ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

無責任時代

2016-09-17 07:28:54 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「古くても真理」9月7日
 論説委員中村秀明氏が、『そもそも、何なの?』という表題でコラムを書かれていました。その中で中村氏は、『選考で特に重視した点を企業に聞くと、2001年に50.3%の企業があげた「コミュニケーション能力」は年々増え、昨年は85.6%になった。いまや不動の1位である。一方、「責任感」は徐々に減って昨年は27.4%で、重視した点の6番目だ』と経団連の調査結果を紹介しています。
 コラム自体は、コミュニケーション能力とは何かという問題提起をするものですが、私は、責任感の軽視に注目してしまいました。コラムにもあるように『コツコツと地道にやるような作業は機械に代わられた。今は営業力や企画力、提案力が重宝され、弁が立って理屈を言える人が一目置かれる』というような社会の変化があることは理解できます。しかし、営業や企画、提案という仕事には責任感は不要であるというはずはありません。
 つまり、営業力や企画力、提案力という能力に共通する基礎能力として「コミュニケーション能力」が重視されることと反比例して「責任感」が相対的に軽視されるようになったというのではなく、「責任感」自体が単独で、組織人として重きを置かれなくなったという変化が起こっているのだと理解することができます。アンケートは複数回答で行われているのですから。
 私はこのブログで、学校教育、特に義務教育について、市民社会を構成する一員として、職場でも地域でも、仕事でも私生活でも、義務と責任を意識し、その中で自分を律することができるような資質を身に着けさせることが重要な使命であり、我が国の義務教育はそうした面で成功してきたということ、そうした義務教育の成果が我が国の発展を支えてきたことを訴え続けてきました。
 社会インフラが円滑に運営されていること、現金を落としても戻ってくる安心な社会、若い女性が夜間一人で歩くことができる安全な環境、賄賂を必要としない公平な社会、いずれも、国民一人一人が無意識のうちに社会や組織を維持するための自己の責任を重く受け止める感覚をもっていることが基盤になっていると考えているのです。
 今も学校では、「責任感」は重要な指導事項の一つになっています。個性の伸張、自分らしさの発揮、自由な発想などを重視する教員たちも、実際の指導に際しては、「責任感」を強調しています。「清掃当番なのに~」「あなたが班長なんでしょう~」「もう上級生なんだから~」いずれも、その立場に応じた責任感の発揮を期待し、その期待に背いたことを責める叱責です。
 こんな指導は古いということになるのでしょうか。それは我が国が継承してきた貴重な財産を遺棄することにしかならないと思うのですが。

 

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