ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

良い教科書

2011-10-29 08:15:25 | Weblog
「教科書の価値」10月27日
 文部科学省が、沖縄県竹富町教委に中学校の公民教科書を自費購入するよう求めたことに関する記事が掲載されました。その記事に資料として添えられていたのが、問題となっている2社の教科書の「主な記述」でした。
 記事の資料によると、沖縄米軍基地については、A社が『在日米軍基地の75%が沖縄県に集中しています』、B社は『アメリカ軍基地は、復帰後も残り続けました。これに対して、基地を縮小し、なくそうとする運動も続けられ、わずかずつですが日本に返還されてきました』という記述だそうです。また、尖閣諸島については、A社が『東シナ海の尖閣諸島については、中国が領有を主張しています。しかし、これらの領土は歴史的にも国際法上も、日本固有の領土です』、B社は『沖縄県先島諸島の北方に位置する尖閣諸島は日本の領土ですが、中国がその領有を主張しています』となっているそうです。
 この記述を見て、「大差ない」と感じるか、「こんなに違っているのか」と感じるかは、人それぞれでしょう。その人の思想や歴史観が異なるのですから当然です。ですから、私は、ここでどちらの記述が望ましいというような判断はしません。
 それよりも、この記事を書いた記者が、教科書採択に際して、教科書の記述「内容」が判断基準であるという考え方をしていると思えることが問題だと考えます。教科書は歴史研究論文ではありません。子供が学習を進めるための主たる資料です。よい授業は、問題解決学習の過程をとります。問題解決学習とは一般的に言えば、ある事実に直面する→その事実から既習の知識との矛盾を発見する→矛盾を解決する仮説を立てる→仮説を検証する計画を立てる→計画に沿って調べる→調べた結果と仮説を照らし合わせて結論を出す→結論を発表し相互評価を受けるというような過程をたどることになります。
 教科書が、そのどの段階で、どのように使われるのか、という想定がなされ、その上で適否が判断されるというのが、教科書の評価でなければならないのです。そうした作業を無視して、「記述」だけを取り出して比較することは、歴史研究論文ならばともかく、教科書においては意味のないことなのです。
 この添付資料は、教科書評価に対する世間一般の「誤解」を助長してしまうものです。読者に複数の教科書の比較をさせたいのであれば、各社が想定している学習指導案にそった授業の流れを再現し、そこでの教科書の使われ方を示すしかないのです。そうしたメディアはいまだ目にしたことがありませんが、難しいことではないはずです。

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