ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

塾も学校も

2018-08-05 08:10:40 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「受験勉強」7月31日
 河合塾理事長河合弘登氏へのインタビュー記事が掲載されました。『受験勉強 将来に生きる』という表題がつけられた記事の中で河合氏は、『たとえ失敗しても受験勉強に励んだことは将来に生きるんです。若い時の勉強によって学ぶことに基礎が磨かれるんです』と語っていらっしゃいました。同感です。
 私は、このブログで授業の在り方について繰り返し触れてきました。考えさせる授業が大事、学習者である子供の問題意識を生かした問題解決型の学習過程を工夫すべき、教え込むのではなく学び取らせる授業こそ教員の使命などといったトーンで書いてきたことから、私のことを受験勉強批判派だと思っていらっしゃる方がいるかもしれませんが、そうではありません。
 私の学校論、教員論、授業論の根底には、学ぶことに対する強い思いがあります。学校の本質は生活指導や躾にあるのではなく知の習得にある、教員は豊かな知を身に着けさせることが一番大切、授業は身に着けさせる知を明確にした意図的計画的営み、というのが私の学校教育を語る際の根っこの部分にあるのです。ですから、たとえ「旧態依然」の知識注入型であっても、勉強が人生を生き抜く糧になる、必死に学んだ経験は人を成長させるという考えをもっているのです。教員にとって広義の指導技術が大切であるという主張は変わりませんが、それは枝葉の部分であり、根幹は勉強(授業)が大事という点にあるのです。
 しかも最近、受験勉強に対する「偏見」を見直す出来事がありました。教え子のKさんからのメールにこんな記述があったのです。
 【実は、私は中学校時代は学校ではなく塾が大好きでした。前回の授業のテスト結果順に席が決められ、0点を取るとげんこつされるような塾だったのに何でだったのかなぁと大人になってから疑問に思っていた上に、塾なんて「ただの詰め込み」だとか「正解に◯をつけるだけのテクニックを教えてる場」だとか批判的な評価が一部の人たちの間で根強く残っていることを大人になってから知りましたが、塾のほうが中学校の授業より授業が楽しかったからなのだと先生の著書を拝読している途中に気づきました。私の通っていた塾は、カリキュラムのスケジュールも板書も先生の教え方も徹底しており一貫性がありました。復習も徹底しており授業内容をまとめて提出しなければならなかったので、人に説明できるまで理解できてはいない部分があれば、休み時間に担当の先生に質問にすると一問残らず説明してくださったんですね。「受験対策に偏った内容の勉強」に限定されますが、集中できる環境だったから好きだったのだと思います】
  5年、6年と担任したKさんは、知的好奇心に富み、豊かな感性の持ち主でした。成績はトップクラス、ご両親はKさんの将来に多様な選択肢が残るよう、Kさんに塾を薦めたのだと思います。Kさんは進学指向の塾で、自分と同じような「出来る子」と共に、集中して学び、新たな知を手に入れ、自分が急速度で成長していることを実感出来たことで、充実感や達成感を感じ、もしかしたら第三者からは「厳しい」と思われるような環境が、楽しかったのだと思います。
 Kさんは、起業して自分の夢を貫くと同時に、国籍や業界を問わずにさまざまな人と人間関係をつくり、それでいて(それだからこそ、かも)同じように起業して夢を実現させたパートナーと可愛い息子さんとの家庭生活も充実させています。このメールを読んだとき、Kさんのエネルギーとパワーの源はこの楽しかった塾、集中して学んだ受験勉強にあったのだなと納得しました。
 どのような場であれ、どのような目的であれ、一生懸命に学ぶという経験は、貴重なものです。教員は、そのような学びを実現するため、授業の専門家として自らを磨くしかないのです。それは、学校も塾も予備校も変わりません。

 

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