おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

レナードの朝

2024-03-30 09:13:02 | 映画
「レナードの朝」 1990年 アメリカ


監督 ペニー・マーシャル
出演 ロバート・デ・ニーロ ロビン・ウィリアムズ
   ジュリー・カヴナー ルース・ネルソン
   ジョン・ハード ペネロープ・アン・ミラー

ストーリー
1969年、ブロンクスにある慢性神経病患者専門のベインブリッジ病院に赴任してきたマルコム・セイヤーは無口で風変わりな男だったが、患者に対する態度は真剣で、彼らが話すことも動くこともできないものの、まだ反射神経だけは残っていることを発見すると、訓練によって患者たちに生気を取り戻すことに成功し、その熱意は治療をあきらめかけていた看護婦のエレノアの心をさえ動かしていった。
そんなセイヤーの患者の中でも最も重症なのがレナード・ロウだった。
彼は11歳の時発病し、30年前にこの病院に入院して以来、意識だけはあるものの半昏睡状態で寝たきりの生活なのである。
何とか彼を救おうとしたセイヤーはまだ公式に認められていないパーキンソン氏病患者用のLドーパを使ってレナードの機能回復を試みたところ、ある朝ついにレナードはめざめを迎えた。
ベッドから起き上がり、セイヤーに連れられて30年ぶりに街に出たレナードには見るものすべてが驚きだった。
その効果に意を強くしたセイヤーは上司に他の患者にも新薬を使うことを申し出て、病院のスタッフの協力によって投薬が始まった。
そしてある夜のこと、セイヤーはベッドから次々と起き上がる患者たちの姿を見るのだった。
一方、完全に機能を回復したレナードだったが、彼が病院に見舞いにきたポーラに生まれて初めての恋をしたことから問題が起こる。
1人だけで外出したいというレナードに医師団は反対し、それに反発したレナードは怒りからか、再び病状の悪化が始まってしまい、しだいに狂暴になるレナードをセイヤーですら押さえ切れなくなる。
そして、ついにレナードを始め、目覚めた患者たちは、すべて元の状態に戻ってしまう。
自分のしたことは間違いだったのだろうかと悩むセイヤーにエレノアは優しい言葉を投げかけるのだった。


寸評
友情、遊び、家族といったものの大切さを常に実感しているわけではないが、世界中の皆がそれを実感したならば戦争もテロも起きないだろう。
レナードは30年間も無表情で固まっていた人間だが、意識が戻った時にその素晴らしさを体感する。
体は大人だが時間は30年間も止まったままだったという彼はポーラと言う女性に恋をする。
レナードと同じように時間が止まってしまっていたような母親はレナードが心の成長を遂げていたことに気がつかずレナードの恋に戸惑ってしまうのだが、長い年月を思わせるいいシーンだった。
感動するのはそのポーラとレナードがダンスをするシーン。
病気が再発しポーラに別れの挨拶をするために会ったのだが、ポーラとダンスをすることで心が落ち着いたのか、それまでの発作が和らぎ、レナードは実に幸せそうな笑顔を見せ、反してポーラは一筋の涙を流す。
僕が泣いてしまったシーンだ。

患者たちはパーキンソン病の重症患者なのだろうか、無表情で石のように固まったままである。
ルーシーと言う老婆の表情に驚かされ、俳優と言う職業はすごいと思わされる。
もちろん主演のロバート・デ・ニーロは期待を裏切らない演技である。
デ・ニーロは非情に難しい役柄ながらも、彼にしかできないであろう見事な演技を見せている。
当初は言葉を発せず固まったままの姿である。
やがて目覚めて行き、そして再び発病した時の様子などは、これぞデ・ニーロと呼ばしめるものである。
こうなってくると、観客である僕はレナードという人物よりも、デ・ニーロの演技に注目してしまっていた。
デ・ニーロの怪演に押され気味だが、ウィリアムズは自らのキャラクターを存分に生かして、患者に寄り添う優しい医者を好演している。
彼はもともと研究者で臨床医ではないのだが、ミミズ相手に何年も研究を続け、そこからの薬品抽出は不可能であるとの結論を導き出したという変わった男である。
地道な彼は病気に対する過去の発表を発見し、その教授の絶望的な意見を聞くが諦めない。
パーキンソン病患者用で効くかどうかわからないLドーパミンの投与を試してみる。
その効果がレナードに現れたので他の患者にも試すことになる。
資金のない病院に看護師たちが小切手を差し出す場面も感動を呼ぶ。
そして、寝たきりだった患者たちが次々に起き上がる場面には否応なしに感動を覚える。
このシーンが事実であったとは思えないが、患者たちが次々と回復を見せたのは事実なのだろう。

レナードは普通の人間として蘇りポーラに恋をしたのだが、そのことで普通の人間のように自らだけでの自由を欲するようになり、一人での散歩を要求するが拒絶される。
それを契機としてレナードは症状が悪化してしまう。
「無意識の様でも意識の中ではわかっているのだ」とポーラに語っていたレナードなので、セイヤー医師が落としていったメガネを修理するのは、彼の中に信頼を寄せる気持ちが健在だったということだろう。
それでも最後は切なくて、その切なさを補うようにラストを締めくくっているが、何かを訴えられたというよりデ・ニーロの演技が印象深い作品だ。


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2 コメント

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Unknown (たくあん)
2024-03-30 20:21:02
艦長さん、こんにちは。
この作品を観て、認知上の重い疾患を持つ人も意識の奥ではその情緒活動は健常者と全く変わらないのだということを深く再認識させられました。
 ロビンの演じる先生に対してレナードが「あんたは何をやっているんだ。仕事ばかりに憂き身をやつして、それじゃ死んでるのと同じだ。」と、言われて逆に諭されるシーンも心にしみました。
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皆同じ人間 (館長)
2024-03-31 08:22:57
以前に養護学校の教員だった友人がおりますが、彼から聞いたエピソードの数々は健常者も彼らも同じなのだと知らされるものでした。
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