「自戒」10月3日
『声を上げ「if」を想像する』という見出しの記事が掲載されました。NHK連続テレビ小説「虎に翼」の脚本家吉田恵里香氏へのインタビュー記事です。その中で吉田氏が語った言葉が強く印象に残りました。
『差別的なことを言う人も、世の中が変われば少なくともその考えを口に出せなくなるはず。差別的なことを言えるのは、言っても大丈夫な社会だから』という言葉です。これは、教員が子供の問題行動に直面したときに思い出し、噛み締めるべき言葉だと思います。
すぐ暴力を振るう子供がいます。差別的なことを言い他人を傷つける子供がいます。ルールを守らず責められても言い逃れする子供がいます。教員は、こうした問題行動を発見したとき、その子供に対して指導をするはずです。そのとき陥りやすいのが、その子供だけの問題として、叱り注意することで事足れりとしてしまうことです。
吉田氏の言葉のように、ある子供が暴力を振るうのは、学級の中に、暴力を許容する雰囲気がある、暴力で問題を解決できるという考え方がはびこっている、結局力の強い者が勝つという認識が浸透している、などの状況があるはずだと考えて対応するのが、できる教員なのです。
差別発言やルール無視についても同じです。少なくても、そうした行為をしても強く罰せられる(教員が罰を与えるということだけでなく、子供集団から何らかの報いを受けることを含む)ことはないと考えているということは間違いありません。
そしてさらに重要なのは、そうした「悪」を見逃し許してしまう雰囲気や環境の中心にいるのが教員自身であるということを自覚することです。教員自身が、指導の一環という名目で体罰をしていたり、子供との約束を「先生には先生の大人の事情があるから」と言って平気で破ったり、お前はいつも嘘をつくなどと決めつけるような発言を繰り返していたりすることで、差別や暴力を行える学級社会を作っている張本人であることが非常に多いからです。
学級全体の「悪」容認の空気を放置したまま、個人を叱り指導しても、子供は「何で今日だけ」「なんで俺だけ」と反発するだけで、教員への不信感が増すことはあっても、心から反省することはないのです。
若い教員の皆さん、あなたは大丈夫ですか。