「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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クソガキとバカ女の価値!(社会的役割を果たせ!:日本人的美学からの論考)

2010年05月16日 | 日本人の秘密
えー、まあ、僕は普段の論考シリーズが、「翔ぶが如く」批判になっちゃっているんですけど、

これ、やっぱり、西郷をしっかりと評価したい!という気持ちが強いから、そういうことになっちゃっているわけです。

それと、司馬という人間を代表にして、

「人間の美しさ、とは何か」

ということを考える契機にしているわけです。

まあ、司馬という人間を果てしなく嫌っていますからね。

「自分を偉い人間だとカン違いし、実際は能力のないバカ」

の代表ですからね、このひとは。

まあ、そういう人間は、TVの中にあふれていますが、まあ、ハナから相手にしていませんがね。

見るのも不快ですから、見ないわけです。

まあ、そういう低脳うんこバカは、どうしようもないなあ、という感慨になっていますね。


僕は、日本における、人間の価値とは、社会的役割をどれだけ果たせるか、だと考えています。

だから、高度な教育を受けても、社会的役割が果たせなければ、意味がない!と思っているわけです。

司馬のような人間、高度な教育を受ける機会を得て、結局、それが無駄に終わっている人間を、毛嫌いするわけです。

だから、池波正太郎大先生のように、小学校を出ただけでも、その価値が高いひとを、高評価するわけです。

というより、どんな教育を受けたか、どんな学校を出たか、なんてのは、全然関係ないんです。


社会的経験をずんどこ積み、社会的役割を果たせる人間こそ、尊いんです。


だから、司馬バカタイプというのを、僕は徹底的に嫌うし、批判するんです。


自分が偉いとカン違いした瞬間から人間は、だめになっていきます。

「俺はできる人間だ」

とカン違いして、だめになっていく人間を、僕は、たくさん見てきました。

まあ、司馬バカは、その典型的な例ですけどね。

まあ、それよりひどいのは、与党の人間ですけどね。

あまりに低脳で、責任がとれないバカ共ですからね。

責任とれない人間なんぞ、もはや日本人では、ありませんよ。

そんな奴は、国外へ追放してしまえば、いいんですよ。

どうせ、日本が嫌いな人間達なんだから。


僕が、20代以下について、「クソガキ!」と斬って捨てているのも、社会的役割を果たせない人間達だからです。

経験も浅いし、低脳ですからね。

だから、人間として、認めていません。

まあ、30代になれば、使えるかな、というのが、社会のお約束ですからね。

社会は厳しい。

子供を甘やかす必要なんて、どこにもないのです。

もちろん、かわいいですよ、そりゃ。

だけど、そればかりに騙されていてはいけないのです。

家庭にも社会の厳しさは持ち込む必要があります。

家庭は、子供達が、初めて接する社会!ですからね!


だから、社会に出て、当人が恥ずかしい思いをしないように、ビシバシ鍛えることが必要なのです。

「子供とは、友達のような関係です」

とか言う、馬鹿な大人がいますが、

そういう人間は、低脳うんこ馬鹿として、僕は斬り捨てますね。

クソガキは、社会的経験が少なくて、恥ずかしい存在だということを知らしめる必要があるんです。

時として、殴らなければならないことだってあるんです。

時として大人は、そういうつらい感情を捨てて、雄々しく殴らなければならない時があるんです。

誰だって子供の泣く姿は、見たくありません。

それでも、子供のためを思って、子供が恥ずかしいだめな大人にならないように、考えに考えて、殴るんです。

それを、バカ女は、理解できないもんだから、批判したりする。

賢い女性は、それくらいの理由わかっていますよ。

だから、バカ女とくそがきは、斬り捨てているんです。


この世は、社会的役割を果たせるか否かだけが、価値を決めるのです。

だから、社会的役割を果たせないクソガキとバカ女は、価値をもたないのです。


だからこそ、社会的役割を果たせるように、社会的経験を積み、立派な大人になることこそ、求められることなんです。

社会的役割を果たせる人間こそ、価値があるのが、この世界なのです。


もちろん、僕が地獄へ行ったら、バカ司馬を、徹底的に斬り刻み、輪廻転生を許さないけどね!


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