ささやんの天邪鬼 座右の迷言

世にはばかる名言をまな板にのせて、迷言を吐くエッセイ風のブログです。

公明の「一律10万円」花火

2021-09-25 11:40:36 | 日記
投開票を4日後に控え、自民党の総裁選は今や宴たけなわである。4人の候補者たちはテレビのワイドショーに朝から出ずっぱりで、猿回しの猿よろしく、自民党のPRに大きく貢献を果たしている。

こうした自民党の攻勢に気圧され、焦りを禁じ得ないのが、自民以外の各政党である。野党第1党・立憲民主党の枝野代表は、自民への対抗意識から「政権交代すれば7つの政策を実行する」とぶち上げ、自民と連立を組む与党の公明党は、「0歳から高3までの子どもに一律10万円を給付する」と、大盤振る舞いの花火を打ち上げた。

「一律10万円給付」の話を聞いて、私は、「ああ、またか」と、奇妙な既視感にとらわれた。去年の4月にも公明党は「新型コロナ給付金」として「全国民に1人当たり10万円を支給する」とぶち上げた。「特定の世帯に30万円を給付する」とした自民の政策を覆して、政権与党としてのこの政党の存在感を見せつけた。

このとき私は本ブログで、次のように書いたことを思い出したのである。

「私が問題にしたいのは、給付方式の変更によって、その根幹にある理念がーー『援助を必要とする困窮世帯に、必要なだけの援助を』という(幾何学的平等の)理念がーー見失われてしまったことである。」
(20/4/29《新型コロナ給付金と理念の問題》)

公明党が打ち出した「全国民1人当たり10万円」という政策は、「援助を必要とする人にも、必要としない人にも、皆一律に一定額を支給する」という理念に基づいている。この理念は、「幾何学的平等」の理念に対して「算術的平等」の理念と名づけることができるが、私はこの「算術的平等」の理念に異議を唱えたかったのである。

とはいえ「幾何学的平等」の理念をいざ制度化して実行に移すとなると、様々な困難がつきまとうことも否定できない。まず指摘できるのは、この制度の分かりにくさである。「幾何学的平等」の理念に基づく給付方式は、一定の基準を条件に、どの世帯が「援助を必要とする世帯」であり、どの世帯がそうでないかを振り分けようとするものだが、この「基準」がどうにも分かりにくい。自分がこの基準を満たしているかどうかが、申請者にはとにかく解りにくかった。また、この基準を満たす世帯がホントに「(援助を必要とする)困窮世帯」に当たるかかどうかの見極めも問題になる。

私は今、公明党がこのたび打ち出した「0歳から高3までの子どもに一律10万円を給付する」という政策は、しかし充分にアリではないかと考えている。コロナ禍の被害は、ほとんどの子どもに及んでいるのではないかと見るからである。

小中高生は学校がリモート授業になれば、端末機器を揃え、Wi-Fi を引くなどしなければならず、そのためには金がかかる。大学生はアルバイト収入の道が絶たれ、授業料や小遣いを親にせがまなければならなくなる。私のような高齢者には無縁の話だが、そういう子どもを持った親にしてみれば、たとえ10万円でも御の字だろう。政権に埋没したかに見える公明党だが、この党も次の総選挙にはこれで少しは盛り返すのではないか。

自民党の総裁候補者たちは、ああでもない、こうでもないと細々しい議論を戦わせている。それに比べれば、公明党の「0歳から高3まで一律10万円」政策は単純で平凡だが、この党には、災いを福に変える知恵者がいるらしい。
コメント
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