おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

サラエボの花

2022-07-30 08:32:16 | 映画
「サラエボの花」 2006年 ボスニア・ヘルツェゴヴィナ / オーストリア / ドイツ / クロアチア


監督 ヤスミラ・ジュバニッチ
出演 ミリャナ・カラノヴィッチ
   ルナ・ミヨヴィッチ
   レオン・ルチェフ
   ケナン・チャティチ

ストーリー
エスマは12歳の娘サラと二人暮らしで、生活は厳しく、ナイトクラブでウェイトレスとして深夜まで働く日々。
多感な年代のサラは寂しさからしばしばエスマと衝突する。
ある日、活発なサラは男子生徒に混じってのサッカーで、クラスメイトの少年サミルとケンカになる。
先生に「両親に来てもらう」と言われ、「パパはいないわ。シャヒード(殉教者)よ」と、胸を張るサラ。
サミルもまた紛争で父親を亡くしており、その共通の喪失感から二人は次第に近づいていく。
一方、過去の辛い記憶から男性恐怖症となっているエスマにナイトクラブは耐えがたい仕事であったが、同じく紛争の中で家族を亡くした同僚ペルダのやさしさに、心を開いていく。
やがて、サラの学校の修学旅行が近づき、父親の戦死の証明書があれば旅費は免除されるのだが、エスマは「父親の死体が発見されなかったので難しい」と、苦しい言い訳を続ける。
不信感を募らせるサラに追い討ちをかけるように、クラスメイト達がサラの父親が戦死者リストに載っていないとからかい始め、さらに娘サラのために旅費を全額工面したことを知ると、友達サミルの父親の形見の拳銃を母エスマに突きつけ、真実を教えて欲しいと本気で迫る。
つかみ合いになりながら、エスマは長い間隠し続けてきた秘密をついに口にしてしまう。
いつもはただ参加している集団セラピーの場で、泣きながら語るエスマ。
収容所で敵の兵士にレイプされて身ごもったこと、その子供の存在が許せず流産させようとおなかを叩き続けたこと、そして生まれた赤ん坊を見て、“これほど美しいものがこの世の中にあるだろうか”と思ったということを。
修学旅行出発の朝、頭を丸刈りにしたサラを見送るエスマ。
言葉は交わさなかったが、出発直前に窓から微笑み小さく手を振るサラ、それに笑顔で大きく手を振るエスマ。


寸評
作品を見る前にサラエボを取り巻く状況を把握しておかなければならない。
ユーゴスラビアの都市であった頃のサラエボで、1984年2月に冬季オリンピックが開催されたのだが、そのわずか7年後の1991年にユーゴスラビア紛争にともなうユーゴ解体の動きが表面化した。
1992年3月にボスニア・ヘルツェゴビナは独立を宣言したが、セルビア人はこれに反対し分離を目指したため、両者間の対立はしだいに深刻化し、独立宣言の翌月には軍事衝突に発展した。
1995年8月、非戦闘地域に指定されていたサラエボ中央市場にセルビア人勢力が砲撃を行い、市民37人が死亡する事件が発生し、これを受けてNATO軍がこれまでにない大規模空爆を行った。
この結果、セルビア人勢力は敗退し、和平交渉と停戦が実現して戦闘が終結した。
一方でセルビア人勢力はムスリムの男性を絶滅の対象とし8,000人以上を組織的に殺害していた。
また、女性を強姦して強制的に妊娠させ支配地域外に解放するという「民族浄化」も行われたと聞く。
連日伝わるボスニア・ヘルツェゴビナ紛争のニュースは、平和の祭典が開かれた地が短期間のうちに戦場と化した現実を示し、僕に民族紛争の根深さを再確認させるものだった。

エスマは深夜勤務の面接を受けているが子供はいないとウソをついている。
娘のサラと戯れていた時に抑え込まれ、エスマはそれまでの戯れの態度を一変させるし、バスに乗っていても胸毛の濃い男を目の前にして逃れるようにバスを降りる。
どうやらエスマには言えない過去があることが短時間でほのめかされる。
サラは多感な年ごろの女の子である。
母親が男といるのを目撃しただけで「私を棄てないで」とエスマに絡む。
目を離せば非行に走ってしまいそうな所もあり、その関係は普通のシングルマザーと一人娘の関係のようにも見えるのだが、根底にあるわだかまりは拭い去れない。
修学旅行を楽しみにしているが、エスマには旅行費用の200ユーロが払えない。
シャヒード(殉教者)は旅費が免除されるので、証明書を母にせがむがなかなか手に入らない。
もともと母は手に入れる気はないし、夫はシャヒード(殉教者)などではないので証明書が発行されるわけはないのである。
前半の描かれ方や、エスマがナイトクラブで働いている時の様子などから、サラの出生の秘密は早い段階で想像がついてしまう。
もちろん最後に出生の秘密がサラに打ち明けられるのだが、衝撃的な事実はさて置いて、そこに至るまでの描き方に間延び感を感じる。
映画としてはもう少し描き方に工夫が出来なかったものかと思わせ残念だ。
エスマが告白シーンで語る母親としての悲しい性、サラの衝撃的な行動、母と娘の間に通うわずかな信頼がインパクトのあるものだっただけに惜しい気がする。

作中でチトーを讃えるような会話があったが、ユーゴスラビアの解体後の国家乱立を見ると大変な紛争があったことが判るのだが、日本に住んでいる僕は民族紛争の実態を体感的に理解できないでいる。
それは幸せなことでもあると思う。