YUKI

言語、言語で表現できることすべて

最後通告

2006-09-20 23:51:42 | Weblog
次の文章には、あるメッセージがこめられています。
端的にいうと、権威主義者たちへの最後通告なんです。
全~然、反応もしないでROMを決め込んで、刺激的な話題を提供すると
今度は感情的になり叩き、
あまりの反応のなさに、論説調で論評のように書くと、
今度は陰にまわって「である」調が気に食わないと批判するんですからねぇ…
*************************************************
次のような記事がありました。
私も、似たような体験をしたことがあるので、少し引用します。

<国語教諭>相田みつをの詩知らず、女子生徒けなす
・・・判決によると、元生徒は3年生だった01年1月、
「花はたださく ただひたすらに」と書いた書き初めを、国語の授業に提出した。書家で詩人だった相田みつをの詩だが、国語教諭はこの詩を知らず、
ほおに指を当てて(傷跡を)なぞる仕草をして
「こういう人たちが書くような言葉だね」と発言した。
同級生は笑い、元生徒は「やくざ」などとからかわれるようになった。・・・
(毎日新聞) - 12月25日3時1分更新

私の体験は次の通り。

授業で「キング牧師」によるI have a dreamのspeechを生徒に聞かせたところ、
隣の教室で授業していた英語教員に、職員室で叱りつけられてしまった。

「何だ、あのテープは!?
 ただ、どなりつけるような下品な英語は
 生徒に聞かせるべきではないし、オレの授業の妨害だぞ!」

「あれは、キング牧師によるI have a dreamのスピーチで、
 歴史的にも貴重なものですよ。
 ゴスペルの要素もあります。」

すると・・・

「いや~、そういえば素晴らしい演説だった!」
 豹変したその態度に、むしろ、ショックを受けますた。

レッテルにこだわらず、
あたりまえのことに感動することの大切さ。

「花はたださく ただひたすらに」

相田みつを作であろうがなかろうが・・・

奇をてらわず、眼横鼻直を悟ること。

これは、英語に限らず、総ての「授業」に通ずることだと、自戒しています。
「?」と「!」のない授業ほどつまらないものはありません。

相田みつをのメッセージや、キング牧師の祈りにも似たスピーチに、
レッテルを通してしか触れられない人々の存在は非常に悲しいことです。

眼横鼻直、眼横鼻直・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山本五十六の言葉

2006-09-20 23:39:22 | Weblog
「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば人は動かじ。」

これは山本五十六の言葉、ということですが、
組織や教育に関する至言だと思うのです。
自由作文の指導にも当てはまることだと思い、次のように指導した。

まず、「やってみせ、言って聞かせて、」
ほぼ日刊イトイ新聞「おとなの小論文」から
「要約」と「野口健」について紹介した。
「わかりやすさ」「説得力」について語るためである。

次にStrunkのElements of Style を基に英語の文体論。
分かりやすく、monotonusではない英文とはどういうものかを語るためである。
日本語ですら文体を意識することはないと思うし、
まして英語であるから、文体まで指導するのは賛否があるだろうが、
monotonusな英文を読むときのやりきれなさが勝った・・・
まあ、英語の文体論など、およそ高校レベルではやっていないのではないかとも
思われるので、指導したらどうなるかという興味もあった。
大学ではどうなのだろうか?
とまれ、語彙力・文法力の必要性を普段とは違う角度から述べることが
できたと思う。
そして、一般的な論説文の段落構成法を語った。
文体にしろ、段落にしろ、「良い例・悪い例」は必ずつけた。

「させてみて、」であるが
大学入試自由作文でよくあるTopicのパターンを10個抽出し、
各人に選ばせ、作文させた。

「ほめてやらねば」
添削したわけだが、やはり、初稿は読めたものではない。
結構厳しいコメントをつけた。
しかし、評価基準?規準?は、周知させていたので、
こちらの意図はよく伝わり、だいたい3回くらいの書き直しで、
「読める」程度の英文にはなった。
well organizedであり、monotonusではない英文になったのである。
一応の成果と思う。ちょっとは生徒が「動いた」のである。

いやはや、それにしても、山本五十六の言葉、おそるべし・・・

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本語力

2006-09-20 23:37:11 | Weblog
Sankei 新聞に次のような見出しがあった。

「日本語力」低下 4年制私大、国立さえ… 「留学生以下」お寒い大学生
「憂える」=「喜ぶ」!?/短大生35%中学生レベル

調査をした、独立行政法人「メディア教育開発センター」(千葉市)
の小野博教授(コミュニケーション科学)は
「学生はダメだといわれているが、実際に(対策を)やってみると案外、
伸びるという結果」とし、大学側が積極的に学生の日本語訓練に
乗り出す時期にきていると指摘している。
・・・ということである。やはり、「ちょっとの指導」がされていないのだ。
あまりに基礎的であるがゆえに軽視されるのだろうか?

「分かる授業」というものが叫ばれて久しいが、
実は、日本語力不足のために
「言葉が通じていなかった」児童生徒が少なくないようなのである。

私も、高校生を対象に、日本語力らしきものを
ちょっと調べたことがある。実際、授業に支障があった。
英語関係代名詞があまりにできないので、
日本語訳のみを使い、その日本文が表す状況を
把握しているかどうか、生徒に問うた。
結果は、まさに「憂える」べし。
日本語でも、いわゆる複文になると
大半の生徒が即座には意味を理解できなかった。
関係性がつかめないのだ。
難しいといわれる関係代名詞whoseにいたっては
生徒の誰一人理解していなかった。

授業では、生徒に通じる英語はもちろんであるが
通じる日本語を心掛けるようにしたら、
比較的早口であった私が、天然ボケ タレントなみの
日本語WPMになってしまった。
生徒に指示をしたら、理解のために30秒待ち、行動に移すのを
待つために更に30秒待つことにした。

生徒の言語生活を意識的に見てみると
「うるさい」「あっちいけ」「関係ない」というのが
教師に対する生徒の一般的反応であり、
生徒同士でも、いわゆる文の「フラグメント」で
コミュニケートしていた。
複文など会話で使わないし文字の多い本も読まない。

生徒によれば、中学の先生方は理由の説明なしに
「短い命令文」のみを使うことが多かったようだ。
何か、セサミストリートのようなヘッドスタート計画でも
しなければいけないような気になったものである。
その学校も近々廃校になる。
高校全入のために作られた学校は、使命を果たしたということか・・・

言語環境・言語教育おそるべし・・・


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結果の指導から過程の指導へ

2006-09-20 23:29:34 | Weblog
受験をもにらんだ英語指導について、
複数の学校の先生方と談義する機会にめぐまれました。

「日本語にしないと分かった気にならない」症候群について聞いてみたところ、
結局、学年団を組む先生方の足並みがそろっていないことに起因するのでは?
ということを指摘され、私もその場ではそう思いました。

しかし、どうも、問題の根はもっと深そうな気がしてきました。
英語によるパラフレーズをベースにした、和訳をしない指導を
学年団でしている先生に「足並み」の指摘をされたのですが、
和訳と文法説明に頼る指導も、パラフレーズ・ベースの指導も、
結局、原文理解の過程ではなく、理解した結果のチェックに
重点を置いていることに変わりはなく、
理解チェックの方法論の違いなのではないか、ということです。

分かるから、和訳できるのであって、和訳できてはじめて理解したのではない。
分かるからパラフレーズできるのであって、パラフレーズを理解しても
原文を理解したことにはならない。

理解の過程に注目した指導としてはトップ・ダウン・ストラテジーが
数あるストラテジーの中でも異様に注目されていましたが、
新情報を得るために初見の音声情報なり文字情報に対するという
naturalな状況とは、かけ離れたものになっている印象があります。
読解過程については、自分のそれを内省するしかないようにも思えますが、
だとすれば、統語論的な分析過程の重要性がもっと強調されるべきと思います。

優れた読み手になればなるほど、自動化・無意識化されるこの過程を
指導可能なスキルとしてまとめ、
over learningによる自動化・無意識化を図ってやることが
日本人高校生の英語学習者にはもっと必要なことでしょう。

英語に堪能な人が初心者にfeelingが大事とだけ言って文法を毛嫌いするのは、
大学院を終え、博士号を持ち、その恩恵を受けている人が
高校生に学歴無用論を唱えるようなものでははないかと極論してもよいと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

言語処理モデル2

2006-09-20 23:22:38 | Weblog
読解にしろ、聴解にしろ、情報処理過程としては
data driven (いわゆるbottom up) とconcept driven (いわゆるtop down)の
並行処理的過程、interactive processなのであって、
使用可能なworking memoryを確保するためには、data drivenの部分を
自動化、無意識化しましょうというのは、論理的必然と考えています。

ちなみに、脳科学によれば、人間の脳は、
そもそも情報の並行処理をするためにデザインされているようなものだそうです。
並行処理が得意な脳で、線的論理・線的言語
(全く同時に二つの異なることを述べられない)
を操る人類は、極めて面白い存在ですが、
意識というidentityを確保するための妙であろうと解釈しています。

さて、話を戻して、このようなprocess モデルは1980年代に提示されており、
個人差に対応したshort circuit理論や
compensation理論も提唱されていましたが、
日本では、スキーマ理論の流行のかげで
あまり知られていないような印象があります。
interactive とはいえ、情報処理の観点から言えば、
data driven のprocess にやや比重が
置かれると考えざるを得ないのですが・・・

まず、基礎的な知識としてinteractive model の吟味を!

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする