「子供たちの王様」 1987年 中国
監督 チェン・カイコー
出演 シェ・ユアン
ヤン・シュエウェン
チャン・ツァイメン
ラー・カン
陳昭華
ストーリー
7年間を生産隊で過ごした“ヤセッポチ”という仇名の青年が、都会から遠く離れた山間部の農村の粗末な学校へ教師として赴任したが、学校の設備はひどく、紙不足から生徒は教科書すら持っていなかった。
不安にかられ中学三年の教壇に立つ彼は級長の女の子から、先生が黒板に教科書を書き写し、それを生徒達がノートに写すだけだと教えられ憤慨する。
毎日がチョークの音とともに過ぎ去って喪失感を味わう彼は、ついに教科書を捨てる決心をする。
生徒たちが自分で字を使って手紙を書くために、そして写すのではなく、自分の力で文章が書けるように、彼は生徒たちに改めて字を覚えさせることから始める。
生徒たちの表現力は徐々に進歩し、先生との間にも信頼関係が生まれてきた。
ある日、彼は勉強熱心な生徒王福と、明日の出来事を今日中に作文に出来るかどうかの賭けをする。
つぎの日、父親と昨日の夕方から竹切りに行き、夜中前に作文を書き終えた王福が、先生に自分の勝利を宣言する。
そんな王福に彼は、「ある事を記録するのは常に事後のことで、この道理は不変である」と話す。
自分の負けを知った王福は賭けの対象となった先生の辞書を受け取ろうとしなかった。
それ以後、王福は辞書を書き写すことに熱中し、今にもっと大きな辞書も書き写すのだ、と言い張る。
そんな折り、党の上層部に先生が教科書通り教えていないことが伝わり、彼は再び生産隊に送り返されることになった。
学校を去る時彼は王福に辞書を残し、これからは何も写すな、辞書も写すな、と書き記すのだった。
ひっそりと静まりかえった濃いもやの中を小さな荷物を背負い、彼は山を下りて学校を去ってゆく……。
寸評
舞台は山間部の農村で、教師経験のない“ヤセッポチ”という仇名の青年の村も貧しい村のようだし、学校がある村も決して裕福とは言えない村のようだ。
そんな村がある山間部に霧が立ち込め、風景をロングで捕らえた映像は水墨画を見るようで美しい。
風景以外の映像は茶褐色を帯びており、古めかしさと殺伐さを感じる。
“ヤセッポチ”の友人たちは無学だ。
赴任した学校では教科書がなく、生徒たちは先生が黒板に書く文字を書き写すことが勉強だと思っている。
毛沢東による文化大革命後の思想教育も行われているようである。
文化大革命は旧文化を否定し、言論の自由を奪い去ったと思うが、もたらしたものは一体何であったのだろう。
山間部の村人には教育がいきわたっているとは思えないし、十分な教材も提供されていない。
子供たちは書き写すと言うお仕着せの教育を受けている。
“ヤセッポチ”は教科書を使わず、自分の言葉で自分の文章を書くという教育を行う。
その教育方針は中央政府に意に沿わず、“ヤセッポチ”は教師を解任されてしまう。
そのことは、声高ではないが文革批判であり毛沢東批判でもある。
それを思うとよくもこのような内容の作品が撮れたものだと思う。
“ヤセッポチ”が教えるのは文字である。
会話を除けば、文字は意思伝達の最大の道具である。
一体この学校では何を教えきたのかと思わざるを得ないが、農村部の人間は労働力さえ提供してくれればいいという事なのかもしれない。
もしかすると今の中国でも農村部の人々はそのような立場なのかもしれない。
都市部と農村部の生活レベルの格差、貧富の格差は日本の及ぶところではないだろう。
映画の中心にあるのは文字である。
しかも表意文字である漢字であり、他の文字ではその役目を果たせない。
冒頭のシーンで「もう俺はお前に命令できん」と村のえらいさんが言うと、傍らに紙切れ一枚があり、そこには教師として赴任せよと書かれていたのだろう。
“ヤセッポチ”はその紙切れをクシャクシャにしながらも身に着けて学校へ赴任する。
ワン・フーは作文で「父さんは世界一力が強い。でも僕の方が強いと言う。字を習っているから」と書く。
“ヤセッポチ”は自分が生徒だったころに先生と辞書の字を知っているか否かで勝負したことを話す。
辞書の元の持ち主である“ヤセッポチ”の女友達を、ワン・フーは「先生」と呼ぶ。
文字は強力なものなのだ。
ひいては言論は大いなる力なのだとも言っているように思える。
そのことはシェ・ユアン監督による言論統制を行っている母国への批判でもあるのだと思う。
“ヤセッポチ”は「ワン・フーへ。これからは何も写すな。辞書も写すな」との言葉を残して去っていく。
その道中で彼は野焼きと牛を連れた少年を見かける。
どちらも死に絶えないものの象徴だろう。
死に絶えないもの・・・それは自由と言論であろう。
監督 チェン・カイコー
出演 シェ・ユアン
ヤン・シュエウェン
チャン・ツァイメン
ラー・カン
陳昭華
ストーリー
7年間を生産隊で過ごした“ヤセッポチ”という仇名の青年が、都会から遠く離れた山間部の農村の粗末な学校へ教師として赴任したが、学校の設備はひどく、紙不足から生徒は教科書すら持っていなかった。
不安にかられ中学三年の教壇に立つ彼は級長の女の子から、先生が黒板に教科書を書き写し、それを生徒達がノートに写すだけだと教えられ憤慨する。
毎日がチョークの音とともに過ぎ去って喪失感を味わう彼は、ついに教科書を捨てる決心をする。
生徒たちが自分で字を使って手紙を書くために、そして写すのではなく、自分の力で文章が書けるように、彼は生徒たちに改めて字を覚えさせることから始める。
生徒たちの表現力は徐々に進歩し、先生との間にも信頼関係が生まれてきた。
ある日、彼は勉強熱心な生徒王福と、明日の出来事を今日中に作文に出来るかどうかの賭けをする。
つぎの日、父親と昨日の夕方から竹切りに行き、夜中前に作文を書き終えた王福が、先生に自分の勝利を宣言する。
そんな王福に彼は、「ある事を記録するのは常に事後のことで、この道理は不変である」と話す。
自分の負けを知った王福は賭けの対象となった先生の辞書を受け取ろうとしなかった。
それ以後、王福は辞書を書き写すことに熱中し、今にもっと大きな辞書も書き写すのだ、と言い張る。
そんな折り、党の上層部に先生が教科書通り教えていないことが伝わり、彼は再び生産隊に送り返されることになった。
学校を去る時彼は王福に辞書を残し、これからは何も写すな、辞書も写すな、と書き記すのだった。
ひっそりと静まりかえった濃いもやの中を小さな荷物を背負い、彼は山を下りて学校を去ってゆく……。
寸評
舞台は山間部の農村で、教師経験のない“ヤセッポチ”という仇名の青年の村も貧しい村のようだし、学校がある村も決して裕福とは言えない村のようだ。
そんな村がある山間部に霧が立ち込め、風景をロングで捕らえた映像は水墨画を見るようで美しい。
風景以外の映像は茶褐色を帯びており、古めかしさと殺伐さを感じる。
“ヤセッポチ”の友人たちは無学だ。
赴任した学校では教科書がなく、生徒たちは先生が黒板に書く文字を書き写すことが勉強だと思っている。
毛沢東による文化大革命後の思想教育も行われているようである。
文化大革命は旧文化を否定し、言論の自由を奪い去ったと思うが、もたらしたものは一体何であったのだろう。
山間部の村人には教育がいきわたっているとは思えないし、十分な教材も提供されていない。
子供たちは書き写すと言うお仕着せの教育を受けている。
“ヤセッポチ”は教科書を使わず、自分の言葉で自分の文章を書くという教育を行う。
その教育方針は中央政府に意に沿わず、“ヤセッポチ”は教師を解任されてしまう。
そのことは、声高ではないが文革批判であり毛沢東批判でもある。
それを思うとよくもこのような内容の作品が撮れたものだと思う。
“ヤセッポチ”が教えるのは文字である。
会話を除けば、文字は意思伝達の最大の道具である。
一体この学校では何を教えきたのかと思わざるを得ないが、農村部の人間は労働力さえ提供してくれればいいという事なのかもしれない。
もしかすると今の中国でも農村部の人々はそのような立場なのかもしれない。
都市部と農村部の生活レベルの格差、貧富の格差は日本の及ぶところではないだろう。
映画の中心にあるのは文字である。
しかも表意文字である漢字であり、他の文字ではその役目を果たせない。
冒頭のシーンで「もう俺はお前に命令できん」と村のえらいさんが言うと、傍らに紙切れ一枚があり、そこには教師として赴任せよと書かれていたのだろう。
“ヤセッポチ”はその紙切れをクシャクシャにしながらも身に着けて学校へ赴任する。
ワン・フーは作文で「父さんは世界一力が強い。でも僕の方が強いと言う。字を習っているから」と書く。
“ヤセッポチ”は自分が生徒だったころに先生と辞書の字を知っているか否かで勝負したことを話す。
辞書の元の持ち主である“ヤセッポチ”の女友達を、ワン・フーは「先生」と呼ぶ。
文字は強力なものなのだ。
ひいては言論は大いなる力なのだとも言っているように思える。
そのことはシェ・ユアン監督による言論統制を行っている母国への批判でもあるのだと思う。
“ヤセッポチ”は「ワン・フーへ。これからは何も写すな。辞書も写すな」との言葉を残して去っていく。
その道中で彼は野焼きと牛を連れた少年を見かける。
どちらも死に絶えないものの象徴だろう。
死に絶えないもの・・・それは自由と言論であろう。