北山城跡から降りてくるときに、こんな墓碑を見ました。
1958年夏の甲子園、魚津高校はベスト8に進み投手村椿輝雄は準々決勝では徳島商業の板東英二と投げ合い0 - 0で延長18回引き分けとなりました。翌日再試合となり1 - 3で敗れました。魚津は敗れはしたものの、初出場でベスト8まで進出し「蜃気楼旋風」と呼ばれました。ときの魚津高校の監督が宮武さんでした。
私は、高校卒業して間もないころで、もちろん関西にいてこの実況をラジオで聴いて興奮していました。
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