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「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

何故、柴田勝家は敗れたのか!彼に何が足りなかったのか!(男は、謹厳実直なだけではダメ!)

2014年08月07日 | 夜の日本学


一人の髪の毛の長い背の高い細身の女性が机に座り、ノートパソコンを叩いています。

彼女の名はレイカ(31)・・・とある雑誌の取材記者です。

「えー、それでは、タケルさん、夜の日本学「戦国武将考察編」・・・お願いします。今日は誰について語ってくれるんですか?」

と、レイカはノートパソコンを叩きながら、赤縁のメガネを手で直し、こちらを見つめます。

「うん。そうだな・・・今日も前回の続きと行こう・・・「羽柴秀吉さん」を続けて見ていこうよ」

と、タケルは話し始めます・・・。


さて、今日の「夜の日本学」はじまり、はじまりー・・・・。


「僕は前回の「軍配通信」で、官兵衛・羽柴秀吉組は、「秀吉を天下人に押し上げる」という具体的で明確な目標を持てたからこそ」

「清須会議でも戦略通り事が運んだし、その後の柴田勝家との戦いにおいてもすべて有利に進めることが出来た・・・と考察したんだけど」

「前回、明智光秀を考察したから、今回は柴田勝家は何故負けたか?と言うあたりを中心テーマとして見て行きたいんだね」

と、タケルは言葉にする。

「具体的で明確な目標を持てたから、その目標を達成出来た官兵衛・秀吉軍に対して・・・柴田勝家は何故負けたのか、その理由を明確にしようと言うわけですね?」

と、レイカ。

「そうだ。人には勝つ理由も明確にあるけれど、負ける理由だって明確にあるはずだからだ」

「・・・それを明確に出来れば、僕らの普段の生活でそうならないように気をつけていればいいと言うことになるからね・・・」

と、タケル。

「なるほど・・・それなら、まず、明確に言えるのは、柴田勝家は、腕っ節自慢の「俺偉い病」だったと言うことでしょうね?」

と、レイカ。

「うん、それはまず、第一に挙げなければいけない項目になるね・・・彼は秀吉の才走った行動を一々嫌い、自分の武力のみを自慢した」

「例えば、これは秀吉と柴田勝家が事を構えた時、最初に出たエピになるけれど、柴田勝豊のエピが、柴田勝家のダメさ加減を示すエピになるね・・・」

と、タケル。

「柴田勝豊と言えば・・・柴田勝家の姉の子で、柴田勝家の甥・・・それが柴田勝家の養子となって・・・柴田勝豊を名乗るんですね・・・」

「清須会議で柴田勝家所領になった近江長浜城の守備を任されるも・・・柴田勝家が同じ養子の柴田勝政ばかり優遇し、自分を冷遇したことから」

「義理の父柴田勝家を裏切り、羽柴秀吉側に長浜城を渡しています・・・そのエピの事ですね、タケルさん」

と、レイカ。

「うん、そう。これを見て、わかるけど、柴田勝家は、やることが中途半端なんだよね。つまり、自分の次の世代を誰に負かすか、柴田勝家は決めきれていないんだよ」

「だから、柴田勝政を次代を任せると決めていれば、柴田勝政を優遇するのも、わかるし、その場合、長浜城の守備には、絶対的に柴田勝政に任すべきだったんだよ」

と、タケル。

「もし、次代を任す人間を決めきれていないのであれば、柴田勝政ばかり優遇したら、柴田勝豊が不快感を持つのは当たり前」

「であれば、尚の事、長浜城は、柴田勝豊に任せちゃいけなかったんだよ・・・こんな簡単な事がわからないのが柴田勝家なんだから、後は推して知るべし、だろうね」

と、タケル。

「なんか、その場の感情にばかり流されて日々生きているようなところがありますね、柴田勝家には・・・」

と、レイカ。

「そ。とにかく日々戦略的に生きるべきなのに・・・それが全く出来ていない・・・秀吉は大向うまで意識して、日々戦略的に生きていると言うのに」

「ただ、その場の感情に流されて、その場その場の感情で生活しているから・・・目標を達成すると言う結果が伴わない・・・そういう人間だったんだね」

と、タケル。

「例の清須会議が1582年の事・・・その後、秀吉の仲介で、柴田勝家はお市の方と結婚しています」

「その時、柴田勝家60歳、お市の方、35歳・・・お市の方の年齢を考えれば、柴田勝家は、夜の仕事にも励まなければならなかったはず・・・」

「当時の60歳は現代の70歳とも考えられますから・・・柴田勝家にとっては、相当なプレッシャーになっていたのではないかと考えられますね・・・」

と、レイカ。

「柴田勝家が日々感情に流されるタイプの男性であればね・・・でも、僕の持つイメージでは謹厳実直タイプな男性に思えるんだ」

「彼の統率力は抜群だったと言うし・・・つまり、彼は謹厳実直なだけ・・・だったんだな」

「謹厳実直な人間と言うのは、誰かの部下となった時に光輝く・・・「絶対の知恵者」信長の部下だったからこそ、柴田勝家は、その地位に登れたんだ」

「これが信長以外の武将だったら・・・ただ謹厳実直なだけのオトコでは、有名になれなかっただろうね・・・」

と、タケル。

「よくある・・・環境こそが、その人間を作ると言う・・・その実例ですか?柴田勝家は」

と、レイカ。

「そうだろうね。上司が織田信長だったからこそ、謹厳実直な柴田勝家は、あれだけの地位に登れたんだ」

「もちろん、信長にだって人を見る目がある・・・その意味では豪腕柴田は伊達じゃないだろう・・・だけども、謹厳実直なだけの人間と」

「羽柴秀吉さんは、全く違う・・・柴田勝家が織田信長の家臣だったからこそ、光り輝いたのだとすれば、秀吉と言うオトコは「絶対の知恵者」織田信長から」

「その「絶対の知恵者」ぶりを学んだんだ・・・だから彼は、信長が死んだ後、自分で自分の環境を作り出している」

「・・・まず、明智光秀を破り、発言権を得るや、自分が天下人になることを目標においているからこそ、それを周到に根回しし」

「清須会議では、その発言権を最大限に利用し、織田家の後継者を三法師に決めさせている・・・もちろん、次の天下人は自分だからこそ」

「織田家の後継者は、発言力の無い人間にする必要があった・・・その秀吉の狙いを知っていて・・・その秀吉に賭けて自分も運を開こうと考えた人間達が」

「秀吉の背中を押したんだ・・・」

と、タケル。

「それに対して、柴田勝家は、その秀吉の狙いも察知出来ず、ただただ、織田家の為と・・・謹厳実直なオトコで在り続けるしか出来なかった・・・」

「というより、謹厳実直だからこそ、秀吉にすれば、次の柴田勝家の狙いが見え見え・・・だからこそ、秀吉は柴田勝家を追い詰める事が出来たんですね?」

と、レイカ。

「そういうことだ・・・謹厳実直の弱点は、誰でもが思いつきそうな当然の処置しか発想出来ないと言うことだ」

「例えば、柴田勝家は、1582年11月、秀吉を騙す為の調略に出ている」

「秀吉を騙す為に、秀吉と仲の良い、前田利家、金森長近、不破勝光を秀吉の元に送り、和平交渉をしている。もちろん、それは柴田勝家が」

「北陸に領国を持っているから、冬の間は実質的に動けないからで・・・秀吉はそれを百も承知で、見せかけの和平を承諾しているんだけど」

「逆にチャンスと見て、この3人を逆に調略しているんだよね・・・」

と、タケル。

「賤ヶ岳で、前田利家が途中で退却したのも・・・この時の秀吉の調略が効いたからでしょうか?」

と、レイカ。

「その公算が高いだろうね。普通の事しか出来ない柴田勝家と・・・ピンチをチャンスに変える事の出来る秀吉を冷静に見た時、前田利家には」

「秀吉の勝ちが見えていたのかもしれないね・・・賤ヶ岳に行くよりも前の・・・この騙し合いの時に・・・」

と、タケル。

「で、だ・・・前田利家達には、いい顔をしておきながら、秀吉は冬が来ると、いそいそと、柴田勝家の仲間だった、織田信孝や滝川一益らを攻め始め・・・」

「・・・もちろん、柴田勝家は動かない・・・」

「そこにこそ様々なアイデアを着想出来る「絶対の知恵者」秀吉と誰かの指令に常に従順に謹厳実直に勤めることしかしてこなかった柴田勝家の「着想力」の差が」

「ここに出た、と言うことだね・・・」

と、タケル。

「なるほど・・・それを察知していた前田利家は・・・賤ヶ岳に着く幾日も前から柴田勝家への裏切りを予定していたんでしょうね・・・」

と、レイカ。

「ま、有り体に言えば、そういうことだろうね。なにせ自分の将来がかかっているんだもの・・・誰日本人は、誰を主人にするかは、シビアに見るよ」

と、タケル。

「つまり、この事実から言えることは謹厳実直なだけの人間にはつかず、「着想力」のある人間と共に生きよ・・・さすればしあわせになれる」

「・・・という「絶対の因果関係」がそこにあると言うことですね?」

と、レイカ。

「そういう事になるね・・・柴田勝家は謹厳実直に他人の言うことに唯々諾々と従って生きてきたから「着想力」を鍛える事も出来ず、平凡な脳しか持てなかったのさ」

と、タケル。

「まあ、上にも書いたけど、まず、秀吉は、12月に入ってから、柴田勝豊の近江・長浜城を手に入れると12月20日には、岐阜城にあった織田信孝を降伏させ」

「翌1583年正月、秀吉に宣戦布告してきた伊勢・長島城の滝川一益を2月中旬から攻撃している・・・もっとも、長島城は7月まで持ちこたえているけどね」

と、タケル。

「それでも、柴田勝家は謹厳実直にも、雪をかき出して軍勢の通る道を作り出兵してきていますね、賤ヶ岳の合戦の際に・・・」

と、レイカ。

「そうだね・・・やはり謹厳実直なだけに、味方のピンチを座視出来なかったんだね・・・柴田勝家さんは」

と、タケル。

「賤ヶ岳の合戦は・・・当初、戦線が膠着し・・・その際、再び挙兵した岐阜城の織田信孝攻撃の為に秀吉は賤ヶ岳の戦線を離れ」

「・・・その隙を柴田勝家側の佐久間盛政が突き、賤ヶ岳砦を攻撃・・・虚を突かれた秀吉側は劣勢となり、佐久間盛政による賤ヶ岳砦の占拠も時間の問題と思われましたが」

「琵琶湖を渡ってきた丹羽長秀の軍団2000が賤ヶ岳に到着すると戦況は一変、賤ヶ岳砦を確保しています」

と、レイカ。

「これは・・・やはり秀吉側による、隙を生んで、戦いを誘ったカタチと考えるべきでしょうか?」

と、レイカ。

「だろうね。その時、大垣城にいた秀吉軍は、14時に行軍を開始し、52キロの距離を5時間で移動し木之本に到達している」

「しかも、その大半は整備されていない丘陵地帯の山道を、だ」

と、タケル。

「だから、彼は事前に自分が戦線を抜けた後、柴田勝家側が仕掛けて来ることを計算に入れて行動していたと言うことになる」

「つまり、秀吉の戦線抜けは、秀吉一流の罠であり、要は「中国大返し後の山崎の戦いで勝利した時の法則」」

「言わば「突然現れた軍勢に人々はビビって戦闘力を低くしてしまう」法則をここでも使ったんだよ」

と、タケル。

「・・・ということはあらかじめ行軍速度が高く出来るような様々な工夫がすでに用意されていた・・・」

と、レイカ。

「そういうことになる・・・事前準備もなく、罠をしかける秀吉じゃないよ・・・ここでも発想力のあるなしが戦いの結果に出たことになるね」

と、タケル。

「突然の秀吉の帰陣に驚いた佐久間盛政は、同日夜に撤収を開始するも、朝方、秀吉軍に強襲され、柴田勝政らと共に激戦を繰り広げ、撤収には成功しています」

「しかし、直後に、前田利家、金森長近、不破勝光の軍勢が戦線から撤退したため・・・ってこの3人、前年の冬に秀吉の調略の為に派遣された3人じゃないですか!」

と、レイカ。

「ま、そういうことさ・・・ピンチをチャンスに変える秀吉の真骨頂と言ってもいいね」

と、タケル。

「その為に・・・前田利家、金森長近、不破勝光に対していた秀吉側の軍勢がすべて、柴田勢攻撃に集中し、佐久間盛政隊は奮戦するも撃破され」

「秀吉軍は、柴田勝家本隊に殺到、これを支えきれなくなった柴田勝家隊は総崩れ・・・居城、越前・北ノ庄城に帰還しました」

「その後は、もちろん、お市その他を刺し殺した上、柴田勝家は切腹・自刃となりました」

と、レイカ。

「こうやって見てくると普通の事しか出来ない柴田勝家とピンチをチャンスにすら変える「発想力」のオトコ羽柴秀吉が見事に対比出来ますね」

「羽柴秀吉を調略し騙す為のコマだったはずの前田利家、金森長近、不破勝光が逆に秀吉自身の調略を受け、賤ヶ岳の戦いの最も大事な時点で」

「裏切ると言う・・・もう、これは人間と言うのは、直接人を見れば・・・人を比べるし、どちらかに賭けるとすれば、人間性がデカくこころのほっこり暖かい」

「「発想力」のあるオトコに賭けるモノ・・・という恐ろしい日本人の法則すら、わかってしまいましたね・・・」

と、レイカ。

「そ。つまりは、人間性のデカイ、こころがほっこりと暖かい、「発想力」のある人間がしあわせになり」

「「発想力」の無かった謹厳実直だけが取り柄だった柴田勝家は、敗れたのさ・・・」

と、タケル。

「つまり、我々日本人は、人間性のデカイ、こころがほっこりと暖かい「発想力のある」人間に賭ければ・・・しあわせになれると言うことですね?」

「そして、謹厳実直なだけで、「発想力」の無い人間には、絶対についていってはいけないと・・・」

と、レイカ。

「ま、それが今日の結論だろうね・・・わかりやすく結論が出たね・・・」

と、タケル。

「それがある意味、脱サラした人間とサラリーマンをやってる人間の違いでもあるわけですね・・・」

と、レイカ。

「・・・そういう事」

と、タケルは目の笑う笑顔でレイカを見た。


「今日の結論も出たし・・・さ、今から、美味しいお酒を飲みにいきましょう?タケルさん!」

と、レイカは赤縁のメガネを外し、髪を解いた。

「レイカちゃん、本気だね。じゃ、気合いれて飲もうか!」

と、笑顔のタケルは机を片付けだすのでした。


(おしまい)


やっぱり、日本人は謹厳実直なだけではダメなんですね。

デカイ人間性とほっこりとした暖かい「発想力のある」人間でないと。

そして、なにより、「発想力」こそが、人々にしあわせを持ってくる・・・それが今回よーくわかりました。


その結論を楽しみながら、さあ、今日も、楽しく飲みましょう!


ではでは。

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