わくわく活動日記

山本ゆきこ~子どもこそ未来

世田谷プレーパーク視察ーモットーは「自分の責任で自由に遊ぶ」

2010-08-25 00:11:50 | 教育
 8月20日午前中、東京都世田谷区にある「羽根木プレーパーク」を森市議、古河白山市議とともに視察しました。「プレーパーク」とは、「自分の責任で自由に遊ぶ」をモットーにした住民運営による冒険遊び場のことです。

  公園の一角に手作りの小屋や物置、遊具が林立し、木登り用の大木もあります。のこぎり、金槌などの工具箱があり、廃材を使って工作する子、枯れ木を組み立てマッチで火を起こす子、ホースで溝に水を流し泥んこ遊びをする子、小屋の屋根によじ登り下のマットめがけて飛び降りる子・・・それを見守っているプレーリーダーやボランティアの存在。

 プレーパークでは、「危ない、事故が起きたら・・・」とつい思ってしまう今までの常識が完全に覆されるような遊びがここかしこで展開されていました。禁止事項が取り払われたことにより、元来子どもたちが遊びたかったであろう遊びが実現していました。今の日本で、しかも、東京のど真ん中でこんな空間が存在することが何とも不思議に感じられました。そして、このような空間が実現した背景には、粘り強くたくましい地域住民の運動があったからでしょう。

 <入口の看板>
 プレーパークは、公園での自由な遊びをめざして、区と地域の人たちとプレーリーダーとの協力で運営されています。 
 ここの遊具は、区役所が作ったものではありません。子どもの欲求に応じて、プレーリーダーとボランティアを中心とする人たちの手で作られていますので、安全点検には、みんなの協力が必要です。
 子どもが公園で自由に遊ぶためには、「事故は自分の責任」という考えが基本です。そうしないと禁止事項ばかりが多くなり、楽しい遊びができません。このプレーパークのモットーは、「自分の責任で自由に遊ぶ」ことです。みんなの協力で楽しい遊び場をつくりましょう。

 「冒険遊び場」は1940年代にデンマークで始まり、50~60年代にヨーロッパに広がりました。70年代半ば、子どもたちの遊ぶ環境に危機感を抱いていた大村夫妻が地域の人たちと共に、自分たちの手で遊び場をつくる活動を始めます。その実績により、79年、世田谷区は国際児童年の記念事業として、地域住民と共に羽根木プレーパークを開設、翌80年、常駐プレーリーダーがいる日本で初めての常設の遊び場となりました。
 その後開園された計4つのプレーパークは、行政と地域住民の協働事業として、これまでずっと続いてきています。その実績は国内のみならず、海外からも高い評価を受けています。

 8月24日付けの朝日新聞の生活欄にプレーパークに記事がありました。一部を引用します。
<見出し> 木登り・泥んこ やっちゃえ
<本文>もっと、もっと外遊びをしよう-NPO法人「日本冒険遊び場づくり協会」は29日、全国117か所で「冒険遊び場」を一斉開催する。外遊びの楽しさを実感してもらうとともに、子どもの遊び環境が危機的な状況にあることを社会に訴えるのがねらいだ。

 そして、25日付けの北陸中日新聞(東京新聞系列)の社説に
「ゲーム依存ー外遊びの力を見直そう」とありました。
 子どものゲーム依存の悪影響が心配される中、20~60代の男女5,000人の子ども時代を調べた国立青少年教育振興機構の「子どもの体験活動の実態に関する調査研究」の中間報告は興味深い。
・・・子どものころのそんな外遊びの経験が豊富な人ほど、物事の関心や意欲が強いことが分かった。
・・・活発な外遊びが子どもの知的好奇心や探究心を刺激し、やる気の原動力になる傾向がはっきり見て取れた。
 日本学術会議も外遊びの重要性を強調し、子どものコミュニケーション能力や考える力を養うには「群れて遊ぶ空間」が必要だとの提言をまとめている。
 都会では自然や原っぱ、空き地は少ない。たとえば、地域住民が運営する「冒険遊び場」に目を向けてはどうか。・・・遊びの視点から子どもの教育をとらえる研究をもっと深めていくことも大切だ。

 外遊びの重要性は研究報告を待たなくても至極当然なことと思いますが、学術的な研究結果を突きつけでもしないと、外遊びの意義に気づかず、外遊びをないがしろにする時代になったのでしょうか。
 「早期教育」に走るのではなく、子どもが子ども時代を十分堪能できる環境をつくるためにこそ、大人は汗をかき、知恵を絞るべきだと思います。

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