こちらは固定された、昭和のリンタクを必死で漕ぐ男。
もちろん周囲には人がいっぱい(笑)
そういえば、江戸東京博物館で興味深かったのは、
江戸の昔には、何かにつけて、【番付表】が出されていたらしい
ということを知ったことだった。
特に、それは、『食』関係の分野に多く.......
日常の倹約料理に関する番付や、
会席料理店の番付、精進料理の番付、魚類に関するもの。
とにかく、並べられたそれらは、
われわれ日本人が、昔からランキング好きであったこと、
また、食べることが好きであったことをうかがわせて、非常に面白かった。
『江戸市中そばや番付』『大蒲焼番付』などなど。
また、有名な【豆腐百珍】に代表されるような料理本。
それらも、日本人の食への関心と、勤勉さをうかがわせて......
同様におもしろい。
庶民の楽しみは、昔も今も変わらず......
番付表から、グルメランキングへと、
その呼び方こそ違えども、
同じようなことをしては、情報を分け合い楽しんでいたのだと、
親近感がぐっとわいてきて。
こちらは江戸のレシピ本。
豆腐料理ばかりを集めた『豆腐百珍』、
柚子を使った料理の『柚珍秘密箱』などなど、これもまた面白く。
『漬物早指南』『魚類精進早見献立』等々。
昔も今も、「かんたんレシピ」「困ったときの早見献立」的なものは、
庶民の興味の的だったんだろうねぇ。
あとは、『名所図絵』とか.....今でいえばガイドブックだよね。
........が。
この番付表のことで、ひとつだけ我々がわからなかったのが、
『横綱の表記がどこにあるのか』ということで。
まあ、そもそも相撲に興味のない二人ではあるのだから、
その見方がわからないのも仕方がないのだけれど......
今、とあるblogを見ていたら、どうやら、
『江戸時代には、相撲の最高位自体が大関までだった』
ということがわかって、
なるほど、それではあれらの番付表に、
横綱の地位が見つからなかったのも仕方がないことのようだ。
こちらは、三井越後屋(三越)江戸店の、『服装規定』。
今も昔も、日本人は規則好き~(笑)
なんでも、横綱が番付の最高位となったのは、明治23年のことなのだそうで。
それまでは、横綱は免許制。
.....つまり、
『地位は大関なのだけれども、
しめ縄をしめて、地鎮祭などで地踏みをすることを許された者』
という意味での、横綱という立場があっただけなのだそうだ。
ちなみに、江戸東京博物館の前々回記事で、
(前記事はこちら、その他の写真はこちら)
ゴンザが担いでいたのは肥桶。
この腰の入り方が年季を感じさせるわ~(笑)
「よっ♪なんでも出来るいい男!」
......で。
まあ、どういった次第でその『横綱』が、番付の最高位に変化したかというと、
それは長くなるので割愛するが(笑)
とにかく、そういった次第で、江戸の番付表には、
横綱が見つからないということで間違いないらしい。
(いや、間違ってるかも・笑。誰か真相を知ってたら教えて下さい)
肥桶の話のあとになんですが(笑)
江戸東京博物館を出て、両国橋を渡って散歩して。
『甘酒横丁』で見つけたお豆腐屋さんで買ったのはこんなもの。
分厚くて、厚揚げみたいだけど、これ、油揚げなの。
カリッと焼いて、生姜を添えて。
なるほど、私としては、
江戸の人が番付表を好んだのも興味深かったけど、
『なぜ横綱の表記がないのか』の疑問が、こんな意外なところから解けて、
とてもすっきりしたという次第である。
こんな風に、ひとつのことをきっかけに、
疑問が解けたり、知識が増えるのって楽しいよね。
豆腐ドーナツをかじりながら、水天宮まで歩いて、
楽しいお散歩に、ゴンザはご機嫌でした♪