レアなものほど、人はそれを欲しがる。人が欲しがるものほど、人はそれを欲しがる。ゆえにレアなものを求めて、自ずと行列ができ、行列は行列を呼ぶ。人は行列に加わろうとし、それを求めて殺到することになる。
先日、渋谷にできた大行列は、そういう思惑によって仕組まれた結果ではないだろうか。東京都が若者向けに開設した、予約不要のワクチン接種会場での出来事である。若者たちが群れをなしてワクチンを求めるという、この予想外の奇妙な光景は、東京都が意図して作り出した作為の結果だと見ることができる。それが私の見立てである。
当初、この出来事に対しては、東京都の不手際を指摘する批判の声が強かった。ワクチン接種を希望する若者に対しては、ネットで予約手続きができるように体制を整えるべきではなかったのか。そうすれば、こんな〈密〉な状態は生まれなかったはずだ、云々。
むろんネットによる予約方式を、東京都の職員が思い付かなかったはずはない。私はそう思う。デジタル弱者が多い年寄りならいざ知らず、今の若者はほとんど全員がスマホを持ち、スマホの操作に習熟している。だからスマホで予約、という仕組みを作ればつつがなく事は運び、「大行列の発生」などという大事には至らずに済むはずだ、ーーそんなことを知らない都庁職員ではないと私は思う。
それではなぜ、都庁職員はこの方式を取り入れなかったのか。
私の脳裏に浮かぶのは、Windows 95が発売された1995年、あるいはプレステ2が発売された2000年、秋葉原で発生した大行列の光景である。若者たちがなぜWin95やプレステ2に殺到したのかといえば、それは、冒頭に述べた(行列が行列を呼ぶ)群衆心理のなせる技である。
都庁の職員は、それと同じ効果を狙ったのではないか。
「若者たちはワクチン接種を敬遠する傾向が強い」。そういう報道がなされている。ワクチンを敬遠する若者たちをワクチン接種会場へと向かわせる手立てとして、群馬県の山本一太知事は「ワクチンを打てば、豪華景品が当たりますよ〜」と接種促進キャンペーンを始めたが、そんなことをしなくても、コロナ・ワクチンをWin95やプレステ2のような「垂涎の的」に仕立て上げれば良いだけの話である。
さて、都庁の若者誘導作戦。若者たちははたして都庁の策略に踊らされるのかどうか。結果を聞くのが楽しみな天邪鬼爺である。
先日、渋谷にできた大行列は、そういう思惑によって仕組まれた結果ではないだろうか。東京都が若者向けに開設した、予約不要のワクチン接種会場での出来事である。若者たちが群れをなしてワクチンを求めるという、この予想外の奇妙な光景は、東京都が意図して作り出した作為の結果だと見ることができる。それが私の見立てである。
当初、この出来事に対しては、東京都の不手際を指摘する批判の声が強かった。ワクチン接種を希望する若者に対しては、ネットで予約手続きができるように体制を整えるべきではなかったのか。そうすれば、こんな〈密〉な状態は生まれなかったはずだ、云々。
むろんネットによる予約方式を、東京都の職員が思い付かなかったはずはない。私はそう思う。デジタル弱者が多い年寄りならいざ知らず、今の若者はほとんど全員がスマホを持ち、スマホの操作に習熟している。だからスマホで予約、という仕組みを作ればつつがなく事は運び、「大行列の発生」などという大事には至らずに済むはずだ、ーーそんなことを知らない都庁職員ではないと私は思う。
それではなぜ、都庁職員はこの方式を取り入れなかったのか。
私の脳裏に浮かぶのは、Windows 95が発売された1995年、あるいはプレステ2が発売された2000年、秋葉原で発生した大行列の光景である。若者たちがなぜWin95やプレステ2に殺到したのかといえば、それは、冒頭に述べた(行列が行列を呼ぶ)群衆心理のなせる技である。
都庁の職員は、それと同じ効果を狙ったのではないか。
「若者たちはワクチン接種を敬遠する傾向が強い」。そういう報道がなされている。ワクチンを敬遠する若者たちをワクチン接種会場へと向かわせる手立てとして、群馬県の山本一太知事は「ワクチンを打てば、豪華景品が当たりますよ〜」と接種促進キャンペーンを始めたが、そんなことをしなくても、コロナ・ワクチンをWin95やプレステ2のような「垂涎の的」に仕立て上げれば良いだけの話である。
さて、都庁の若者誘導作戦。若者たちははたして都庁の策略に踊らされるのかどうか。結果を聞くのが楽しみな天邪鬼爺である。