私の、『頭のおかしい父方の祖父』については、
これまでここにも何度か書いてきたが.....
この祖父について、私は最近、
『ろくでもないヤツだけど、たった二つ、いいことをしてくれたな』
と、思うことがある。
《フランス積み》の煉瓦が美しい、この、
先日携帯からUPしたトンネルですが.....
それは、明治生まれのこのジイさんが、
『その時代の匂いを持っていた』ことと、『お年玉だけはくれた』こと(笑)
特に、ジイさんが貫いていた、その生活スタイルは、
今ではもう見られないものとして、「ああ、貴重なものを目にしていたんだ」と、
あらためて思う。
実はこんな急坂の上にあります。
(横浜市南区)
私が物心ついた頃には、もう足の悪かったジイさんは、
部屋もまったく出なかったし、表に出ることは年に一、二度(病院)。
風呂に至っては、数ヶ月に一度しか入らないというクレージーさだったが(笑)
彼がトイレに行くとき以外はずっとこもったままの自室には、
仏壇と小さな火鉢が置かれ、余計な家具はなく.....
(足の悪さゆえ、座る場所こそ椅子ではあったが)
一年三百六十五日、着物で通すそのスタイルは、
当時でももう珍しいものだったと思う。
ここは【大原随道】
《2006年度土木学会選奨土木遺産》及び、《横浜市認定歴史建造物》でもあります。
延長254M 高さ3.62 幅2.44M 馬蹄型、昭和3年竣工。
『紫褐色の焼き過ぎ煉瓦と、白の花崗岩とで装飾されている
古典的デザインの抗門は、風格と美しさを備え.....』(土木学会HPより)
水道幹線路の随道で公道と兼用になっているのも珍しいそうです。
そして、それらが放つ匂い。
木造平屋建ての古い家屋と、湿った暗い庭、
着古した綿入れの着物や、火鉢、線香の匂いは.....
今も不思議と私の鼻の奥、つまり記憶の中枢に残り、
あれほど嫌だったあの家に、
今になって、わけのわからぬ郷愁を抱かせるのである。
そして、行ったときは全然知らなかったけど(笑)
ここはドラマ等のロケが多い場所でもあるらしい。
【濱マイク】や、ゆずのPVにも登場していたらしいです。
中はちょっと不思議な感じで面白い~♪
内部に進むにつれ、ひんやり涼しくって.....
ここを抜けたら違う時代に行けそうな、そうでないような。
それは、ジイさんが持っていた時代の残り香が、
日本人である私のDNAのどこかに働きかけているのだろうか。
考えてみれば、私と母に猟銃(空気銃?)をぶっ放したクレージーさも、
台所に灯油をまいて火をつけた錯乱も、
ひがな一日一升瓶を抱え、飲み続けることも、
時代の鷹揚さがあってこそ、許されていたのだろうが、
言い換えれば、その未開さこそが、時代の匂いだったのだと思う。
急坂の途中には、こんな明治時代の遺物が。
これが今であるなら、彼は即病院へぶち込まれるか逮捕だろうし、
だが、まだあの頃には、「あの人は頭がおかしいからしょーがない」とか、
『その家のことはその家でカタをつける』的な空気が漂っていたのだ。
(一応警察は来るけれども)
この獅子頭共用栓は、横浜市水道局が創設された明治20年ごろ、
イギリスから600基輸入され、使われていた近代水道の歴史的遺産。
かつては市内随所に設置され、広く愛用されていたのだそうです。
ちなみに今ここから出ているのは湧き水で飲用には不適。
完全形で残っているのは横浜水道記念館に展示の2基だけだとか。
そして、ジイさんは、頭のおかしさゆえに外部との交流を一切持たず.....
結局はそれが、あの古風な生活様式を崩さずにいられた理由となるのだろう。
私が知る限り、彼が【洋服】を着たことは一切なかったし、
ついでに言えば、『昼はそば、夜は刺身』という食事スタイルも、
一年を通して変わりがなかった。
母が出て行って、私が代わりに家事をするようになってからも、
おそらく、我々が出て行ってからも.....きっと。
大原随道や獅子頭共用栓が暮らしに密着した、
古きよき時代のランドマークなら.....
こちらは、なんのランドマークと呼ぶべきか。
私は彼がいくつで死んだのか知らないが、
(死んだという知らせはあとで聞いても、別に彼が何年生きたのかになど
興味はなかったし、正直今でもどうでもいい)
一方で、彼が残した明治の匂いは確かに父に受け継がれ、
私にも受け継がれているのだと思う。
昭和5年進水、昭和59年引退の【日本丸】と、
平成元年生まれのコスモクロック。
(平成9年に一旦解体、11年に移転再運営)
あの匂い以外にも、父からうるさく言われた食事の作法や、立ち居振る舞い、
『畳のヘリは踏むな』『元旦は外出するな』『敷居は家の主の頭だ』
『洗濯物は干す前にシワを伸ばし、一旦たたんでからカゴに入れ、
庭に出てあらためて拡げて干せ。長い物は真ん中、短い物は外側。
.....その家の家風は洗濯物の干し方でわかるのだから』
.....は、きっと祖父が父に厳しく言ったこと、そのものなのだろうから。
大原随道からの帰り、反町で見たのは、昭和なコカコーラ冷蔵機。
表面には平成のコピーが貼られ。
あの古い平屋建ての家は、祖父の死と共に取り壊されたそうだが.......
記憶と習慣は我々に残り、
家の跡地では、生前の父からすべての権利を取り上げた
『長姉の三番目の夫』が、洋風の新しい家を建て、ふんぞり返っている。
(↑ちなみにこの一家もすんごいの。
ここに書けないようなことばかりの家←いや、いつか書くかも!?)
追記: まったく関係ない話なんですが、本日9/23、JR小机駅では、
横浜線開業100周年記念イベントが開催されます。
で、今ゴンザを駅まで迎えに行ったら、すでに(AM 5:30現在)
限定グッズを狙う鉄っちゃん(鉄道マニア)たちで行列が!(驚)
鉄っちゃんパワー、恐るべし.....
酔っ払って昼間からフラフラしているおじさん。
兄弟で道の大来で取っ組み合いの喧嘩をしてる。
こんなの日常茶飯事だった。
貧しかったけれど、みんな見て見ぬふりじゃなかった。 喧嘩してれば、誰かが止めに入ってたし、酔っ払って転んだら、抱き起こして擦りむいた膝に赤チンをぬってあげてた。だぁ~れもそんな様子を蔑むように見る人はいなかったナ。
ちゃんと、人して見ていたような気がする。
お祖父さんからお父さんへ受け継がれた、食事の作法や、立ち居振る舞い erimaさんやご妹弟に受け継がれていってる。 こういう事も今の時代無くなっているのでしょうね。 お祖父さんは、御自分をちゃんと持ってらっしゃる方だったんですね。
主人は、「矜持」という言葉が好きです。
お祖父さんとお父さんは、「矜持」 そのもののような気がしました。
でも回りはちょっとやっかいかもしれないね。
懐かしいですねぇ
幼い頃に母方の曾祖父の同じことを言われました。(父方の曾祖父母は、賭け事で全てをなくし祖父を残し蒸発したので面識なし)
曽祖父も明治生まれで着物を着たところしか見たこと無いです。
頑固で非常に躾に厳しい人でしたが、さすがに人に迷惑はかけてないですねぇ。
時々「あ、この匂いであのときのあの情景を思いだす」みたいなことあります。
トンネルは、やはりテレビドラマの「アンフェア」のエンディングで使われていました。
そそられる場所だなぁ~~~
おじいさま、そんな方でしたか。
エキセントリックというか。
決して非難しているのではなく、自分もまたひとからみれば病的とも形容されそうにエキセントリックな部分があるのを認めているので、呼応するように思うのです。
それをご自分でご存知でしたか、おじいさまは?
そうならば、つらいときも多かったのではないでしょうか。
わたしにも、それがときどき、身の置き場がないように思うことがあります。
鉄分補給と呼ぶのだとか。
どんなことであれ趣味はあるにこしたことはないけれど、
いろんな世界があるもんですね。
私達より2つ上の世代では、
今では不道徳の極みとされたことが
ごく自然に巷に溢れていました。
たぶん、どこのご家庭にも、
表には出さないだけでいろんな暗部があるのだと思う。
ないならそれにこしたことはありませんが、
残念ながら明るい日向には必ず影があるもので…
だから、人は、憎みながらも愛することをやめられないのだと
そう、信じていたいです。
心許ない願いではあるけれど…
今思うと、昔って今よりずっとずっと開放的でしたよね。
どこに誰が住んでて、どんな問題がその家にあるとかみんな知ってたり、だからさりげなく、それをフォローすることも出来ていたんですね。
ご近所のおじさん同士が集まって飲んでいる光景も普通だった気がします。
今より、物質的にはずっと貧しいけれど、「それが当然」「だから助け合わないと」と、みんなが思っていたのかなぁと思います。
時間ももっとゆったり流れてて...
だからみんな、気づけることも、他人にしてあげられるちょっとしたことも多かったんでしょうね。
そういえば、幕末、明治に日本を訪れた外国人がまず驚いたのは、日本人が窓(障子)や戸をすべて開け放して、丸見えの生活を送っていたことだそうですが(笑)
でも、だからこそ、問題はみんなで解決出来たんでしょうね。
今は...閉めきって、隠して、だから膨らんで爆発する問題も多いのかも。
祖父は、大きな酒屋に養子に貰われた人だったそうですが、その中で何か勘違いをしたのかなぁとも思います。
そして父も...
彼らは自分たちの苗字を取り上げて、「世が世なら、大変な家系だったのだ」と言ったりしていましたが、それはイコール、おかしなプライドばかり持って、人を見下している、そんな風でもありました。
でも、もしそのおかしなプライドが、立ち居振る舞いや作法を守る理由であったなら...
ある意味では、少し良い面も持ち合わせていたのかもしれないですね。
本当に、やっかいでしたけど(笑)
いなひこ様、ありがとうございます。
>さすがに人に迷惑はかけてない
↑これ、一番大事なことよ~(笑)
>頑固で躾に非常に厳しい
っていうのは、自らを律する大切さを教えると共に、人に迷惑をかけてはいけないと教えることだもの~。
うちのジイさんは人に迷惑かけまくり。
他人には際限なく厳しい、自分には甘いタイプです(笑)
まあでも、きちんと行儀作法を受け継げたというのは、非常に大切なことですから、そういった意味では感謝しなければいけませんね。
祖父は父をロクに育てもしませんでしたが(食事も与えずに殴ってばかりいたそうです)、ひとつぐらいはいいことを彼に授けたといえそうですね。
...あ、ちなみに私は教えてもらった行儀作法、すべて忘れた生活をしてます(爆)
そうですね~。
やっぱり匂いって本能とか脳のどこかに直接働きかけるんでしょうか。
一瞬にして眠っていた記憶を引き出すときがありますね。
良い思い出か...悪い思い出か...
選んで引き出すことが出来ないのがちと残念ですが(笑)
...いや、悪い思い出も今となっては、いい思い出に近づいているのかな。
このトンネル。
そんなにメジャーなロケ地なんですねぇ。
我々が行ったときも、一人、二人、近所の方が利用されている姿が見えるだけでしたが...
ひっそりとした佇まいとひんやりした空気が、なんとも不思議な空間を作りだしていましたよ。
ようこそ、お越しくださいました。
初めて来て下さったときの記事が、こんなに極端なものでびっくりされてしまわなかったかしらと、ちと心配ですが...(笑)
来て下さって嬉しいです♪
祖父は...
自分ではしごくまともで、自分だけが正しいと、そんな風に思っていた人でした。
自分がおかしいとは、ちっとも気がついていなくて...
ですから、その点について彼が苦しんでいたかというと、そうではないような気がします。
ただ、これは私の父にも共通することなのですが、彼らは「世の中で自分が一番かわいそう」と、思っていたフシがあって、だから「俺はこんなにかわいそうなんだから仕方がない」と、それを楯に人に迷惑をかけていたのかもしれないです。
男性には『かわいそうな自分に酔っている』タイプも多いような気がしますが、父のほうは完全にこのタイプでした。
病的な部分。
確かに私にもあって、でもどこかで、人は皆、そういったものを内包しているのかもと、そんな風に思います。
もめん様が『ときどき、身の置き場がないように』思われるのは、きっととても真摯にご自分と向き合っておられるからなのでしょうね。
祖父の話に向けてくださった優しい目線に、そう感じました。
『鉄分補給』!
こりゃまた、うまいこと言いましたな(笑)
いやしかし、だとしたらこの日は、鉄っちゃんたちも大いに鉄分補給をしたことでしょう。
限定グッズの販売に始まって、Nゲージ運転コーナー、実際の車両の展示、etc...
何しろ、イベント開始時間にはすでに、並んだ人の分だけで限定グッズも売り切れですから(笑)
そりゃもう、すごかったですー。
で、『暗部』ですが、これはもう、やっぱりおっしゃる通り、どこにもあることで...
むしろないほうが不自然なのかもしれないです。
今は見えないだけなんですよね。
昔、開放的だった時代には隙間があって、「みんなそんなもん」みたいなこじらせないで済んだ部分が、今は、外部に漏れ出さない分だけ、光が当たらないぶんだけ、膿んで暗部が増して、こじらせるケースが多いのかも、と。
うちのジイさんのケースも昔だから我々は殺されないで済んだけど...
今ならどうなるかわからないです。
愛だけでは不自然。
憎しみだけでは辛い。
あの暗い庭にも、かすかに光が当たってた。
だから、今の幸せがあるのだと思いますー。