。(2階に個室もあるようです)

 お鮨がメインですが、最初に刺身、ホタテ焼、春やさいの天麩羅、カワハギなどを注文。カワハギを肝で絡めたものは絶妙のおししさ。天麩羅は、筍、タラの芽などで、春の香りが・・・。

 最初に注文していたビールから、お腹が落ち着いてきたころを見計らって、日本酒に移りました。福井県の「一本気」という知らない銘柄があったので、それを注文。マスに入ったコップになみなみとついでくれます。これを2杯、3杯と、杯を重ねました。

 だいぶ、できあがってきたところで、握りを注文。しかし、お酒で陽気になってきていたので、握りは数個にとどめました。

 お店のなかは、ほどよく賑わっていました。地元の人が多いのかもしれません。途中から隣にすわった夫婦とこのあたりの地域の様子、伝統をレクチャーしてもらいました。男性の方は、わたしと同じ年齢でした。

 マスターに聞くと、ここは開店して14年ほどです。若い職人さんが粋よく、仕事をしています。手際よく魚をさばいていく様子にほれぼれ、技を盗もうと思っての無理ですね。
                


鏑木蓮『甘い罠-糖質制限食-』東洋経済新報社、2013年

2013-03-20 00:02:00 | 小説

               

  表紙はクライし(黒の基調)、副題の「糖質制限食」が味気ないが、ものすごく面白い小説だ。この小説をベースに上手な脚本を書けば、TVドラマにできる(と思う)。ドラマをとおして、問題提起できる。


           
   主人公は、水谷有明(ありあ)という若い女性。料理研究家で、レシピ本も書き、スタイルがよいのでマスコミでも取り上げられている。大手の有名スーパーを運営するオゾングループが和食レストランを全国展開するにさいし、メニューの監修者として彼女に白羽の矢がたった。契約金2000万円。このオゾングループは、ひとつのポリシーをもっていた。それは、地産地消をモットーに地方再生のための農業振興をはかること。


   有明は京都出身。父親は「食」の関係の仕事をしていたが、年齢を重ねて、糖尿の気がでてきて、いまは糖質制限の食生活をおくっている。経過はいい。有明は、その父と、父がアドバイスを受けた医師の考えかたにしだいに共鳴し、新しいレストランのメイン料理に、糖質制限食をとりいれようとする。甘さを抑え、健康に配慮したメニューを並べようとした。この考え方はオゾングループの社長のそれと相いれない。おいしいコメ、おいしい食材、日本の文化であるお酒を使った和食の提供という方針に抵触する。

   一歩も引かない有明に対して、料理コンテストが試みられる。有明の師匠で和食の重鎮と有明の料理人対決。結・・・・。有明は、コンテストの審査員だった女性に声をかけられ、次の仕事を探すつもりでいた。土壇場で有明は、オゾングループの社長と面談し、食における塩の役割についてのレクチャーを受け,開眼。物語はその延長で発展していく。

   テンポのいい会話、場面展開、登場人物の個性、糖尿病の病理、食文化の奥行きの深さなどがほどよく撮り込まれ、興味深い小説になっている。


山本晋也・渡辺俊雄『寅さん、あなたが愛される理由』講談社、2012年

2013-03-19 00:04:12 | 映画

           

   山田洋次監督「男はつらいよ」48作を映画監督の山本晋也とNHK衛星映画劇場支配人の渡辺俊雄が語りつくした。渡辺さんが48作のそれぞれが発表された頃の時代状況、同時期に公開された映画に関する情報を提供、晋也監督が映画について縦横に語る、という設定になっている。


  「男はつらいよ」は、寅さんをめぐるドタバタ、マドンナとの恋と別れのパーターン化された構成が特徴的だが、ディテールは極めて精緻。それゆえ、この映画は映像文化遺産であり、俳優名鑑でもある。日本の失われた風景がきちっと映像化されている。たとえば、「望郷篇」ではラストでD51が海辺を駆け抜けるシーンがあるが、これはディズニーランドができる前の浦安の風景、貴重な映像だ。俳優名鑑というのは、マドンナで日本を代表する女優が勢ぞろいしているが、脇役には、岡田嘉子、三船敏郎、宇野重吉、三木のり平、嵐寛寿郎、東野英治郎、田中絹代、宮口靖治、杉山とく子、大滝秀治、志村喬、小暮実千代、室田日出夫、芦屋雁之助、片岡仁左衛門、、北林谷栄、奈良岡朋子、鈴木光枝、淡路景子、船橋英二、花沢徳衛、大村昆、葦原邦子、岩崎加根子、浦辺粂子、春川ますみなど往年の名優、バイプレイヤーがメジロ押しである。

  さて、「男はつらいよ」の魅力のいろいろ。たくさんあって書き切れないが、まず主役の女性をマドンナというよになったのは16作目からとか(p.84)。パナビジョンは22作目の「噂の寅次郎」から。
  「寅次郎夢枕」では、蛾次郎の結婚式の場面がある。お嫁さんは本人。当時あまり売れていず、貧しい俳優だった佐藤蛾次郎さんは実際には結婚式をもてなかったが、山田監督の粋な計らいで映画でそれが実現した(p.54)。
  山田監督は鉄道が好きだったので、機関車が疾駆する場面は丁寧に撮られている。他に落語に造詣が深かったので、その要素がちらほら。脚本家の朝間義隆さんとのスクラムで、監督の落語的センスと朝間さんのシェークスピアの要素がうまくコラボしている(p.42)。

  48作目の紹介のなかで、かなりきわどい山田監督への質問がある。どのマドンナが一番良かったか? 一番愛着のある作品は?

  他にもオタクに属する秘話が満載。タコ社長の本名は松梅太郎(p.94)、子どもは4人いる。寅さんの誕生日は昭和15年11月29日、などなど。


「秘演・授業」ウージェーヌ・イヨネスコ原作・林清人演出(無名塾公演)

2013-03-18 00:01:50 | 演劇/バレエ/ミュージカル

            

 無名塾の仲代達矢さんが、不条理劇に挑戦しました。不条理劇と言うのは、新劇などのように、ストーリー性が明確で、演劇の作り手のメッセージがはっきりとあるものと異なり、その逆をいくタイプの演劇です。日本では、つかこうへい、唐十郎、寺山修司などの演劇人が、試みました。ストーリー性がみえないので、観客はときにいらだったり、不快感をもったりしますが、不条理劇はそれがねらいめで、観客に混乱をもちこむのです。


 無名塾、あるいは仲代さんのこれまでの演劇人生は、条理にたった演劇、その意味では常識的な演劇を持ち味にしてきましたが、今回は、それをあえて否定して、不条理劇に挑んだということです。

 舞台は、イヨネスコの「授業」。フランスでは、普通のように演じられている演目です。登場者は3人。老教授と、そこに勉強にきた若い女性と、メイド。老教授が住み、個人授業が行われる館という場の設定。何となく、妖しい雰囲気です。若い女性が、そこに勉強しに、訪ねてきます。博士号をたくさんとりたいというのです。
 そこで、老教授は女性にまず数学を教えるのですが、その前に、簡単な算数の問題をだしますが、女性は足し算はできますが、引き算ができません。「4-3」に間違った答えをだすのです。老教授はあきれてしましますが、何とものすごい桁数の掛け算を彼女は簡単に解いてしまいます。
 次に、言語学。老教授は新スペイン語の説明、そのほか、いろいろな言語の関係、修辞法の説明などをしますが、女性は全く要領をえず、そのうちに「歯が痛い」と訴え、そのことばかりを繰り返します。逆上する、老教授。ついに老教授は、見えないナイフをとりだして・・・。メイドがときどき授業現場に入ってきて、あーしてはだめ、こーしてはだめ、を繰り返します。若い女性は、餌食に?? 

  効果音が随所で試みられ、リアルな雰囲気を醸し出していました。また、照明にも工夫が施され、効果音とともに舞台に必須な要素だと思わせてくれます。

 無名塾は世田谷の閑静な住宅街にあります。今回はそこにある一室での演劇。狭い場所で、客席は50です。臨場感あふれる芝居でした。仲代さんは体格がよく、独特のふしまわしをもったセリフ。いつものように眼力があり、迫力満点です。80歳とは思えません。とりとめのない、意味のないセリフをよく覚えて、演じていると感心ばかりしていました。
 女学生を演じた、山本雅子さんも、不思議な授業のなかで生徒が次第に狂気にそまっていく過程を体当たりで演じていました。メイド役の西山知佐さんも、したたかで、老教授さえ翻弄する立ち居振る舞い。

 無名塾は、渋谷から田園都市線で「用賀」で降り、20分ほど。以前から一度は行ってみたかったところなので、ここに来ただけで興奮しました。なお、無名塾の名は、すぐ近くにある無名坂に由来があるようです。


岩井浩・福島利夫・菊地進・藤江昌嗣編著『格差社会の統計分析』北海道大学出版会、2009年

2013-03-15 00:09:35 | 政治/社会

         

 格差社会の諸問題が、3編13章からなる諸論考で分析されています。その問題意識は、社会科学としての統計学の視点から、格差構造の実態を解明することにある、とされています。格差というと普通は、資産、所得、雇用のそれがすぐに頭に浮かびますが、本書はそれらはもちろんとりあげつつ、、他に年金、医療、健康などのそれについても論じ、意欲的な内容になっています。
 独自の実態調査、ミクロ・データやリサンプリング・データの利用と再分類・再集計によって新しい統計利用が検討されているのも特徴的です。


 第一編では「人口・労働」が、第二編では「生活・福祉」が、第三編では「地域・環境」がテーマとして取り上げられ、上記のようにそれを統計を使って分析、検討されています。詳細は以下のとおりです。

<第1編:人口・労働と統計>
「第1章:日本の人口動向と格差社会」(廣島清志)
「第2章:現代の失業・不安定就業・『ワーキング・プア』」(岩井浩)
「第3章:雇用労働者における年齢および所得水準による労働時間格差」(水野谷武志)
「第4章:労働者属性別にみた賃金格差の検討」(小野寺剛)

<第2編:生活・福祉と統計>
「第5章:税務統計にみる個人所得分布の二極化」(山口秋義)
「第6章:年金格差と高齢者の貧困」(唐鎌直義)
「第7章:医療制度改革による国民医療保障への影響」(鳴海清人)
「第8章:日本における世帯の土地利用」(田中力)
「第9章:格差・貧困社会と社会保障」(福島利夫)

<第3編:地域・環境と統計>
「第10章:地方自治体の政策形成と統計」(菊地進)
「第11章:格差社会の地域ガバナンスと地状学」(藤江昌嗣)
「第12章:健康の不平等」(藤岡光夫)
「第13章:地球温暖化問題における二酸化炭素排出格差」(良永康平)


FRENCH BAR St.Pierre (中央区日本橋人形町2-1-7;tel.03-3669-2335)

2013-03-14 00:31:45 | グルメ

                    

 日本橋にあるお店。地下鉄で行くなら、半蔵門線を使って「水天宮前」での下車が便利である。


 小さなお店でビストロのような感じ。カウンターとテーブル席が4つ。ウィークデーなら、サラリーマン、ウーマンなどでにぎわっているのだが、この日は、日曜日だったので、6時ころに入ったがお客はゼロ。かなりたって、カップルが2組。ひとりものの男性。それから、ここでアルバイトで働いているらしい女の子がひとり、この日は客としてきていた。

 フレンチのメニューが黒板に白いチョークでぎっしり書いてある。ワインのメニューも。生ガキ、サラダ、カマンベールの蜂蜜焼、カタツムリ、オムレツなどを注文。生ガキは長崎のものと兵庫のもので、新鮮で、美味としかいいようのない味わい。オムレツには茸がたっぷり入って、バターの香りがほどよい。ふわっとできているのには、工夫があるのだろうか。

 お酒はスパークリングと赤のワインを一本づつ。いずれもリーズナブルで美味しい。壁には凱旋門の写真、マトダイの魚拓のようなもの。もし、日本橋のこのあたりに来たら、お薦めの店である。感じがよい。


 厨房には若いシェフが2人働いている。

 風が強く、あおられてドアがひっきりなしにあく。閉めても、閉めても、開く。少々、あわただしかった。


堀井憲一郎『江戸の気分』講談社新書、2010年

2013-03-13 00:18:08 | 歴史

         

  落語を通して、江戸の気分をリアルに想像しようというのが、本書の狙いのようである。著者によれば、「落語は、口承芸能なので、江戸のころの空気がところどころに残っている」ので、「その当時の生活の空気が感じられるのだ。そこをとっかかりに江戸を暮らしてみる気分になってみる、という試みである」というのだ(「まえがき」p.3)。


  それで、どういう江戸の気分がかもし出されてくるのかと思って、本文に入っていくと、著者は、「まえがき」で宣言したとおり、いろいろな落語を引き合いに出して、病にかかった場合、神信心にすがる場合、武士が刀をぬく場合、火事の場合、花見をする場合、葬式の場合、カネを使う場合など、江戸の人たちの生活の臭いかぎとろうとしている。よく落語を聞いていないとこういう本はかけない。索引には何と116の落語が並んでいる。

  著者は1959年生まれのコラムニスト。落語関係の著書が多い。本書の目次は以下のとおり。
「第1章:病と戦う馬鹿はいない」

「第2章:神様はすぐそこにいる」
「第3章:キツネタヌキにだまされる」
「第4章:武士は戒厳令下の軍人だ」
「第5章:火事も娯楽の江戸の街」
「第6章:火消は破壊する」
「第7章:得江戸の花見は馬鹿の祭典だ」
「第8章:蚊帳に守られる夏」
「第9章:棺桶は急ぎ家へ運び込まれる」
「第10章:死と隣り合わせの貧乏」
「第11章:無人というお楽しみ会」
「第12章:金がなくとも生きていける」
「第13章:米だけ食べて生きる」
「附章:京と大坂と江戸と」


「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)」(中村勘九郎襲名記念・赤坂大歌舞伎[赤坂ACTシアター])

2013-03-12 00:02:44 | 古典芸能

              

  赤坂ACTシアターで「怪談乳房榎(かいだんちぶさえのき)」(中村勘九郎襲名記念・赤坂大歌舞伎)が公演されている。歌舞伎を観に行くのは何年ぶりだろうか。今回は、昨年亡くなった中村勘三郎の二人の息子さん、勘九郎と七之助が出演と言うこと、とくに勘九郎の襲名記念ということで、出かけることにした。
  舞台は赤坂ACTシアターで、歌舞伎座ではない。歌舞伎にしてはやや舞台の横幅が狭い。また、花道がない。いろいろ制約がある。

 しかし、歌舞伎の雰囲気は、十分に醸し出されていた。花道はないが、観客席に入る入口から舞台までの通路が利用され、やや見にくいとはいえ、舞台と観客は一体になれる。

 「怪談乳房榎」の原作は明治期の人情噺の名人といわれた三遊亭円朝。
 花見客で賑わう向島の墨田堤。評判の絵師菱川重信(中村勘九郎)の美貌の妻お関(中村七之助)が、生まれたばかりの真与太郎を抱き、花見がてら梅若塚へ参詣の途中、茶屋に立ち寄ります。折から通りかかったお関の従兄弟にあたる松井三郎(片岡亀蔵)。三郎はお関の伯父にあたり、お関はこの場で三郎から国元の凶事を耳に入れます。それは谷家の金蔵に盗賊が入り、その賊がどうやら佐々繁と名乗る男で、家来の蠎(うわばみ)の三次(中村勘九郎)とともに怪しい。
  お関は、佐々を捕らえようと諸国を遍歴中だった三郎と再会を約し見送ったところ、彼女はそこで泥酔の国侍に絡まれますが、深編笠の浪人に救われます。お関に一目惚れした浪人の磯貝浪江(中村獅童)は、重信に弟子入りします。お関への接近が目的でした。
  
一方、絵師重信は落合村の南蔵院から新しく建てられた本堂の天井画頼まれていました。その南蔵院の近くの料亭で、蠎の三次と佐々繁とがばったり出会います。この佐々こそが、浪江その人でした。遊びに金を使いはたしていた三次は、浪江を脅して金を無心します。浪江は浪江で過去悪事がばれるのを恐れ、三次に口止め料を払います。三次は金を受け取って料亭を出ていきますが、そこに呼び出された正助がやってきます。
 天井画の完成が間近であるので、浪江は下男正助(中村勘九郎)を脅し、いまとなっては邪魔になった重信殺害を手伝わせます。

 悪業を隠してお関と夫婦になった浪江でしたが、今度は正助に四谷角筈十二社の滝壺へ真与太郎を棄てにいかせます。真与太郎が生きていては、仇討の恐れがあると思ったからでした。そして、その正助も殺害しようと、悪に加担する三次に後を追わせますが・・・・。

  この芝居では、勘九郎が名人絵師・菱川重信、人はよく、重信殺しに加担する正助、ゆすりを働く三次の三役を、演じ分ける。その早変わりには、驚いた。悪党の三次になっていた勘九郎が、いつの間にか朴訥な下男正助になりかわる。服装をどうしてあのように次々と変えられるのか。そして、性格の全くことなる、重信、三次、正助が上手に演じ分けられていた。

 また、舞台にざあざあと流れる新宿の脇の滝のなかでの、びしょぬれ姿での演技も迫力満点。七之助のお関の立ち居振る舞いの美しさにも惹かれた。勘九郎は、父親の声にかなり近くなり、演技の仕方も似てきている。限りなく父親に近づきつつある。

 ナカムラヤー。

■ 出演(中村勘九郎 中村七之助 片岡亀蔵 中村獅童 ほか)