最近、車の中で、ヒルクライムの春夏秋冬を繰り返し、繰り返し、何度も何度も聴いています。
さびの部分が好きで好きで
聞いた瞬間、懐かしくて、胸に強く響いて
まさに、心を大きく揺さぶられました。
秋は闘病中のナマステとの想い出が一番強く残っているような気がします。
自分の命に限りがある事を突きつけられ絶望感を感じながらも
それでも前向きに前向きに最後まで生きた姿
想い出作りのドライブと称して二人で色んな場所を訪れたものです。
強いな~と思います。
もし、私が同じ立場になったらどうだっただろう?
そんな私の性格をよく知っているので、最初の頃にナマステは私にこう言った事があります。
病気になったのがワシで良かった!
もし母さんがなっていたら、母さんは悲観的になって落ち込むばかりやから側にいるワシは耐えられんかったろうの~
そんな意味では、今思えば、家族に必要以上に気を遣わせる事もない立派な病人でした。
私には真似出来ないかも
すごいな~と思います。
最後のドライブは秋の帝釈峡でした。
このドライブを最後に、脳に転移して身体の自由を奪われてしまったと言っても過言ではありません。
今思えば、想像を絶するような痛みを耐えるためだけに一日、一日を過ごしていたのかもしれません。
家族と一分一秒でも長く居たかった
家族の事以外にも、まだ自分はやりたい事、やらなくてはいけない事がたくさんあったのに…
悔しさ、情けなさのベットの上だったかもしれません。
ある日、家から病院へ送って行く車の中でも体調はいつもにも増して最悪で、痛みに耐えながらの苦痛の表情を抑えながら
近いうちに電車に乗って広島の本通りでも歩いてみるか!
そんな事をつぶやきました。
まさかそんな言葉が出てくるような状態ではなかったので私はビックリしました
ギリギリのところにいるのに、それでも負けたらいけん!と自分を励ましていたのかもしれません。
ほんのわずか先の未来を信じていたかったのかも
うん、行こうね~と返事をして励ましはしましたが
そのわずか約一週間後に亡くなってしまいました。
病気が発覚したと同時に余命を宣告されてしまったのですから
この先、どの季節まで生きる事が出来るんだろうかと日々思っていた事でしょう。
でも先がある事を信じたい
みんなと一緒に居たい
そんな思いが強いから闘病にも根をあげずに頑張って痛くて辛く苦しい治療にも耐えていたんだと思います。
とにかく、まだしっかり歩けるうちは、あそこへ行こうか、今度はどこに行ってみるか!と情報誌を見ながら色んなところへ連れて行ってくれました。
そんな想い出の時間を思い出してしまったのが
ヒルクライムの春夏秋冬です。
さびの歌詞とメロディーはナマステがまるで呟いているような気がしました。
今年の春はどこに行こうか?
今年の夏はどこに行こうか?
…
…
ずっと君と居たい…春夏秋冬
ナマステが欲しかったのは、とにかく未来だったと思います。
簡単に触れるつもりが、つい長くなってしまいました。
ヒルクライムの春夏秋冬
私にとっての大切な一曲になりました。
調べてみると2009年に発売されたようです。
ちょうど闘病が始まる頃と一致しています。
これほど懐かしく思えるのは、きっとあの頃にどこかでよく耳にしていたんだろうと思うんです。
このCDは、たまたま三女が車の中で聴けるように借りて来てくれたものです。
オムニバスの中に収録されていた一曲でした。
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さびの部分が好きで好きで
聞いた瞬間、懐かしくて、胸に強く響いて
まさに、心を大きく揺さぶられました。
秋は闘病中のナマステとの想い出が一番強く残っているような気がします。
自分の命に限りがある事を突きつけられ絶望感を感じながらも
それでも前向きに前向きに最後まで生きた姿
想い出作りのドライブと称して二人で色んな場所を訪れたものです。
強いな~と思います。
もし、私が同じ立場になったらどうだっただろう?
そんな私の性格をよく知っているので、最初の頃にナマステは私にこう言った事があります。
病気になったのがワシで良かった!
もし母さんがなっていたら、母さんは悲観的になって落ち込むばかりやから側にいるワシは耐えられんかったろうの~
そんな意味では、今思えば、家族に必要以上に気を遣わせる事もない立派な病人でした。
私には真似出来ないかも
すごいな~と思います。
最後のドライブは秋の帝釈峡でした。
このドライブを最後に、脳に転移して身体の自由を奪われてしまったと言っても過言ではありません。
今思えば、想像を絶するような痛みを耐えるためだけに一日、一日を過ごしていたのかもしれません。
家族と一分一秒でも長く居たかった
家族の事以外にも、まだ自分はやりたい事、やらなくてはいけない事がたくさんあったのに…
悔しさ、情けなさのベットの上だったかもしれません。
ある日、家から病院へ送って行く車の中でも体調はいつもにも増して最悪で、痛みに耐えながらの苦痛の表情を抑えながら
近いうちに電車に乗って広島の本通りでも歩いてみるか!
そんな事をつぶやきました。
まさかそんな言葉が出てくるような状態ではなかったので私はビックリしました
ギリギリのところにいるのに、それでも負けたらいけん!と自分を励ましていたのかもしれません。
ほんのわずか先の未来を信じていたかったのかも
うん、行こうね~と返事をして励ましはしましたが
そのわずか約一週間後に亡くなってしまいました。
病気が発覚したと同時に余命を宣告されてしまったのですから
この先、どの季節まで生きる事が出来るんだろうかと日々思っていた事でしょう。
でも先がある事を信じたい
みんなと一緒に居たい
そんな思いが強いから闘病にも根をあげずに頑張って痛くて辛く苦しい治療にも耐えていたんだと思います。
とにかく、まだしっかり歩けるうちは、あそこへ行こうか、今度はどこに行ってみるか!と情報誌を見ながら色んなところへ連れて行ってくれました。
そんな想い出の時間を思い出してしまったのが
ヒルクライムの春夏秋冬です。
さびの歌詞とメロディーはナマステがまるで呟いているような気がしました。
今年の春はどこに行こうか?
今年の夏はどこに行こうか?
…
…
ずっと君と居たい…春夏秋冬
ナマステが欲しかったのは、とにかく未来だったと思います。
簡単に触れるつもりが、つい長くなってしまいました。
ヒルクライムの春夏秋冬
私にとっての大切な一曲になりました。
調べてみると2009年に発売されたようです。
ちょうど闘病が始まる頃と一致しています。
これほど懐かしく思えるのは、きっとあの頃にどこかでよく耳にしていたんだろうと思うんです。
このCDは、たまたま三女が車の中で聴けるように借りて来てくれたものです。
オムニバスの中に収録されていた一曲でした。
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