【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲(by 長谷川陽子)

2009-05-11 00:29:40 | 音楽/CDの紹介

長谷川陽子『ドヴォルザーク&シューマン チェロ協奏曲』 VICC-60654
    (マルチェロ・ロタ指揮、チェコナショナル交響楽団との共演)

 GWにはこのCDのドヴォルザークのチェロ協奏曲ばかり聴いていました。大学生時代にたぶん初めて聴いて以来、好きな曲です。

 1894年から翌年にかけて書かれ、ハイドン、シューマンのそれとともに「3大チェロ協奏曲」と言われています。
 この曲の第一楽章はクラリネットの主題から始まります。ナイアガラのインスピレーションをもとに書かれました。展開部にチェロが全くでてきません。カデンツァもなく、変則的です。

 第二楽章はドヴォルザークらしいノスタルジックな曲想です。独奏チェロがクラリネットの主題を引き継ぎます。

 第三楽章は民族色豊かで、前楽章の主題の回想がなされ、クライマックスは荘大です。

<シューマン>
1. チェロ協奏曲 イ短調 Op.129 第1楽章:あまり速すぎないように
2. チェロ協奏曲 イ短調 Op.129 第2楽章:ゆるやかに
3. チェロ協奏曲 イ短調 Op.129 第3楽章:きわめて溌剌と

<ドヴォルザーク>
4. 森の静けさ B.182

<ドヴォルザーク>
5. チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104 第1楽章:アレグロ
6. チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104 第2楽章:アダージョ,マ・ノン・トロッポ
7. チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104 第3楽章:フィナーレ:アレグロ・モデラート

       

 


大江健三郎氏が20代前半の書いた小説世界

2009-05-10 00:24:37 | 小説
大江健三郎『死者の奢り・飼育』新潮文庫、1958年
            
死者の奢り・飼育 (新潮文庫)
 「死者の奢り」「飼育」「他人の足」「人間の羊」「不意の唖」「戦いの今日」の6編が収められています。

 まだ、わたしが高校生だった頃、大江健三郎氏の小説にかぶれていました。あれから久しぶりに読んだわけですが、ディテールを忘却していたり、かつて受けた印象が異なる部分も多々ありました。

 「飼育」では、戦時中、山村に墜落した飛行機から落下傘で脱出したものの村民に捕えられた黒人兵士と村民(とくに子どもたち)との交流(最後は悲惨な結末)が描かれています。黒人兵士は地下倉庫に閉じ込められ、村民にいわば「飼育」されます。今回の再読では地下倉庫と外界との境界である「明かりとり」という用語が多様されていることに気づきました。

 「死者の奢り」に登場するのは、大学病院の水槽に解剖実習用として使われる死体の搬送に関わったアルバイト学生(わたし)と女子学生、そしてそれを監督する管理人。アルバイトの内容に手違い(死体を新しい水槽に移すことではなく、焼き場に運搬することだった)があったという顛末のことは失念していました。

 「人間の羊」は、バスの中で外国兵に脅されて猥雑な行為を受けた学生が、傍観者である教員からこの事件を訴えて出るように執拗にそそのかされ、屈辱的な状況に追い込まれる話です。

 その他、脊椎カリエス療養所のなかの人間関係を描いた「他人の足」にしても、また山村にジープで入ってきた外国人兵士の通訳が自身の盗まれた(らしい)靴をめぐって逆上し、最後は死にいたるという奇妙なストーリーの「不意の唖」にしても、さらに朝鮮戦争の最中、気軽な気持ちで始めた反戦活動が菊栄という娼婦と関係のある若い外国人兵士の脱走を幇助するはめになり思わぬ結末に帰結する「戦いの今日」にしても、特異な状況下での人間の心理と行動とが、独特の文体で独特の世界と描出されています。

 20代前半の青年によって書かれた小説とは思えない独特の文学世界です。

国宝 阿修羅展-興福寺創建1300年記念-

2009-05-09 00:22:45 | イベント(祭り・展示会・催事)
国宝 阿修羅展

 『国宝 阿修羅展-興福寺創建1300年記念-』東京国立博物館・平成館
                           2009年3月31日~6月7日

 東京国立博物館・平成館で『国宝 阿修羅展-興福寺創建1300年記念-』が開催されています。連日大入りで、4月末時点で開館一か月の入館者が30万人を超えました。

 興福寺創建1300年を記念して消失した中金堂の再建が計画されていて、その記念でもあります。

 何と言っても人気は阿修羅像でその周りは人だかりです。ライトの演出がほどよく、阿修羅の表情はおだやかで、少しばかり頬には赤みがさしていました。1メートル30cmくらいの細身です。360度どこからでも見えるようにステージがしつらえてあります。東京では何とほぼ半世紀ぶりのお目見えです。

 会場は4つに分かれ、第1章「興福寺創建と中金堂壇具」、第2章「国宝阿修羅とその世界」、第3章「中金堂再建と仏像」、第4章「バーチャルリアリティ映像『よみがえる興福寺中金堂』『阿修羅像』」となっています。

 圧巻は第2章です。上記の阿修羅像の他、八部衆、十大弟子像、華原磬(かげんけい)です。八部衆(迦楼羅[かるら]、乾闥婆[けんだっぱ]、沙羯羅[さから]、緊那羅[きんなら]、五部浄[ごぶじょう]、鳩槃茶[くばんだ]、畢婆迦羅[ひばから]は、仏教を守護する「天」です。もともとはインドの神で、仏教に取り入れられ守護神となりました。十大弟子像は、釈迦にしたがった十人の高僧(舎利弗[しゃりはつ]、目犍連[もくけんれん]、大迦葉[だいかしょう]、須菩提[すぼだい]、富楼那[ふるな]、迦旃延[かせんえん]、阿那律[あなりつ]、優婆離[うばり]、羅睺羅[らごら]、多聞[たもん])です。

 これらのうち興福寺には14体が伝存しています。これらが一同にそろったのが今回の展示会ですが、4月21日以降は11体です

 華原磬は、光明皇后天平6年(734)に亡き母、橘三千代の一周忌供養のために造ったものです。たたくと音が出て、これはイヤホンでは聞けました。

 3メートルくらいもある薬王、薬上の2体の菩薩像、安土桃山時代の作とわかった波羅門立像、阿修羅像を発願した光明皇后の母が日頃拝んでいたといわれる銅製の阿弥陀三尊像が出展されていることも素晴らしいです。往時の雅の世界が偲ばれます。とにかく国宝、重要文化財がずらりです。

 興福寺は平城京遷都とともに710年に造営されました。工事の無事と建物の安泰を願って、金銀、真珠、水晶などで作られた多くの工芸品が埋められました。それらが明治3年(1874年)と17年(1884年)に中金堂基壇の須弥壇中から1400点あまりの遺物が出土し、平成13年(2001年)の中金堂の発掘調査でも創建時の鎮壇具と考えられる遺物が出てきたとか。そのうちの何点かの工芸品(水晶念珠、銀匙など)が展示されています。

 なんども火災にあいながら、そのたびに仏像が火災から救われ、いまわたしたちの前にあることを思うと、ジーンときます。

             
 

女性作曲家はたくさんいる!

2009-05-08 00:12:42 | 音楽/CDの紹介
小林緑編著『女性作曲家列伝』平凡社、1999年
     
             

 クラシックのことはそれなりに知っているほうと自負していましたが、女性の作曲家をあげよと問われたら、名前は出てきません。「ほとんどいないのではないか」、と答えそうです。

 ところが本書でも再三紹介されていますが、アーロン・コーエン編『国際女性作曲家事典』には約6000人の名前が出ているそうです。わたしの知識が貧しかったということになるのですが、これは実はひとりわたしだけの問題ではなさそうです(著者自身も最初はわたしのように考えていたようです)。

 問題はもっと深刻で、そもそも女性は作曲の能力に欠けているという認識がかなり一般的なっていたり、あるいは女性作曲家が歴史的に不当な扱いを受けてきたということが知られていないのです。芸術の世界のジェンダー不平等度は、想像以上のものがあります。

 本書はこうした事態を重く見た編著者たちが西欧と日本の作曲家をとりあげ、紹介し、女性が男性に作曲能力で何ら劣っていないこと、女性作曲家によるすぐれた作品が歴史のなかに埋もれてしまったのは理不尽な女性差別、男性の嫉妬、また女性自身に刷り込まれた「あるべき女性像」への依存によるものだ、ということを実証しています。

 論じられている女性作曲家は次のとおりです(朱筆はわたしがその名前を知っていた人)。
 ①バルバラ・ストロッツィ(1619-1677)、②エリザベート=クロード・ジャケ=ド・ラ・ゲール(1665-1729)、③マリアンネ・マルティネス(1744-1812)、④ルイーズ・デュモン=ファランク(1804-1875)、⑤ファニー・メンデルスゾーン=ヘンデル(1805-1847)、⑥クララ・ヴィーク=シューマン(1819-1896)、⑦ポリーヌ・ガルシア=ヴァイアルド(1821-1910)、⑧オヂュスタ・オルメス(1847-1903)、⑨アガーテ・バッケル=グレンダール(1847-1907)、⑩エセル・スマイス(1858-1944)、⑪セシル・シャミナード(1857-1944)、⑫エイミー・チェニー=ビーチ(1867-1944)、⑬アルマ・シントラー=マーラー(1879-1964)、⑭ジェルメーヌ・タイユフェール(1892-1983)、⑮リリ・ブランジェ(1893-1918)。

 日本では、幸田延(1870-1946)、松島彜(1890-1985)、金井喜久子(1906-1986)、吉田隆子(1910-1956)、外山道子(1913-2006)、渡鏡子(1916-1974)が紹介されています。

 編者の小林さん自身は女性にも作曲ができるのだと分かったのが1993年頃で、それから開眼し、女性作曲家の発掘にとりかかり、本書を編んだと書いています。

 巻末に現代の日本の女性作曲家である藤家渓子と編者との対談が載っています。

ブログコンセプト④ 本の評価と紹介

2009-05-07 10:03:22 | その他
ブログコンセプト④ 本の評価と紹介

 本ブログでは、本、映画などを多数、紹介していますが、いくつか決めていることがあります。なかでも、一番に心がけているのは、どの本にも、映画にも、難点を書かないことです。読書をすれば、映画を鑑賞すれば当然、自分の意見、評価がでてきます(わたしの知らない分野に話には評価は甘いかもしれません。よく知っている分野のテーマには辛口の評価をしがちです)。しかし、それらは心にしまってあります。

 一番苦労するのは、わたしと全く対極にある見解が表明されていたり、違う立場から書かれた本です。それらを批判を抜きに、肯定的に紹介すると同じ考え方と受け取られかねません。それはわたしの本意ではありません。

 実は、ブログのもとにあるエクセルの「読書ノート」、「映画鑑賞ノート」には、評価を五つ星で付けています。時間がたって振り返らなければならなくなったときの指針です。この部分は、ブログに転載しません。

 ブログに罵詈雑言、誹謗中傷は禁じ手、厳禁なのは言うまでもないことです。わたしはそのことに加えて、批判めいたことを書くこともしないようにしています。もし、それをするなら別のところで、です。

 そうではなく、読書なり映画鑑賞なりから学んだことだけを書くようにしています。あまり印象がよくなかった小説でも、いい所を引き出すようにして書いています。それゆえに、主張がないように受け取られる可能性はありますが、ブログはそれでいいと思っています。

都会のなかの静謐:根津美術館

2009-05-06 00:05:05 | 美術(絵画)/写真

東京散歩⑦ 根津美術館 港区南青山6-5-1  03-3400-2536

                            

                                                  ウィキペディアより
 根津美術館は、地下鉄銀座線、半蔵門線、千代田線のいずれかを利用して「表参道」で下車、A5の階段を出て右方向へ徒歩10分くらいです。数年前に初めて訪れました。新緑の見事な季節だったと記憶しています。そうです、ここは美術館の内容もさることながら庭園がすばらしいのです。(ただし、現在は大幅な改築で休館中です。今秋、10月7日に開館予定です)

 この美術館は見事な庭園をもっています。美術館の創設者根津青山翁(嘉一郎)が寄贈したもので、翁が明治39年にこの地をもとめてから数年がかりで造園しました。庭園には多くの木々はもとより、八ツ橋の池、茶室一樹庵、薬師堂、弘仁亭・無事庵、斑鳩庵・清渓亭などがあります。

 根津美術館は昭和15年に創立されました。蔵品は根津の東洋古美術のコレクションです。絵画、書、彫刻、陶磁、漆芸、金工、木竹工、染織などです。中国商周時代の青銅器もあります。

 翁自身が収集したものの他に、秋山コレクション、小林コレクションの寄贈もあり、良寛和尚の書、高麗・李朝の焼物、室町時代の水墨画も多数です。

 現在、蔵品は7千点あまり、そのうち7点が国宝(尾形光琳筆の燕子花図、鎌倉時代の那智瀧図など)、87点が重要文化財(室町時代の花白河蒔絵硯箱、鎌倉時代の落葉色紙、中国の商、周時代の壺など)、96点が重要美術品に指定されています。


田端文士村 当時の面影が彷彿と

2009-05-05 00:17:36 | 旅行/温泉

東京散歩⑥  田端文士村記念館 北区田端6-12 03-5685-5171

 田端文士村については、本ブログで昨年5月23日に紹介した近藤富枝『田端文士村』(中公文庫)があります。このあたり、今でも歩くと往時の面影が残っています。芥川龍之介が住んでいた家もあります。まずは、田端文士村記念館で全体的見取り図を頭に入れるとよいでしょう。

     田端文士村記念館

 JR田端駅を降て、北口を出るとすぐです。
 
 明治の中ごろ、田端界隈は雑木林と畑が広がる農村地帯でした。ところが、明治22年、上野に今の東京藝術大学の前身である東京美術学校が開校すると、若い芸術家がここ田端に集まり始めました。そして、明治末の田端は、さながら「芸術家村」のようになります。

 その後、大正3年に芥川龍之介、5年に室生犀星が田端に転入してき、萩原朔太郎、堀辰雄、菊池寛、中野重治が続きます。文士の往来が頻繁となり、大正から昭和にかけて、ここは「文士村」と呼ばれました。

 それを記念して建てられたのが、「田端文士村記念館」です。展示物はいろいろです。この記念館で想像力を温めて、近くを歩くとなかなか楽しい文学散歩になります。


 ・ 彫塑「板谷波山像」(吉田三郎作)
 ・ 芥川龍之介の書簡
 ・ 香取秀真の歌幅「上野山 祝新居歌」
 ・ 岩田専太郎の木版画{こゆき」
 ・ 田河水泡の色紙「のらくろ」
 ・ 野口雨情の書画  etc. 

  *今日で、鯉のぼりのテンプレートは終了です。

 


神楽坂路地裏のイタリア料理店

2009-05-04 00:49:32 | グルメ

Angela(アンジェラ) 新宿区岩戸町23番地 03-3260-6422
           http://www.angela-kagurazaka.com/

 有楽町線「飯田橋」で下車、神楽坂通りをあがって徒歩12-13分。東西線の「神楽坂」で下りれば5分くらいです。ただし、路地裏なのでわかりにくいですから、URLの地図で場所をあらかじめ探しておいたほうがよいです。4月20日に本ブログで
紹介した「風雅」の向いです。

神楽坂の古民家で味わう イタリア料理をご堪能下さい


 神楽坂の路地裏にある瀟洒な、もと民家のイタリアンのお店です。予約をしないとまず無理です。引き戸をガラガラとあけ、中に入ると20種ばかりのデリがまるで待ち受けていたように並んでいます。カポナータ、トリッパ、タコとセロリのマリネなどなど。

 席は少なく、テーブル4人掛け2席と2人掛け1席、10人も入ればいっぱいです。この日もやはり満席でした。予約をとっていったので座れました。

 民家を改築した、とありました。人の家にお客さんとして招かれたような感じです。もと縁側だったような席で小さな庭の見えるところに座りました。ローカウンターもあり、4席くらいあります。2階も使えるとかで、ここは5人以上のグループ用です。  

 ディナーはコースがいくつかあるので、その日の気分にあわせて選択してはいかがでしょうか? 手づくりのパンがきます。オリーブをつけて食べます。前菜、肉料理、魚料理、ドルチエなどなど。

 この日はビールから入って、ワインを一本あけ、最後にグラッパでしめました。    

「景気って何」に答えています

2009-05-03 00:06:19 | 経済/経営
岩田規久男『景気ってなんだろう(新書)』筑摩書房、2008年

       
           

 マクロ経済学者による景気動向把握の基礎理論と直近の日本経済のパフォーマンスが分かりやすく説明されています。読者は、経済が生き物であることを改めて実感させられるでしょう。

 啓蒙書ですが、いくつか特徴があります。ひとつ例をあげますと、インフレターゲット論を支持し、日本銀行がインフレ目標政策を採らないことを暗に批判しています(p.160)。インフレターゲット論支持の根拠は、主要国の1995-2005年までの平均成長率と平均インフレ率との相関をとって緩やかなインフレ策をとったニュージーランド、オーストラリア、アメリカ、カナダ、イギリスなどの国々が成長率も高かったのに、インフレ政策をとらなかった日本の成長率は低かったということで、専ら統計的な観測にもとめられています。

 現状分析は説得的です。例えば、近年の日本経済の成長が外需に依存し、それも従来ウエイトが高かったアメリカの比重がアジアにシフトしてきているということの指摘です。多くの論者も気のついている事実ですが、それを日本の輸出とアメリカのGDPとの相関、日本の輸出額と新興国のGDPとの相関をとって、前者では近年両者の関係が不安定になっていること、後者では逆に強まっていることを指摘するなど、統計データで細かい説明を行っています(pp.70-77)。

 また、従来ある程度対応がついていた景気拡張期の実質賃金上昇率と実質経済成長率との関係が、2002年ごろから曖昧になってきていることの指摘があります(p.108)。マクロの景気が回復しても、個々の会社や個人の景気はそれに対応しなくなったのです。その理由も丁寧に説明されています。

 第2章の標題が「設備投資は南極探検のようなものだ!」とあり何かと思いましたが、これはケインズが生きていた時代の南極探検が死を覚悟しなければできないことだったのですが、設備投資を行う今日の企業はそのような蛮勇気が必要だということの表現でした。了解しました。

原節子さんが輝いている「山の音」(成瀬巳喜男監督、1954年)

2009-05-02 00:18:59 | 映画
成瀬巳喜男監『山の音』、東宝 1954年、97分

              
山の音

 川端康成の同名の小説を水木洋子さんが脚本にし、成瀬監督が写真をとりました。

 原節子さんが輝いています。スターでしたが、演技が今ひとつなどと言う人もいますが、屈託のない姿、笑顔や不信の表情、目の細かな動きなど、いい演技です。

 節子さんの役は、尾形家の嫁、菊子。夫の修一は上原謙です。修一は父信吾(山村聡)と同じ会社に勤めていますが、池田という女性と不倫関係があり、菊子はそれにうすうす気がついていて、夫婦仲はぎくしゃくしています。家庭での修治の横柄な態度が目につきます。

 菊子は同居の舅の信吾、姑の保子(長岡輝子)によくつかえ、いいお嫁さんぶりです。義父はそういう菊子を、ことの他かわいがっています。菊枝のことを何かと心配し、目をかける義父の態度が修一を不機嫌にしているような風も見えます。

 修一には妹、房子がいて、相原家に嫁ぎ、子供もふたりいますが、この夫婦関係もよくなく、家を飛び出して実家に居候することがしばしば。中北千枝子さんが演じています。

 そんな難しい人間関係のなかで、菊子は甲斐がいしく、しかし夫とは生活をともにしてやっていけそうになく、子どもを孕みますが、結局、堕ろします。夫が外の女性と関係し、子どもまでつくってしまい、そのことで意を決しての行為でした。比較的従順だった菊子の強い意思をもった行動でした。しかし、義父に対しては尊敬もし、信頼もしているので 家を出ていくことには未練があります。この辺の複雑な感情を節子さんは見事に演じきっています。

 そして、菊子はとうとう・・・。

 原作はどちらかというと、義父のことを主に描いていたと記憶していましたが、この映画は菊子の原節子さんを中心に描きなおしているように思いました。

         山の音

本をどのように選ぶか?

2009-05-01 00:11:58 | その他
ブログ・コンセプト③  選書のルート

  読書のための本をどのように選ぶか? まずある本を読んでいい本だと、その本を書いた同じ著者のものを続けて読みます。以前、作家の乙川優三郎さんの小説を読んで、その見事な文体、独特の江戸情緒、描かれた市井の潤いに感嘆しました。その後、乙川さんの小説を続けて何冊も読みました。昨年は前半は田辺聖子さん、後半は吉村昭さんでした。このルートがひとつ。

 別のルートは、読書の達人の推薦書を参考にすることがあります。たくさん本を読んでいる人は、その蓄積された経験から珠玉の本を知っています。推薦された本は、確かな価値をもっています。ツヴァイクの『人類の星の時間』を教えてくれたFさん、大崎春生の『聖の青春』を読むきっかけを与えてくれたHさん、三島由紀夫の『裸体と衣装』を推薦してくれた方、もしそうした方がいなかったら出会わなかったであろう良書に接すると、人も本もいい出会いがいかに重要かを思い知らされます。

 3つ目のルートは、新聞、ラジオなどの読書案内です。新刊本は次々と出てきますので、新しいいい本を選択するにはこのルートが必要です。とかく読書は、その傾向が偏りがちであり、それは一方では全くかまわないことと思いつつ、しかしいろいろなジャンルに目を配ることを怠らないようにしています。種々の読書案内は、その要求を満たしてくれます。

 4つ目のルートは、図書館。図書館にはよく行きます。最初からある本を探す目的ででかけることもありますが、図書館で棚を目で追って見つけたいい本はたくさんあります。読書経験を積めば積むほど、こういうときの選球眼はよくなってきます。棚に並んでいる本のほうで、わたしに発信があります。

 最後は自分の選球眼です。本に関する情報は、ゴマンとあります。いい本を探すスイッチがONになっていると、まったく偶然の出会いに恵まれます。アンテナをいつも張っているわけです。このアンテナは、読書経験を積んでいくとドンドン研ぎ澄まされていきます。このアンテナは、読書をやめてしまったら、驚くほど速く錆びついていってしまいそうな予感があります。

 とまれかくまれ、一生で読むことのできる本は5000冊から7000冊ぐらい。となると、あまり無駄な読書は、もはやしたくありません。効果的に本をセレクトしたいとの気持ちは日々強まります。