おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

姿三四郎

2024-05-26 09:06:32 | 映画
「姿三四郎」 1943年 日本


監督 黒澤明
出演 藤田進 大河内伝次郎 轟夕起子 月形龍之介
   志村喬 花井蘭子 青山杉作 菅井一郎
   小杉義男 高堂国典 瀬川路三郎 河野秋武

ストーリー
明治15年、会津から柔術家を目指し上京してきた青年、姿三四郎は門馬三郎率いる神明活殺流に入門。
門馬らは修道館柔道の矢野正五郎を闇討ちするが、矢野たった一人に神明活殺流は全滅。
その様に驚愕した三四郎はすぐさま矢野に弟子入りを志願した。
やがて月日は流れ、三四郎は手の付けられない暴れん坊になり、そんな三四郎を師匠の矢野は一喝。
意地を張っていた三四郎だが、凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟ったのであった。
ある日、良移心当流柔術の達人、檜垣源之助が道場を訪ねてきて、双方いずれ雌雄を決する日が来るであろう予感を抱く。
やがて門馬との他流試合が行われるが、門馬は既に三四郎の敵ではなく、三四郎の必殺投げ技「山嵐」が決まった時、門馬は壁に頭をぶつけ死んでしまった。
他人を死なせてしまったことで、三四郎は柔道を続ける意義を見失ってしまう。
師匠の矢野の猛特訓によりやっと戦う気力を取り戻した三四郎は、神社でひたすらに祈る一人の美しい娘と出会うが、この娘こそ良移心当流師範、村井半助の娘の小夜であった。
大勢の人々が見守る中開催された警視庁武術大会が開催され、三四郎は村井と戦うことになった・・・。


寸評
この作品は当初、全長97分の作品として公開されたが、公開翌年の1944年(昭和19年)、電力節約のため1作品の上映時間が80分以下に制限され、関係者の知らないところでフィルムがカットされたとのこと。
このカットされた部分には、檜垣源之助にまつわるシーンや、三四郎が師の特訓を受けるシーンなどが含まれ、そのほかにもシーンやセリフの脱落箇所があるらしいのだが、僕たちの年代のものはそのシーンを想像するしかない。

今見るとカット割りなどに未熟なところも見られるが、戦争真っ最中の中でもこのような作品を新人監督に撮らせていたことに驚く。
時代背景、黒澤明のデビュー作であることなど、歴史的価値を加味して見ることも必要な作品だ。
東京大空襲などはまだ起きていないこともあるし、戦意高揚のこともあって背景になっている町並みは整然としているし、轟夕起子の小夜などは立派な日本髪を結っている。
僕は立派な恰幅をした轟夕起子さんしか知らないが、このころはまだうら若いお嬢さんで、昔の映画を見るとそんな点も楽しくなる事柄の一つだ。

僕は富田常雄の原作を読んではいないが、三四郎が凍える池の中から見た満月と泥池に咲いた蓮の花の美しさを目の当たりにした時、柔道家として、人間として本当の強さとは何かを悟る場面は知っていた。
なぜその場面を知ることになったのかの記憶はない。
当時の撮影技術がどの程度であったのかも知らないが、モノクロ画面でありながらも蓮の花はまるでカラー映画のような美しさが表現されていた。
また門馬三郎の娘、お澄が三四郎への恨みを捨てて神社で無心に祈る姿に心打たれる場面など、柔道映画のせいか時代のせいか分からないが、精神的な悟りを描くシーンが随所にある。
随所にあるといえば、矢野正五郎と出会って車を弾く場面では下駄を脱ぎ捨て、その下駄が所を変えることで時間の経緯を表現していたが、村井半助の娘小夜と出会う場面でも下駄が有効に使われていた。
その後の恋のやりとりは今の時代にあっては滑稽だが、思わず微笑んでしまうほのぼのとしたシーンで、まだ日本にはゆとりが残っていたのだろう。
その後のフィルムのカット事件などを知ると、戦争による逼迫状況も推測されて、その点からも興味深い作品だ。

試合は投げが決まれば勝者が決まるというものではなく、柔術の試合らしく敗者が命を落とすこともある。
門馬三郎は三四郎の投げた技で壁板に激突し命を落とす。
投げが決まる瞬間などには工夫の跡がうかがえるが、呆気なく死んでしまっているのは仕方のないことだなと思う。
村井半助との試合では、三四郎は投げられても投げられても一回転して無事に立っている。
かたや村井半助の方は、何回も投げられてついに力尽きる。
このあたりは劇画的で痛快娯楽作品の面目躍如だ。
当時の作品としては抜きん出た娯楽作品だったのではないかと推測することができる内容になっているのは流石と思わせる。


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