「普通ということ」9月29日
『エンタメ業界 労働環境改善のために 「特殊な仕事」の認識 まず脱せ』という見出しの記事が掲載されました。『過酷な労働環境や人権侵害が次々と明るみに出るエンターテインメントの世界で働く人々を守るために、何が必要なのか』という問題意識で書かれた記事です。
その中にとても印象に残る記述がありました。『こうした実態が長年見過ごされてきた背景には、エンタメや芸術の世界は「特殊な仕事」という社会の認識があると思います。「優れた作品を世に出すためには、休みや寝る時間がなくてもいい」「普通のサラリーマンと違って当たり前」という思想は業界内はもちろん、世の中全体で改めなければいけません』という記述です。
これは、エンタメを医師や教員に入れ替えても成り立つと思います。「教員は「特殊な仕事」という社会の認識があると思います。「子供のためには勤務時間外だからまた明日」「普通のサラリーマンと違って、手当など考えず子供のために尽くすのが当たり前」」としてみれば、多くの方の感覚と一致することでしょう。
「もう塾が終わって2時間も断つのに子供が帰ってこないんです」という保護者からの電話を受け、「勤務時間外ですからまた明日8時30分以降に学校にご連絡ください」と言って電話を切った担任は、非難されるはずです。一方で、勤務時間外に電話するなんて非常識な親だ、と親を非難する人はいないでしょう。
「明日は子供たちが地域の野球大会の決勝戦に出場するんです。校長先生も応援に来ていただけませんか」という親からの依頼に、「その場合、休日出勤に当たらないので、手当も出ませんし、代休ももらえませんので、無理です」と答えたら、冷たい校長だと言われることは必至です。親からすれば、15分でも顔を出してくれれば、という思いかもしれませんが、15分間顔を見せるためには、出掛ける準備をし、1時間電車に乗って現地に到着し、また1時間かけて帰宅する、合計で3時間は費やさなければならず、休日は半日潰れてしまうのですが、そんな事情は考えてくれません。
人は眠らなければ、健康を害します。一日に十数時間も働き続ければ、心身に異常をきたします。それは、生物の種としてホモサピエンスに共通する生体反応です。サラリーマンも教員も、芸術家も例外はありません。それにもかかわらず、特定の職の人には無理な状況を強要して何とも思わない、そんなことが許されてよいはずがありません。
流石に今、教員聖職論を堂々と振りかざす人はごく少数になりました。しかし、人々の心の奥には未だに「先生は普通のサラリーマンとは違うはずだ」という思いが隠れています。難しいことですが、その思い違いを正す取り組みが必要です。
このように言うと、教員は普通のサラリーマンと同じなのか、と反論してくる人がいるかもしれません。そこでひるんではなりません。大きな声で、同じ人間であり、同じように労働条件は守られるべきだと言わなければなりません。
教員は専門職、サラリーマンと言われる人もそれぞれの職においての専門職です。専門とする内容・分野が異なり、求められる能力・資質・倫理感が違うだけであり、私生活や家族が大切な普通の人間なのです。