【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

「段葛こ寿々」 鎌倉市鎌倉小町2-13-4 tel.0467-25-6210

2014-03-29 23:46:52 | グルメ

                  

 横浜高島屋店での「川瀬巴水展」に行ったおり、鎌倉まで足を伸ばしました。散歩がてら北鎌倉駅から鎌倉駅まであるきました。3-40分ほどです。


 途中、お昼にかかったので、この「段葛こ寿々」で、そばを食べました。鶴岡八幡宮から若宮大路を駅の方に進んで、なかほどやや手前、左手にあります。実はこのお店も太田和彦さんのもち番組「ふらり旅 いい酒 いい肴」で彼が訪れた、そばの老舗です。お客が並んでいました。最初はそれほどの行列でもないと思っていたのですが、ななかな進まず、40分ほど待ちました。

 老舗の風格があります。二階もあるようですが、一階のテーブル席へ。それほど広くはありません。おろしそばを注文しました。にはちそばでコシがあり、さすが並ぶ人が多いわけです。ファンと一度は来てみたい、という人がいrのでしょう。量がやや少なく、一人目ではおなかがいっぱいになりません。他の人は、「オオモリ」などと注文していましたが、それはないそうです。おなかに不足な人は2枚、頼んでください、ということでしょうか。

 わらび餅も有名なようです。こちらは、お店の前に机を出して女性が販売していましたが、ひきもきらず観光客が買いにきていました。


 何度もこられないので、一度だけの想い出をつくりました。


「酒肴彩 昇」 藤沢市鵠沼石上1-3-10 0466-22-7707

2014-03-28 18:45:52 | 居酒屋&BAR/お酒

              

 BS11の「ふらり旅、いい酒いい肴」という番組で、太田和彦さんが藤沢で訪れたのがこの「酒肴彩 昇」というお店です。

 鎌倉のほうから(実際には由比ヶ浜)江ノ電に乗り、藤沢駅に降り立ちます。南口で出ますが、歩道橋が張り巡らされていて、道路もあちこちに配電盤のようにわかれていて、初めての者には、わかりにくいです。手には地図をもっていたのですが、たどり着けません。若者が何人かいたので、このお店の道順を聞きました。するとなかの一人が、スマホで検索してくれ、教えてくれました。親切な若者でした。

 「酒肴彩 昇」は路地裏にありました。確かにわかりにくいところです。なかに入ると、3Fの入り口の席を案内してくれました。2Fは予約客で満席だったようです。やっとたどり着いてきただけに、注文したものはみな意表をつく、うまさです。最初の「あて」の「もろこし豆腐」「金時芋チーズ」「しめ鯖」が絶品でした。

 名物言われる「おから」、桜海老かきあげ、山ウド酢味噌、しらす丼などを注文し、お酒はビールをパスして、最初から「丹沢山」(純米吟醸)でいきました。2杯目は、同じ「丹沢山たれくち」。最初、山廃のお酒を注文したら、これは完売で、お店の人から「テレビでご覧になってこられたのですか」と聞かれました。テレビで太田さんがほめていたお酒です(?)。ズボシです。他に「にしきぎ」という不思議なものも注文。メニューには、ノンベイに大好評とあります。テレビで太田さんも推奨していた逸品です。


 「美人鍋」というのがあり、これは牛筋の鍋で、「コラーゲンたっぷり」とあり、さらに豆腐とごぼうが入っています。優しめの味で、塩麹が上にのって、ピリッと全体を引き締めています。

 太田さん推奨どおりのいいお店でした。ただし、混んでいて、テレビで映った2Fではなく、3Fに通されたので、マスターには会えず、それだけが心残りでした。

                     


スティーブン・フリアーズ監督「あなたを抱きしめる日まで」(2013年、イギリス他合作、98分)

2014-03-27 18:45:02 | 映画

              

 「MOVIXさいたま」で、標記の映画を観ました。


 ストーリーは以下のとおりです。

 1952年、アイルランド。18歳のフィロミナは未婚の母となり、家を出され、修道院に男の子アンソニーとともに入れられます。そこは表向きの博愛精神は名ばかりの、ところ。子どもとは会う時間は一日、一時間。強制労働が行われている非人間的な組織でした。3歳の息子は母であるフィロミナと引き離され、金銭と引き換えに、アメリカの資産家のもとに養子として引き渡されます。

 フィロミナは50年たって、そのことを娘のジェーンに話します。ジェーンはその話しを、ジャーナリストのマーティン・シックススミスに伝えます。彼はBBCのお払い箱になった元記者でした。そこからフィロミナとマーティンとの、息子アンソニー探しになります。ふたりはアメリカに渡りますが、手掛かりになるものがありません。ところが、話しは意外な展開となります。

 実際にあった話しのようで、マーティン・シックススミスのノンフィクションによります。原題は"Fhilomina"、主人公の名前です。「あなたを抱きしめる日まで」と比べると、何ともそっけないですね。外国の映画はそういうものが多いです。主演のフィロミナに字名優ジュディ・デンチ、マーティンにスティーブ・クーガン。

 イギリスの映画はしっかり7安定して、わかりやすく、好きです。深刻なストーリーですが、ユーモアもあります。


「川瀬巴水展-郷愁の日本風景-」(於:横浜高島屋ギャラリー)

2014-03-26 18:43:52 | 美術(絵画)/写真

                  

 「川瀬巴水展-郷愁の日本風景-」が高島屋横浜店で開催中です。ここに回ってくる前は、千葉で開催されていましたが、千葉ではやや遠く、横浜に来るまで待っていました。NHK日曜美術館で紹介があったので、以前から、関心がありました。


 川瀬巴水(1883-1957)は、大正から昭和にかけて活躍した著名な版画家です。(著名と言っても、わたしはNHKの番組で紹介されるまで知りませんでしたが)

 巴水は幼少から絵が好きで、画家の途を志しましたが、本格的に取り組んだのは27歳ごろです。伊藤深水が手掛けていた作品に接して、木版画に開眼、1917年(大正7年)のことです。

 以来、日本のあちこちを旅し、スケッチし、東京に戻って版画を彫ることを繰り返しました。また、東京に風景を多く残しました。震災のおりには、増上寺で世話になったということで、このお寺には特別の思い入れがあるようです。

 一時は、関東大震災で、200冊前後のスケッチ帖を失い、落胆のどん底にありましたが、擦り師の渡辺庄三郎に励まされ再起しました。

 あのスティーブ・ジョーズも、川瀬の作品をコレクションしていたようです。


 落ち着いた、いまではもう過去のものとなった日本の風景が、巴水の画には投影されています。わたしは、「鎌倉大仏」「芝増上寺」が好きです。絶筆となった「平泉金色堂」も印象的でした。会場では、巴水の画業を紹介するビデオが流されていて、この画家の素顔がよくわかりました。大変、多くの人が観に来ていました。

  この川瀬展と併設で、石渡江逸版画展もあります。石渡江逸が、川瀬巴水の弟子です。画風が似ていますが、「師譲りの薄暮の郷愁を受け継ぎ、風景を情緒豊かに」描いています。


西山荘(茨城県常陸太田市新宿町590)

2014-03-18 21:42:25 | 旅行/温泉

 偕楽園に行く途中で、西山荘に寄りました。ここは、幕府から隠居を許された二代藩主光圀が、自ら水戸城の北に位置する隠居の地として定めた場所です。光圀が亡くなる元禄13年(1700年)までの10年間を過ごしました。正式には西山荘ですが、「西山御殿」と呼ばれ親しまれました。

 光圀は、ここで「大日本史」の編纂を行いました。華美をきらった光圀は、隠居の際に、わずかの身の回りのものと、修史編纂事業に必要な書物を持ち込みました。領民たちと親しく交流しながら、大日本史の編纂に情熱をそそぎ、73歳でなくなりました。

 西山荘は光圀なきあとも歴代藩主によって保存されましたが、文化14年(1817年)に野火により消失。現在の建物は、8代藩主によって規模を縮小して再建されたものです。

 先の3・11東北大地震で、建物がかなり傷んだようで、ホロがかぶった修復中の場所がありました。残念でしたが致し方ありません。それでも、周囲の環境を含め、落ち着いた風情のある、風光明媚な場所でした。花の咲くころ、紅葉の時期は、すばらしいようです。

   


偕楽園(好文亭) 茨城県水戸市常盤町1-3-3

2014-03-17 21:29:19 | 旅行/温泉

 偕楽園に行ってきました。私の住んでいる蓮田市からは、車で3時間弱でしょうか。晴れていたとはいえ、まだ肌寒い一日でした。

 千波湖の傍にあります。観光客がかなり出ていました。
 
 偕楽園の第一印象は、その広大さです(13ヘクタール)。金沢の兼六園、岡山の後楽園とともに、日本三大公園といわれるのも当然です。天保13年(1842年)に水戸藩第9代藩主、徳川斉昭によって造園されました。斉昭は七面山を切り開き、領内の民とともに楽しめる場所と、「偕楽園」と名付けたそうです。

 園内には100品種、3000本の梅があります。梅は3分咲でした。

 ここには、好文亭というところがあります。斉昭が休憩所としてたてました。素剛優雅です。ここに文人墨客や家臣、領内の人びとをあつめ、詩歌や慰安の会を催したといわれています。この名前は、梅の異名「好文木」に由来します。なかに入りましたが、部屋の数が多く、廊下もながく、とくに3階の楽寿楼からの千波湖、田鶴鳴梅林などの眺めが素敵です。

     


右遠俊郎『明治の碁-本因坊秀栄の生涯-』本の泉社、2002年

2014-03-16 22:08:21 | 小説

                 

 本因坊は、現在は囲碁の本因坊戦に優勝した棋士に与えられる称号であるが、もともとは碁の家元の一つ。安土桃山から江戸時代初期にかけて、織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の3人に仕えた本因坊算砂が開祖である。


 本書は、その系譜上にいる秀栄の生涯を小説のかたちにしたもの。江戸時代からの囲碁の変遷もわかる。御城碁というものがあり、駿府城家康公御前での対局があったらしく(その最初の対局は1626年の中村道と安井算哲)、それが文久二年(1862)に中止になったあたりからこの小説は始まる。

 幕末の混乱期、御城碁を打てなかった秀甫と秀栄。秀甫は秀策なきあと本因坊家の第1の実力者であったが、丈和未亡人の反対で、本因坊家の跡目になれなかった。秀栄は第14世本因坊秀和の第二子として嘉永5年(1852)生まれた。5人兄弟で秀栄はその2番目(秀悦、秀栄、秀元の3人は本因坊を相続している)。秀栄は林家の養子となったが、兄秀悦の発狂後、本因坊家の跡継ぎになった。秀甫と秀栄の両者の確執を通して、また旧家元(当時、碁の宗家は、本因坊、井上、安井、林が4家元として存在した)と新興勢力「方円社」との確執とともに、当時の囲碁事情が面白く描かれている。

 「虚飾を排し、金銭に冷淡であった秀栄。権力に進んで迎合しようとしなかった代わりに、権力に反逆もしなかった清廉な碁士。財力に対しても小さく反抗し、分相応に寄生し、二つの戦争を乗りこえ、上昇する資本主義の流れに浮かび、囲碁会の高峰を極めた。本因坊秀栄、偉大な明治の典型的な碁士であった」(p.150)。明治40年2月10日没。

 『囲碁クラブ』<1968年7月号~1969年6月号)連載。

 巻末に、秀栄最後の対局(先:田村保寿6段)棋譜。[明治37年10月15日、於:麹町有楽町三井集会所]160手白中押し勝。


山田洋次監督「小さいおうち」138分、2014年

2014-03-12 22:02:57 | 映画

          
 原作は、同名の中島京子さんの小説。中島さんは、この作品で第143回直木賞を受賞しています。


 戦前の東京山の手に住む中流家庭で女中として働くタキ。その過去を自叙伝にまとめようとする布宮タキ(倍賞千恵子)は、今は老いて1人暮らし。甥の健史(妻夫木聡)が時々訪れてタキの書き綴る自叙伝に眼をとおしいくる。ふたりの間では、信頼あふれる会話が交わされる。

 1930年代だろうか。2・26事件などがあった、近衛内閣の頃である。

 
タキ(黒木華)は、山形の米沢から、東京の小説家(妻が叔母)の家に奉公に出てくる。この頃の山の手の中流家庭には、女中さんがいることが多かった。タキはそこにしばらくいた後、平井という玩具会社の常務の家で働くことになる。主は雅樹(片岡孝太郎)、その妻は時子(松たか子)、小さな恭一という男の子がひとり。赤い三角屋根の家だった。

 タキはこの平井家でかいがいしく働く。時子にあこがれ、恭一に優しく、奉公の身でありながら、家族の一員同様の生活。

 シナ事変の頃。男どもは集まると事業と戦争の話ばかり。飲みの席には、20代後半の若い青年で雅樹の部下である板倉正治(吉岡秀隆)が時々くわわっていたが、彼は芸術肌の人間で、そいう話が嫌でたまらなかった。

 ある大嵐(台風?)の一夜。びしょ濡れになった板倉は、会社から平井家にかけつけ、雅樹が嵐で足止めされ、帰宅できなくなったことを伝える。おりしも強い風雨で、家の窓はあおられ、補強することが必要に。板倉は暴風雨のなか、窓を補強する大工仕事にとりくむ。強い風雨は長く続き、板倉も帰宅が困難になり、平井家にとまることに。

 この頃から、板倉と時子との間に、ただならぬ男女の関係が芽生えてきた。何も知らない夫、雅樹は、板倉に見合いを勧める。優柔不断な板倉に対し、雅樹はごうをにやし、その役を妻の時子に強要する。板倉の下宿に足しげく通うようになる時子だったが、実際にはそのことが利用されて不義の密通が深まっていくのだった。関係をしったのは、女中のタキだった。その危うい関係を誰にも相談できず、ただならぬ関係にただただおろおろし、泣き出すタキ。

 迫りくる軍靴の音は、市井の人々には、そうはっきりと聞こえてこない。

 山田監督の映画作りは、いつも役者によりそって丁寧だ。カットにも工夫がいっぱいだ。映画「オーケストラの少女」のストコフスキーの話題がでてきたり、「風と共に去りぬ」の小説本がさりげなくおかれていたり、わたしの家にもあった、洗濯物のアイロンかけに使う霧吹きが使われていたり。

 黒木華さんは、この映画の布宮タキ役で、第64回ベルリン映画祭最優秀(銀熊)女優賞


 役者も豪華で、みな好演。人間臭さがあふれている。 松たか子さんが光っている。

               


早稲田大学交響楽団定期演奏会(第194回) 於:東京芸術劇場・大ホール

2014-03-09 21:52:00 | 音楽/CDの紹介

                               
     
 早稲田大学交響楽団定期演奏会(第194回)が東京芸術劇場であり、聴いてきました。


 演奏曲はブラームス・シリーズ、指揮は寺岡清高さんです。

・大学祝典序曲
・交響曲3番
・交響曲2番

 わたしは、これらのうち、交響曲2番が好きです。想い出があります。学生時代に札幌にある交響楽団がこの演奏曲をもってきて行きたかったのですが、お金がなく、LPレコードで我慢しました。自分のこずかいで買ったレコードとしては初期のもので、何度も聴いた覚えがあえります。指揮者は、最近亡くなった、クラウディオ・アバドでした。この曲を聴くとどうしても、気持ちはその当時へ飛んでいくのです。

 ワセオケの演奏はいつも、音に厚みがあります。弦楽器に達者な人が多いです。コントラバスに10人いました。金管楽器は、音出しが難しいですね。ピタッと決まらず不安定なことがよくあります。音が大きいだけに、、ミスはゆるされず、ごまかしがききません。

 重厚なブラームスを存分に味わって、帰途につきました。

 ワセオケは、2013年に100周年を迎え、新しいミレニアムに向かってスタートしました。


東谷暁『経済学者の栄光と敗北-ケインズからクルーグマンまで14人の物語-』朝日新書、2013年

2014-03-08 22:11:34 | 経済/経営

                         

  経済学説史の本となると、決まったパターンがあって、ケネー、スミス、リカードからはじめて一方でマルクスへ、他方でマーシャル、ピグー、そしていろいろあってケインズで終わるものが多い。ケインズ以降は、モノグラフ的にフリードマン、サプライサイダーなどが扱われるが、つながりがよくわからないまま学説史の趣はなくなってくる。

  しかし、この本は、ケインズからはじまって現代にいたる経済学の学説史であって、よくもわるくもケインズが起点になって、系譜がみとおせる。ありがたい本である。

  ケインズから、サミュエルソン、ガルブレイス、ミンスキー、フリードマン、ベッカー、ボズナー、ルーカス、ハイエク、ポランニー、ドラッカー、クルーグマン、シラー、スティグリッツと続く。どの経済学者にも、生まれ、学歴、学問上の系譜、理論の概要がコンパクトに叙述されている。

  要点が冒頭に掲げられているのもよい。たとえば、サミュエルソンについては、「サミュエルソンは大学院時代にケインズ経済学に出会い、アメリカを代表するケインズ経済学者となるが、彼の経済学の根底にあったのは新古典派の経済学だった。やがて、インフレと不況の同時進行とシカゴ学派の台頭によって、主導的地位を奪われることになる」とある。ミンスキーについては、「ケインズ経済学と新古典派の結合が進むなか、ミンスキーはケインズ経済学の核心である金融の不安定性と不確実性を繰り返し指摘し続けた。彼は政策を提言するよりは資本主義の脆弱性を強調したが、その主張は最近まで傍流にとどまっていた」とある。

  現代の経済学の潮流を俯瞰するには便利な本である。


少林山達磨寺(高崎市鼻高町296)

2014-03-03 22:18:02 | 旅行/温泉

    

 草津温泉からの帰りに、高崎にある少林山達磨寺に寄りました。高崎は、達磨の人形で有名です。そして、この寺は高崎達磨、発祥の寺です。眉に鶴、髭に亀がイメージされています。


 受験に合格したとき、選挙で当選したときに、願いをかけて、書き込んだひとつの眼にくわえて、もうひとつの眼を書き込むということはよく知られています。

 毎年、1月6-7日には、「七草大祭だるま市」がこのお寺を中心に開催され、300店舗ほどがお店を開くとききました。大変な賑わいで、おまわりさんの交通整理が出動するのだそうです。

 なんといっても、ここは本堂にいくまでに、長い急な階段をのぼっていきます。迂回の道もありますが、どの程度、体力があるかを自己確認する意味でも、階段を一歩一歩のぼっていくことを勧めます。

 だるまはお寺の近くのお店で販売されています。あたりまえですが、いろいろなサイズのだるまが、ところせましと並んでいます。奥に工房があり、のぞくと職人がつくっていました。以前は、工房のなかにはいれたそうですが、観光客とトラブルがあって、いまは入れませんでした。遠くからのぞき込むだけです。

 特別のだるまにはその背中に、自分の名前を書き込んでくれます。30分ほど見物しました。

 


草津温泉(湯畑)

2014-03-02 23:07:34 | 旅行/温泉

 1月中旬に、草津温泉に行ってきました。ここは2回目の訪問です。

 泊まった旅館は「高松」というところ。草津温泉の中心にある「湯畑」まで4ー5分です。旅館についてすぐに、4時ころ、それから夕食後、8時ころにもう一回、「湯畑」に行きました。いかにも温泉らしい雰囲気です。とくに、夜は空気がぐんと冷えているせいか、もうもうたる湯気がたちのぼっています。また、ライトが綺麗についていて、これはかつて来た時にはなかったような・・・。観光客が三々五々、散歩していて、この風情も温泉ならではです。

 「高松」の温泉もよかったです。冷えた体にやや熱めのお湯。ジンジンと刺す様な感じで、芯からあったまってきます。久しぶりに、リラックスできた温泉旅行でした。