おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

座頭市(勝新太郎版)

2022-07-23 07:55:40 | 映画
「座頭市」 1989年 日本


監督 勝新太郎
出演 勝新太郎 樋口可南子 陣内孝則
   内田裕也 奥村雄大 緒形拳
   草野とよ実 片岡鶴太郎 安岡力也
   三木のり平 川谷拓三 蟹江敬三

ストーリー
役人をからかって3日間の牢入りと百叩きの刑を受けた後、牢を出たばかりの座頭市(勝新太郎)は、漁師・儀肋(三木のり平)の家にやっかいになった。
その小さな漁村では五右衛門一家が賭場を開き、市もつきに任せて遊んでいた。
跡目を継いだばかりの若き五右衛門(奥村雄大)は宿場一体を仕切るために八州取締役(陣内孝則)に取り入ろうとしていた。
大勝ちした市を撫然とした五右衛門一家が取り囲むが、女親分のおはん(樋口可南子)が取りなした。
帰り道で市は刺客に襲われるが、得意な居合い斬りで片づけた。
市は旅先で絵を描く浪人(緒形拳)と知り合い、色を教えてもらった。
その間も五右衛門一家の刺客が襲いかかるが、市の居合い斬りの前には歯が立たない。
八州取締役は赤兵衛(内田裕也)に五右衛門と対抗するために銃を買うことを勧めた。
しかし、赤兵衛は五右衛門と八州が通じていることを知っており、市を用心棒に顧った。
一方五右衛門は浪人を新しい用心棒に顧っていた。
やがて市は孤児を集め育てる少女おうめ(草野とよ実)と知り合い、この少女に母の面影をみて、心を通わせるのだった。
赤兵衛の宿場で八州は薄幸の少女おうめを手込めにしようとするが、市に斬られた。
浪人は湯治場で一度市を見逃すが、五右衛門一家はついに赤兵衛一家を襲う。
壮絶な斬り合いの末、赤兵衛は五右衛門の前に倒れた。
その時坂の上から早桶が転ってきて、中から現われたのは八州の首を持った市だった。
そして市は数十人の五右衛門一家の子分を絶滅させ、最後に五右衛門と浪人も倒すのだった。


寸評
撮影担当も殺陣師もいただろうが、どちらも勝の意向が反映されていたような気がする。
セットは贅沢なもので、賭場や居酒屋も手抜きが見られない。
柱組も細部にわたっており、俯瞰からの撮影で写り込む柱の立派のことに驚く。
宿場町でヤクザの五右衛門一家と赤兵衛一家が覇権争いを行っており、市が両方を退治してしまうのは黒澤明の「用心棒」と同じ構図だが、脚本は「用心棒」ほど練り込まれていなくて、それぞれのエピソードが大根を輪切りにしたような印象を受ける。
座頭市の立ち回りはこのシリーズの集大成としてすさまじいものとなっている。
五右衛門が放つ刺客の集団に何度か襲われるが、そのたびに得意の居合いを披露し、一瞬のうちに10人近くの刺客団を倒してしまう。
鼻をそぎ落とし、腕を叩き切り、斬りまくる。
血しぶきが飛び散る斬り合いシーンはこの映画の唯一の見どころと言っても良いのではないか。
その斬り合いを集約したのがヤクザの大掃除となる五右衛門一家せん滅場面だ。
五右衛門一家の代貸ともいうべき蟹江敬三の仁が殺されるシーンは、こんなことがあってもいいのじゃないかとアイデアを出し合った結果のような気がする。
そのシーンを除けば大樽を切り裂いて出てきたかと思いきや、格子戸を切り裂き、柱を叩き切りと言った具合で、現実味はないがこれぞ時代劇という立ち回りが延々と続き、勝新・座頭市の独り舞台である。
集団対決ではなく市と1対1で対決するのは関八州見回り役の陣内孝則と緒形拳の浪人だけで、どちらも市の敵ではないような結末を迎える。
特に緒形拳の浪人は市と対抗することが出来る唯一の登場人物に思えたから、その決着は期待の大きさのために少し物足りなさを感じてしまう。

この作品ではシリーズの第一作である「座頭市物語」へのオマージュが感じ取れる。
飯岡助五郎の食客となって笹川繁造との出入りに臨んだことが度々語られる。
そして樋口可南子のおはんという女親分がその時の口上が良かったと語るのだが、その口上は僕たちもよく覚えている「俺たちゃ御法度の裏街道を歩く身分なんだぞ。いわば天下の嫌われ者だ」というものである。
宿場町の人々の嫌われ者は五右衛門と赤兵衛というヤクザ者なのだが、そのヤクザ者にいい顔を見せながら適当に排除しようとするずる賢い村役もヤクザ者から「お前たちは信用がならねえ」と一掃されてしまう。
もちろん権力をかさに着た関八州見回り役も嫌われ者で、嫌われ者は世の中から取り除かれるということだ。
嫌われ者と対極にあるのが「母」で、市は珍しく母親の記憶を語り、知り合ったおうめに母親をダブらせる。
女親分のおはんにも母親のことを語って聞かせるなど、市の母親への思慕をことさら描いている。
しかし、それを語って聞かせた樋口可南子のおはんはその登場意図がよくわからん人物だった。
最初に思いっきり絡ませておいて、最後に再登場させるのだが、途中では全く消え去っていた。
兎に角、脚本が荒っぽい。
そのかわり印象的なショットが場面場面で登場し、そのとらえ方も勝新太郎によるものとの印象を受けた。
それだけでなく、勝新太郎が好き勝手した映画という印象が強い作品で、勝新太郎の才能の一端をうかがわせるものの、十分に開花させているまでには至っていないと思う。