「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

4月18日 リーガルハイ!と、カッツェ様と、石原都知事と、思考の黄金律!

2012年04月18日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

4月も中旬を越えまして、暖かい時間も増えて楽しいばかりです。

この季節は、ほんとにうれしくて、朝食も毎日おいしく食べられますねー。

今日は、納豆卵ご飯でしたー。

よくかき混ぜた納豆と卵がしっくりとクリーミーに混ざって、炊きたての暖かいごはんと相まって、

極上のおいしさでしたー。いやあ、日本人に生まれてよかったなーって感じです。


さて、昨日、リーガルハイ、見ちゃいました。

まあ、堺雅人さんを僕はどうも好きらしい・・・まあ、女性の目で彼を見ているのかもしれませんねー。

まあ、しかし、一見、やさしそうな外見を持つひとが、はっちゃけた役をやると、おもしろくなる・・・これは、もう、お約束ですから、

リーガルハイ、存分に楽しみました。


まあ、楽勝と見せかけて、窮地に陥り、大逆転の秘策を思いつき、大逆転!相手涙目!というのは、お約束のストーリーでしたが、

素直に楽しめましたねー。

古株の俳優さんの真剣演技あり、若手女優の新鮮な演技あり・・・大演技大会で、ドラマを存分に楽しめましたねー。


まあ、リーガルハイ、というのは、僕のサイクリストハイと同じく、法廷に出ると、ハイになる、というところから来ているのだそうで、造語だそうです。

まあ、でも、堺雅人さんのはっちゃけた演技、楽しめましたねー。


まあ、でも、僕は、この堺雅人さん演じる研介の思想に非常に近いので、おもしろいですね。

「人生は、楽しむべきものだ。使えるだけの手を使って、存分に楽しんだもん勝ちだ!」

「俺は神ではない。誰が正しく、誰が間違っているかなんて、わからない。でも、弁護士として勝ち続ければ、それでいい。人生は勝つためにある」

「究極的には、自分が楽しければ、それでいいんだ。愛する者が幸せになればいいんだ」

まあ、こんな感じですかね。


人生は、しあわせになるためにあるし、

勝つためにある。


今日のベルクカッツェさんは、いいことを言ってました。

「人生に近道なんてないのよー!すべては、経験してみないとわからないし、近道ばかり歩いてきた人間は、中身のスカスカな人間になってしまうものなの!」

まあ、後半部分は、僕の思いですけど、これ、研介の生き方に似ているようでいて、実はまったく正反対の生き方なんですね。


弁護士として勝ち続けることが出来ると豪語する研介は、いろいろな経験を積んでいるからこそ、大胆な発想にして緻密な思考が出来る。

思考というのは、毎日繰り返し続け無ければいけないし、繰り返し続けることで自分なりの思考の形、黄金律というのが、出来ていくんですね。

「こういう考え方をしていけば、自分独自な答えが出せる。その答えを裁判に応用出来れば、自分は百勝無敗の弁護士になれる」

研介は、人生のどこかで、この真理にたどり着いた。

つまり、自分なりの黄金律に辿り着くまで、思考を重ねる、ということが大事なんですね。


最近、よく若い人間と話していると気づくんですが、

「ウィキを見れば、たいていのことがわかるから、便利」

ということを言うんですね。


それは確かにそうなんだけど、ウィキというのは、抽出された知識に過ぎないから、その母集団はどういうものか。

その母集団から、どういう風に知識を抽出するのか。その判断根拠は?

そのあたりを体験的に知らなければ、ウィキに書かれていないことには思いが至らないことになる。


つまり、ウィキを利用しているひとは、

「こういう近道を知らない人間は、かわいそう」

という思いをどこかで持っているような気がするし、ある意味、それは、俺偉い病にかかっていることになる。


「自分は、特別な人間だ。新しい知識を駆使出来る、他の人間とは、違う人間なんだ」

この思いは、誰でも持ちたい種類の思いです。

でも、そこが落とし穴・・・カッツェ様が言うように、それを繰り返していると、ただのウィキ人間になってしまって、

ウィキに書いていないことは、わからない人間になってしまうということになるわけです。


そんな人間、話していても、まったくおもしろくないでしょう?


自分なりの考えというのを毎日作っていかないと、つまらない人間になってしまうということです。


研介が言うように、この世の正義というのは、あやふやなものです。


例えば、石原知事が尖閣諸島を買ったといいます。

実際のオーナーは日本人だったわけで、そこから買ったわけだから、何の違法性もない。


もちろん、中国側は反発したし、中国が好きな日本人一派はしきりに印象操作を行なっているようです。

正義は、どっちにある?と聞いたら、どう答えるでしょうか?皆さんは。


それぞれの立場で、話す以外ないのではないでしょうか。


中国親派の人間なら、石原都知事のやり方に反発するし、

「そういうやり方をしなくても、もう少し穏健なやり方もあるだろうに」

と思っているひとも、石原都知事のやり方に反発するでしょう。

「石原都知事、よくやった」

というひとだって、相当数いるはずだ。


大事なことは、その意見の根拠を自分なりに示せることです。


僕は石原さんの行動力を賞賛したいですね。

中国やその他から反発を受けることは、折込み済みで、今の日本政府に対しても強烈な皮肉ですからね。この行為は。

中国をまるで腫れ物を扱うみたいに弱腰外交のつけが今回ってきているというのに、

何も出来ない官僚、政治家達・・・それに対しての強烈な皮肉だ。

今の日本政府の腰抜け低能カス政治家には、いい薬になったんじゃないですか。


ま、そういう政治家は今後消えて行くことになるでしょうけどね。


ま、僕は石原知事の、そこを評価したいです。


もうひとつ言えば、当事者以外で、領土問題や国際問題に、業を煮やしている人間は、自分のリアルライフが不幸せな人間です。

自分の人生をしあわせにすら出来ない、だから、領土問題や、国際問題などで、他人を叩ける問題を見つけては、叩き、奇声をあげ、気持ちよくなっているに過ぎない。

テレビでそんな人間のインタビューを流すけど、そんなの見る必要はありません。


そういう人間は、黄金律は、おろか、何もしようとしない、何も出来ない人間なんですから、最初から相手にする必要はないんです。


要は研介の見解のように、

「自分のリアル・ライフを楽しく生きることだけが、人生の意味だ」

これに尽きるんです。


そこを理解し、すべての情報にあたり、その中から、自分に有用な情報を抜き出し、思考し、自分なりの思考の黄金律を作っていく。

そうやって、自分の人生は、出来上がっていくし、他人とは違う、独自な生き方の出来る人間になっていくのです。


そうやって、リアルライフをおもしろくしていくのです。


独自な黄金律が出来上がってしまえば、こっちのものだ。

誰とも違う、独自な自分として、社会に対峙していきましょう。

世界に対峙していきましょう。


以上

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