というわけで、まあ、書評というよりは、「自分の人生を確実に変えた本」という感じで、
この本について、書いてみたいと思います。
まあ、そういう自分の人生の岐路での方向性を示した本というのには、
いくつも出会ったような気もしますし、まあ、おいおいそういうものを書いていければなあ、ということです。
この「太郎物語(大学編)」という作品は、曾野綾子さんの作品で、まあ、曾野さんの息子の太郎くんをモデルにした
大学生の物語です。まあ、時代的には、1975年前後の話というわけです。初版は、79年の8月に出ていますが、
自分の持っている本は、82年の6月に出たものです。まあ、あとから、自分で買ったわけですね。
まあ、当時中学生だった自分は友人に「これおもしろいよ」的に言われて借りて読んだというわけです。
たぶん、この本が文庫本を読んだ初めての経験だったことを覚えていますが、
まあ、最初からラッキーな本に当たったということでしょうか。
なにしろ、自分が「大学に行こう!」と明確に決めたのは、本作を読んだことがきっかけになりましたからね。
本作は、大学受験を終えた太郎くんが、入学する大学を決め、キャンパスライフを過ごしていくストーリーです。
その中で、いろいろなできごとを太郎くん的視点で解説し、太郎くん的意見が吐かれます。当時まだ、中学生だった自分にとっては、
太郎くんの考え方や意見が非常に魅力的で個性的に感じたものです。そして、自分は高校生の時に、この本を感想文のテーマに選び、
「自分もこういう人間になりたい。魚に詳しくプロ並な太郎くんと同じように、自分の好きなものについて、プロ並な意見を吐ける人間になりたい」
と書いたことを覚えています。当時自分を担当してくれていた、まだ、「大学でたて」の国語の先生に、
「おう、覚えている覚えている。あれは、よく書けていたし、気持ちが伝わったぞ。俺もああいう気持ちになったことがあるからな!」
と「べた褒め」されたことを覚えています。まあ、僕は、当時はまだまだ気の弱いほんわかした少年だったので、「やたらうれしかった」ことを覚えていますねえ。
この「太郎物語(大学編)」では、主人公太郎くんは、北川大学というところで、キャンパスライフを送っています。まあ、名古屋の南山大学が、
モデルになってるんでしょうね。そこの「文化人類学」を学んでいるのが太郎くんというわけです。
彼は東京六大学クラスの私立大学に補欠で受かるわけですけれど、結局やりたいことのある、この北川大学に来るわけです。そういう自分を「都落ち」している、
なんて、女友達に語ったりするわけですけど、まあ、お決まりの5月病ちっくなものに入学直後に襲われたりするわけです。
ここらへん、まだまだ、そういう病が語られる以前の時代だったと思うのですが、すでにそういう傾向があったのか、曽野さんが独自に嗅ぎとったのか、
はわかりませんが、自分は読みながら、ちょっとわからなかった記憶がありますね。なんで、好きな場所にいけたのに、ぎつばたする(と表現されていた)んだろう?、
まあ、自分は実際に自分の志望の大学に入って、ウキウキしかしてなかったですけど、まあ、大学来なくなっちゃう友達とかいましたからね。
そういうもんなんだろうと、大学生になってから、わかりましたけど。
結局、そういうぎつばたしている太郎くんも、5月の連休に入り、「聖なる旅」と題した旅行にでることで、大きく復活するんですけどね。
彼は朝早いひとで、5時には目を覚まし、行動を起こしているんですけど、これも当時の自分には信じられませんでしたね。まあ、おかげで、太郎くんは、空いている電車
に揺られていけるし、鈍行で行ったわりに、もう、夕方の5時には、目的地の金沢まで着いてしまいます。
まあ、大学生になれば、これくらいのこと、どうってことはないと思うけど(中学生の自分から、見れば、ですよ)、それでも中学生の自分にはその行動力の旺盛さに感動したもんです。
ひとりの大人として、行動出来ている。まあ、今の自分から見ても行動力が旺盛だ、と感じるんですから、中学生レベルの予想を超えたものだったんでしょうね。
まあ、感覚的には、当時の曽野さんの感覚で書いているとは、思いますが(あまりにも行動的過ぎます、よね(笑))。
彼は、旅の間、定食屋でめしを食い、弁当を食べ、さらに弁当を食べ・・・と食欲も旺盛。途中、家出男と一緒になり、その愚痴につきあい・・・と、
ちょっと大学一年生にしては、大人すぎる経験をするんですが、まあ、そういう大人な体験に対する太郎くんの独自な見解が非常に自分には魅力的に
見えていました。自分も月並みな意見だけでなく、自分独自な意見が言えるようになりたい、自分独自な解釈が言えるような人間になりたい、
当時の自分が、そう思っていたことを覚えています。
まあ、「一人前の大人」、というだけでなく、「自分独自な解釈能力をもちたい」、と考えるきっかけになった本なんですね。
太郎くんは、金沢につくと、電話でホテルを予約します。しかも、
「できれば、安い部屋をお願いします」
と、言って。この時、
「安い部屋をはっきりと注文する方が、イキであって、決してばかにされることにはならないことを太郎は知っている」
と曽野さんは書いていらっしゃいます。
当時の自分は、こういう文章にやられました。
「世間で一般に通じている見方とは、違う「イキな方法」というものが、この世にはあって、それを知っていることのなんとかっこいいことか!」
と思ったのを覚えていますねえ。いやいや、いろいろな意味でうぶな中学生ですからね。まあ、世間を知るとき、というのは、いろいろびっくりするものです(笑)。
まあ、この本には、そういう「イキ」や、かっこよさが全編に散りばめられていて、当時の自分にとっては、バイブルみたいな本になっていました。
少なくとも、中学生当時の自分は、ここに描かれている情報が、「非常に重要だ!」ということを早速理解し、バイブルにしていたんですね。
ま、それだけでも、中学生当時の自分に、「おまえ、なかなかやるな!」と、言ってやりたい、気持ちですけどね(笑)。
「情報の取り扱いのセンス」というものは、一朝一夕に、身につけられるモノでも、ないですからね(苦笑)。
太郎くんは、二泊三日でその旅を終わらせるわけですが、その旅によって、「精神的な復活」をとげるわけです。
まあ、「精神的な復活」なんておおげさで、まあ、「ぎつばた」しなくなって、普通に戻ったということですけど。
この本の特徴に、文化人類学に関する文献だけでなく、当時の一級品(曽野さんが思っている)のいろいろな本がでてくる、ということもあげなければなりません。
まあ、大学生太郎くんですから、いろいろな本を「勉強」のために読まなければなりません。それだけでなく、「気晴らし」にも、いろんな本を読む。
自分は当時、このスタイルにあこがれました。当時いろいろなことに興味のあった自分でしたから、「「文化人類学」をやろうかなあ」、と思った時代もありました。
まあ、そうならなかったですけど。この本で出会った本は、結局自分の人生に大きな影響を与えたと言っていいでしょうねえ。
「ブリア・サヴァラン」の「美味礼讃」を教えてくれたのも、この本です。当時まだ、中学生だった自分には、まだ、難しかったですけど、大学の時に手に入れ、
未だに楽しんでいます。
とにかく、食に対しての姿勢を変えたのも、この本ということになりますね。なにしろ、主人公の太郎くんは、普通に食事をつくり、ごく普通に食べますからね。
まあ、アパートにひとりで住んでるわけだから、そうなるのは、当然ですが、食事は母がつくるもの、と考えていた中学生には、目新しかったですね。
そして、「自分もいろいろ食事を作れるようになろう!」と決心することになるのです。ま、大学時代に自炊していたし、ま、今でも趣味的に楽しんでます。
「食」の話で好きなのは、太郎くんが、ある朝登校している最中に、コジュケイを狩猟してしまう、というエピソードですね。
登校途中、コジュケイの姿をみつけた太郎くんは、本能的に石をつかみ、投げ、コジュケイを取ってしまいます。まあ、近くに寄って見ると、まだ、ひくひくしていたけど、
一発くらわして処理終了。まあ、現代だったら、ちょっと世のお母様達には、評判のよくないシーンでしょうね(笑)。
そして、それを獲物として、鼻高々にして歩いていると、先輩の石坂さんに背中を叩かれてしまう。そして、
「うまそうだな」
と言われてしまうんですねえ。もちろん、日本的縦社会のお約束の結果、コジュケイは石坂先輩のモノになるわけです。
で、くやしい太郎くんは、「美味礼讃」を読んで、コジュケイの料理方法をあれこれ考えたり(未練がましい(笑))して、どうしようもなくなってきて、
当の石坂先輩に電話で、どうやって食ったかを聞くんですねえ。しかし、コジュケイはそこにあらず。授業中に担当の教授に
「今日は結婚記念日なんだ」
と言われて、とられてるんですね。
太郎くんは、たまらず、教授の家にも電話をし・・・、教授の奥さんと話すわけですが、まあ、結局、「結婚記念日」というのは、嘘で・・・、
というオチ。太郎くんは、たまらず、母親に電話をし、
「民主主義どころか、中根千枝先生のおっしゃられるタテ社会なんだよう!。僕生まれて初めてタテ社会ってものが身にしみてわかったよ」
というわけです。まあ、「タテ社会」という言葉が、まだまだこの時期、新しい概念だったのかもしれないですが、三段オチにちゃんとなっていて、思わず笑ったのを覚えています。
まあ、これ以外にも食に関するエピソードはたくさんあって、この本で知った料理なんてのもいろいろありましたね。
太郎くんが、初めて泊まりに来た父親(このひとは大学教授)にふるまったのは、「タンシチュー」だし、当時「タンシチュー」ってなにそれ?って感じだったしね。
今みたいにネットでちょっちょっと調べるわけにもいかなかったし、「タンシチュー」なんかが夕食に出てくる家でもなかったし。
それに、「動物の肉で一番おいしい部位は、内蔵だ!」ということを教えてくれたのも、この本でした。太郎くんは、その知識を持っていて、名古屋界隈の臓物屋を
探しておく描写があるんですよね。とにかく中学生の自分にとっては、「新知識の宝庫!」、「人生の先輩!」っていう感じでしたねえ。
この本には恋愛的エピソードはあまり出てこないです。まあ、今みたいに「ラブが全て」的時代ではないし、そういうものに対する抑制のきいていた時代でした。
まあ、太郎くんに関していえば、高校時代にあこがれていて、ちょっとデートしたこともある、くらいの関係の女性、しかし、結局太郎くんが、拒否した女性、
というのが、大学編で登場してきます。まあ、この「太郎物語」は、「高校編」があるんですよね。そこでまあ、太郎くんの相手役だった女性、の後日譚という感じですかね。
まあ、自分は「大学編」から読んでしまったので、まあ、なんとなく変な感じでしたけど。
その女性は、高校の頃から大きく変わり、「銀座の女」になってました。といっても、小さなスナックのホステスさん、という感じですけど。
太郎くんは、ひとりで、その店に行き(やってることが、大学生じゃないよね、やっぱり)、「五月さん」というかつてのあこがれの女性と再会するわけです。
これはやはり、「高校編」のファンへのサービスなんでしょうね。
そして、「五月さん」は、あまりやる気のないホステスとして、描かれ、太郎くんは、少し落ち込むわけです。
まあ、他にもたくさんのキャラクターが出てくるし、それぞれ魅力的にふるまい、いろいろなことを中学生の自分に教えてくれました。
「二号さん」なんて言葉もここで知りました。もう、消えてしまった概念ですけどね。昔は、そういうのも、「日本的風景」としてあったんですよね。
そういう「日本的風景」を破壊した人々がいるわけですけどねえ・・・。
ま、そこらへんに関しては、別途、記事に起こすつもりです。
いずれにしろ、いろいろなことを本書から、教わりました。
ここで、教えてもらったことを「糧」として自分が生きてきたことは、たくさんありますねえ。
いろいろなことを知りたい、独自な観点を持ち、独自な意見を出せるようになりたい。食事もうまくつくれるようになりたい。
それらのベクトルが設置されたのが、「自分が、この本を読んだとき」、ということになります。今の自分を作り上げる、起爆点だったんです。
今の自分はこの本に出会ったからこそ、つくりあげられた・・・。
今はしっかりとそう思うことができますねえ。
んで、今の自分は、というと・・・、
いろいろなことを知ってるし、非常に独自な観点で、独自な意見になってしまうし(笑)。食事も、もうなんでもつくれちゃうし(笑)。
いやいやー、あらためて、読んでみて、自分の原点って感じの本になってますねえ(笑)。
おもしろいことに、この太郎くん、TV批判もしてるんですよね。「あんなもの見るか!」って(笑)。
「時間の無駄だ!」って(笑)。「本を読んでいる時間がなくなる!」って(笑)。
今の俺とまったく一緒じゃん(笑)。
というより、これを書いている時の「曽野さん」が今の自分に非常に似た感覚を持っていたと考える方が正しいような気がしますね。
そして、その感覚で書かれた本書と、中学生の自分が強烈に反応しあい、自分の中にある要素、「曽野さん」的な好きなもの、嫌いなもの、物の見方考え方について、
自分の中のある部分は共鳴し、ある部分は抑えられた、と見る方が自然でしょう。
つまり、自分はこの本によって、育てられましたが、元々同じような要素を持っていた、ということになります。
自分の人生にとって、この本との出会いは、「お互いに幸せを生んだ」、と言えるでしょう。
そう。自分がよく「持つべき!」と言っている「お互いをアゲアゲする関係」が、ここにもあったわけです。
だからこそ、「「しわわせ」を生んだ!」と言えるわけですね(笑)。
こういう本こそ、「人生を変えた本」、と言えるでしょう。今まで、他人事のように、そういう話を聞いていましたが、
この文章を書いてみて初めてわかりました。
いやあ、人生を変えてくれる本って、こういうことだったんだなあ・・・。
みなさんは、自分の人生を変えた本がありますか?。
少なくとも、自分には、一冊あります(笑)。
いやいや、今日はいいものを見た感じ。
楽しかったです。
いやあ、勉強になった、良記事認定!。
自分で認定してるんだから、世話ないすね。
いやいや、おもしろい体験でした。
ではでは。
この本について、書いてみたいと思います。
まあ、そういう自分の人生の岐路での方向性を示した本というのには、
いくつも出会ったような気もしますし、まあ、おいおいそういうものを書いていければなあ、ということです。
この「太郎物語(大学編)」という作品は、曾野綾子さんの作品で、まあ、曾野さんの息子の太郎くんをモデルにした
大学生の物語です。まあ、時代的には、1975年前後の話というわけです。初版は、79年の8月に出ていますが、
自分の持っている本は、82年の6月に出たものです。まあ、あとから、自分で買ったわけですね。
まあ、当時中学生だった自分は友人に「これおもしろいよ」的に言われて借りて読んだというわけです。
たぶん、この本が文庫本を読んだ初めての経験だったことを覚えていますが、
まあ、最初からラッキーな本に当たったということでしょうか。
なにしろ、自分が「大学に行こう!」と明確に決めたのは、本作を読んだことがきっかけになりましたからね。
本作は、大学受験を終えた太郎くんが、入学する大学を決め、キャンパスライフを過ごしていくストーリーです。
その中で、いろいろなできごとを太郎くん的視点で解説し、太郎くん的意見が吐かれます。当時まだ、中学生だった自分にとっては、
太郎くんの考え方や意見が非常に魅力的で個性的に感じたものです。そして、自分は高校生の時に、この本を感想文のテーマに選び、
「自分もこういう人間になりたい。魚に詳しくプロ並な太郎くんと同じように、自分の好きなものについて、プロ並な意見を吐ける人間になりたい」
と書いたことを覚えています。当時自分を担当してくれていた、まだ、「大学でたて」の国語の先生に、
「おう、覚えている覚えている。あれは、よく書けていたし、気持ちが伝わったぞ。俺もああいう気持ちになったことがあるからな!」
と「べた褒め」されたことを覚えています。まあ、僕は、当時はまだまだ気の弱いほんわかした少年だったので、「やたらうれしかった」ことを覚えていますねえ。
この「太郎物語(大学編)」では、主人公太郎くんは、北川大学というところで、キャンパスライフを送っています。まあ、名古屋の南山大学が、
モデルになってるんでしょうね。そこの「文化人類学」を学んでいるのが太郎くんというわけです。
彼は東京六大学クラスの私立大学に補欠で受かるわけですけれど、結局やりたいことのある、この北川大学に来るわけです。そういう自分を「都落ち」している、
なんて、女友達に語ったりするわけですけど、まあ、お決まりの5月病ちっくなものに入学直後に襲われたりするわけです。
ここらへん、まだまだ、そういう病が語られる以前の時代だったと思うのですが、すでにそういう傾向があったのか、曽野さんが独自に嗅ぎとったのか、
はわかりませんが、自分は読みながら、ちょっとわからなかった記憶がありますね。なんで、好きな場所にいけたのに、ぎつばたする(と表現されていた)んだろう?、
まあ、自分は実際に自分の志望の大学に入って、ウキウキしかしてなかったですけど、まあ、大学来なくなっちゃう友達とかいましたからね。
そういうもんなんだろうと、大学生になってから、わかりましたけど。
結局、そういうぎつばたしている太郎くんも、5月の連休に入り、「聖なる旅」と題した旅行にでることで、大きく復活するんですけどね。
彼は朝早いひとで、5時には目を覚まし、行動を起こしているんですけど、これも当時の自分には信じられませんでしたね。まあ、おかげで、太郎くんは、空いている電車
に揺られていけるし、鈍行で行ったわりに、もう、夕方の5時には、目的地の金沢まで着いてしまいます。
まあ、大学生になれば、これくらいのこと、どうってことはないと思うけど(中学生の自分から、見れば、ですよ)、それでも中学生の自分にはその行動力の旺盛さに感動したもんです。
ひとりの大人として、行動出来ている。まあ、今の自分から見ても行動力が旺盛だ、と感じるんですから、中学生レベルの予想を超えたものだったんでしょうね。
まあ、感覚的には、当時の曽野さんの感覚で書いているとは、思いますが(あまりにも行動的過ぎます、よね(笑))。
彼は、旅の間、定食屋でめしを食い、弁当を食べ、さらに弁当を食べ・・・と食欲も旺盛。途中、家出男と一緒になり、その愚痴につきあい・・・と、
ちょっと大学一年生にしては、大人すぎる経験をするんですが、まあ、そういう大人な体験に対する太郎くんの独自な見解が非常に自分には魅力的に
見えていました。自分も月並みな意見だけでなく、自分独自な意見が言えるようになりたい、自分独自な解釈が言えるような人間になりたい、
当時の自分が、そう思っていたことを覚えています。
まあ、「一人前の大人」、というだけでなく、「自分独自な解釈能力をもちたい」、と考えるきっかけになった本なんですね。
太郎くんは、金沢につくと、電話でホテルを予約します。しかも、
「できれば、安い部屋をお願いします」
と、言って。この時、
「安い部屋をはっきりと注文する方が、イキであって、決してばかにされることにはならないことを太郎は知っている」
と曽野さんは書いていらっしゃいます。
当時の自分は、こういう文章にやられました。
「世間で一般に通じている見方とは、違う「イキな方法」というものが、この世にはあって、それを知っていることのなんとかっこいいことか!」
と思ったのを覚えていますねえ。いやいや、いろいろな意味でうぶな中学生ですからね。まあ、世間を知るとき、というのは、いろいろびっくりするものです(笑)。
まあ、この本には、そういう「イキ」や、かっこよさが全編に散りばめられていて、当時の自分にとっては、バイブルみたいな本になっていました。
少なくとも、中学生当時の自分は、ここに描かれている情報が、「非常に重要だ!」ということを早速理解し、バイブルにしていたんですね。
ま、それだけでも、中学生当時の自分に、「おまえ、なかなかやるな!」と、言ってやりたい、気持ちですけどね(笑)。
「情報の取り扱いのセンス」というものは、一朝一夕に、身につけられるモノでも、ないですからね(苦笑)。
太郎くんは、二泊三日でその旅を終わらせるわけですが、その旅によって、「精神的な復活」をとげるわけです。
まあ、「精神的な復活」なんておおげさで、まあ、「ぎつばた」しなくなって、普通に戻ったということですけど。
この本の特徴に、文化人類学に関する文献だけでなく、当時の一級品(曽野さんが思っている)のいろいろな本がでてくる、ということもあげなければなりません。
まあ、大学生太郎くんですから、いろいろな本を「勉強」のために読まなければなりません。それだけでなく、「気晴らし」にも、いろんな本を読む。
自分は当時、このスタイルにあこがれました。当時いろいろなことに興味のあった自分でしたから、「「文化人類学」をやろうかなあ」、と思った時代もありました。
まあ、そうならなかったですけど。この本で出会った本は、結局自分の人生に大きな影響を与えたと言っていいでしょうねえ。
「ブリア・サヴァラン」の「美味礼讃」を教えてくれたのも、この本です。当時まだ、中学生だった自分には、まだ、難しかったですけど、大学の時に手に入れ、
未だに楽しんでいます。
とにかく、食に対しての姿勢を変えたのも、この本ということになりますね。なにしろ、主人公の太郎くんは、普通に食事をつくり、ごく普通に食べますからね。
まあ、アパートにひとりで住んでるわけだから、そうなるのは、当然ですが、食事は母がつくるもの、と考えていた中学生には、目新しかったですね。
そして、「自分もいろいろ食事を作れるようになろう!」と決心することになるのです。ま、大学時代に自炊していたし、ま、今でも趣味的に楽しんでます。
「食」の話で好きなのは、太郎くんが、ある朝登校している最中に、コジュケイを狩猟してしまう、というエピソードですね。
登校途中、コジュケイの姿をみつけた太郎くんは、本能的に石をつかみ、投げ、コジュケイを取ってしまいます。まあ、近くに寄って見ると、まだ、ひくひくしていたけど、
一発くらわして処理終了。まあ、現代だったら、ちょっと世のお母様達には、評判のよくないシーンでしょうね(笑)。
そして、それを獲物として、鼻高々にして歩いていると、先輩の石坂さんに背中を叩かれてしまう。そして、
「うまそうだな」
と言われてしまうんですねえ。もちろん、日本的縦社会のお約束の結果、コジュケイは石坂先輩のモノになるわけです。
で、くやしい太郎くんは、「美味礼讃」を読んで、コジュケイの料理方法をあれこれ考えたり(未練がましい(笑))して、どうしようもなくなってきて、
当の石坂先輩に電話で、どうやって食ったかを聞くんですねえ。しかし、コジュケイはそこにあらず。授業中に担当の教授に
「今日は結婚記念日なんだ」
と言われて、とられてるんですね。
太郎くんは、たまらず、教授の家にも電話をし・・・、教授の奥さんと話すわけですが、まあ、結局、「結婚記念日」というのは、嘘で・・・、
というオチ。太郎くんは、たまらず、母親に電話をし、
「民主主義どころか、中根千枝先生のおっしゃられるタテ社会なんだよう!。僕生まれて初めてタテ社会ってものが身にしみてわかったよ」
というわけです。まあ、「タテ社会」という言葉が、まだまだこの時期、新しい概念だったのかもしれないですが、三段オチにちゃんとなっていて、思わず笑ったのを覚えています。
まあ、これ以外にも食に関するエピソードはたくさんあって、この本で知った料理なんてのもいろいろありましたね。
太郎くんが、初めて泊まりに来た父親(このひとは大学教授)にふるまったのは、「タンシチュー」だし、当時「タンシチュー」ってなにそれ?って感じだったしね。
今みたいにネットでちょっちょっと調べるわけにもいかなかったし、「タンシチュー」なんかが夕食に出てくる家でもなかったし。
それに、「動物の肉で一番おいしい部位は、内蔵だ!」ということを教えてくれたのも、この本でした。太郎くんは、その知識を持っていて、名古屋界隈の臓物屋を
探しておく描写があるんですよね。とにかく中学生の自分にとっては、「新知識の宝庫!」、「人生の先輩!」っていう感じでしたねえ。
この本には恋愛的エピソードはあまり出てこないです。まあ、今みたいに「ラブが全て」的時代ではないし、そういうものに対する抑制のきいていた時代でした。
まあ、太郎くんに関していえば、高校時代にあこがれていて、ちょっとデートしたこともある、くらいの関係の女性、しかし、結局太郎くんが、拒否した女性、
というのが、大学編で登場してきます。まあ、この「太郎物語」は、「高校編」があるんですよね。そこでまあ、太郎くんの相手役だった女性、の後日譚という感じですかね。
まあ、自分は「大学編」から読んでしまったので、まあ、なんとなく変な感じでしたけど。
その女性は、高校の頃から大きく変わり、「銀座の女」になってました。といっても、小さなスナックのホステスさん、という感じですけど。
太郎くんは、ひとりで、その店に行き(やってることが、大学生じゃないよね、やっぱり)、「五月さん」というかつてのあこがれの女性と再会するわけです。
これはやはり、「高校編」のファンへのサービスなんでしょうね。
そして、「五月さん」は、あまりやる気のないホステスとして、描かれ、太郎くんは、少し落ち込むわけです。
まあ、他にもたくさんのキャラクターが出てくるし、それぞれ魅力的にふるまい、いろいろなことを中学生の自分に教えてくれました。
「二号さん」なんて言葉もここで知りました。もう、消えてしまった概念ですけどね。昔は、そういうのも、「日本的風景」としてあったんですよね。
そういう「日本的風景」を破壊した人々がいるわけですけどねえ・・・。
ま、そこらへんに関しては、別途、記事に起こすつもりです。
いずれにしろ、いろいろなことを本書から、教わりました。
ここで、教えてもらったことを「糧」として自分が生きてきたことは、たくさんありますねえ。
いろいろなことを知りたい、独自な観点を持ち、独自な意見を出せるようになりたい。食事もうまくつくれるようになりたい。
それらのベクトルが設置されたのが、「自分が、この本を読んだとき」、ということになります。今の自分を作り上げる、起爆点だったんです。
今の自分はこの本に出会ったからこそ、つくりあげられた・・・。
今はしっかりとそう思うことができますねえ。
んで、今の自分は、というと・・・、
いろいろなことを知ってるし、非常に独自な観点で、独自な意見になってしまうし(笑)。食事も、もうなんでもつくれちゃうし(笑)。
いやいやー、あらためて、読んでみて、自分の原点って感じの本になってますねえ(笑)。
おもしろいことに、この太郎くん、TV批判もしてるんですよね。「あんなもの見るか!」って(笑)。
「時間の無駄だ!」って(笑)。「本を読んでいる時間がなくなる!」って(笑)。
今の俺とまったく一緒じゃん(笑)。
というより、これを書いている時の「曽野さん」が今の自分に非常に似た感覚を持っていたと考える方が正しいような気がしますね。
そして、その感覚で書かれた本書と、中学生の自分が強烈に反応しあい、自分の中にある要素、「曽野さん」的な好きなもの、嫌いなもの、物の見方考え方について、
自分の中のある部分は共鳴し、ある部分は抑えられた、と見る方が自然でしょう。
つまり、自分はこの本によって、育てられましたが、元々同じような要素を持っていた、ということになります。
自分の人生にとって、この本との出会いは、「お互いに幸せを生んだ」、と言えるでしょう。
そう。自分がよく「持つべき!」と言っている「お互いをアゲアゲする関係」が、ここにもあったわけです。
だからこそ、「「しわわせ」を生んだ!」と言えるわけですね(笑)。
こういう本こそ、「人生を変えた本」、と言えるでしょう。今まで、他人事のように、そういう話を聞いていましたが、
この文章を書いてみて初めてわかりました。
いやあ、人生を変えてくれる本って、こういうことだったんだなあ・・・。
みなさんは、自分の人生を変えた本がありますか?。
少なくとも、自分には、一冊あります(笑)。
いやいや、今日はいいものを見た感じ。
楽しかったです。
いやあ、勉強になった、良記事認定!。
自分で認定してるんだから、世話ないすね。
いやいや、おもしろい体験でした。
ではでは。