こんなババァの誕生日に毎年花を贈ってくれる、ゴンザ友人J。
いつも本当にありがとう。
『ババァ』の力に驚いている。
『ババァ』とか書くと、悪口に聞こえるが、
決してそうではない。
褒めているのだ。
森の中でキノコを観察していると、
突然後ろから、
「あらぁ!リュックがカエルさんなのね♪」
と、声がして、
振り返るとそこには、
必ず『ババァ』がいる。
こちらもこちらで、
森の奥深くで、
カエルのリュックを背負った
『不審なババァ』なのだから、
怯まず声をかけてくる『ババァ』の勇気とコミュ力に驚くが、
考えてみれば、
振り返って
「そうなんです♪
ほら、口の中もちゃんと赤いんですよ!」
なんて、
リュックの詳細を見せて喜ぶ私もまた、
相当な『ババァ』なのだろう。
『ババァ』は、なんの躊躇いもなく、
簡単に『垣根』を越えてくる。
まるで見知った誰かのように、
親しげに人に声をかけ、
意識もせぬまま。
中でも凄いのは、
『各方面に渡った知識の広さに自分のことも絡めて』
相手の話を聞く、能力の高さだ。
きっと、子育てしたり、
家庭を運営してゆく中で、
身につけたものなのだろう。
子供や夫の話を「うんうん」と聞き、
総合的な情報を引き出しては分析し、
苦手な人とも、家族のために付き合う。
必要と思われることを粛々と行い、
すべてを丸く収めて...。
私は子育てもしておらず、
夫の世話もあまりしないが、
店に立つ人間として、
また、『ババァ』のはしくれとして、
ああいう『ババァ』に憧れる。
「ちょっと!
ババァババァってerimaさん、
その呼び方は同年代の女性にも失礼よ!」
とお怒りの方もおられるかもしれないが、
愛情こめた『ババァ』という言い方も、
世の中には結構あるだろう。
(ほら、毒蝮さんとか)
私が背負ったカエルのリュックは、
今日も『ババァ』を引き寄せる。
カエルを単に『カエル』と呼ばず、
必ずといっていいほど、
「カエルさん♪」と呼ぶ『ババァ』たちは、
無意識の内に、
小さくか弱い者を慈しむ守護者である。
私もいつか、そんな風に、
自然に相手の気持ちを解きほぐし、
何か、楽にさせてあげられる『ババァ』になりたい。
世の中は、もしかすれば、
気付かぬ内に、
『ババァ』というコミュ力モンスターによって、
ガタつく箇所に油をさされ、
スムーズに動いているのかもしれない。
「クソババァ!!」と言われてうれしくなったことを思い出します。
あれ、あこがれだったんですよ~
もう、しょっちゅう言われる、というお母さまもいたけど、
ワタシはこの1回だけ。
この時は息子とけんかしてて、
舐められたらアカン、と思いながらニヤケそうになってました。
親バカだよねー(^^;
子供が母親に『クソババァ』って言う時って、必ずそこには「許して貰える確信」があると思うんです。
絶対の愛情を持って受け止めてくれる相手だからこそ、思い切って叫べる。
もしかするとのちのち、「なんであんなこと...」って、本人は後悔するのかもしれませんが、それも含めて、愛情のやりとりですよね。
一度友人に「例えばクソババァとか息子にいわれたらやっぱムカつく?」と聞いたら、「あはは、全然。誰がお前のおむつ替えたと思ってんだよって話」と余裕の答えが返ってきて、母親の愛情と『大きさ』を感じたモノでした。
個人的には、何かあったとき、『オバサン』という言葉が浮かんだ方が、良くない感じがするんですよね。
『おばちゃん』や『ババァ』に感じられる近しさがないというか。
昨今は呼び方含め、差別だ決めつけだジェンダーがどうだとなかなか面倒くさいことになっていますが、そんな世の中でも『ババァ』は「あーハイハイ♪」と、余裕で渡っていく気がします。