「綾里からの便りその3」に書いた、「嬉しいこと」。陸中海岸国立公園の環境調査の一行は、26日の夜21時近くにつむぎの家に到着し、翌朝早くから一宿一飯の恩義にと、ひたすら薪をこしらえて行ってくれました。その時の写真です。
薪割隊の働きぶりが、あまりに眩しかったので、たくさん載せてしまいました。
こちらは、その傍らの水場の光景。
「写真撮っていい?」「ええ?洗濯だよう」
「やんたなぁ…(恥ずかしい)」←勝手にセリフをつけてしまいました。
そうこうしているうちに、薪約3週間分が完成です。家人は、若者たちの力と笑顔に本当に助けられたことでしょう。
最後につむぎの家の前でも記念撮影。午前中のうちに、任務に旅立って行かれたそうです。その途中の写真も、一緒に送られてきたので、少し載せます。こちらは、上の明るい写真とは対照的な光景です。
大船渡駅のプラットホームと線路。
気仙川の河口?
高田松原。弟は「陸ごとなくなっていた…」と表現。
県立高田病院のようです。
たくさん写真を見ていると、だんだん感覚が麻痺してきます。ショックなのか、でも元からこの風景だったように、勝手に思い込みたくもなってしまいます。
復興と再生、そして新しい三陸の誕生を信じます。
今日、「青木さん」(仕事先の施設名を忘れました。)から千田さん安否の問い合わせがあったといって、汐入のサポートセンターと、山登りのお仲間の「稲木さん」から電話がありました。無事をお知らせし、「つむぎの家」のブログを紹介しました。松澤さんや椎名さんからは震災直後に、やはり千田さんを心配して、お電話をいただきました。
ブログで身近に感じていた風景が無くなったんですね。でも若菜ちゃんの
「復興、再生、誕生を信じる」の力強い言葉に「希望」を持ちます。
季節は確実に暖かくなっています。大小迫も、もうすぐ花が咲きますよね。復興の息吹は私のエネルギーチャージにもなっています。
ブログ、ほぼ毎日チェックしています。こんなことしかできない、あんまり役に立たない応援団ですが、、自称「つむぎの家熊本支部長」として、陰ながらできることを探しています。
両親は、そろそろ、やる気だけでは持たないことを、実感してきたようですので…引き続き、何らかの刺激を与えていただけると助かります
もちろん願うのは、それが巡り巡って、本当の被災者の方々の元気として届くこと!家も家財も残って、余所から見れば潤っているところでしょう。それを、少しでも三陸気仙の復興に役立てられればと願っています。
お二人の被災後の様子が詳しく分かり、本当に大変でしたでしょうが、ホッと安堵いたしました。このブログを拝見する2日前までは、避難所のリストを探す事しか出来ませんでしたから。昨日は、私のパソコンにアドレスのある多くの方に、「是非、このブログをご覧ください。」とmailしました。多くの方が見てくださっていると思います。今、人が集まる会ごとに、募金活動をしています。明日も、総会がありますので、募金をすることになっています。皆、皆、見守っています。必要な事を声を上げて、皆に伝えてくださいね。