ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

戦争犯罪 無差別爆撃の罪

2024-08-26 15:08:26 | 日記
けさもいつものように朝餉の食卓でNHKの朝ドラ「虎に翼」を見た。
「NHKが制作したこのテレビドラマは、一体いつになったら『原爆裁判』を取りあげるのか」という問題関心をいだく私からすれば、「まだか、まだか・・・」と焦(じ)らされる思いだが、このドラマ本来のコンセプトは、戦争問題だけでなく、LGBTや夫婦別姓問題など、現代にもつながる社会問題全般に切り込む、というものなのだろう。平和な国・日本の今を生きる我々一般の日本人にとっては、戦争の問題だけが問い直すべき社会問題ではない。

たしかに戦争は、無辜の民間人、一般市民を陰惨な悲劇へと巻き込む。だが、無辜の一般市民を無差別的惨劇に巻き込んだのは、なにも原爆を用いた空襲だけではない。米軍が「民間人の無差別殺傷」という(国際法に違反する)犯罪をおかしたのは、ヒロシマ・ナガサキだけではないのだ。

太平洋戦争の末期に、米軍は空襲によって首都東京を焼け野原にした。このいわゆる「東京大空襲」で、約8万4000人の民間人が死亡したといわれている。


面白い番組を見た。NHKの

ETV特集 無差別爆撃を問う〜弁護士たちのBC級横浜裁判」(8月24日放送)

である。

米軍による同様の無差別爆撃は名古屋市の市街地に対しても行われたが、この番組によれば、墜落して捕えられた搭乗員の米兵たちは、日本軍の「軍律」によって「極刑=銃殺刑」に処された。空襲に加わった米兵に死刑を科したのは、彼らの「無差別攻撃」が人道を無視した行為とみなされたからである。
そうした「軍律」に基づいて米兵を裁いたのは、法曹の資格を持つ日本軍の法務官だったという。

この話には後日談がある。戦時中、「軍律」に従って米兵を死に追いやった彼ら法務官は、戦後、(勝者である)アメリカの占領軍によってBC級戦犯裁判の法廷に立たされた。
BC級戦犯は、捕虜収容所で捕虜の敵国兵士を虐待した罪に問われた人たちであり、その多くは裁判の結果、絞首刑になっている。

名古屋大空襲に携わり、撃墜されて捕えられた米兵11名を「軍律」に従って銃殺刑に処した法務官・伊藤少佐も戦後、同じBC級戦犯裁判の法廷に立たされたが、しかし彼は絞首刑にはならず、減刑されて終身刑になったというのだ。

なぜか。彼を弁護したアメリカ人の弁護士は、伊藤少佐の銃殺刑に処した米兵が「国際法違反の無差別爆撃を行った戦争犯罪人である」ことを強調した。

伊藤少佐が減刑された詳しい理由は分からないが、その理由の一つが「彼が銃殺刑に処した米兵は、国際法違反の無差別爆撃を行った戦争犯罪人である」という事実にあったことは間違いない。「戦闘員は、非戦闘員たる民間人を無差別攻撃の対象にしてはならない」という国際法の理念が、アメリカ人審査官の判断を動かしたと見てもいいだろう。

朝ドラ「虎に翼」であるが、そのヒロインのモデル・三淵嘉子が「原爆裁判」に当たって直面したのが、この国際法の理念だったことは言うまでもない。

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人心とウクライナ

2024-08-25 10:18:36 | 日記
人心は一定不変ではない。状況に応じ、どうにでも変わり得る。きょうの朝日新聞に次の記事がのっていた。

命の危機、削られる心 ウクライナ、変わる『戦争観』 領土譲歩『仕方ない』、3割超に増

優先されるべきは、なによりも命だ――。オクサナさんはそんな思いを強く抱くようになった。『領土は現状のまま(ロシアに一部支配された状態)でもいい。民間人も軍人もこれ以上死なないよう、交渉の席につく価値があるのではないだろうか』
オクサナさんのように『領土の一部を諦めても仕方ない』と考えるウクライナ国民は増加傾向にある。キーウ国際社会学研究所(KIIS)が5月に実施した調査では32%に上り、1年前の10%から大きく増えた。厭戦(えんせん)ムードが広がっていることがうかがえる。

(朝日新聞8月25日)

この記事に出てくる「オクサナさん」は、透析治療が欠かせない慢性腎不全患者の娘(16)を持つ父親である。ある日、娘が入院する小児病院にロシア軍によるミサイル攻撃があり、病院はその直撃を受けた。娘の無事を確認するまでの20分間、オクサナさんは生きた心地がしなかった。

「一番大事なのは人の命だ」との思いはオクサナさんの場合、そういう親の情から出ている。
「娘の命を守るためなら、ロシアの要求通り、領土の一部をロシアにくれてやっても仕方がない」。
そう考えるようになったこの父親を、だれが非難できるだろうか。
「なにぃ、無法者の暴力に屈するというのか」、「おまえには愛国心がないのか」ーーそんなふうに非難できるのは、血も涙もない冷酷な唐変木だけだろう。

思い返せば、私はずっと本ブログを通して、「ウクライナの大統領・ゼレンスキーは一刻も早く停戦交渉を始めよと」主張してきた。ウクライナ国民の犠牲者が日増しにふえる中、この大統領がなぜそうまでしてロシアと戦い続けるのか、私は理解できなかった。

はじめは「正義を踏みにじるロシアはけしからん、やっつけろ!」と息巻き、ウクライナへの軍事的支援を惜しまなかったNATO諸国も、最近では「支援疲れ」を起こしているとか。これはいい傾向だと私は思っている。「やっつけろ!」と煽りたてれば、犠牲者は増えるばかりだ。

オクサナさんが望むように、人命尊重の観点から、ロシアの要求に従ったほうが良いのか、それともゼレンスキーが望むように、無法者の暴力に屈せず、どこまでも戦い続けるほうが良いのか、それは歴史の審判に俟つしかない。
正義を踏みにじる無法者国家は、いずれ世界各国から総スカンを喰らい、孤立して衰退していくのではないか、ーー私はそう予測している。
力による支配は、どのみち長続きはしないと思うからね。

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自民党 総裁選について思うこと

2024-08-24 10:21:58 | 日記
何日か前のブログで、私は次のように書いた。

「私からすれば、自民党はすでに賞味期限が切れて、売れなくなったオワコン商品に過ぎない。そんなオワコン商品をもう一度お客さんに買ってもらえるようにするには、だれを営業本部長にすればいいか、小林課長がいいのかどうか、ーーそんなくだらない問題をめぐって議論を交わしているように思えたのである。
大事なのは、そんなことより、時代のニーズに合った新しい商品を開発することなのに、肝心のその方面の問題関心がごっそり抜けているのではないか。」
(8月21日《自民党総裁選のゆくえ》)

時代のニーズに合った新しい商品の開発、つまり、時代のニーズに合った新しい政策の案出、ーー自民党総裁選のお祭り騒ぎには、それこそが求められるのに、その方面の問題関心が希薄で、私にはそのことがはなはだ物足りない。

そう思ったのは、私だけではなかった。「ゴマメのばーば」さんは、ブログ「ひとこと・ふたこと・時どき多言(たこと)」の中で、こう書いておられる。

「自民党の総裁選が華々しくイベント化されています。
もし街頭で『あなたはどう思いますか』と尋ねられたら、『私は自民党員ではありません。どなたがなったにせよ、自民党としての政策をしっかり打ち出していただきたいものです。私が関わるのは国政選挙でしかありませんから』そう述べたいと思っています。」
(8月21日《「私は自民党員ではありませんから・・・」》)

これは、私や「ばーば」さんが「自民党員ではない」個人として、この党の総裁選について個人的な思い(不満、希望)を述べたものだが、「社会の公器」たる新聞も社説で次のように書いている。

国会の第1党と第2党の党首選が、同時並行で行われることになった。早ければ今秋、遅くとも来秋までには、政権選択のかかる衆院選が控える。単なる『選挙の顔』選びではなく、国民に信を問う政策を磨き、競い合う機会にしなければならない。
(中略) 
自民の新総裁は次の首相となり、立憲の代表は来たるべき衆院選で、その首相に挑む『首相候補』になる。
また、勝った候補者の掲げた政策が、それぞれの党の軸となり、衆院選の選挙公約につながるはずだ。開かれた政策論争を通じ、国民に選択肢を示す必要がある。

(朝日新聞8月22日)

「開かれた政策論争を通じ、国民に選択肢を示す必要」は、それぞれの候補者自身が強く感じているはずだ。具体的な政策については、マスコミが問題にしないから取り立てて述べる機会がないのだ、と候補者のセンセ方は宣(のたま)うだろうが、その気になれば、出馬会見のときなど、機会はいくらでもある。

それだけではない。「開かれた政策論争を通じ、国民に選択肢を示す必要」は、衆院選を控え、サバイバルがかかる自民党員のセンセ方も切実に感じているはずだ。候補者が出そろった段階で、当本部は「候補者による政策討論会」のようなセレモニーを開催するのだろう。

自民党員でない私は、立候補の締め切りがいつなのか、とんと知らないが、早く揃い踏みの「政策討論会」ショーを見たいと思っている。
話はそれからだ!

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原発 廃炉の難物

2024-08-23 15:39:31 | 日記
なんともまあ、呆れた話ではないか。

東京電力は22日、福島第一原発事故で溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)を初めて取り出す作業を開始したが、手順に誤りが見つかり、中断した。東電は、原因究明と再発防止策を策定するまで延期するとしている。
(朝日新聞8月23日)

燃料デブリの取り出し作業といえば、「廃炉の本丸」と呼ばれ、廃炉の成功を左右しかねない大事な作業である。そのとっかかりで作業員が「手順の誤り」という単純なミスをしでかしてしまったというのだ。

まあ、燃料デブリの取り出し作業は一歩間違えば人命に関わる危険な作業であり、それだけにとても難しい作業ではある。朝日の記事には

政府と東電の当初計画では21年の着手をめざしていたが、装置の開発などが難航し、約3年遅れの開始となっていた

とある。

廃炉に向けた「燃料デブリの取り出し」作業が失敗した今回のニュースを聞いて、私は呆れ果てたが、これを咎める気にはなれなかった。この作業は危険をともなうきわめて難しい作業だと聞いていたからである。

作業の中断は、現場作業員が「作業手順の誤り」という初歩的で単純なミスをおかしただけ、との東電の発表は、「なあに、ちょっとミスっちゃいましてね。ホントにちょっとしたミスでして、べつに大したことではないのです。ご心配なく」と言わんがための印象操作だった疑いがある。

今回の作業の中断は、そうではなく、むしろ廃炉作業の成功を左右しかねない重大かつ致命的なミスだった可能性が高い。
今回の「作業ミス」報道を受けて、我々が銘記しなければならないのは、次のことである。原発は遅かれ早かれいつか必ず廃炉にしなければならない時期が来るが、廃炉には(「燃料デブリの取り出し」作業のあるなしにかかわらず)何十年もかかる、とんでもなく危険で難しい作業が待ち受けている、ということである。

そんな困難がともなう原発施設を、政府は今後、増設しようと企てているようだが、どうして政府がそんな計画を立てるのか、私は理解に苦しむ。今回の「燃料デブリの取り出し」作業の失敗を、政府は東電とグルになって「簡単な作業手順のミス」に仕立てようとしているが、それもこれも原発の増設を進めるための策略の一環だろう。「後の祭り」、ーーそんな言葉が脳裏をよぎったきょうの天邪鬼爺である。

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自民党 もう一つの謎

2024-08-22 09:18:57 | 日記
自民党は総裁選が迫っている。はじめ私は、こんなオワコン政党なんてどうでもいいと思っていた。だが、テレビのワイドショーなどでこの政党の総裁選に関連した話題が取り上げられるのを見るうち、徐々に興味が湧いてきた。
野次馬的な興味、といったらいいだろうか。興味が湧いたのは、テレビを見るうち、このポンコツ政党が謎に満ちているように見えてきたからである。

謎のその1は、(前にも書いたことだが)「『小林鷹之』なる自民党議員が、党の若手議員から多数の支持を集め、9月の総裁選への出馬を求められている」ことである。
この謎については、一応、私なりの答えに辿りついた。この答えを、私はきのうの本ブログで次のように表現したのである。

「この人はアレだというじゃないですか、安倍派の若手が、こぞって推しているというじゃないですか。安倍派といえば、裏金問題ですからね。安倍派の若手はこの人を使って、裏金問題をウヤムヤにしようと企んでいるのじゃないですか」。

さて、もう一つの謎は、あの石破元幹事長が総裁選で苦戦を強いられていることである。この人は国民的な人気が高く、「ポスト岸田」のナンバー1と目されている。にもかかわらず自民党内では不人気で、20人の推薦人集めにも四苦八苦しているほどだという。

このことの何が謎なのか、と言う人もいることだろう。国民的な人気と、党内の人気が合致しないことはよくある話ではないか、と。

だが、事は自民党の総裁選びに関わっている。自民党の議員たちが次期総裁に求めるのは、次の総選挙を勝利に導くことができる「自民党の顔」になり得る人物だろう。そういう人物こそ、国民的な人気の高い石破茂氏ではないのか。

自民党の議員たちがこの人を次期総裁に担ぎたがらない理由を考えてみた。
「お神輿は軽いほどよい」という言葉がある。自民党の議員たちからすれば、石破氏はお神輿としては重すぎるのだ。
石破氏をお神輿として担ぎ、これが功を奏して自民党が次の総選挙でそこそこの勝利を得たとしても、自民党総裁(=日本国首相)になった石破氏が、自分たちの意のままにならず、自分たちを逆に蔑(ないがし)ろにしたのでは、この人を総裁にした意味がなくなる。自民党の議員たちは、このお神輿がやがて自分たちに煮え湯を飲ませるだろうと薄々感づいているのだ。

かといって、石破氏をお神輿として担がなければ、どうなるか。自民党は次の総選挙で大敗し、彼らは議員でいられなくなる可能性が高い。そうなれば元も子もなくなる。近視眼の彼らは、だがそこまでは見ない/見ようとしないのである。

彼らは今、「選挙の顔」になることができ、なおかつ自分たちの意のままになる「軽いお神輿」を探して狂奔している。しょせんは無駄な努力だと思うのだが。

♫ 捜し物は何ですか
見つけにくいものですか
かばんの中も机の中も
探したけれど見つからないのに
まだまだ探す気ですか ♫

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