「私の父母は」8月12日
オピニオン編集部小国綾子氏が、『祖父のハガキと「非国民」』という表題でコラムを書かれていました。その中で小国氏は、『非国民』という言葉について書かれています。初めて『非国民』という言葉に出会ったのは、漫画「はだしのゲン」でのこと。『ゲンの父親は「戦争をしてはいけんのじゃ」と言い、官憲らに「非国民め」と暴力をふるわれる。幼かった私は、この国で周囲に流されず、戦争はおかしい、と声を上げ、平和を求めた人はみんな「非国民」とバッシングされたのだ、と理解した』と述懐なさっています。
そして、『母に尋ねた。「お母ちゃんも昔、非国民って呼ばれたん?」子ども心に信じ込んでいたのだ。原爆やベトナム戦争を描いた絵本を涙をこぼしながら読み聞かせてくれた母も、きっと「非国民」と呼ばれていたに違いない!と。「なにアホなこと言うてんねん」。母はあきれて言った。あの瞬間、尊敬する両親だって常に正しいわけじゃない、世の中は自分に見えているよりずっと複雑なんだ、私は悟った』と続けているのです。
この逸話の当時、小国氏が何歳だったのか、よく分かりませんが、脱皮して一つ質的に成長した瞬間だったのだと思います。そしてそのときの「気付き」がジャーナリストとしての小国氏の骨格を形成しているようにも思います。
また、小国氏個人のこととは別に、この『非国民』についての逸話には、いわゆる「平和教育」について考える際の貴重な示唆が含まれていると考えます。それは、絶対的な悪人、好戦的な軍人や政治家、庶民を弾圧する官憲、偏った愛国主義者などが戦争を起こし、戦争を支持し、戦争をやめさせないのではなく、多くの一般人が戦争を後押しし、少数の反戦主義者を「非国民」と攻撃することで、戦争を実現してしまうという構造をはっきりと示すことが必要であるということです。
それは、私たちの祖父母や総祖父母が戦争を支えたという事実と向き合うことであり、私たちやその子供や孫が、再び戦争を支持し加害者の一員となる可能性を直視するということでもあります。
今度我が国が戦争を、たとえそれが自衛戦争だと言い張ってみても、とにかく戦争を始めたとき、我が子や孫は加害者となってどこかの国の、国民の憎悪の対象になって戦争後も何年間、何十年間も過ごしていくということなのだということを理解させていく教育が必要なのです。
そして、いくら反戦の思いを、決して加害者にはならないという思いを強く植え付けたとしても、戦争が始まってしまってからでは、反対をすることはとても難しいということも理解させておく必要があります。戦争が始まってしまえば、反戦や停戦を口にすることは「非国民」というレッテルを貼られる覚悟でなければできないこと、「非国民」のレッテルは自分だけでなく、可愛い子供や孫たちまでも危険にさらす危険性があることを理解させるのです。小国氏の尊敬する父母の場合のように。
ではどうするか。戦争がまだ小さな「芽」のうちに、反戦の声を上げること、反戦の声を上げている人を支持すること、そのための具体的な行動を取ることの重要さを理解させるのです。まだ、反戦を口にしただけで官憲に引っ張っていかれないうちに。
今の平和教育はこうした厳しさに欠けているような気がします。
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