おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ケープ・フィアー

2022-06-23 07:45:31 | 映画
「け」の三回目になります。
1回目は2019/5/14の「刑事ジョン・ブック/目撃者」からでした。
その後、「KT」「軽蔑」「刑務所の中」「激突!」「けんかえれじい」と数本の紹介でした。
2回目は2021/1/29の「敬愛なるベートーヴェン」から「警察日記」「刑事」「競輪上人行状記」「汚れなき悪戯」「ゲッタウェイ」「ケンタとジュンとカヨちゃんの国」「原爆の子」を紹介しています。
興味のある方はバックナンバーからご覧ください。

3回目になりますが、紹介本数は5~6本になりそうです。

「ケープ・フィアー」 1991年 アメリカ


監督 マーティン・スコセッシ
出演 ロバート・デ・ニーロ
   ニック・ノルティ
   ジェシカ・ラング
   ジュリエット・ルイス
   ジョー・ドン・ベイカー
   マーティン・バルサム

ストーリー
レイプ罪により14年間の獄中生活を終えたばかりのマックス・ケイディ(ロバート・デ・ニーロ)は、自分を敗訴に導いた弁護士サム・ボーデン(ニック・ノルティ)に対する復讐を誓い、サムばかりか妻のレイ(ジェシカ・ラング)や娘ダニエル(ジュリエット・ルイス)の前にも姿を現すようになった。
愛犬が殺され、サムの愛人ローリー(イレーナ・ダグラス)が襲われるが、マックスの犯行とは認められない。
ダニエルにマックスが接近したことを知ったサムは私立探偵カーセク(ジョー・ドン・ベイカー)を雇い、力づくでマックスを町から追い出そうとするが、鍛え抜かれた肉体を持つマックスには通用せず、逆に暴行罪で告訴されてしまう。
焦るサムは自宅にマックスをおびき寄せるが、またもや逆襲にあい、せっぱつまった一家は、夜、密かに町を離れハウスボートのあるケープ・フィアーへ向かった。
しかしマックスは、執拗に追い続け、岸を離れた一家を襲撃。
嵐の中、悪夢のような復讐劇が繰り広げられるが、一家は命からがら脱出に成功。


寸評
僕は1962年に公開された「恐怖の岬」を見ていないので、前作出演者が登場しているという面白さの一つを味わうことはできず、彼等は単なる出演者の一人にすぎなかった。
彼等の変化とは、オリジナル版で主人公の弁護士役だったグレゴリー・ペックが犯人の弁護士を演じ、犯人役だったロバート・ミッチャムが主人公の友人の警部また、主人公の友人の警察署長役だったマーティン・バルサムが犯人に有利な採決を下す裁判官役というひねりの効いた役で出演していることであるが、僕には特別出演しているとしか思えなくて、知ってみるとちょっと損した気持ちになる。

兎に角、ロバート・デ・ニーロが際立っている。
彼が演じるマックス・ケイディはこの手の作品の常識と言える異常性格者だ。
凶悪な暴行魔で、鍛え上げられた体中に意味ありげな言葉を含めたタトゥを入れている。
14年間服役したことで妻からは縁を切られ、娘には死んだことにされている。
元は無学文盲だったようだが、服役中にそれを克服し教養を身に着けている。
彼は残忍な殺人を繰り返す連続犯ではなく、心理的に復讐の相手であるサムを追い詰めていく。
サムや家族の前への登場の仕方が不気味だ。
妻のリーが可愛がっている犬を毒殺するシーンはないが、娘のダニエルに近づく様は異常性格者そのもの。
恐怖で追い込まれるサム一家だが、逆恨みする異常犯罪者と善良なか弱き弁護士一家という単純図式でない所が、この映画を成り立たせている。
サムは被告から弁護を引き受けながら、レイプ犯罪を憎むあまり、被害者にも問題があった事をもみ消している。
おまけに同僚のローリーと不倫をしているという影の部分を持っている。
家庭は平穏ように見えるが欺瞞に満ちている。
特に娘のダニエルは両親の不仲に辟易しており、情緒不安定になっている。
演劇に興味があり、読書家でもあるようなのだが退学寸前にまで追い込まれている問題児でもある。
そんなことから、サムの一家は一歩間違えば家庭崩壊が起きる危険性が潜んでいる家族だ。
そのダニエルを演じたジュリエット・ルイスが不思議な雰囲気を出している。
15歳の高校生という設定なのだが、家庭に対する不満を秘めているという姿、またマックスに言い寄られて彼の指をなめるエロチックな表情が、大人なのか子供なのか分からない思春期の女の子を怪しく表現できている。

サムはマックスの見張りを依頼した私立探偵のカーセクからマックスの襲撃を持ちかけられるが、当初はそれは犯罪で法を守る側の自分は承知できないと拒否している。
しかし徐々に追い込まれて行き、ついには襲撃を承認し、その現場を見届けようとしている。
本来なら嫌悪されるべき立場のマックスが一方的に悪という側でなく、善であるべきはずのサムにも嫌悪すべきところがあり、この二重構造をいかに処理するかが演出家としての腕の見せ所だったと思うのだが、完全に成功したとは言い難いものを感じる。
こんな単純な形で家族がまとまるなんて都合がよすぎるし、異常犯罪者としてマックスは「羊たちの沈黙」のレクター博士ほどの強烈な印象を残せなかったと思う。
それは監督であるマーティン・スコセッシの責任だと思う(期待していたんだけどなあ)。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿