7月15日(日)とても蒸し暑い日でした。
明日16日は東京の脱原発10万人集会へ参加、17日から18日は福島訪問ということで家を空けることが多くなっています。
日中は暑くて外出は暑さのピークがすんだ頃にすることにしました。
撮りためたTVの録画のうち6月29日放映の標題のものを観ました。写真はその1コマで、漁協女性部の反対デモの様子。
地域振興の切り札として原発計画が浮上し、地域の深刻な対立が続き、署名活動、そして知事の判断で白紙撤回におよんだ記録です。
三重県芦浜町
1966年 中部電力による原発計画が浮上、反対が強く断念
1967年 中部電力浜岡原発計画→71年着工(反対が少なかったため)
1985年 中部電力、町に協力を申し入れ=原発計画の再浮上(*ハマチの暴落)
漁協女性たちのデモ(86年のチェルノブイリ原発事故を受け、運動強まる)
1986年 現町長初当選(当時推進派)
1992年 古和漁協総会 推進派・反対派が半々→推進派逆転 反対派と推進派の対立深刻化
1994年 海洋調査阻止座り込み
1996年 県に反対署名80万筆提出(県民の過半数)
1999年 北川正恭知事、地元への聞き取り
2000.2.22 北川知事、原発立地を巡り地域が37年間割れ続けた苦悩にかんがみ、国策に反対し、原発計画を白紙撤回
(国策に反対する判断が出るとは非常に意外だった)
中部電力は計画を断念
2011.2 中部電力、今後の経営ビジョンに原発計画再再浮上か?!
2011.3 東日本大震災
元推進派だった現町長は現在次のように述べています。
「3.11で安全神話は崩れた。芦浜原発ははっきりノーだ。
原発立地のように立派な総合病院はできなかった。そのかわり、町として病院を往復する無料バスを出すことにした。
目立たなくてもきらりと光るまちにしたい。一隅を照らす政治をしたい。」
署名運動を始めた歯科医は
「経済的な豊かさのみを追い求めることはない。そこそこで生きていける状況でよい。原発というものに頼ってしまうと、大もとの部分を忘れてしまう。活性化という言葉より、本来このまちはどういうところだったか真剣に考えていけば答えは見つかる。
★原発立地自治体への交付金に頼ることにより、地域として経済の自立ができなくなります。
国策に対し、地域の主体性・主権を貫いた北川さんは現在、早稲田大学で「地域主権」をテーマに教鞭をとられています。
明日16日は東京の脱原発10万人集会へ参加、17日から18日は福島訪問ということで家を空けることが多くなっています。
日中は暑くて外出は暑さのピークがすんだ頃にすることにしました。
撮りためたTVの録画のうち6月29日放映の標題のものを観ました。写真はその1コマで、漁協女性部の反対デモの様子。
地域振興の切り札として原発計画が浮上し、地域の深刻な対立が続き、署名活動、そして知事の判断で白紙撤回におよんだ記録です。
三重県芦浜町
1966年 中部電力による原発計画が浮上、反対が強く断念
1967年 中部電力浜岡原発計画→71年着工(反対が少なかったため)
1985年 中部電力、町に協力を申し入れ=原発計画の再浮上(*ハマチの暴落)
漁協女性たちのデモ(86年のチェルノブイリ原発事故を受け、運動強まる)
1986年 現町長初当選(当時推進派)
1992年 古和漁協総会 推進派・反対派が半々→推進派逆転 反対派と推進派の対立深刻化
1994年 海洋調査阻止座り込み
1996年 県に反対署名80万筆提出(県民の過半数)
1999年 北川正恭知事、地元への聞き取り
2000.2.22 北川知事、原発立地を巡り地域が37年間割れ続けた苦悩にかんがみ、国策に反対し、原発計画を白紙撤回
(国策に反対する判断が出るとは非常に意外だった)
中部電力は計画を断念
2011.2 中部電力、今後の経営ビジョンに原発計画再再浮上か?!
2011.3 東日本大震災
元推進派だった現町長は現在次のように述べています。
「3.11で安全神話は崩れた。芦浜原発ははっきりノーだ。
原発立地のように立派な総合病院はできなかった。そのかわり、町として病院を往復する無料バスを出すことにした。
目立たなくてもきらりと光るまちにしたい。一隅を照らす政治をしたい。」
署名運動を始めた歯科医は
「経済的な豊かさのみを追い求めることはない。そこそこで生きていける状況でよい。原発というものに頼ってしまうと、大もとの部分を忘れてしまう。活性化という言葉より、本来このまちはどういうところだったか真剣に考えていけば答えは見つかる。
★原発立地自治体への交付金に頼ることにより、地域として経済の自立ができなくなります。
国策に対し、地域の主体性・主権を貫いた北川さんは現在、早稲田大学で「地域主権」をテーマに教鞭をとられています。