【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

大きな木の家

2009-03-31 00:55:15 | 詩/絵本/童話/児童文学

はらだ たけひで『大きな木の家-わたしのニコ・ピロスマニ』富山房インターナショナル、2007年

             大きな木の家 わたしのニコ・ピロスマニ

 著者は、絵本作家。1975年より「岩波ホール」に勤務とあります。
 標題にあるように、この絵本はグルジアの画家、ニコ・ピロスマニ(1862-1918)にささげられています。

 表紙をひらくと・・・・
 
 
 「むかし コーカサス山脈のふもと グルジアの国に ニコ・ピロスマナシュヴィリという ふだんはニコとかピロスマニと呼ばれていた 放浪の画家がいました。貧しい彼は 酒やパンとひかえに 店の看板や 壁にかざる絵をかきました。そのおおくは グルジアの人々の暮らしや伝説 そして動物たちをえがいたものです。ピロスマニは 孤独のうちに生涯をおえましたが 彼の夢は 大きな木の家をたてて 友とお茶をのみ 語りあうことでした。」

 と著者によるニコの紹介があります。

  この絵本は、詩のようでもあり、童話のようでもある絵本です。著者の想いが美しい旋律となって伝わってきます。

 誰よりも自然を愛し、さびしがり屋で、人とその生活を恋しく思い、それを絵で表現したピロスマニ。そのピロスマニの人柄と生き方に対する著者の憧憬が、淡い夢のような絵にたくされ、一冊の素敵な本になっています。


心を震わせる川畠成道さんの演奏(ヴァイオリン)

2009-03-30 00:11:13 | 音楽/CDの紹介

川畠成道「次の10年を織り成すために~デビュー10周年の回顧と誓い~」    
       ピアニスト:寺嶋陸也   音楽プロデューサー:中野雄 
  

                                  バイオリンを持つなりみち
  
  川畠成道さんのサロン形式での演奏を聴きました。今回の曲目は、下記のとおりです。最初、挨拶のあとにビターリの「シャコンヌ」から入りました。この演奏で、小さな会場は一気に川畠さんの音楽の世界になりました。
 音楽プロデューサーの中野雄さんが曲目を解説し、中野さんのインタヴューに川畠さんが応えるというかたちで進みました。

 川畠成道さんの演奏はいつも、心に沁み、心を震わせます。思わず、涙腺がゆるみます。とくにヴァイオリンの高音の細い音色が好きです。
 
 クライスラーの2曲は有名な作品ですが、ヴァイオリニストでもあったクライスラーは自分で弾くために、この作品をかいたのではないかということでした。「愛の喜び」にはウィーンの楽隊(シュランメル音楽)の響きが書き込まれていて、この雰囲気がこの作品をいいものにしているということでした。

 リムスキー・コルサコフの「熊蜂の飛行」は、何度聴いても、楽しく、本当に熊蜂が飛んでいるようであり、ユニークな曲です。

 アヴェ・マリアは、川畠さんが出会った曲です。作品と演奏家との出会いは、重要だそうです。出会いは偶然のようであり、しかしその演奏かにとって確固たるものとなると必然のようにも思えます。魂のこもった演奏でした。 

 ・シャコンヌ(ヴィターリ)
  ・愛の悲しみ(クライスラー)
 ・愛の喜び(クライスラー)
 ・歌の翼に(メンデルスゾーン)
 ・熊蜂の飛行(リムスキー・コルサコフ)
 ・からたちの花(山田耕筰)
 ・サクラ変奏曲(玉木宏樹編曲)
 ・オブリヴィオン(ピアソラ)
 ・鮫(ピアソラ)
 ・アヴェ・マリア(グノー)
 ・チャルダッシュ(モンティ)

 *なお、2009年2月21日付のこのブログに川畠さんの著作『僕は涙の出ない目で、泣いた』扶桑社の紹介をしています。

 川畠成道さんの公式サイト ⇒  http://www.kawabatanarimichi.jp/


原節子さんが円熟の境地にある作品、成瀬巳喜男監督「めし」

2009-03-29 00:53:28 | 映画

成瀬巳喜男監督『 め し 』1951年 東宝

                    

 原節子さんと上原謙主演の映画です。原作は林芙美子の同名の小説です。

 東京から大阪に転勤した証券マン、岡本初之輔(上原謙)とその妻、三千子(原節子)には子どもがいません。典型的なサラーリーマンと主婦です。初之輔は、帰宅しても、「
おなかがへった」、「めし」というのが口癖。食事中も新聞を読みながらで、夫婦の潤った会話は少ないのです。三千子は女中のような生活です。飼っている猫が遊び相手です。

 美千代のこの不満が爆発して、実家のある東京にかえってしまい、大阪に妻のいなくなった家で右往左往し、初之輔はしかたなく東京に美千代を迎えにいきます。美千代は当分、初之輔とわかれて暮らすつもりで、仕事も探していたのですが、夫にであってまた小さめの幸せをもとめて大阪にともに帰るという話です。

 掃除、洗濯だけにあけくれる生活。女はそこにしか幸せを望むべくもないかのような、今からみれば、閉塞した家族観で結末となる話です。これで終わっていいの?? と思ってしまいます。

 ストーリーは、この夫婦の関係を中心にして、初之輔の姪の里子(島崎雪子)が東京から家出同然に大阪に出てきて、初之輔夫婦の家に泊まり込み、美千代をやきもきさせるとか、美千代の独身の従兄がなんとなく美千代のことを心配するとか、美千代の実家での母と妹夫婦(杉村春子、杉葉子、小林桂樹)の生活ぶりとかが挿入され、時代を感じさせるとともに、東京の当時の風景が映し出されて、懐かしいです。

 美千代を演じた原節子さんは表情がとても豊かです。里子が飛び込んできていついてしまっているときの小さな怒り、大阪から実家に戻ってきたおりの母のもとでの屈託のなさ、実家で初之輔に書いたのに投かんしなかった手紙を破り、車窓から捨てるシーン、どれもこれも円熟した原さんを見ることができます。


著者(井上ひさしさん)の辛口エッセイ

2009-03-28 00:26:52 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
井上ひさし『ふふふ』講談社文庫、2009年

          
       


 講談社の「小説現代」に連載されたエッセイ45本です。ひとつひとつのエッセイは短いので、読みやすいです。

 「ふふふ」は「おもしろいなかにもまじめなことが含まれ、ユーモアの中にも怒りが含まれているような、そんな笑い」です(解説:「ふふふ」とは、どんな笑いなのか?[岩手県やまねこ農園、辻村博夫] p.190)。

 全体を通読すると、辛口の批評です。プロ野球の話題が結構多く、著者は殊のほか野球が好きらしいです。それもスワローズが。ここでも辛口の批評は生きていて、最近プロ野球が採用したクライマックス・シリーズ(ペナント・シリーーズを終え3位までのチームで優勝を再度争う)を批判し、またコミショナーやオーナーのセンスの悪さをやり玉にあげ、もっと選手とファンを大切にせよ!と檄をとばしています。

 「経営方針」のエッセイで経営に失敗する12カ条というのが面白いです(p.116)。全部はここに書けませんが、①どうにかなると考えていること、②そんなことは出来ないといって、改善しないこと、③旧来の方法が一番よいと信じていること、などは、経営だけでなく、いろいろなことに応用可能ですね。

 自らの過去を語った部分も貴重です。お店で窃盗をしたことと、その店のおばさんの対処の仕方(「万引き」)、そして人生の3つの「分かれ道」。

 林芙美子の半生の考証、「ハムレット」とチェホフの「かもめ」の類似性、東京裁判の西春彦資料、アーヴィングの歴史偽造資料などは著者ならではの余滴、参考になります。鋭い、研ぎ澄まされた視点が随所にあって、自らの蒙が啓かれる思いでした。

神楽坂の心地よいお寿司屋

2009-03-27 00:15:01 | グルメ

すし好(神楽坂店) 新宿区神楽坂5-26 カグラザカNC5-1F 
                                                              03-3269-0505

   今日は書くことがないので(こういうことはよくあります)、ひとつき前くらいに行った神楽坂の「お寿司屋」さんを紹介します。

   神楽坂界隈には、いいお店がたくさんあります。グルメ派もお酒派も、ともに満喫できます。たとえば・・・・

  「割烹・加賀」(若宮町、TEL 3260-1482)
  「NORMAL」(ダイニングバー)(神楽坂3-2-40、TEL 32767-6777)
  「焼肉市場 飯田橋亭」(飯田橋4-9-2、TEL 3262-4999)
  「ろばたの炉」(神楽坂3-2-50、5227-1717)
  「風雅」(神楽坂5-30、TEL 3513-5230)
  「お好み焼き 鉄板焼 春波」(津久戸町4-3、TEL 3260-4729)

  以上は、そのうち一度はいってみたいところです。もう少し大衆的でいいお寿司の店があります。「築地すし好」です。

 本店は築地にあります。チエーン店で都内にはいくつもありますが、神楽坂のここは居心地がよく、明るく、食材は新鮮、美味です。カウンターに20名ほど座れ、4人座れるテーブルが3席あります。

 いまが旬の「うどの酢味噌」をまず注文しました。お酒はいつものように決まって生ビールです。しかし、これは2杯程度でやめ、すぐに日本酒(辛丹波)に変えます。

 お寿司は、シャリが小さく食べやすいのが特徴でしょうか? 適当に何品か注文しました。神楽坂なのに小さな子どもさんを連れたお客がいました。昼間ならともかく、不思議な光景です。

 リーズナブルなお店なので若者のカップルが多いです。また、雰囲気は家族的なので安心して入れます。


 


WBCで優勝したJAPAN

2009-03-26 01:53:30 | スポーツ/登山/将棋

WBC(World Baseball Classic)での日本の優勝、おめでとう!!

   日本代表チーム

   このブログでもWBCで日本が世界一になったことを記録しておきます。最終戦は、とくに球史に残る好試合でした。

  MVPをとった松坂投手は、「岩隈君がMVPをとると思った」と語っていましたが、わたしもそんな感じを抱きました。投球内容は、低めへの配球が決まっていて抜群でした。安定感は随一でした。

 最終戦のダルビッシュ投手が、9回に登板したときは、少しかわいそうな気がしました。もちろん、ダルビッシュ投手の球威はすごく、韓国打線を抑えそうな気配でしたが、まだ若いことと、過去にこのような場面に登板した経験がない投手なので、どうかなと考えたのです。それくらい、野球というのは経験と精神性の重きが大きいスポーツです。

 日本チームの投手力は随一とあちこちで指摘されていましたが、そのとおりですね。異存はありません。4回登板して一本もヒットを打たれなかった左腕の杉内投手、若いエネルギーを発揮して敢闘した田中投手、要所でよくがんばった山口投手、馬原投手、涌井投手、みんなに拍手です。

 イチロー選手のことはマスコミでもういいつくされているので、あえて付け加えることはありませんが、その精神力に脱帽です。打率が極度に落ち込むなかで、一番でフル出場し、最後に結果を出したことに、わたしは正直ホッとしました。ひっかけた凡ゴロが続いていたときは、7番あたりに打順を下げたらとも思いました。しかし、メジャーの一流選手の打順を下げるわけにはいかず、もし途中で敗退していたら、イチロー選手に気をつかって負けたような言われかたをしかねない状況でしたから、なおさらです。

 わたしは個人的には、西武の中島選手のファンです。風邪で一時スタメンをはずれましたが、よく立ち直りました。稲葉選手、青木選手、小笠原選手ともども頼りになるバッターです。

 守備では、最終戦、同点の5回ですがレフトの内川選手の超人的なボール処理に称賛です。解説者は、内川選手はもともと内野手なのであのようなワンバンドをバックハンドでとって、二塁ホースアウトをとれるのだと言っていて、納得しました。超美技であり、岩隈投手の好投を助けました。あの処理ができていなかったら、と空恐ろしくなります。

 日本も韓国も力は五分五分。ただ投手力は日本が一枚上で、韓国の対日本戦でのヒットの数はかなり少ないのです。しかし、韓国はチャンスを一気呵成にものにする気迫が強く、それが最終戦でも出ました。

 日本は大会前の西武戦で負けたり、大会後も中国に4-0でようやく勝つなど、これで大丈夫かと思い、凄い選手だけ集めても優勝できないジャインアンツのことが頭をよぎりましたが、戦いを進めていくうちに連携プレー、チームのまとまりもでてきて、これこそが野球と思いました。

 野球は「あのときこうすれば」ということを兎角言いたくなるスポーツで、仮定の話は本当はしてはならないのです。また、野球では結果論が幅をきかせることも多いので、これ以上は書きません。

 原監督はじめ29人の選手、よくやった! のひとことです。

   写真:10回表日本2死二、三塁、イチローは勝ち越しの中前適時打を放つ=遠藤啓生撮影
   
Asahi Comより イチローの決勝打


原節子さんが主役の「麦秋」(小津安二郎監督)

2009-03-25 01:07:23 | 映画
小津安二郎監督『麦秋』(1951年) 124分 松竹

           
       
  

 昨日、原節子さんのことを書いた本を紹介しているうちに、彼女が出演している映画をみたくなり、図書館で「麦秋」を借りてきました。

 1951年の作品です。ストーリーは多くの小津監督の映画がそうであるように、普通の家族に普通にありがちな話です。

 北鎌倉に住む間宮家。医者の康一(笠智衆)と史子(三宅邦子)の間宮家の長男夫婦が核です。男の子が2人います。妹の紀子がいて、これを演じているのが原節子さん。彼女は兄夫婦と一緒に暮らしています。それからこの長男と紀子の父母(菅井一郎、東山千栄子)も同居です。次兄は出征して戻ってきません。生死は不明ですが、両親はこの子の帰郷を待っていながら、半ばあきらめ始めています。

 テーマは28歳の紀子の結婚話。紀子は会社勤めで、上司から結婚相手の候補の紹介があります。四国にいる家柄のいい旧家の42歳の男性とのこと。紀子はこの縁談に気がすすみません。年がはなれすぎていることもあります。しかし、周りは結婚適齢期(当時の)を過ぎようとしている彼女のことみな心配していて、おせっかいやら、いろいろうるさいことを言います。要するに普通の家族によくあるケースです。

 近所に知り合いのおばさん(矢部たみさん)がいます。杉村春子が演じています。よく間宮家にきます。戦争に行って帰ってこない間宮家の次男と親しかった息子の矢部謙吉は、嫁さんと死別して、幼い娘がいます。そして、紀子の兄と同じ病院に勤めていました。紀子は矢部さんの家によくひとりで遊びに行くのですが、ある日、このおばさんが思い切って紀子に「家にきてくれたらいいのにネ」と語りかけます。今でいう、ダメモトです。紀子は、この話にOKをしてしまいます。本人は秋田への転勤が数日後の迫っていて、この再婚話は本人ぬきで、決めてしまうのです。

 紀子は父母、兄夫婦に結婚の意向を伝えます。驚く家族のみんな、「子持の男との再婚なんてとんでもない」といった調子です。

 この結末は、これ以上、書きません。しかし、小津監督の映画ですから想像はつくと思います。

 昔ながらの家族の風景、人と人との関係、服装、髪型、子供の世界。今と同じ東京の普通の家族なのに、こんなにも微妙に違うってしまったのかと懐かしく感じます。家族みんなで囲む朝食。「おみをつけ」に「おこうこ」。「おひつ」があったり、カナリアを飼っていたり・・・・。

 そこで、主役の原節子さんですが、いい感じです。当時31歳で28歳の紀子役を演じています。やや大柄。服装も今からみればやぼったいですが、彼女はいい顔をしています。娘心をよく表現しています。こういう役は得意だったのではないでしょうか?


永遠の女優-原節子

2009-03-24 00:17:35 | 映画
千葉信夫『原節子-伝説の女優』平凡社、2001年

          原節子 伝説の女優


 「伝説の女優」「永遠の処女」と称賛された原節子さん(本名、会田昌江)の女優としての映画人生の26年間をつぶさに認めた本です。その彼女は15歳で映画界に入りましたが、決定的だったのはナチス・ドイツが同盟国日本と共同して制作した「新しき土」(1937年)に、ドイツ人監督アーノルト・ファンクによって主演として抜擢されたことでした。この映画自体はナチスの政治宣伝の意味があり、また日本は日本でこの国の映画の海外普及のつてにしたかったといういわくつきの映画でしたが、原節子さんにとってまたとない好機でした。

 それというのもこの映画のヨーロッパ封切りに合わせて、原さんは渡欧し多くの映画人(アナベラ、デュヴィヴィェ、ルノワール、タイロン・パワー、マレーネ・デートリッヒなど)にあうことができたからです。帰国後、原さんは本格的に映画界で活躍することになりました。美貌と日本人離れした容姿でファンを魅了しました。

 しかし、演技は必ずしも上手いとはいえず、性格的にも人見知りでおとなしかったので、随分と損な役回りもありました。

 時代は15年戦争から太平洋戦争へと向かう時期で、国策的な戦意高揚映画にも多く駆り出されました。

 そんな原節子さんを戦後、すばらしい女優に育てたのは、監督たちでした。義兄の熊谷久虎、島津保三郎はともあれ、黒澤明、今井正、小津安二郎、成瀬三喜男たちです。

 「青い山脈」(今井正監督)、「麦秋」(小津安二郎監督)、「我が青春に悔いなし」(黒澤明監督)、「安城家の舞踏会」(吉村公三郎監督)、「東京物語」((小津安二郎監督)、「晩春」(小津安二郎監督)などはわたしも観ましたが、このようなスケールの大きい女優は二度と現れることはないだろうと思います。

 原さんは日本映画の絶頂期に、高峰秀子さん、高峰三枝子さん、山田五十鈴さん、轟由起子さんなどと花をきそいました。しかし、年齢を重ねる中でいい役にめぐまれず、映画の在り方も変わり、若手が台頭してくるなかで、その位置に陰りがでてくるなか、1962年の「忠臣蔵」を最後に映画界から身をひくことになりました。

 本書では、節子自身の手記、自伝、また周囲の映画人の声などをふんだんに取り入れて、女優としての、あるいはひとりの女性としての悩みをあぶりだし、その全貌を伝えようとしています。力作です。

文字通り「金融商品とどうつき合うか」を説いた本

2009-03-23 00:46:27 | 経済/経営
新保恵志『金融商品とどうつき合うか』岩波新書、2008年

                              
               


 2001年に確定拠出年金導入(日本版401K)が解禁となり、今後ともその普及が予想されるとなると、金融商品に対する知識は不可欠になってくるので、それとの対処の仕方が重要であるという立場で書かれた本です。

 ワラント債、スワップなど複雑で分かりにくい金融商品への対処の仕方、金融被害を回避する手立て、すなわち金融リテラシーが、平易に解説されています。

 それによると、金融商品の消費者はリターンとリスクとは表裏一体であることを認識すること、高い金利は必ず高いリスクが隠されていることを肝に命じること、手数料には十分慎重でなければならないこと(日本人は手数料に鈍感で無頓着な傾向が強い)、二社以上から信用の格付け情報を入手すべきこと、などの留意点が指摘されています。

 金融機関の側は、07年に金融商品取引法が施行されたこともあり、リスクの説明を必ずしなければならないことになっています。また、「適合性の原則」と言って業者は消費者の知識、経験、財産力、投資目的に適合した販売、勧誘をしなければならなことになっているのだそうです。

 後半にいくと話が具体的になっていきます。仕組預金(満期日繰上特約付き定期預金)、変額個人年金保険、各種投資信託、各種証券化商品について注意すべきことが示唆されています。

 総じて、子どもの頃から金融教育を行うことが大事で、この点で日本はアメリカ、イギリスの教育に遅れをとっているとのことです。

 本書にはさらにもうひとつ目的があり、それは将来的に個人が企業を育てるという意識をもってもらいたいということで、これは要するに、消費者が投資のリスクを認識したうえで、自己責任で投資をするのが本来の意味の投資で、その投資先にベンチャー企業を想定してほしいということです。ベンチャー企業の育成が実現すれば、雇用が広がり、消費が拡大し、税収も増えるので経済にいい効果がもたらされるというわけです。

 本書には金融知識を問う10の設問があります(pp.179-184)。チャレンジしてみては???

武士の家計簿を分析した貴重な本

2009-03-22 01:32:12 | 歴史

磯田道史『武士の家計簿-「加賀藩御算用者の幕末維新-』新潮社、2003年            

          
 神田の古書店で著者が発見した「金沢藩士猪山家文書」による,江戸から明治にかけての武士の家の家計簿分析です。

 武士の生活が一目瞭然。加賀藩は算術のさかんな藩で,猪山家は5代にわたり前田家の「御算用者」を務めた家柄でした。

 「武士の家計簿」を残したのは,6代目の左内から。武家の家計はことのほか苦しいものだったようです。天保14年(1843)で猪山家の年収は現在価値で1,250万程度,借金額が年収の2倍あり(江戸詰めと過度な消費),「身分費用(祝儀交際費・儀礼行事入用)」が家計を圧迫していました。

 子どもの通過儀礼にも費用がかかったようです。興味深いのは妻と実家との結びつきが強かったこと,当時武家でも離婚が多かったことなどです。

 時代はくだり,猪山家の成之は,維新後,極度の窮乏生活を強いられた元武士が多かったなか,兵部省(海軍省)出仕となり比較的豊かな官僚としての生活をおくりました(日露戦争での末っ子の戦死,甥がシーメンス事件で弾劾され官界を追放されるという悲劇はあったが)。

 生真面目な猪山家から出た資料と真摯な研究者との偶然の出会いが,日本経済史の分野に貴重な学問的成果をもたらしました。

アニータ・シュリ-ヴの、わたしにとっての2作目の作品

2009-03-21 00:29:34 | 小説

アニータ・シュリ-ヴ/高見浩訳『いつか,どこかで(Where or  When)』新潮社、2004年
                                   
 この作家の作品は、このブログで紹介したことがあります。「パイロットの妻」です。この「いつかどこかで」は、わたしにとって彼女の作品の2作目になります。

 中年男女の底しれぬ愛の深みを垣間させる甘美的かつ官能的作品です。その愛はふとした事から始まりました。

 ロードアイランド州プロヴィデンスに住み保険業を営んでいるチャールズはある日、新聞の記事で紹介されたマサチューセッツ州スプリングフィールドのショーンが出版した詩集に目をとめました。記事には詩集の著者の顔写真がついていました。彼女はまぎれもなく、31年前の幼いころに別れた好きだった女の子でした。

 このことを切っ掛けに、チャールズはショーンに手紙を書きます。もどかしいやりとりがはじまります。というのもチャールズは不況のあおりを蒙り、銀行からの借金を返せず、抵当に入っている自宅をあけわたさなければ窮地にあり、そこには妻と三人の子供がいたのです。ショーンは人妻で、農場を経営している夫との間に子供が一人いました(もうひとりいたが事故死)。そのうちショーンは「文通打ち切りたい」と申し出ます。

 チャールズはひるむことなく、昔はやったヒットソングナンバーの選曲テープを同封した手紙を送り付けます。それがショーンの心を動かし、思い出の旅荘で31年ぶりで再会することになります。そこは幼かったふたりがかつて学友とともに合宿生活で使ったところでした。そこで二人は、かつて忍びあいの淡い恋におちていました。

 チャールズとショーンはこの旅荘で逢瀬を重ねます。もちろん、それは家族に対する裏切行為でした。しかし、ふたりは昔を懐かしみ、長かった31年間を取り戻すように至福の愛の時間を過ごします。さてこの恋の行くへは??。最後は、予想もできない結末へ。

 揺れ動く中年男女の愛情と官能を、交わされる手紙をまじえ、濃密に描いた文藝作品です。小説の題名(Where or When)は、チャールズがショーンにテープで送った昔のヒットチャートナンバーのタイトルです。

           いつか、どこかで(新潮社)


崩壊する家族の絆

2009-03-20 01:02:42 | ノンフィクション/ルポルタージュ
澤地久枝『家族の横顔』講談社、1991年

 家族崩壊の具体的事例を集めて、その発端、経過、顛末を紹介しています。題して「ひそやかな“恋”」「妻の拒絶」「『拒食』世代」「おさない『蜜月』」「血縁のない母と子」「母の十字架」「まぼろしのバティック」「『よごれた』血」「母の自死」「結婚しない女」。

 妻の側の異性関係、妻の蒸発、世間的好奇心の対象となって断たれた継母とまま子の絆、自立を求める聡明な主婦の母子心中、家庭内暴力など、崩壊した家族の実例がカタログのように並んでいます。

 傍からみれば幸せそうな家族も、一歩なかに入るとそこには複雑な関係が滓となって沈澱しています。かつて、それらは封建的な絆という「縛り」があって表にでにくかったのです。しかし、この紐帯がほころんできたのが1970年~80年頃からであり、当事者がしまっておきたい家族の恥部がいともたやすく表沙汰になったり、不幸の奈落に沈んでいくケースが増加してきました。

 ある意味で「家族」とは厄介なもので、理で問題が解決する領域では必ずしもありません。著者自身、わかかった頃に切っても切れない家族という人間関係に生理的な負担を感じ、それに反発したらしいですが、しかし同時に家族を愛していて、そのために苦しんだと言います(p.224)。

 「音もなく砂山が崩れてゆく様にも似て、かつて家族をつなぐ絆であったはずのものは次第に浸食され、さまざまな破綻が生じている」(p.225)、「因と果との、つきとめられないある傾向-。変わりはじめた家族は、どこを目ざしているのだろうか」(p.226)、著者の回答はただちに示されることがないままに、問題は読者に投げかけられているように受け取りました。

 ノンフィクションの体裁をとってはいますが、本書に示されている状況は架空のもので、そこに実際にあった話を埋め込んだとのことです(p.229)

春の陽ざしのなかのルーブル美術館展

2009-03-19 00:32:59 | 美術(絵画)/写真

ルーヴル美術館展 17世紀ヨーロッパ絵画  2月28日~6月14日
 
  国立西洋美術館(上野)は、これまでに2回、ルーヴル美術館関連の催しを行っています。2005年の「19世紀フランス絵画」、2006年の「古代ギリシャ芸術・神々の遺産がそれです。今回はこの一連の催しものの3回目になります。
   
 内容は、次の3つのカテゴリーに分かれています。
Ⅰ 「黄金の世紀」とその陰の領域
Ⅱ 旅行と「科学革命」
Ⅲ 「聖人の世紀」 古代の継承者

 充実した内容の絵画展になっています。始まってまだ間もないのですが、なかにフェルメールの絵もあるせいか、大変な関心を呼んでいて、館内は相当混んでいます。

 いくつかの、わたしが印象に残った絵画を紹介します。


① フランス・ハルス(1581/85年頃-1666) 「リュートを持つ道化師」(1624年ごろ)
② ル・ナン兄弟(1600/10年ごろー1648) 「農民の家族」
③ ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593-1650) 「大工ヨセフ」(1624年ごろ)
④ フェルメール(1932-1675) 「レースを編む女」(1669-70年ごろ)
⑤ シモン・ヴエ(1590-1649) 「エスランの聖母」(1640-45年ごろ)
⑥ ヨアヒム・ウテワール(1556-1638) 「アンドロメダを救うペルセウス」(1611年)
⑦ ムリーリョ(1617-1682) 「6人の人物の前に現れる無原罪の聖母」(1655年)
⑧ ドロスト(1630年ごろー1680) 「パテシバ」(1654年)
⑨ グェルチーノ(1591-1660) 「ペテロの涙」(1647年)

            
   
  

 会場はかなり混んでいたので、鑑賞する環境はあまりよくありませんでした。それでもイヤホン・サービスで説明を聴きながらでしたので(中尾彬さんのナレーション)、これは鑑賞の一助になりました。

       


松野迅『銀月に踊るユーモレスク』かもがわ出版、2008年

2009-03-17 19:00:24 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
松野迅『銀月に踊るユーモレスク』かもがわ出版、2008年                       
                 
  著者はバイオリニストです。

 第5編にインパクトがありました。著者は2006年夏のポーランド、ウクライナでのコンサートのおり、ルツク(ウクライナ)からポーランドに戻る途中の国境の検問所で54時間に及ぶ足止めをくったのです。楽器(ヴァイオリン)を所持していたので、その「外国製品の持ち出し届」をめぐってウクライナ国境警備隊との間でトラブルがあり、通関・出国ができなくなってしまったのでした。

 手持ちの食料はほとんどなく、寝る場所はお粗末なところ。ポーランド、ウクライナの日本国特命全権大使、キエフ、ワルシャワの在外公館らの尽力によってようやく誤解がとけ、出国できました。「文化遺産の流出を防ぐ為の国家的な必要性と、それを利用するマフィアの行状」体験記です。

 このほか、「なぜ今ごろに」の感覚で、著者は流行している「千の風になって」の歌詞(アニミズム)へ疑問をなげかけ、NHK大河ドラマの「新撰組」(2004年)と「義経」(2005年)とが公共の電波に乗ったことに首をかしげます。「列島船を右舷方向へと操舵するかのような事実の重なりから、文化戦略による大衆心理の推移に思いを馳せる」と手厳しい指摘をしています(p.136)。

 ディヌ・リバッティ(1917-1950)のピアノ演奏、ハイドン作曲「おもちゃの交響曲」は実はモーツアルトの父親の作品(p.226)、「日本の憲法はどうして戦争放棄が9番目なのか」という中国人の質問(p.131)、「ツィゴイネルワイゼン」の曲名に含意される「ジプシー」「ツィゴイネル」の歴史的辛酸によって引き起こされるある種の逡巡(p.125)、など著者は独自の感性で時代の匂いをかぎとっています。

 広く海外で生活者のなかに入って演奏活動を持続している著者でなければ書けないエッセイの宝庫です。漢字、四字熟語の使い方にも個性が溢れています。

オーボエの音色を体感

2009-03-15 00:52:59 | 音楽/CDの紹介
池田昭子:オーボエが奏でる音楽-カプリッチォ- in YOKOHAMA CITY

               
  
   N響メンバーで、いま注目されているオーボエ奏者の池田さん。彼女は、中学のときからオーボエをはじめ、東京芸術大学を卒業。宮本文昭さん、フランソワ・ルルーさんに師事。第13回日本管打楽器コンクールオーボエ部門で一位。その後文化庁在外研修員としてミュンヘン、リヒャルト・シュトラウス音楽院に留学しています。以下は、その彼女のレクチャーから。

 オーボエはリードをオーボエ本体に差し込んで、吹くことで音が出ます。このリードは「葦」から奏者自身が作ります。フランスの葦が多いようです。オーボエには、育った葦の上のほうの直径10ミリくらいの部分が使われ、この葦の切り口を120度に3等分し、カンナをかけ、シェービングして完成ということになります。リードは演奏のその日の会場の大きさ、曲目、天候(湿度)などに配慮しながら選択しなければならないデリケートなものとか。リードを作るのには2-3日から、1週間ぐらいかかるそうです。

 池田さんのオーボエは、ご本人の設明によると、フランスのものです。バイオリンのように年代物に価値があるのではなく、消耗品で使用可能期間はおよそ10年くらいということでした。

 この日、演奏したのは、A。ポンキェッリ「カプリッチォ」、シューマン「3つのロマンス」から、ニールセン「2つの幻想的小品」でした。

 オーボエは清澄な音色で、気品があり好きです。満足できる演奏を至近距離で聴けました。演奏を近くで見ていると(受講者45名ほど最前列に座りました)、ほっぺたが膨れ、力一杯です。

 CDを買って、サインをしてもらってきました。これから、聴いてみます。