猫猿日記    + ちゃあこの隣人 +

美味しいもの、きれいなもの、面白いものが大好きなバカ夫婦と、
猿みたいな猫・ちゃあこの日常を綴った日記です

時代の残り香

2008年09月23日 03時26分13秒 | ルーツ

私の、『頭のおかしい父方の祖父』については、
これまでここにも何度か書いてきたが.....

この祖父について、私は最近、
『ろくでもないヤツだけど、たった二つ、いいことをしてくれたな』
と、思うことがある。

 

《フランス積み》の煉瓦が美しい、この、
先日携帯からUPしたトンネルですが.....

 

それは、明治生まれのこのジイさんが、
『その時代の匂いを持っていた』ことと、『お年玉だけはくれた』こと(笑)

特に、ジイさんが貫いていた、その生活スタイルは、
今ではもう見られないものとして、「ああ、貴重なものを目にしていたんだ」と、
あらためて思う。

 

実はこんな急坂の上にあります。
(横浜市南区)

 

私が物心ついた頃には、もう足の悪かったジイさんは、
部屋もまったく出なかったし、表に出ることは年に一、二度(病院)。

風呂に至っては、数ヶ月に一度しか入らないというクレージーさだったが(笑)

彼がトイレに行くとき以外はずっとこもったままの自室には、
仏壇と小さな火鉢が置かれ、余計な家具はなく.....
(足の悪さゆえ、座る場所こそ椅子ではあったが)

一年三百六十五日、着物で通すそのスタイルは、
当時でももう珍しいものだったと思う。

 

ここは【大原随道】
《2006年度土木学会選奨土木遺産》及び、《横浜市認定歴史建造物》でもあります。
延長254M 高さ3.62 幅2.44M 馬蹄型、昭和3年竣工。
『紫褐色の焼き過ぎ煉瓦と、白の花崗岩とで装飾されている
古典的デザインの抗門は、風格と美しさを備え.....』(土木学会HPより)
水道幹線路の随道で公道と兼用になっているのも珍しいそうです。

 

そして、それらが放つ匂い。

木造平屋建ての古い家屋と、湿った暗い庭、
着古した綿入れの着物や、火鉢、線香の匂いは.....

今も不思議と私の鼻の奥、つまり記憶の中枢に残り、
あれほど嫌だったあの家に、
今になって、わけのわからぬ郷愁を抱かせるのである。

 

そして、行ったときは全然知らなかったけど(笑)
ここはドラマ等のロケが多い場所でもあるらしい。
【濱マイク】や、ゆずのPVにも登場していたらしいです。
中はちょっと不思議な感じで面白い~♪
内部に進むにつれ、ひんやり涼しくって.....
ここを抜けたら違う時代に行けそうな、そうでないような。

 

それは、ジイさんが持っていた時代の残り香が、
日本人である私のDNAのどこかに働きかけているのだろうか。

考えてみれば、私と母に猟銃(空気銃?)をぶっ放したクレージーさも、
台所に灯油をまいて火をつけた錯乱も、
ひがな一日一升瓶を抱え、飲み続けることも、
時代の鷹揚さがあってこそ、許されていたのだろうが、
言い換えれば、その未開さこそが、時代の匂いだったのだと思う。

 

急坂の途中には、こんな明治時代の遺物が。


 

これが今であるなら、彼は即病院へぶち込まれるか逮捕だろうし、
だが、まだあの頃には、「あの人は頭がおかしいからしょーがない」とか、
『その家のことはその家でカタをつける』的な空気が漂っていたのだ。
(一応警察は来るけれども)

 

この獅子頭共用栓は、横浜市水道局が創設された明治20年ごろ、
イギリスから600基輸入され、使われていた近代水道の歴史的遺産。
かつては市内随所に設置され、広く愛用されていたのだそうです。
ちなみに今ここから出ているのは湧き水で飲用には不適。
完全形で残っているのは横浜水道記念館に展示の2基だけだとか。

 

そして、ジイさんは、頭のおかしさゆえに外部との交流を一切持たず.....

結局はそれが、あの古風な生活様式を崩さずにいられた理由となるのだろう。

私が知る限り、彼が【洋服】を着たことは一切なかったし、
ついでに言えば、『昼はそば、夜は刺身』という食事スタイルも、
一年を通して変わりがなかった。

母が出て行って、私が代わりに家事をするようになってからも、
おそらく、我々が出て行ってからも.....きっと。

 

大原随道や獅子頭共用栓が暮らしに密着した、
古きよき時代のランドマークなら.....
こちらは、なんのランドマークと呼ぶべきか。

 

私は彼がいくつで死んだのか知らないが、
(死んだという知らせはあとで聞いても、別に彼が何年生きたのかになど
 興味はなかったし、正直今でもどうでもいい)
一方で、彼が残した明治の匂いは確かに父に受け継がれ、
私にも受け継がれているのだと思う。

 

昭和5年進水、昭和59年引退の【日本丸】と、
平成元年生まれのコスモクロック。
(平成9年に一旦解体、11年に移転再運営)

 

あの匂い以外にも、父からうるさく言われた食事の作法や、立ち居振る舞い、

『畳のヘリは踏むな』『元旦は外出するな』『敷居は家の主の頭だ』
『洗濯物は干す前にシワを伸ばし、一旦たたんでからカゴに入れ、
 庭に出てあらためて拡げて干せ。長い物は真ん中、短い物は外側。
 .....その家の家風は洗濯物の干し方でわかるのだから』

.....は、きっと祖父が父に厳しく言ったこと、そのものなのだろうから。

 

大原随道からの帰り、反町で見たのは、昭和なコカコーラ冷蔵機。
表面には平成のコピーが貼られ。

 

あの古い平屋建ての家は、祖父の死と共に取り壊されたそうだが.......

記憶と習慣は我々に残り、
家の跡地では、生前の父からすべての権利を取り上げた
『長姉の三番目の夫』が、洋風の新しい家を建て、ふんぞり返っている。
(↑ちなみにこの一家もすんごいの。
 ここに書けないようなことばかりの家←いや、いつか書くかも!?)

 

追記: まったく関係ない話なんですが、本日9/23、JR小机駅では、
     横浜線開業100周年記念イベントが開催されます。
     で、今ゴンザを駅まで迎えに行ったら、すでに(AM 5:30現在)
     限定グッズを狙う鉄っちゃん(鉄道マニア)たちで行列が!(驚)
     鉄っちゃんパワー、恐るべし.....

コメント (10)
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