【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

斎藤由香理『ユカリューシャ-不屈の魂で夢をかなえたバレリーナ-』文藝春秋、2010年

2012-08-05 00:02:31 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談

                

   6歳からバレエを始め、世界的なプリマとなった著者のエッセイ的自伝。


   最初にいきなり、舞台「くるみ割人形」での事故に触れている。96年のこと。靭帯断絶。再起不能との診断がくだったが、苦しい手術にたえ、奇跡的にカムバック。多くの人たちが彼女を支えた。

   バレエのメッカ、ロシア(旧ソ連)で基礎から学び、厳しい訓練と著名な芸術家との遭遇。伝統を重んじ、芸術を大切にしたこの国で、薫陶を受ける(アザーリン、セミョーーノワ、ワルラーモフなどの各先生)。90年2月にフョードロフ氏(ボリショイ・バレエ団のプリマ)と結婚。流産という不幸に一度、直面するも、息子セルゲイに恵まれる。

   旧ソ連での窮屈な生活、ハードなトレーニング、異国での孤立感など、当時の生活事情が素直に語られている。

   この世界ではプーシキン原作の「オネーギン」のタチアーナ役を演ずることが悲願らしく、そのためには実力はもちろん、運も相当あるらしい。優れた作品であるとともに、著作権などの関係で、なかなかその役はまわってこないのだそうだ。年齢も重ね躊躇していた著者に対し、バレエではもちろん人生の恩師でもあったマクシーモワ先生(夫のマクシ-モフはボリショイ劇場の元プリンシパルで芸術総監督で、ふたりは20世紀を代表する世界のダンサー)の強い勧めで挑戦し続けるなか、モスクワからの長い励ましと出演催促の電話があった翌日、先生が亡くなり、葬儀に間に合うように大慌てで(ビザの日付変更)、成田で飛行機に乗り込むあたりの記述は、手に汗を握る現実感があった。

   舞台での大けがのあとは、この「オネーギン」に出演したこと以外にも、「東京バレエ団」での仕事、芸術選奨文部科学大臣賞受賞(2005年)、ロシア国立モスクワ舞踏大学院バレエマスターおよび教師科を卒業(2009年)など、順調な芸術人生を送っているが、そこに至るには人に知れない苦難と努力、周囲の励ましがあったようで、著者はそのことを懐かしむように振り返り、感謝の気持ちを綴っている。