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ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

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2013-11-17 08:24:29 | Weblog
「グローバル化への認識」11月10日
 下村博文文部科学相が、グローバル人材の育成をテーマにインタビューに答えていました。その中で下村氏は、『他国にはない日本ならではの文化。例えば茶道や華道、それをきちんと説明できるような教養』と述べていらっしゃいます。
 教養という視点には異論はありません。しかし、その例示として茶道と華道があげられているのは少し残念な気がします。私は、我が国の歴史と国民性について語ることこそ、「グローバル人材」に求められる資質であると考えているからです。
 例えば神道と仏教と儒教が我が国に及ぼした影響。例えば「和」の精神や穢れの発想。例えば武士道や石門心学などの我が国の思想。例えば敗戦と武器・軍事アレルギー。例えば嫉妬と横並び志向の文化など、きちんと語れることこそ、国際社会に向かって我が国を発信できる人材に求められているように思うのです。そしてそうした「人材」はほとんどいないというのが現状ではないでしょうか。
 さらに、イスラム教やキリスト教などの世界的な宗教、カントやヘーゲル、ニーチェなど人類共通の偉人たちについての理解と独自な見解をもつことも重要でしょうし、経済・人種・宗教・歴史・地政学など多面的に世界の状況を捉える認識力も必須です。手前味噌にになりますが、これらはいわゆる「社会科」の領域に属する事柄です。それにもかかわらず、下村氏が社会科教育の充実にふれていないのが不思議でなりません。
 また、下村氏は、『リーダーシップや感性、人への思いやり、優しさをも備えた上で、国際社会で活躍できる人材』の育成も唱えていらっしゃいます。私たちはこうした言葉を何気なく使いますが、相手についての知識なしには、リーダーシップも感性も思いやりも優しさも、意味がないのです。私たちの「過ちは水に流す」という感覚は韓国の「恨」とは食い違いますし、部下を信頼して良きに計らえ式のリーダーシップは欧米人には通用しません。広島・長崎に原爆を投下した米国を責めない我々の感覚では、いつまでも日本帝国主義批判を続ける中国人は心の狭い人としか理解できないのです。やはり、「社会科」なのです。
 英語よりも理科教育よりも社会科を、と主張する政治家や企業家がもっといてもよいと思うのですが。社会科が話題になるのは教科書採択のときだけ、というのでは寂しすぎます。

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