ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

「核持ち込み」の密約をめぐって

2024-05-20 14:36:40 | 日記
きのうの朝日新聞には、第1面にデカデカと次の見出しが打たれていた。

核搭載艦、日本寄港容認の文書 60年安保改定、米『事前協議なしに』 米公文書、専門家が精査

記事本文には、こうある。

1960年の日米安全保障条約改定をめぐる交渉で、核兵器を積んだ米軍艦の日本寄港を事前協議なく認める密約を両政府が交わしていたことを示す米公文書が見つかった。
(朝日新聞5月19日)

この記事を読んだとき、私は「さもありなん」と思ったが、「1960年の当時、世間がこの密約の事実を知ったら、大変なことになっていただろうな」と想像した。

1960年といえば、「60年安保」の争乱の年である。学生たちの「アンポ反対!」の運動が盛り上がり、デモ隊が国会に乱入して「樺美智子さんの死亡」という痛ましい事件を起こしている。

日米安保条約の、その改定に対する反対運動がそれほどの盛り上がりを見せたのに、改定をめぐる日米の交渉の過程で「核兵器を積んだ米軍艦の日本寄港を事前協議なく認める密約を両政府が交わしていた」という事実が明らかになったら、「アンポ反対!」の運動はさらに燃え上がり、「女子学生1名の死亡」くらいでは済まなかっただろう。

日本政府が当時、密約の事実をひた隠しにした事情はよくわかる。そのような密約を日米両政府が交わさざるを得なかった事情もわからなくはない。

アメリカ政府は当時、日本を「防共の砦」にしようと考えていた。その目的を遂げるには、日本列島にいくつか米軍基地をおき、核兵器を積んだ米軍艦を日本各地の港に自由に立ち入りできるようにする必要がある。
一方、日本政府にしてみれば、米軍が核装備をして日本列島に展開してくれたほうが、日本を中ソの共産主義勢力から防衛する盾として、心強く思われたに違いない。

問題の核心は、「核問題」にどう対処するかにある。日本政府は大きなジレンマをかかえていた。中ソの共産主義勢力に対抗するには、日本は核武装しなければならない。核武装ができないのであれば、弱小国家・日本はアメリカの「核の傘」に入り、その庇護を受ける必要がある。

いずれにしても、国際社会の緊張関係の中で自己の存続をはかろうとすれば、日本は「核」との関わりを持たないわけにはいかないのだが、問題は、その「核」に対する日本国民の激しい忌避感情である。
唯一の被爆国として、多くの人命を「核」によって奪われた日本人は、「核」に対して、アレルギーにも似た激しく複雑な忌避感情を持っていた。それはいかんともし難い。

トンデモ兵器の「核」などとは関わりを持ちたくない。けれども「核」との関わりを持たなければ、国際社会の中で生きていくことはできない。

このジレンマを解消するために、日本政府が考え出したのが、日本国民向けには「非核」の立場を公言しながら、その裏でアメリカと「核の持ち込み容認」の密約を交わすことだった。

その密約の存在が今頃になって明らかになったとしても、私はべつに驚かない。「さもありなん」と思うだけである。

今あらためて私は考える。(「非核」の理念と「核の傘」の実利とを使い分ける)日本政府の戦略は、これで良かったのだろうか、と。
う〜む、難しい問題である。

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