ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

自分で稼いで

2024-10-04 08:09:05 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「職業とは」9月28日
 ナレーター近藤サト氏が、『沖縄の染織物で考えるもの作り 「楽しくなければ」の含意』という表題でコラムを書かれていました。その中で近藤氏は、『今まで一流と評される職人に、その職業を選んだ理由を聞いたとき、ほとんどと言っていいほどの人が「好きで楽しくてたまらないからと答えていました」』と書かれていました。
 そして、昔、番組が面白かった時代のテレビマンについても、『寝食を忘れ、喜色満面で番組を作る人ばかりでした』と書かれているのです。どうやら近藤氏は、好きで楽しくてたまらない仕事に就くことで、成果をあげることが可能になるというお考えをおもちのようです。
 そうなのかもしれません。でも、私はそうした考え方には、大事なものが欠け落ちていると思います。仕事は個人が社会生活を送るうえで必要な「カネ」を得るためのものだ、という側面を軽視し過ぎているように思うのです。
 私は、大学を出てすぐに教員になりました。別に子供が好きなわけでもなく、教育実習のときも楽しさよりも苦しさの方より強くを感じていました。教育学部(そこしか合格しなかった)なので、多くの同級生が教員採用試験を受けるので自分も受けて受かったから、というのは本当のところです。最初の年は辛かったです。教職が、というよりも、気楽な学生生活から責任ある社会人になったことの辛さが大部分を占めていました。
 でも辞めようとは思いませんでした。辞めたとして、何か就きたい職があるわけではありませんでしたし、就くための努力も億劫でしたし、自分にそれだけの能力や適性があるのかもわからなかったからです。就職浪人のような存在になれば、両親はがっかりするでしょうし、世間体が悪いとも思っていました。
 何年か続けるうちに、仕事にも慣れましたし、社会人ということにも慣れていきました。結婚もして、何よりも経済的に安定することが大切だと考えるようにもなりました。校内で責任ある仕事を任されたり、社会科の研究で少しは名前が知られるようになり、ささやかですが「俺もまんざらじゃない」と思えるときが増えてもきました。
 だらだらと書いてきましたが、多くの人が職こそ違え、私と同じような経緯をたどって職業人としての経験を積み、「成長」もしくは「適応」していくのではないでしょうか。好きで楽しくて仕方がないから、今の職を選んだ、そんな人はほとんどいないのではないかというのが、私の実感です。
 銀行員も、公務員も、工員や店員も、事務員も、好きだとか、楽しいとかいうことで仕事を選んだというよりも、学校を卒業したら自立して働いて自分の生活を維持していくのが真っ当な生き方だ、というような常識(思い込み?)で、就職活動をして仕事に就く、そうだったのではないでしょうか。
 そしてそれは恥ずかしいことでも、好ましくないことでもなく、ごく普通の職業観だと考えます。キャリア教育では、近藤氏流の、仕事が好きで楽しく感じられることが重視される傾向がありますが、仕事の生活資金を稼ぐという側面を軽視してはいけないと思います。辛くても我慢しろ、歯をくいしばって耐えろというつもりはありませんが、お金を稼ぐということは厳しいことだ、という現実から遊離したキャリア教育は、弊害の方が大きいと思います。

 

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