一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。
彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。
「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「先人考察編」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」
と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。
「うん。そうだな・・・今日は近代文学の祖とも言える「夏目漱石」をとりあげてみようか」
と、タケルは話し始めます・・・。
さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。
「彼がイギリスに留学していたのは、有名なところだが、要は欧州の文学を読んだ彼が・・・小説を自家薬籠中の物にして、作家になっていたと見ていいと思うね」
と、タケルは言葉にする。
「彼の作品には、若者が親しみやすい作品が多い。「坊っちゃん」なんてその典型的な作品だと思うし「吾輩は猫である」はわかりやすい滑稽小説だ」
「「三四郎」は青春小説だし、その系譜である「それから」や「門」もある意味、青春小説と言えないことはない。その主題はいろいろに変わるが」
「要はその時代の息吹的な「恋愛論」と言うべきなのが、文学だからね。ある意味、どこまでも、その時代の恋愛マニュアル・・・というのが文学の本質だ」
と、タケルは言葉にする。
「「三四郎」と言えば、「ストレイ・シープ」という言葉が非常に印象的でしたね」
と、レイカ。
「若い男性は・・・いや、すべての男性が人生のストレイ・シープ・・・とも言うべき存在だよ。それを夏目漱石は見抜いていた・・・大衆から共感を得られる」
「と、そう見抜いていたということだね。大衆の共感を得られる言葉を持つこと・・・それが小説の売れる理由でもあるのだからね」
と、タケル。
「ま、現今の時代を見ると、何歳になっても「ストレイ・シープ」のままのバカオヤジが横行している時代だからね。年齢をいくら重ねてもストレイ・シープのままの」
「中身ダメオヤジ・・・それが横行しているのが、現代の日本さ。笑っちゃうだろ。そういう人間はふしあわせスパイラル一直線だよ。ま、そういう人間は仕事も出来ない」
「単なるクズだ。生きている価値すらない。それでいて、「俺偉い病」「逃げ込み者」「傍観者」そういう人間達だ・・・笑うよね。生きていて恥ずかしい存在だ」
と、タケル。
「人間は、いつストレイ・シープから、抜け出るか・・・そこが重要だ。そういう意味では自営業の人間は「僕の人生はこれに尽きる」という職業をすでに」
「見つけている人間と言うことが出来る。ストレイ・シープから抜け出し、自我そのものを取り戻した・・・そう言えるんじゃないかな」
「要は「求道者」になれた人間こそ、自我を取り戻し、光り輝く存在になれている人間達と言えるだろうね」
と、タケル。
「それは具体的に言うと・・・どういう存在になるんですか?」
と、レイカが聞く。
「美味しいパン屋でもいい。蕎麦屋でもうどん屋でも、パンケーキのお店でも、美味しいラーメン屋さんでもいい。牛丼屋さんでも居酒屋さんでも」
「とにかく、日本人に笑顔を届けてくれる、そういうお店達・・・デパートでも、CDショップでも、楽器屋でもなんでも・・・」
「日本人に笑顔を届けてくれる、そういうお店をやっている人たちはすべて「求道者」だ」
と、タケルは言う。
「日本における仕事とは・・・他人を笑顔にするからこそ、自分も笑顔になれる・・・こういう構造を持たなければ成り立たない」
「僕はサラリーマン時代、「僕が会社に行ったら、僕は廻りに迷惑をかける事になる。だから、あそこにはもう行ってはいけないんだ」という思いが強くなって」
「会社に行けなくなり・・・鬱病になり、結果クビになった・・・休職期間が2年を越えると自動的にクビ・・・そういうシステムを利用して」
「僕は、自分で自分をクビにした・・・そういう過去がある。つまり、職場環境とは、この日本においては、どこまでも」
「「他人を笑顔に出来るから、自分も笑顔になれる」という職場環境である必要があるんだ。それが日本の適正な職場環境であり」
「その職場環境があるから、ひとはしあわせに仕事が出来る・・・これが出来ていない職場及び人は・・・収入も伸びず、潰れるだけだ・・・」
と、タケルは言う。
「日本はどこまでも「和を以て貴しとなす」が最高正義のコミュニティなんですね」
と、レイカは息を飲む。
「ま、そういうことだ。なにしろ、日本の最高正義は「和を以て貴しとなす」なんだから、これが出来ない人間はダメだ、ということだ」
と、タケル。
「だから、職場の雰囲気を見れば、その職場が黒字なのか赤字なのかは、一発でわかる。ダメな職場は皆ストレスを溜めて、顔色が悪い」
「睡眠不足、ストレス過多、不満顔・・・こういう職場は長続きしない。システムが悪いのか、人材が払底しているのか、そもそも業務が悪いのか」
「そのどれかだよ・・・結局はその職場を構成している人間の問題なんだけどね。だから、人事は大事。ひとを見る目の無い人間は、いらないんだよ。この国では、ね」
と、タケル。
「もちろん、そういう諸々を経験した結果「求道者」になれれば・・・パン屋でもラーメン屋でもなんでもいい。お客さんを笑顔に出来て」
「「和を以て貴しとなす」を最高度に実現出来ている「求道者」は皆から歓迎されるし、収入も天井知らず・・・それこそが適正な仕事人としての生き方になるんだね」
と、タケル。
「さて、そういう話をしてから・・・「吾輩は猫である」を見ると・・・なんとなく、毎日をのたりのたりと生きている人間ばかりだね」
と、タケル。
「人事が大事と言うなら・・・この人間構成はどうなんでしょ?「吾輩は猫である」は?」
と、レイカ。
「この小説世界に出てくる人間の種類は2種類だ。英語教師の苦沙弥、美学者の迷亭、物理学者の寒月を始めとする、いわゆる明治の時代の高等遊民・・・」
「彼らの特徴は文化を愛する者だということだ。要は「知恵」を愛し「知恵」のある生活を大事にしている。そこに価値を置く人間達なんだね」
と、タケル。
「それに対して、お金に価値を置く人間達が出てくる。まあ、現実的な実業家という人間達だ。その名もそのものの「金田」・・・そしてその夫人」
「鈴木、多々良、そして面白いことに苦沙弥の夫人もそこに入るんだね。まあ、もちろん、苦沙弥は夏目漱石自身の投影だろうから」
「その夫人は夏目漱石夫人を諧謔化した存在ということになる。「うちのかみさんはカネが好きでね。まいっちゃうよ・・・」なんて夏目漱石の声が聞こえてきそうだね」
と、タケル。
「夏目漱石の価値観は、「高等遊民こそ、「知恵」の信奉者にして、価値のある人間であり、実業家は「カネ」の信奉者であり、価値の無い人間だ」ということになる」
「高等遊民を諧謔化し、笑いを取っているけど、そういう価値観が背後にある。高等遊民を面白き者達と漱石は考えているんだね。言葉にする価値があると」
「だが、「カネ」の信奉者に対しては、漱石は冷たい。金田夫人の巨大な鼻を笑いの対象にしたり、苦沙弥夫人の禿と背の低さを笑う・・・まあ、これは」
「自分の奥さんの諧謔化だから、多目に見るとしても、肉体の欠陥を笑うのは、その存在を否定しているわけだから、まあ、漱石が冷たい目で見ていると」
「見ていいだろう。要はその存在を否定しているんだよ。漱石の中では、ね」
と、タケル。
「まあ、「「知恵」の信奉者こそ、この世では大事。なぜなら、自分もそうだから・・・」という漱石の価値観がよくわかるね。「カネ」の信奉者には」
「ろくな人間がいない・・・それが彼の主張するところだ・・・この主張は彼の代表作である「坊っちゃん」も同じだ。彼は「カネ」の信奉者ズラする」
「赤シャツや野太鼓らを嫌い、義理人情に厚い、山嵐的人物を評価する・・・まあ、言わば浪花節的な空間の話になるんだ」
と、タケル。
「でも、タケルさんは、それに疑問がある・・・そういうことですか?」
と、レイカ。鋭いところを見せる。
「そうだ。例えば、「坊っちゃん」の話をすれば・・・まあ、題名にすでに漱石的価値観は現れているんだが、それはあとで話すとして・・・この物語、要は」
「不正の赤シャツや野太鼓をやっつけて、マドンナと結婚出来なかったうらなりの復讐を遂げて、山嵐と坊っちゃんはゆうゆう彼の地を後にする・・・」
「・・・そういう話だよね?」
と、タケル。
「そうですね。一種の英雄譚とでも言ったら、いいでしょうか」
と、レイカ。
「でもさ、レイカちゃん・・・もし、マドンナがレイカちゃんだったとしたら・・・おひとよしで消極的な性格のうらなりと」
「帝大卒の教頭で、おしゃれで金持ちで、女性にも気の使える赤シャツのどっちを結婚相手に選ぶ?」
と、タケル。
「それはその後の人生を真面目に考えれば、赤シャツを選ぶのは、女性として、当然でしょうね」
と、レイカ。
「そうだろ?女性は現実を知っている・・・リアルライフ力があるのが、女性だ。リアルライフ力に乏しく、すぐに二次元コンプレックスになるのが夢見がちな男性だ」
と、タケル。
「つまり、「坊っちゃん」という作品に出てくる赤シャツやマドンナや野太鼓という人間は、リアルライフ力の旺盛な現実的な男性や女性ということなんだ」
と、タケル。
「それに対して、山嵐や坊っちゃんは、くだらない英雄譚にあこがれる・・・言わば、二次元コンプレックスに落ち込む「逃げ込み者」的な妄想少年」
「そのものなんだよ・・・だいたい、学生達の為に、学校に残り、教育の責任を果たしたのは、赤シャツや野太鼓側なんだよ」
「それに対して、山嵐や坊っちゃんは、自己満足のオナニー的英雄譚を自分で演じ、現場から逃げ出した「逃げ込み者」そのもの・・・になるんだな」
と、タケル。
「だから、主人公は「坊っちゃん」なんだよ・・・世間知らずのアホ・・・つまりこの題名は、漱石が、自分を揶揄した題名なんだよ」
「その言葉は・・・「僕は未だに世間知らずの「坊っちゃん」だ。世間的に成功している赤シャツや野太鼓の生き方を気に喰わないなんて言って」」
「「一人妄想にふけるしか出来ない単なる妄想少年だ・・・本来は「カネ」を稼ぐためにいろいろな「知恵」を出してがんばっている金田や金田夫人は」」
「「実は素晴らしい存在なのだ。それはわかってる。わかっているけど・・・それが出来ない僕は未だに「坊っちゃん」・・・しょうがないよ」」
「「そういう性分なんだから・・・」ということになる。漱石は自分が未だに二次元コンプレックスな妄想少年だと言うことに気づいているんだよ」
と、タケルは言葉にする。
「・・・ということは、実業家が毎秒オリジナルな「知恵」を出して資産を増やしていることは素晴らしいことだと彼はわかっていた、と?」
と、レイカ。
「そういうことだよ。それを彼は重々承知していた。その素晴らしさも、ね。でも、彼は庶民に向かって文章を書く必要があった」
「だから、二次元コンプレックスな妄想少年を主人公にするしかなかったのさ。だって、庶民は実業家の素晴らしさもわからず」
「ただ、毎日の自分のダメさ加減に愚痴を吐くくらいが関の山の人間達だったからね。だから、敵を実業家として、二次元コンプレックスな妄想少年を」
「主人公に「坊っちゃん」を書く以外なかった・・・「坊っちゃん」とは、そうやってしか生きられない自分に対する諧謔の精神から名づけた題名なのさ」
と、タケル。
「自分は未だに世間知らずの「坊っちゃん」だと、彼は主張したわけですか?」
と、レイカ。
「そういうこと・・・彼の苦笑ぶりがわかるね」
と、タケルは笑った。
「そういう時代や、そういう自分に苦笑していたのが、漱石・・・そういう事ですか?」
と、レイカ。
「そう。それが今回の結論になるね」
と、タケルは笑いながら、言葉にした。
「いやー、勉強になりました。タケルさん・・・そんな目で、「坊っちゃん」をとらえたことなんて、ただの一度もなかったし、その「坊っちゃん」と言う題名が」
「夏目漱石が、自分を揶揄する題名だったとは・・・そんな説明一度も見たことありませんから・・・」
と、レイカ。
「ま、「知恵者」というのは、現象の背後にある意図を説明出来ないとやってはいけないからね。当然の説明をしたまでさ。漱石さんとこころがつながった感じだよ」
と、タケル。
「すごいんですね。タケルさんは・・・」
と、レイカ。
「まだま、半端者さ・・・」
と、タケルは言葉にした。
「さて、結論も出たようだし、レイカちゃん、今日も飲みに行こうか」
と、タケルは言葉にする。
「はい、どこまでもお供します」
と、レイカは言うと、赤縁のメガネを取り、髪を解いた。
(おしまい)
しかし、面白いですね。
漱石の意識・・・自分は未だに二次元コンプレックスの妄想少年の世間知らずの「坊っちゃん」だ・・・・そういう漱石の声が今にも聞こえてくるような気がします。
一瞬だけですが、漱石の意識とつながったようで、おもしろかったです。
彼はいつまでもストレイ・シープだったのかもしれませんね。人生の中で・・・。
楽しかったです。夏目漱石さん。
さすがに深い文学者との対話は楽しい。
ではでは。