YUKI

言語、言語で表現できることすべて

結果の指導から過程の指導へ

2006-09-20 23:29:34 | Weblog
受験をもにらんだ英語指導について、
複数の学校の先生方と談義する機会にめぐまれました。

「日本語にしないと分かった気にならない」症候群について聞いてみたところ、
結局、学年団を組む先生方の足並みがそろっていないことに起因するのでは?
ということを指摘され、私もその場ではそう思いました。

しかし、どうも、問題の根はもっと深そうな気がしてきました。
英語によるパラフレーズをベースにした、和訳をしない指導を
学年団でしている先生に「足並み」の指摘をされたのですが、
和訳と文法説明に頼る指導も、パラフレーズ・ベースの指導も、
結局、原文理解の過程ではなく、理解した結果のチェックに
重点を置いていることに変わりはなく、
理解チェックの方法論の違いなのではないか、ということです。

分かるから、和訳できるのであって、和訳できてはじめて理解したのではない。
分かるからパラフレーズできるのであって、パラフレーズを理解しても
原文を理解したことにはならない。

理解の過程に注目した指導としてはトップ・ダウン・ストラテジーが
数あるストラテジーの中でも異様に注目されていましたが、
新情報を得るために初見の音声情報なり文字情報に対するという
naturalな状況とは、かけ離れたものになっている印象があります。
読解過程については、自分のそれを内省するしかないようにも思えますが、
だとすれば、統語論的な分析過程の重要性がもっと強調されるべきと思います。

優れた読み手になればなるほど、自動化・無意識化されるこの過程を
指導可能なスキルとしてまとめ、
over learningによる自動化・無意識化を図ってやることが
日本人高校生の英語学習者にはもっと必要なことでしょう。

英語に堪能な人が初心者にfeelingが大事とだけ言って文法を毛嫌いするのは、
大学院を終え、博士号を持ち、その恩恵を受けている人が
高校生に学歴無用論を唱えるようなものでははないかと極論してもよいと思います。

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