いやあ、楽しかったですねえ。
今回は涙は浮かばず、朗らかな気持ちでエンディングを迎えました。
少しずつ少しずつ、大きなカタルシスに到達する予感をはらみながら、というところでしょうか。
東郷はんも登場してきましたし、いやあ団長、やっぱり司令官がお似合いですな。
どこかのシーンでレイバンでもしてくれたら、楽しいんだが、
まあ、このドラマではそこまでのおふざけはないでしょう(笑)。
いやぁ、しかし巡洋艦が砲をぶっ放すシーンなんて見ると男性としては
素直に燃えますな。まあ、戦争賛美する気なんてさらさらないですが、
やはり本能的に燃えるものはありますね。
まあ、基本的にはエンターテイメントとして捉え、徹底的に楽しみたいですね。ほんの小さい頃、
「宇宙戦艦ヤマト」を楽しんだ世代ですからねぇ(笑)。なんかアニメ映画もやるみたいだし、
キムタクで実写化とかやってるみたいだし(笑)。なんか大ゴケ臭がプンプンするけど、がんばって
もらいたいですね(笑)。見に行く気はあまりないけれど(笑)。
さて本編の始まりは日本国憲法発布のシーンからです。国会も翌年から開催ということで、例のちょうちん行列という
奴ですな。一話の終わりで、西田さんが言っていた、紳士としての国家への条件というやつが少しずつ
揃ってきているんですねぇ。さてそんな中、例ののぼさんの政治熱も復活しつつあるようで、バンザイを繰り返して
います。と、突然咳こみ、雪の上に倒れこむと、手に血痰が・・・。それを見て驚くのぼさん。さらに咳は止まらず、
雪の上にも赤い血の色が・・・と思ったら、日の丸の赤い色が溶け出したものだった・・・だよなあれ。
のぼさんは、自分の肺結核がすでに重篤化しつつあるのを知り、一気に4,50句も創り上げてしまうんですね。
自分の余生がそれほど長くないことに気づいたんですねぇ。
子規という号が、ホトドキスの別名であることも語られます。血に啼くような声(どんな声だ?(笑))に
特徴があり、血を吐いた自分にかけたんだそうです。しかし、血に啼くってどいうこと?(笑)。
まあ、ホトトギスの子が口の中が赤いという説もあるようですけど。
結局、のぼさんは療養目的で松山に帰るんですね。青雲の志を持って出て行った松山に、太政大臣になると言って
出て行った松山に、療養のために帰るのぼさんの気持ちはいかばかりか。車夫にさえ気を使われて、病人のぼさんは
帰宅するわけです。まあ、基本的にさびしがりやで泣き虫ののぼさんです。自宅に入る前に落ち込む自分を叱咤して
明るい自分を演じるわけです。でも、そんなのぼさんのこと、みんな知ってるわけです。
だから、お母さんも精一杯の笑顔で迎えてあげるわけです。でも、そんなのぼさんが、病気なんで心配なんですね。
しかも死病といわれる結核ですから、なおさらです。まあ、心配されれば、やさしいのぼさんのことです、
「ほんのちぃと血を吐いただけじゃあ」とことさらに軽く言って体を叩いてみせたりするわけですねぇ。
気持ちのやりあいといったところでしょうか。そしてもちろん、お約束のりーさんも帰ってきます。
しかしこのひとはいつも走ってますねぇ。気持ちの熱い女性ですねぇ(笑)。
走りこんできてのぼさんの前にたつと「あにさんの看病はうちがするけん」とりーさんは必死の表情で言い放ちます。
「お嫁にいったおまえにそんなことはさせられん」と当然のようにのぼさんは断りますが、
「ええの」と言って「生きたすっぽん」をのぼさんの目前に差し出し、
「この血は滋養があって体にええんじゃ、すっぽん屋で料理の仕方おしえてもろうたけん」
と目をぎらぎらさせてやる気まんまんです。そりゃ小さい頃から、「弱い兄を守るのは私」、とがんばってきた
りーさんですから、死病を得た兄のためなら、水火も辞さないと言ったところでしょうか。
母から「淳さんからお使いがきた」と聞いたのぼさんは体ごと躍り上がります。「あさってお見舞いにいきます」
ということづてを聞くと「3年ぶりじゃあああ」とそれこそおおきく躍り上がってよろこびを爆発させます。
そりゃ、あの置き手紙が最後でしたからねぇ。一緒に勉強した日々を思い出せば、のぼさんの喜ぶ気持ちもわかりますねぇ。
「去年の夏、帰っておいでじゃったが」とうれしそうに楽しかった時間を思い出したりーさんですが、
のぼさんが咳をするのを見ると、素直な感想を言うのをやめ、のぼさんのために、無理にけなすんですね。
「たいそう、悪相になっておった」と。「悪相とはどんな悪相じゃあ」とのぼさんに聞かれてりーさんは、
「顔が真っ黒になって、目ばかりぎょろぎょろしておった」と素直に状況説明。
「海軍さんには毎日厳しい訓練がある。日に焼けるのは健康な証拠じゃろうが」と能天気なのぼさんなのでした。
「そういえば、淳さんはりつがまた嫁に行ったことを知っとったじゃろうか」とのぼさんは
りーさんの気持ちをちょっとなぶってみます。
「あにさんから伝えるといいよったじゃろ」と必死な表情でのぼさんを追求しますが、
「喀血もあってついつい伝えそびれた・・・」というのぼさんの卑怯な逃げ手。
「ほいじゃあ、淳さんまだお知りんのじゃね」
と心配する母親さんと頭を抱えるりーさん(ほんとに額に手をあててた(笑))。
するとニコリとしながら、
「うそじゃぁー。うそじゃぁー」と微笑むのぼさん。
「ちゃあんと手紙に書いといたがな」とうそついて、りーさんの気持ちをつっついてみたんですね。
「じゃがのう。半年にもなるけど返事がこん。淳さんは怒ってるかもしれんぞね」
とりーさんを指さしますが、りーさんは「いーっつ」として、土間にいってしまいます。
そして、こっちを向いて口を指で横に広げ「いーっつ」。りーさんがまだほんの少しだけ
「淳さんに恋心があること」を確かめて見たんですねぇ。
笑いの絶えない明るい家族です。
このシーンも考えこまれてますね。死病ののぼさんを囲むのぼさん思いのひとたち。
特に健気に兄を思うりーさん。それを演技力抜群のひとたちが演じる。なんて最高なドラマなんでしょう。
それに、前回のりーさんとじゅんさんの浜辺の別れのシーンで、確かに淳さんがめちゃくちゃ日焼けしていた
のが気になっていたんですが、このシーンのために日に焼けてたんですね。確かに真っ黒で目だけギラギラしてた
イメージでしたしねぇ。こうやってあとから、わかる役作りというのがすごいですね。
なんと豪華な役者使い(笑)。いやあ、書いてるだけでうれしくなってきますねえ(笑)。
それにのぼさんがかかわるシーンは明るい。みんな気持ちのやさしい設定ですから、気分がよくなりますね。
なんか、サザエさん一家のようでもあり。楽しいです。
「その日松山はきゅうり封じであった」って、きゅうり封じをよく映像化してますねぇ。
きゅうり封じってのは、弘法大師さんが薬師如来の本願によって病魔・悪鬼をきゅうりに封じ込め、
病を癒し自らの生命力を増進させ無病息災を得られたことがその始まりだとか、(ネットはモノ調べが楽でいいね)
本願というのは、本当の願いということで、今の言葉では約束にあたるんだとか。
まあ、弘法さんが、薬師如来の力を使って、病魔悪鬼をきゅうりに封じたんですね。しかし、なぜきゅうり・・・
なんてことは考えてはいけないのでしょうねえ。
京都・五智山・蓮華寺というところでは、1本1000円(たかぁ)で加持したきゅうりを頂けるそうで、
「きゅうりはお持ち帰りになって、3日間朝晩痛いところ悪いところを ご真言を唱えながらきゅうりでさすって
4日目の朝 人の踏まない正常な土に埋めるか川に流してください」
ということだそうです。へえー、そういうものがあったんだねぇ
(原作読んだときに初めて知ったはずだけど、忘れてた(笑))。
しかし、今の時代、調べ物が楽だね(笑)。大学の卒論とか、いろいろ楽に資料に当たれるんで、論文の質も
あげられるよなあ。まあ、楽できるっていうベクトルもあるんだけれど(笑)。
とそんな中に白い海軍さん、淳さんきゅうりを2本持って登場。のぼさんちですね。
入るとりーさんに出会って・・・。なんか淳さんうろたえながら、敬礼。
りーさんもうろたえながら、なぜか敬礼。このりーさんの敬礼姿がまた愛らしい
(やべ、管ちゃん好きになってしまいそうだ(笑))。
お互い、緊張感がとれてほほえみあう。なんかほんわかして、いいシーン。
「あにさんが首をなごうして待っています」
まありーさんからすれば、あにさんも好きだし、淳さんも好きなんだから、
ほんわかするわな(笑)。
りーさん、淳さんを連れて部屋へ行こうと、後ろを向いたとき気づくんですね。
自分が嫁にいったことが伝わってるか、伝わってないか、わからないことを。
それで、「あのー、私、淳さん・・」となるわけです。
「いろいろあって・・・」と説明しかけるところに
淳さんが「りーさんに会えるとは思わなかった」となるわけですね。
その反応にちょっとうれしくなるりーさんですが、気を取り直して
「あの、うち・・」と話そうとするところに、
「聞いとる。聞いとるけん」と話をさせない淳五郎。
これも淳さんのやさしさなんですねぇ。
このドラマは相手を思いやるやさしさを持つ人間が
ほんとうに多い。そういう時代だったんでしょうねぇ。
「これ厄払いの」と淳さんがきゅうりを差し出すと
「今日はきゅうり封じの日やったねぇ」と暑い太陽を二人で見上げたりする。
なんとも言えんええシーンです。
なんてところに、さわぎながら走ってくるのぼさん登場。
別れの時のあの描写があったおかげで、このシーンはちょっと感情的になりそうでした。
淳さんは置き手紙で去った経験があるから、目に感情が浮かびます。
のぼさんもうれしそうに、淳さんの軍服姿を眺め、
感慨深げに「ようにおうとる・・・」と話します。
お互いの感情が高まります。淳さんは少し首をかしげながら、
「ほうか・・・」と言うのが精一杯。
お互い涙を流しそうになるくらいうれしいんですね。
それを横から収めるりーさん「さーはよう、二人とも、あがって」
二人の気持ちがよくわかってるからこその、気遣いなんですねぇ。
りーさんもちょっと感情が高ぶって少し泣きそうになりながらです。
淳さんとのぼさんのひさしぶりの会話がはじまります。
「兵学校は毎日どうじゃ」興味深げにのぼさんが聞きます。
何しろ、なんにでも興味のあるのぼさんですからねぇ。
「いたちのようじゃ。毎日注意ぶこうきょろきょろしとる」と淳さんが言うと、
「ほいたら、淳さんにうってつけじゃがー」と、のぼさんいつものように調子がいいですね。
淳さんは、少し探るような気を使うような表情になりながら、「帰郷してから喀血はしとらんかの?」。
のぼさんの体が心配なんですね。のぼさんも少し真面目な感じになりながら、冷静に
「それがのう。血ぃの中に、泡みたいなものがまじっとる」と分析してるんですね自分なりに。
「色も東京で吐いたときほど、あざやかではない」と、どうも咳のために気管が破れたらしいんですね。
自分の症状を冷静に感じ取りながら、それを句にしてみせる、剛毅さがある。
「そこでのう。あしは一句作った」となるわけです。のぼさんらしい。
「気管破裂、蒸気あぶなし、血の海路」
いやいや、明るい病人ですね。淳さんも
「のぼさん、豪傑じゃねぇ」と言うしかないよね(笑)。
「俳号も決めた。子規。正岡子規じゃ」正岡子規誕生ですね。それを聞いてぽかんとしている淳さんに向かって
「ホトトギスのことよ。言うなりゃ肺結核の代名詞よ」と、ちょっと誇る風。のぼさんが誇らしげにする
いつもあの感じです。恐竜学校や予備門でいつもやってた感じが戻ってきてなつかしい。
「それが俳号か。自虐的じゃのう」というあきれ顔もいつも淳さんです。
図星を言われて笑いながらお茶を飲むのぼさん。いやあ、ほんとかわいいね、のぼさんは。
ただ、この「しき」という音を聞いて、ふと「死期」にもかけたんじゃないかと
ふと思いましたね。死というものをのぼさんが考えなかったはずはないでしょう。
だから、ホトトギスという意味と「死期」という音をかけ、
ダブルミーニングにしたんじゃないかなあ、とふと思いました(笑)。
さて、そこへ「どうぞー」と桃をぶどう酒で煮た物を持って登場のりーさん。
いやあ、確かにぜいたく品ですな。
「病気になっても食欲だけはおとろえん」
こののぼさんの食欲についての述懐は、嵐山光三郎の
「文人悪食」の正岡子規の欄にくわしいですね。
なんでも、他人にたかるのがうまかったらしく、
松山に帰った子規が夏目漱石の下宿に居候したときには、
勝手にうなぎの蒲焼を取り寄せて、漱石に「きみ払ってくれたまえ」
とやったらしいですからね(笑)。
子規の手記「仰臥漫録」にも
三羽の鴫を焼かせて昼食として食い、粥三碗、なし、ぶどうも合わせて食い、
間食に牛乳一合、菓子パン大小数個、塩煎餅、夕食は与兵衛寿司二つ三つ、
粥二碗、まぐろさしみ、煮茄子、なら漬、ぶどう、
夜食にりんご二切、飴湯を飲んだ、となっている。
すごいねぇ(笑)。病人とは思えぬ食欲ですなぁ。
そいで、のぼさん、淳さんのもってきたきゅうりも持って来いと頼みます。
「あれは縁起悪いけん」というりーさんに、
「その厄を食うちゃるんじゃあ」といつもののぼさん流。りーさんが離れると、
「一日おきにわしの看護に来とるんじゃあ。また、嫁ぎ先で離縁されそうになっとる」
と淳さんに告げ口をするわけですが、淳さんはやさしいので、
「そんなこといわなくていいから」という表情をするんですね。もちろんりーさんにも話が聞こえている
わけで、「余計なことを」とりーさんはこわい声。
「りーさんはあにさんおもいじゃからのう」とやさしく淳さんがフォローします。
のぼさんは性懲りも無く「だんなは松山中学の教師で、背も小さく風采のあがらない男で・・・」
と続けて、「今度こそ離縁されたら、今度こそ離縁されたら・・」と小声で愚痴ると
「あにさん!」とさすがにりーさんに切れられます。
「おーこわ」というのぼさんは予定通りな顔で、笑うわけですが、
どうもりーさんは本気で怒っているようです(笑)。きゅうりをきつい感じで縁側におきます。
「やっぱり厄はいけんか。血ぃをはいたところじゃけん」とにやつくと、
「あたりまえじゃ」と淳さん。それに笑いながら、お茶をつぐりーさん、きゅうりでおがむのぼさん。
なんだか、気分のいい、松山の風景なのでした。病人がのぼさんだからねぇ。
なんとなく、のほほんとしています。
今回は涙は浮かばず、朗らかな気持ちでエンディングを迎えました。
少しずつ少しずつ、大きなカタルシスに到達する予感をはらみながら、というところでしょうか。
東郷はんも登場してきましたし、いやあ団長、やっぱり司令官がお似合いですな。
どこかのシーンでレイバンでもしてくれたら、楽しいんだが、
まあ、このドラマではそこまでのおふざけはないでしょう(笑)。
いやぁ、しかし巡洋艦が砲をぶっ放すシーンなんて見ると男性としては
素直に燃えますな。まあ、戦争賛美する気なんてさらさらないですが、
やはり本能的に燃えるものはありますね。
まあ、基本的にはエンターテイメントとして捉え、徹底的に楽しみたいですね。ほんの小さい頃、
「宇宙戦艦ヤマト」を楽しんだ世代ですからねぇ(笑)。なんかアニメ映画もやるみたいだし、
キムタクで実写化とかやってるみたいだし(笑)。なんか大ゴケ臭がプンプンするけど、がんばって
もらいたいですね(笑)。見に行く気はあまりないけれど(笑)。
さて本編の始まりは日本国憲法発布のシーンからです。国会も翌年から開催ということで、例のちょうちん行列という
奴ですな。一話の終わりで、西田さんが言っていた、紳士としての国家への条件というやつが少しずつ
揃ってきているんですねぇ。さてそんな中、例ののぼさんの政治熱も復活しつつあるようで、バンザイを繰り返して
います。と、突然咳こみ、雪の上に倒れこむと、手に血痰が・・・。それを見て驚くのぼさん。さらに咳は止まらず、
雪の上にも赤い血の色が・・・と思ったら、日の丸の赤い色が溶け出したものだった・・・だよなあれ。
のぼさんは、自分の肺結核がすでに重篤化しつつあるのを知り、一気に4,50句も創り上げてしまうんですね。
自分の余生がそれほど長くないことに気づいたんですねぇ。
子規という号が、ホトドキスの別名であることも語られます。血に啼くような声(どんな声だ?(笑))に
特徴があり、血を吐いた自分にかけたんだそうです。しかし、血に啼くってどいうこと?(笑)。
まあ、ホトトギスの子が口の中が赤いという説もあるようですけど。
結局、のぼさんは療養目的で松山に帰るんですね。青雲の志を持って出て行った松山に、太政大臣になると言って
出て行った松山に、療養のために帰るのぼさんの気持ちはいかばかりか。車夫にさえ気を使われて、病人のぼさんは
帰宅するわけです。まあ、基本的にさびしがりやで泣き虫ののぼさんです。自宅に入る前に落ち込む自分を叱咤して
明るい自分を演じるわけです。でも、そんなのぼさんのこと、みんな知ってるわけです。
だから、お母さんも精一杯の笑顔で迎えてあげるわけです。でも、そんなのぼさんが、病気なんで心配なんですね。
しかも死病といわれる結核ですから、なおさらです。まあ、心配されれば、やさしいのぼさんのことです、
「ほんのちぃと血を吐いただけじゃあ」とことさらに軽く言って体を叩いてみせたりするわけですねぇ。
気持ちのやりあいといったところでしょうか。そしてもちろん、お約束のりーさんも帰ってきます。
しかしこのひとはいつも走ってますねぇ。気持ちの熱い女性ですねぇ(笑)。
走りこんできてのぼさんの前にたつと「あにさんの看病はうちがするけん」とりーさんは必死の表情で言い放ちます。
「お嫁にいったおまえにそんなことはさせられん」と当然のようにのぼさんは断りますが、
「ええの」と言って「生きたすっぽん」をのぼさんの目前に差し出し、
「この血は滋養があって体にええんじゃ、すっぽん屋で料理の仕方おしえてもろうたけん」
と目をぎらぎらさせてやる気まんまんです。そりゃ小さい頃から、「弱い兄を守るのは私」、とがんばってきた
りーさんですから、死病を得た兄のためなら、水火も辞さないと言ったところでしょうか。
母から「淳さんからお使いがきた」と聞いたのぼさんは体ごと躍り上がります。「あさってお見舞いにいきます」
ということづてを聞くと「3年ぶりじゃあああ」とそれこそおおきく躍り上がってよろこびを爆発させます。
そりゃ、あの置き手紙が最後でしたからねぇ。一緒に勉強した日々を思い出せば、のぼさんの喜ぶ気持ちもわかりますねぇ。
「去年の夏、帰っておいでじゃったが」とうれしそうに楽しかった時間を思い出したりーさんですが、
のぼさんが咳をするのを見ると、素直な感想を言うのをやめ、のぼさんのために、無理にけなすんですね。
「たいそう、悪相になっておった」と。「悪相とはどんな悪相じゃあ」とのぼさんに聞かれてりーさんは、
「顔が真っ黒になって、目ばかりぎょろぎょろしておった」と素直に状況説明。
「海軍さんには毎日厳しい訓練がある。日に焼けるのは健康な証拠じゃろうが」と能天気なのぼさんなのでした。
「そういえば、淳さんはりつがまた嫁に行ったことを知っとったじゃろうか」とのぼさんは
りーさんの気持ちをちょっとなぶってみます。
「あにさんから伝えるといいよったじゃろ」と必死な表情でのぼさんを追求しますが、
「喀血もあってついつい伝えそびれた・・・」というのぼさんの卑怯な逃げ手。
「ほいじゃあ、淳さんまだお知りんのじゃね」
と心配する母親さんと頭を抱えるりーさん(ほんとに額に手をあててた(笑))。
するとニコリとしながら、
「うそじゃぁー。うそじゃぁー」と微笑むのぼさん。
「ちゃあんと手紙に書いといたがな」とうそついて、りーさんの気持ちをつっついてみたんですね。
「じゃがのう。半年にもなるけど返事がこん。淳さんは怒ってるかもしれんぞね」
とりーさんを指さしますが、りーさんは「いーっつ」として、土間にいってしまいます。
そして、こっちを向いて口を指で横に広げ「いーっつ」。りーさんがまだほんの少しだけ
「淳さんに恋心があること」を確かめて見たんですねぇ。
笑いの絶えない明るい家族です。
このシーンも考えこまれてますね。死病ののぼさんを囲むのぼさん思いのひとたち。
特に健気に兄を思うりーさん。それを演技力抜群のひとたちが演じる。なんて最高なドラマなんでしょう。
それに、前回のりーさんとじゅんさんの浜辺の別れのシーンで、確かに淳さんがめちゃくちゃ日焼けしていた
のが気になっていたんですが、このシーンのために日に焼けてたんですね。確かに真っ黒で目だけギラギラしてた
イメージでしたしねぇ。こうやってあとから、わかる役作りというのがすごいですね。
なんと豪華な役者使い(笑)。いやあ、書いてるだけでうれしくなってきますねえ(笑)。
それにのぼさんがかかわるシーンは明るい。みんな気持ちのやさしい設定ですから、気分がよくなりますね。
なんか、サザエさん一家のようでもあり。楽しいです。
「その日松山はきゅうり封じであった」って、きゅうり封じをよく映像化してますねぇ。
きゅうり封じってのは、弘法大師さんが薬師如来の本願によって病魔・悪鬼をきゅうりに封じ込め、
病を癒し自らの生命力を増進させ無病息災を得られたことがその始まりだとか、(ネットはモノ調べが楽でいいね)
本願というのは、本当の願いということで、今の言葉では約束にあたるんだとか。
まあ、弘法さんが、薬師如来の力を使って、病魔悪鬼をきゅうりに封じたんですね。しかし、なぜきゅうり・・・
なんてことは考えてはいけないのでしょうねえ。
京都・五智山・蓮華寺というところでは、1本1000円(たかぁ)で加持したきゅうりを頂けるそうで、
「きゅうりはお持ち帰りになって、3日間朝晩痛いところ悪いところを ご真言を唱えながらきゅうりでさすって
4日目の朝 人の踏まない正常な土に埋めるか川に流してください」
ということだそうです。へえー、そういうものがあったんだねぇ
(原作読んだときに初めて知ったはずだけど、忘れてた(笑))。
しかし、今の時代、調べ物が楽だね(笑)。大学の卒論とか、いろいろ楽に資料に当たれるんで、論文の質も
あげられるよなあ。まあ、楽できるっていうベクトルもあるんだけれど(笑)。
とそんな中に白い海軍さん、淳さんきゅうりを2本持って登場。のぼさんちですね。
入るとりーさんに出会って・・・。なんか淳さんうろたえながら、敬礼。
りーさんもうろたえながら、なぜか敬礼。このりーさんの敬礼姿がまた愛らしい
(やべ、管ちゃん好きになってしまいそうだ(笑))。
お互い、緊張感がとれてほほえみあう。なんかほんわかして、いいシーン。
「あにさんが首をなごうして待っています」
まありーさんからすれば、あにさんも好きだし、淳さんも好きなんだから、
ほんわかするわな(笑)。
りーさん、淳さんを連れて部屋へ行こうと、後ろを向いたとき気づくんですね。
自分が嫁にいったことが伝わってるか、伝わってないか、わからないことを。
それで、「あのー、私、淳さん・・」となるわけです。
「いろいろあって・・・」と説明しかけるところに
淳さんが「りーさんに会えるとは思わなかった」となるわけですね。
その反応にちょっとうれしくなるりーさんですが、気を取り直して
「あの、うち・・」と話そうとするところに、
「聞いとる。聞いとるけん」と話をさせない淳五郎。
これも淳さんのやさしさなんですねぇ。
このドラマは相手を思いやるやさしさを持つ人間が
ほんとうに多い。そういう時代だったんでしょうねぇ。
「これ厄払いの」と淳さんがきゅうりを差し出すと
「今日はきゅうり封じの日やったねぇ」と暑い太陽を二人で見上げたりする。
なんとも言えんええシーンです。
なんてところに、さわぎながら走ってくるのぼさん登場。
別れの時のあの描写があったおかげで、このシーンはちょっと感情的になりそうでした。
淳さんは置き手紙で去った経験があるから、目に感情が浮かびます。
のぼさんもうれしそうに、淳さんの軍服姿を眺め、
感慨深げに「ようにおうとる・・・」と話します。
お互いの感情が高まります。淳さんは少し首をかしげながら、
「ほうか・・・」と言うのが精一杯。
お互い涙を流しそうになるくらいうれしいんですね。
それを横から収めるりーさん「さーはよう、二人とも、あがって」
二人の気持ちがよくわかってるからこその、気遣いなんですねぇ。
りーさんもちょっと感情が高ぶって少し泣きそうになりながらです。
淳さんとのぼさんのひさしぶりの会話がはじまります。
「兵学校は毎日どうじゃ」興味深げにのぼさんが聞きます。
何しろ、なんにでも興味のあるのぼさんですからねぇ。
「いたちのようじゃ。毎日注意ぶこうきょろきょろしとる」と淳さんが言うと、
「ほいたら、淳さんにうってつけじゃがー」と、のぼさんいつものように調子がいいですね。
淳さんは、少し探るような気を使うような表情になりながら、「帰郷してから喀血はしとらんかの?」。
のぼさんの体が心配なんですね。のぼさんも少し真面目な感じになりながら、冷静に
「それがのう。血ぃの中に、泡みたいなものがまじっとる」と分析してるんですね自分なりに。
「色も東京で吐いたときほど、あざやかではない」と、どうも咳のために気管が破れたらしいんですね。
自分の症状を冷静に感じ取りながら、それを句にしてみせる、剛毅さがある。
「そこでのう。あしは一句作った」となるわけです。のぼさんらしい。
「気管破裂、蒸気あぶなし、血の海路」
いやいや、明るい病人ですね。淳さんも
「のぼさん、豪傑じゃねぇ」と言うしかないよね(笑)。
「俳号も決めた。子規。正岡子規じゃ」正岡子規誕生ですね。それを聞いてぽかんとしている淳さんに向かって
「ホトトギスのことよ。言うなりゃ肺結核の代名詞よ」と、ちょっと誇る風。のぼさんが誇らしげにする
いつもあの感じです。恐竜学校や予備門でいつもやってた感じが戻ってきてなつかしい。
「それが俳号か。自虐的じゃのう」というあきれ顔もいつも淳さんです。
図星を言われて笑いながらお茶を飲むのぼさん。いやあ、ほんとかわいいね、のぼさんは。
ただ、この「しき」という音を聞いて、ふと「死期」にもかけたんじゃないかと
ふと思いましたね。死というものをのぼさんが考えなかったはずはないでしょう。
だから、ホトトギスという意味と「死期」という音をかけ、
ダブルミーニングにしたんじゃないかなあ、とふと思いました(笑)。
さて、そこへ「どうぞー」と桃をぶどう酒で煮た物を持って登場のりーさん。
いやあ、確かにぜいたく品ですな。
「病気になっても食欲だけはおとろえん」
こののぼさんの食欲についての述懐は、嵐山光三郎の
「文人悪食」の正岡子規の欄にくわしいですね。
なんでも、他人にたかるのがうまかったらしく、
松山に帰った子規が夏目漱石の下宿に居候したときには、
勝手にうなぎの蒲焼を取り寄せて、漱石に「きみ払ってくれたまえ」
とやったらしいですからね(笑)。
子規の手記「仰臥漫録」にも
三羽の鴫を焼かせて昼食として食い、粥三碗、なし、ぶどうも合わせて食い、
間食に牛乳一合、菓子パン大小数個、塩煎餅、夕食は与兵衛寿司二つ三つ、
粥二碗、まぐろさしみ、煮茄子、なら漬、ぶどう、
夜食にりんご二切、飴湯を飲んだ、となっている。
すごいねぇ(笑)。病人とは思えぬ食欲ですなぁ。
そいで、のぼさん、淳さんのもってきたきゅうりも持って来いと頼みます。
「あれは縁起悪いけん」というりーさんに、
「その厄を食うちゃるんじゃあ」といつもののぼさん流。りーさんが離れると、
「一日おきにわしの看護に来とるんじゃあ。また、嫁ぎ先で離縁されそうになっとる」
と淳さんに告げ口をするわけですが、淳さんはやさしいので、
「そんなこといわなくていいから」という表情をするんですね。もちろんりーさんにも話が聞こえている
わけで、「余計なことを」とりーさんはこわい声。
「りーさんはあにさんおもいじゃからのう」とやさしく淳さんがフォローします。
のぼさんは性懲りも無く「だんなは松山中学の教師で、背も小さく風采のあがらない男で・・・」
と続けて、「今度こそ離縁されたら、今度こそ離縁されたら・・」と小声で愚痴ると
「あにさん!」とさすがにりーさんに切れられます。
「おーこわ」というのぼさんは予定通りな顔で、笑うわけですが、
どうもりーさんは本気で怒っているようです(笑)。きゅうりをきつい感じで縁側におきます。
「やっぱり厄はいけんか。血ぃをはいたところじゃけん」とにやつくと、
「あたりまえじゃ」と淳さん。それに笑いながら、お茶をつぐりーさん、きゅうりでおがむのぼさん。
なんだか、気分のいい、松山の風景なのでした。病人がのぼさんだからねぇ。
なんとなく、のほほんとしています。