YUKI

言語、言語で表現できることすべて

しょこたん に見る ウィトゲンシュタイン的 語ること 示すこと

2007-11-04 23:59:56 | Weblog
しょこたんブログを考察してみますた。
なぜかって?
「意味不明」「思想がない」という批判が
いかに的外れなものかを「示し」たかったから♪

さて、前期ウィトゲンシュタインは禁欲的に
「語る」と「示す」を峻別しようとしました。

後期になると「言葉が言葉する」としか言えないような
「言葉は、言葉以外に根拠がない」と言い出したのです。

つまり、前期の写像理論…
世界と論理形式を共有するから言葉は意味を持つ、
という考えを修正したのでした。

後期ウィトゲンシュタインでは、何でも語れちゃうわけです。
そう「言語ゲーム」なんですから!

しかし、彼に終始一貫する思想があります。
言葉=自分の世界
神=真善美、意味の源。
  世界を形成するのに不可欠な、世界の境界そのもの。

彼は、このことを言葉で表現したかったんでしょうね。
語れないけれど、示したかったのです。

眼が眼自身を見ることができないのと同様に
言葉は言葉自身…言葉がなぜ、意味を持つかは語れません。
しかし、一見禁欲的に見える前期ウィトゲンシュタインは、
言葉がなぜ意味を持つかを、つい語ってしまいました。
後期は、その修正ですね。

そこで、はっきりしたのが
神(世界の境界)は「この世界=私の言語」には顕れないということです。

もちろん、鏡を使えば自分の眼を見ることはできるでしょうが
それは虚像にすぎません。
言葉で語られた神は虚像なんです。

神は、あらゆる抽象名詞と言ってよいかもしれません。
思想、倫理、価値…真善美…

という前ふりで、

しょこたんブログは、本人が言うように「生きた証」
であり、まさに時間の結晶です。
抽象名詞なんて使わずに、
その時々、具体的な生きた瞬間を映像で切り取り
生々しい感動を2ちゃんねる語で表現しています。

「好きなものは好き」
「目の前に、同じ趣味の人がいなくても
 ネットの中には、必ず分かってくれる人がいる」

これらを総称して一言で「貪欲」と表現しています。
貪欲とは、まさに生きることなんですね。
これこそ「生の形式」そのもの!!

ウィトゲンシュタインが泣いて喜びそうなほど
なんて禁欲的に「人生の意味と真理」を「示して」いることでしょう。

これには、ブルース・リーの影響があるのかなぁ?
If you love life, don't waste time,
for time is what life is made up of.
(Bruce Lee)
まぁ時間を浪費するな、というところは
ベンジャミン・フランクリンからの引用らしいですけどね。
この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« brilliant dream ブリリアン... | トップ | コスプレ »
最新の画像もっと見る

Weblog」カテゴリの最新記事