スカが自民総裁選への出馬を断念した。断念へとスカを追い込んだのは、言うまでもなく国民の世論である。国民の支持が3割を切ったら、そんなソーリは立つ瀬を失うに決まっている。スカ・ソーリを見限ったのは、党内の魑魅魍魎というより、国民なのだ。
国民に「ノー!」の暴風(ブーイング)を突きつけられ、次の総選挙で「自民スカ丸」が暗礁に乗り上げるのは確実と知ったら、この泥舟の乗組員は、まずもって船長の首をすげ替えようと考えるだろう。それを察知した船長は、首を切られる前に、自らこの泥舟をすたこら逃げ出したということである。「暴風が吹かなければなあ」と思っても、後の祭り。これは自分が蒔いた種だから仕方がない。
今、我々が知りたいのは、だれが次の船長になるかである。「自民丸」の、というよりも、我らが「日本丸」の、次の船長に適任なのは、だれなのか。
河野太郎、という名前が浮かんでくる。この人物の名前が私の印象に深く刻まれたのは、去年6月の、イージス・アショア配備中止問題をめぐってである。その日のことを、私は本ブログで次のように書いた。
「私はそのニュースをきのうの夕餉の食卓で聞いた。河野太郎なる人物が有能なのか、無能なのか、あるいは野心家なのか、ぼんくらなのか、残念ながら私の関知するところではないが、今回の彼の判断に、私は思わず快哉を叫びたくなった。」
(2020/6/16《今は昔の イージス・アショア》)
「河野太郎なる人物が有能なのか、無能なのか、あるいは野心家なのか、ぼんくらなのか、残念ながら私の関知するところではない」と留保をつけたのは、私がこの人の人となりについて、「ちょっとなあ・・・」という躊躇いの気持ちを禁じ得なかったからである。
この人はこのときは防衛相だったが、外務相だったときの記者会見の様子などを見て、「この人、相当の気分屋で、エキセントリックな人ではないか」との印象を抱いたのである。メンタルがどことなく不安定であるような印象が、この人を「一推し」とする気持ちを躊躇わせたと言ってよい。
そこへきて、今回の「スカ潰れ」騒動である。ポスト・スカはだれかと考えたとき、真っ先に浮かんだのが、河野太郎の名前だった。だが同時に私の頭に浮かんだのは、文春がぶち上げた彼の「パワハラ報道」のことだった。文春は次のように伝えている。
「9月29日に自民党総裁選が迫る中、世論調査で『次期首相1位』に挙げられる河野太郎ワクチン担当相兼規制改革担当相(58)。8月24日に行われたオンライン会議の場で、資源エネルギー庁の幹部職員にパワハラを行った疑いがあることが『週刊文春』の取材でわかった。
会議には河野氏のほか、内閣府の山田正人参事官と、エネ庁の山下隆一次長、小澤典明統括調整官の3名が参加した。『週刊文春』はこの会議の様子を録音した約28分間の音声を入手。河野氏が山下氏と小澤氏を大声で怒鳴りつける様子が収録されていた。」
(文春オンライン「週刊文春」9月9日号の事前配信)
あの河野太郎がパワハラを行った、ーーそう聞かされても、私は驚かなかった。意外だとも思わなかった。あのエキセントリックな男なら、さもありなん。そう思ったのである。そしてこう考えた。この人、やはり首相の器ではないわな。
河野太郎に対する私の見方がガラリと変わったのは、サイトJBpressに掲載された記事《暴走する河野太郎氏のパワハラより重大な問題》(筆者は池田 信夫氏)を読んだからである。そこにはほぼ次のようなことが書かれていた。
1.「パワハラ事件」が起こったのは、「エネルギー基本計画(エネ基)」の文言をめぐって、河野氏がエネ庁(資源エネルギー庁)の官僚と丁々発止の議論を戦わせている最中だった。
2.河野氏は「再エネ最優先」の方針にこだわり、この方針を担保するような文言を「エネ基」に盛り込むように要求した。具体的には、「2030年に再エネ36~38%程度」という記述を、「2030年に再エネ36~38%以上」という記述に変更するように迫った。
3,河野氏の要求になかなか応じようとしないエネ庁官僚の態度に業を煮やし、河野氏が大声で口にしたのが、以下の言葉だった。
「河野『日本語では、36~38以上と言うのが日本語だろ』
エネ庁『いや、積み上げて36~38程度……』
河野『積み上げて36~38になるんだったら、以上は36~38を含むじゃないか! 日本語わかる奴出せよ、じゃあ!』」
禅問答のようなチンプンカンプンのやり取りだが、内容はともかく、私の胸を打ったのは、エネルギー政策の基本理念をめぐって、これだけ熱く語れるこの人の政治的パトスの激しさである。
なあなあ、まあまあ、の事なかれ利害調整型ではなく、(熱い心を持った)理念主導型の若い政治家が、我らの「日本丸」船長になったとき、この船長は我々をどこに連れ出し、我々にどういう景色を見せてくれるのか。私はその景色が見てみたくなったのである。
国民に「ノー!」の暴風(ブーイング)を突きつけられ、次の総選挙で「自民スカ丸」が暗礁に乗り上げるのは確実と知ったら、この泥舟の乗組員は、まずもって船長の首をすげ替えようと考えるだろう。それを察知した船長は、首を切られる前に、自らこの泥舟をすたこら逃げ出したということである。「暴風が吹かなければなあ」と思っても、後の祭り。これは自分が蒔いた種だから仕方がない。
今、我々が知りたいのは、だれが次の船長になるかである。「自民丸」の、というよりも、我らが「日本丸」の、次の船長に適任なのは、だれなのか。
河野太郎、という名前が浮かんでくる。この人物の名前が私の印象に深く刻まれたのは、去年6月の、イージス・アショア配備中止問題をめぐってである。その日のことを、私は本ブログで次のように書いた。
「私はそのニュースをきのうの夕餉の食卓で聞いた。河野太郎なる人物が有能なのか、無能なのか、あるいは野心家なのか、ぼんくらなのか、残念ながら私の関知するところではないが、今回の彼の判断に、私は思わず快哉を叫びたくなった。」
(2020/6/16《今は昔の イージス・アショア》)
「河野太郎なる人物が有能なのか、無能なのか、あるいは野心家なのか、ぼんくらなのか、残念ながら私の関知するところではない」と留保をつけたのは、私がこの人の人となりについて、「ちょっとなあ・・・」という躊躇いの気持ちを禁じ得なかったからである。
この人はこのときは防衛相だったが、外務相だったときの記者会見の様子などを見て、「この人、相当の気分屋で、エキセントリックな人ではないか」との印象を抱いたのである。メンタルがどことなく不安定であるような印象が、この人を「一推し」とする気持ちを躊躇わせたと言ってよい。
そこへきて、今回の「スカ潰れ」騒動である。ポスト・スカはだれかと考えたとき、真っ先に浮かんだのが、河野太郎の名前だった。だが同時に私の頭に浮かんだのは、文春がぶち上げた彼の「パワハラ報道」のことだった。文春は次のように伝えている。
「9月29日に自民党総裁選が迫る中、世論調査で『次期首相1位』に挙げられる河野太郎ワクチン担当相兼規制改革担当相(58)。8月24日に行われたオンライン会議の場で、資源エネルギー庁の幹部職員にパワハラを行った疑いがあることが『週刊文春』の取材でわかった。
会議には河野氏のほか、内閣府の山田正人参事官と、エネ庁の山下隆一次長、小澤典明統括調整官の3名が参加した。『週刊文春』はこの会議の様子を録音した約28分間の音声を入手。河野氏が山下氏と小澤氏を大声で怒鳴りつける様子が収録されていた。」
(文春オンライン「週刊文春」9月9日号の事前配信)
あの河野太郎がパワハラを行った、ーーそう聞かされても、私は驚かなかった。意外だとも思わなかった。あのエキセントリックな男なら、さもありなん。そう思ったのである。そしてこう考えた。この人、やはり首相の器ではないわな。
河野太郎に対する私の見方がガラリと変わったのは、サイトJBpressに掲載された記事《暴走する河野太郎氏のパワハラより重大な問題》(筆者は池田 信夫氏)を読んだからである。そこにはほぼ次のようなことが書かれていた。
1.「パワハラ事件」が起こったのは、「エネルギー基本計画(エネ基)」の文言をめぐって、河野氏がエネ庁(資源エネルギー庁)の官僚と丁々発止の議論を戦わせている最中だった。
2.河野氏は「再エネ最優先」の方針にこだわり、この方針を担保するような文言を「エネ基」に盛り込むように要求した。具体的には、「2030年に再エネ36~38%程度」という記述を、「2030年に再エネ36~38%以上」という記述に変更するように迫った。
3,河野氏の要求になかなか応じようとしないエネ庁官僚の態度に業を煮やし、河野氏が大声で口にしたのが、以下の言葉だった。
「河野『日本語では、36~38以上と言うのが日本語だろ』
エネ庁『いや、積み上げて36~38程度……』
河野『積み上げて36~38になるんだったら、以上は36~38を含むじゃないか! 日本語わかる奴出せよ、じゃあ!』」
禅問答のようなチンプンカンプンのやり取りだが、内容はともかく、私の胸を打ったのは、エネルギー政策の基本理念をめぐって、これだけ熱く語れるこの人の政治的パトスの激しさである。
なあなあ、まあまあ、の事なかれ利害調整型ではなく、(熱い心を持った)理念主導型の若い政治家が、我らの「日本丸」船長になったとき、この船長は我々をどこに連れ出し、我々にどういう景色を見せてくれるのか。私はその景色が見てみたくなったのである。