おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

コットンクラブ

2022-07-08 06:56:40 | 映画
「コットンクラブ」 1984年 アメリカ


監督 フランシス・フォード・コッポラ
出演 リチャード・ギア
   ダイアン・レイン
   グレゴリー・ハインズ
   ロネット・マッキー
   ボブ・ホスキンス
   ジェームズ・レマー

ストーリー
1920年代、禁酒法下のニューヨークの片隅にあるコットンクラブは、ジャズを聴かせる正装した有名人たちだけが出入りできる、黒人禁制の場である。
コルネット奏者でピアノもこなすディキシー・ドワイヤーは、コットンクラブの近くにあるバンビルクラブで黒人にまじってジャズを演奏している。
ある日、そこへ警官に化けた2人のギャングがダイナマイトを投げ逃げ去った。
狙われたのは、ギャングのボス、ダッチ・シュルツだ。
彼はディキシーの機転で命をとりとめ、彼といっしょにいたキュートな歌手ベラ・シセロの生命も救ってやり彼女をアパートに送っていく。
黒人のウィリアムズは一流のタップダンサーになるのを夢見ており、騒動の翌日に兄のクレイと組んでコットンクラブのオーディションを受けて合格し、さっそく、そこの歌手で美人の黒人女性リラ・ローズに恋した。
ダッチに招待されてパーティに出むいたディキシーは、そのパーティがコットンクラブの持ち主で暗黒街の政治家的存在のオウニー・マデンとフレンチー・デマンジが、先夜の後始末のために開いたものであることを知った。
歌手のためのピアノ伴奏を依頼されるディキシー、歌手として現われたのはベラだった。
ディキシーの弟で野心家のヴィンセントは、なんとダッチの用心棒をしている。
そんな矢先、ダッチを殺そうとした男の黒幕であるジョーがダッチに殺される。
ダッチ一家の一員のような存在になったディキシーとダッチの愛人となったベラの間に、恋の炎が燃え上がっていて、ボスの目を盗んでベッドを共にする2人は、共にダッチのもとを離れることを約束した。


寸評
コットン・クラブは1920年代の禁酒法時代ニューヨークハーレム地区にあった、顧客は全て白人でスタッフと演奏者は全て黒人という高級ナイトクラブで、経営者はアイルランド系のギャングスターとして名の知れたオウニー・マデンであったとのことで、この作品でも聞き覚えのある実在の人物が出入りしている姿が描かれている。
デューク・エリントンが演奏者として登場し、チャールズチャップリン、ジェームズ・ギャグ二ー、ファニー・ブライスなども紹介されている。
終盤でルチアーノという男が登場するが、この男はマフィアを近代化したと言われるラッキー・ルチアーノの事だろうから、アメリカ人には馴染みがあるクラブであり登場人物たちであったのかもしれないが、日本人の僕にはまったく映画の世界の物語となっている。

僕は高級ナイトクラブなどに行ったことはないが、多分このような雰囲気なのだろう。
行われているショーのレベルは高く、映画を通じて見ていても楽しいものだ。
そのショーをふんだんに描きながら、ギャング同士の抗争と、クラブを舞台にラブロマンスが繰り広げられるのだが、コッポラは一体どちらを描きたかったのだろうと思ってしまうくらいショーのシーンが長い。
それがこの映画の特徴でもある。

ラブロマンスは二組のカップルが並行するように描かれていく。
一組はもちろん主人公でもあるディキシーとベラである。
ベラは凶暴なギャングのボスであるダッチの愛人で、ディキシーとののしり合いながらも心を通わせながら、ブロードウェイに自分のナイトクラブを持つという野心がある。
見た目以上に若い女性なのだが、若さが強調されることはない。
彼女の野心がどれほどのものかはよく分からないうちに、ベラは自分の店を持つことに成功している。
他方は若手の黒人タップダンサーであるサンドマンと混血の歌手ライラの物語である。
サンドマンには兄との対立も描かれるのだが、深く追求しているわけではない。

技巧に走り過ぎているように感じて、物語部分に僕は消化不良感がある。
人物にもあまり魅力を感じないのだが、その中ではコットン・クラブの経営者で暗黒街のドンでもあるオウニーが印象的だった。
彼にはフレンチーという相棒がいる(この男も実在の人物らしい)。
二人の絆が強いのはイタリア・マフィアらしい。
ダッチの手下となったディキシーの弟ヴィンセントに拉致されたフレンチーを取り戻すくだりは面白いし、二人の関係を著すシーンとなっている。
あっけにとられる結末はオウニーがアッサリと刑務所行きとなることである。
そこで彼は舞台を用意しておくから、コットン・クラブの連中に慰問に来させろと言っているのだが、実際にもコットン・クラブの女性ダンサーやストリッパーたちが彼の慰問に行っていたと言うから、実際のオウニーも皆から慕われているいい男だったのかもしれない。
しかしこの映画、ミュージカルでもないし、ギャング映画でもないし、恋愛映画でもない不思議な作品だ。