6月の末広亭、下の席に、夜主任で、小三治登場ということで、聞きに行ってきた。11時前に着いたのだが、すでにたくさん並んでいた。前に並んでいた人たちが、なんでこんなに今日は人が多いのかなと言っていたので、今日は小三治が出るからですよと話すと、一人は仙台からきている人で、飛行機の予約の関係で、昼の部が終わったらすぐに出なければならないが、もう一人の方は、夕方帰るつもりでいたが、最後までいることにしたという。とにかく最初から最後までいられるので、たっぷり落語を聞くことが出来た。この日はトリで演じる演目がわかっていたかのように、他の人たちも幽霊話がいくつかあった気がする。小三治が演じるときは、二階席もびっしり埋まり、立ち見も出ていた。小三治は、まくらで、自分の笑い顔は苦手で、笑い顔の写真を撮りたくないという話から趣味の話になり、釣りの話に言及し、「野ざらし」。野ざらしは、上方では『骨釣り』という題名で演じられるが昭和50年代に月亭可朝がそのまま「野ざらし」の演題で東京風に演じたのをきっかけに上方でも浸透している。小三治も十八番にしているとのこと。
ある夜、長屋に住む八五郎の隣りから女の声が聞こえてくる。隣りに住むのは、堅物で有名な尾形清十郎という浪人。八五郎は、翌朝、浪人宅に突撃する。浪人はとぼけてみせるが、八五郎に「ノミで壁に穴開けて覗いた」と言われ、とうとう語り始める。浪人の話によると、向島で釣りをした時に野ざらしになった人骨を見つけ、手向けの句を詠み、回向の酒をかけてやったところ、何とその骨の幽霊がお礼に来てくれたというのだ。その話を聞いた八五郎、「自分も美人の幽霊と話がしたいから」と浪人から無理やり釣り道具を借りて向島へ行く。ほかの釣り客達に、「骨は釣れるか?新造か?年増か?」と質問して白い目で見られつつ良い場所へ陣取り、早速、骨釣りを始めた。「水をかき回すな」との苦情に。川面を思いっきりかき回したりと、八五郎の暴走は止まらない。だんだんと自分の妄想にはまり込んでいく。最後は、幽霊が来たシーンを一人芝居でやっているうちに、自分の鼻に釣り針を引っ掛けてしまった。「こんな物(釣り針)が付いてるからいけないんだよと、釣り針を川に放り込んでしまった。
小三治はこの話をよく取り上げるみたいであるが、初めて聞く。話自体、よく取り上げているので、聞く方も分かっていると思っているのか、マクラでほとんど言葉や関連の説明がないし、落ちも、分かりにくい所があった。それでも小三治が出てくると、超満員の客席がシーンとなり、何か言うと笑いの渦が巻き起こり、しぐさに可笑しさがある。八五郎の浮かれぶりもよく伝わってくる。笑いを無理にとろうとするのではなく、自然体に演じる妙味でもある。落語の面白さは、極端な思い込みの中で生まれてくる可笑しさでもある。自分たちも思い込んでしまうことがあるなと感じながら、他人ごとであるから笑いにつながるとも思える。
ある夜、長屋に住む八五郎の隣りから女の声が聞こえてくる。隣りに住むのは、堅物で有名な尾形清十郎という浪人。八五郎は、翌朝、浪人宅に突撃する。浪人はとぼけてみせるが、八五郎に「ノミで壁に穴開けて覗いた」と言われ、とうとう語り始める。浪人の話によると、向島で釣りをした時に野ざらしになった人骨を見つけ、手向けの句を詠み、回向の酒をかけてやったところ、何とその骨の幽霊がお礼に来てくれたというのだ。その話を聞いた八五郎、「自分も美人の幽霊と話がしたいから」と浪人から無理やり釣り道具を借りて向島へ行く。ほかの釣り客達に、「骨は釣れるか?新造か?年増か?」と質問して白い目で見られつつ良い場所へ陣取り、早速、骨釣りを始めた。「水をかき回すな」との苦情に。川面を思いっきりかき回したりと、八五郎の暴走は止まらない。だんだんと自分の妄想にはまり込んでいく。最後は、幽霊が来たシーンを一人芝居でやっているうちに、自分の鼻に釣り針を引っ掛けてしまった。「こんな物(釣り針)が付いてるからいけないんだよと、釣り針を川に放り込んでしまった。
小三治はこの話をよく取り上げるみたいであるが、初めて聞く。話自体、よく取り上げているので、聞く方も分かっていると思っているのか、マクラでほとんど言葉や関連の説明がないし、落ちも、分かりにくい所があった。それでも小三治が出てくると、超満員の客席がシーンとなり、何か言うと笑いの渦が巻き起こり、しぐさに可笑しさがある。八五郎の浮かれぶりもよく伝わってくる。笑いを無理にとろうとするのではなく、自然体に演じる妙味でもある。落語の面白さは、極端な思い込みの中で生まれてくる可笑しさでもある。自分たちも思い込んでしまうことがあるなと感じながら、他人ごとであるから笑いにつながるとも思える。